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5月
そよぐ風に若葉の緑が薫る季節。
毎年この時季はやってくる。
俺がいても、いなくても………
ゴールデンウィークといえば、我が家では俺の物心ついた頃からずっと、一つ上の姉の誕生日がメインイベントだった。
5月1日に姉の誕生日があって、パーティーはもちろん、姉の行きたいところ、やりたいこと、リクエストを叶えていくのが我が西島家の定番だった。
とりわけ、姉と俺が当時夢中だったアニメの映画が毎年この時期に公開されていて、必ず父か母のどちらかが、時には両親揃って連れて行ってくれるのは、数ある年中行事の中でもトップ3に入る楽しみだった。
そして5月5日の端午の節句には俺の兜飾りの前で柏餅やちまきを姉と並んで食べ、菖蒲湯に入るというのがだいたいゴールデンウィークのフィナーレだった。
俺も姉も学校に苦手意識があったわけではなかったが、家族だけのイベントはなんだかとても特別感があって、大好きだった。
それが変わってしまったのは、いつからだったか………
たぶん、俺がピアノのレッスンを本格的に受けだした頃だろう。
師事していた先生の推薦で、連休中に開催されるピアノセミナーを受けることになったのだ。
それは年齢こそ限定されてなかったが、推薦がなければ参加できないような、プロを目指す者を対象としたセミナーだった。
数日にわたって開催されるセミナーは、最終日にリサイタルという名の試験が行われ、つまり、何の準備もなしに参加できるほど容易いものではなかったのだ。
実質連休前からセミナーが始まっていると考えていい。
ゆえに、俺は4月中頃からはほぼピアノ漬けとなっていたのである。
そしてそれは毎年恒例となり、俺と姉が楽しみにしていた映画はそれっきり。
1日の姉の誕生日も、姉自らが俺の邪魔にならないようにと、パーティーをキャンセルしてしまった。
もちろん、何週間か遅らせて5月中には姉の誕生日祝いはしていたが、それだって、小学校高学年になると、あったりなかったりになった。
弟の文哉が生まれたことと、両親の仕事が忙しくなったせいで、姉が遠慮しだすようになったのだ。
姉は、そういう人だった。
自分の希望よりも家族の都合を優先し、傷付いてないわけないのに少しも傷付いた素振りを見せない。
子供ながらに俺は、そんな姉を尊敬し、憧れの気持ちで眺めていた。
そう、眺めているだけだった。
申し訳ないと思いながらも、セミナーを欠席することはなかったし、姉が遠慮したパーティーを強引に開催するほどの行動力もなかったのだ。
姉はいつも、俺のことを優先してくれていたのに。
あんなに二人揃って、5月の年中行事を楽しみにしていたのに。
そうして、とうとう、俺はそれを謝ることなく、別れを迎えてしまったのだ。
家族との別れを迎えてからあれこれがあって、また緑薫る季節が巡ってきた。
俺はこうなってからはじめての5月の連休、今度家族が越してくることになっている屋敷を訪れた。
あの人から聞いた情報では、家族は、まだ俺が生きていると思っている姉のために、防音室を作ってくれたという。
防音室なんて言うのは簡単でも、グランドピアノが入るちゃんとした部屋だったら数百万はするだろう。
作曲家の母にとってはあっても無駄ということもないだろうが、これまでなくても問題なかった設備であることに違いはない。
俺は、家族が過ごす新たな家と、その防音室が気になって、家族の引っ越しよりも先に下見にやって来たわけだ。
そして、分厚い壁を通り抜けてその部屋に入った俺は、それは決して姉だけのためでなく、両親は俺のためにもこの部屋を作ってくれたのだと深く思い知ったのだった。
なのに、人が感慨にひたっているというのに、なにやら不穏な気配がこの家のあちこちから漂ってくるではないか。
俺はそいつらがこの部屋に入ってきて下手に真実を知り得ないよう、細工することを思いついた。
あの人に相談してみよう。
俺はすぐさま行動に移した。
今度は、間違わないように。
後悔しないように………
それが、ちょうど一年前のことだった。
『おや、久しいな』
数か月ぶりに実家の近くを通りかかった俺に、俺よりも姉や家族の近くにいるあの人が声をかけてきた。
他の4名と違い、唯一話が通じると思っている人だ。
『……姉と弟が、お世話になってます』
今日はいつもギャアギャアうるさい小学生もいないようだ。
俺は小さく会釈した。
『我らが世話になることの方が多い。礼には及ばぬ』
彼女は団扇のようなものをくるりと回し、そっと口元に当てる。
『ときに、先日は其方の姉君の誕生祝いで家族皆楽しんでおったようだが、聞いておるか?』
俺は彼女からもたらされたその情報に、フゥ…と息をこぼした。
『4人目』
『はて?』
『あなたで4人目です。俺にその話を知らせてきたのは』
舞台衣装みたいなヤツを筆頭に、平安貴族みたいなヤツ、それから袴を着たヤツと、立て続けに俺に報告にやってきた。
俺はそれを聞いて、本当に嬉しかった。
姉さんから誕生日を奪ってしまったこと、ずっと気になっていたからだ。
俺は奴らそれぞれに礼を伝えた。
ところが、調子に乗った奴らは、じゃあ俺も祝いに行けと説教してきやがったのだ。
俺が姉さんに会えないとわかってるくせに。
でも、直接顔を合わせないのならギリOK、それがあの人との契約だった。
だから俺は、遅れること数日、会えなくてもせめて近くにと、こうして夜中に忍んで足を運んだのである。
すると目の前の人物はやけに嬉しそうに『そうであったか、あの者達も』と頷いた。
『それで、こんなところで何をしておったのだ?家には行かぬのか?』
『行っても姉には会えませんから』
『だがそれでも、誕生祝いのためにここまで来たということか』
『まあ……毎年俺のピアノの試験が近かったせいで、姉は自分の誕生日を祝いたがらなかったんです。でも今年は、久しぶりに家族で祝えたようで………よかった』
その場に自分が立ち会えなかったことが、この上なく悔しいけれど。
そんな本音をきれいに隠して言ったはずなのに、目の前の人は『其方がおればよかったのにと、皆しきりにそう言っておった』と穏やかに告げた。
『先日の祝いは、下の弟御の熱心な提案だったのだ。さすがに弟御の誘いでは無下にもできなかったようで、其方の姉君も受け入れることにしたようだ。そして下の弟御に、我らの一人が複数の助言を行っておったことも添えておこう』
その一人というはおそらく、あの舞台衣装みたいなマントのヤツだろう。
比較的最近ゴーストになりたてのようだったし、他の連中に比べてそういうことにも詳しそうだった。
目の前の人は『それから』と続けた。
『其方の姉君はこうも言っておったな。”私の弟は毎年ゴールデンウィークにピアノで表彰されてたの。すごいでしょ。自慢の弟よ”』
自慢の弟………
確かにあのセミナーで、俺は毎回何かの賞をもらっていた。
でも姉さんの誕生日を奪ってしまった後ろめたさがあった俺は、大々的に報告したりもしなかったはずだ。
なのに………
今になって、こんなにも姉さんが俺を応援してくれていたのだと実感するなんて。
胸にくるものがあった。
だがそのとき、
『おいテメエ、こんなとこにいやがったのかよ!』
憎々し気に言い放つ甲高い声が、背後から飛んで来たのだった。
『こっちに来たなら来たで一声かけやがれ。でないとお前に伝えたいことがあるのにいつになっても伝えられないだろうが!』
毒吐き少年は、角度的に俺の姿しか見えていないのだろう。
ずんずん近付いてきながら、またもや毒言葉を放つ。
『お前の姉貴、この前誕生日だったんだろうがよ。誕生日パーティーを楽しんでたみたいだぜ。ま、どうせお前は参加できないんだし、いちいち報告するのもどうかと思ったんだけどよお、あまりにもお前の姉貴が………えっ?!こここちらにいらしたんですか?!大変申し訳ございません、ご挨拶もできませんで』
とたんに、少年の態度が180度変わる。
けれどあの人は一切動じることなく、『5人目だな』と呟いて笑ったのだった。
姉さんの周りにいるのが、優しい連中でよかった。
そんな安堵と裏腹に、俺の後悔は終わらない。
あのとき、俺が文哉みたいに強引に誕生日パーティーを開いてればよかったのだろうか。
そんな後悔は、俺の命と違って、いつまでも消えることはないのだろう。
でも今夜は、ひと言だけ、言わせてほしい。
『姉さん、ちょっと遅れたけど、誕生日おめでとう』
俺がそう呟いたとき、日付は5月5日から6日へと移っていった。
今年のゴールデンウィークが、間もなく終わろうとしていた。
(完)




