灯台の下には影がある
新年明けましておめでとうございます。
これからもゆっくり更新ですが、よろしくお願いします。
「ただいまー」
嫌な金属音を立てながら、冷たい鉄のドアノブを回す。前なら言葉を返してくれる人なんて居なかったけど、今は居る、その事実にまだ慣れない。
ローファーを綺麗に手前に揃えて、バッグを置くべく、リビングへ行かず自室に入る。
自室に入りバッグを置いたり服を着替えたりしていると、リビングから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「おかえり、今日もお早いお帰りだな?学生なのに」
「部活に入ってないだけ、サボってるわけじゃないよ」
諸々の支度を終えたので、リビングに行き、ひとまず近場の座布団に座った。栄司はというと、いつも通り、向かいにあぐらで座っていた。
「苦学力行の人は大変そうデスネ、労いだけはしてやる」
「別に思っても無いこと言われても嬉しくないデス。そんな事より、洗濯物入れて置いた?」
「ついでに畳んでおいたぜ、出来る子を持って良かったな」
そう言いながら、隅に置いてある小綺麗に畳まれた服を指さした。
「サンキュー、欲を言うならタンスに仕舞って欲しかったなぁ」
「我利私欲は身を滅ぼすぜ?」
「適度な欲なら大丈夫だと思いまーす」
だけど、お願いした内容以上を提供してくれたので、明日おやつぐらいは買ってあげようと思う。自室の戸を開け、二つのタンスにそれぞれ服をしまっていく。
いくら金銭面が心許ないからといって、洗濯やオシャレをないがしろにするのは許し難い。といっても、オシャレをするのは栄司だし、大抵制服で過ごす私は、洗濯物はワイシャツ程度しか無い。心持ちなどあってないようなものだが、心がけるだけなら安いものだ。
すると、栄司が先程より大きな声でこちらへ呼びかけてきた。
「おーい、ニュース速報!お前の興味ありそうなのが出てるぜー!」
「はいはい今行く!まったく、会って一週間ちょいの男が私の何を知ってるのやら・・・」
冗談めかして言う。
折角教えてくれたのだから、ご好意を受ける為に一旦リビングに行く。ニュースには、確かに臨時速報と映されていた。驚くべき事に、私が通っている高校の近くがLIVEで報道されている。
《繰り返します。先程、都内某所で男性が刺されました。出血も多く意識不明の重体です。犯人は、最近脱獄した死刑囚だと思われており、現在、警察が捜索しています・・・》
最近脱獄した死刑囚・・・約一週間前、栄司と出会ったあの日のニュースに出てきた人だろう。その当人がこんなとこにまで出て来ているのか。
「気になるのか?」
あぐらをかいたまま、彼が私の顔を覗き込んできた。
「そりゃ、近くに殺人犯がいるってなったらね」
「それだけじゃないだろ?」
「・・・胸騒ぎがするの」
「嫌な予感ってやつか?」
「かも知れない。もしかしたら、明日学校は休校かもね」
まぁ、多分と言わず、絶対だろうけど。
「は?なんで休校になるんだよ?」
「危ないからに決まってるじゃん」
「ふーん?」
見るからに納得していませんって顔をしている彼だが、内心、そんなに興味が無いんだろうな。
彼と出会ってから、生活が激的に変わった訳では無い。度々MAUが現れたからと、引っ張り出されては戦闘に駆り出される事はあれど、それ以外は変わらなかった。家が騒がしくなったのは、まだ慣れない。
MAUやアルミスの事は、調べているがまだよく分かっていない。それもこれも、この栄司がおバカちゃんなせいだ。
しかも、本人はその事に興味無さげなのがムカつきポイントだった。私は物語の主人公じゃないんだから「戦う能力?やった!これでみんなを救いたい!」と直ぐになれない。それよりも前に、疑ってかかるのが当然の反応だと思う。
唐突にスマホの通知音が鳴った。
スマホの通知音なんて予知できないから、急に鳴って当然なんだけれど。スマホを鳴らした主は、ネトモの更新通知だった。
「ネーベルさん、また綺麗な写真撮るなぁ」
「霧さん?また珍妙な名前だな」
「ネトモの人だよ、綺麗な写真や可愛い物をよく投稿するんだけど、メッセージを送ってみると意気投合しちゃってね」
「お前ネット疎そうなのに友達居るのか、意外だ」
「ほんっっっと失礼だよね、君」
五月雨。
五月にしては冷たい今日は、雨を更に冷たく感じさせる。無造作な髪がこれ以上濡れようが、俺にとっては些細な事だ。
「ヒィィィッ!!!嫌だいやだやだやだやだやダヤダヤダヤダ!!!!!」
目の前の男は哀れに叫びながら、後ずさって這っている。雨の静粛性が、神の啓示に他ならない。雨音が大音量で路地裏に響く。
「フッ」
つい嘲笑をしてしまった。今から死ぬ奴には、酷な事をしたと、俺の良心が言っている。俺の良心など、お飾りに過ぎないが。
「おい」
顔だけ振り返り、後ろの虚空に呼びかけると、そいつは興味が無いのか、声に色が無かった。興味が無いのに俺に協力はする、いやいや、あいつの生態は本当に面白い。
「呼んだ?」
「そうそう、お前だよ。シャルロット」
シャルロット。
自分の名前を自分で付けるのはユニークな趣向だが、何故シャルロットなのか。面白いが、惹かれはしないな、かっこいいが。呼び出された幼い女は、雨に濡れるのも構わず隣へ歩いてきた。装いは現代に適しておらず、その肌を余計に出している。暗殺者を気取る癖に露出が多いとかどんな思考してんだか。胸とか寒くないのだろうか。やっぱり、こいつの考えは分からない。
「貴方の嗜好に付き合う気は無いの」
「そう言って手伝ってくれるんだろ?良い奴だなぁ」
「・・・イカれてるわ」
「最高の褒め言葉をどうもありがとう」
彼女は悪態をつき終わると、手元に鎖を出現させ、鎖を一打ちした。どんな原理か、男の周りにも鎖が回り、がんじがらめに縛り上げた。
流石の手合いと賞賛の拍手を送ると、軽やかに左のビルに飛び移りどこかに行ってしまった。照れ隠しは苦手みたいだ。
「さぁ・・・舞台は整ったんだ、楽しもうぜ?俺も、お前も、さ」
あぁ、思わず笑みが溢れてしまう。楽しい、俺の生きるべき場所はここだ。もう、あの場所には戻れない。一度踏み込んだら、泥沼の様に堕ちていく、それが俺たちの運命なのだから。
オードブルとして、まずは男の目を愛用のナイフで切り付ける。名前も知らない男は痛みに悶え体をよじり、涙を流した。男の悲鳴がこだましている。気づく人がいたとしても、きっとここへは来ないだろう。
雨の中に、男の叫びが消えていった。路地裏の外では傘を差した人が笑いながら、生を謳歌している。彼もまた同じく、生を謳歌していた。例えそれが歪な形だとしても、生きる事に、変わりはなかった。
「はい・・・はい・・・休校ですね。明日だけ、ですか。はい、分かりました、失礼します」
電話が切れるのを待つと、ツー、ツーという音ともに電話が切れた。スマホを机に置いたら、私が頭を働かせる前に体が勝手に肩を落としていた。
「お前の予想が当たったみたいだな、どうするんだ?」
「取り敢えず友達に確認したい事があるから、その人の家に行くよ。それと、栄司に一つお願いがある」
「いいぜ、初願につきタダ働きしてやる」
「ありがとう。お願いって言うのは、さっき言ってた殺人犯がまだ近くに居るかどうか確認して欲しいんだ」
「紫ちゃん、怖いんでちゅか?」
煽るのではなく冗談で言っているのが分かっているから怒らないけど、それを知らない人からしたらとても腹が立つのだろう。
「死体が積み上がるのをみすみす見逃すほど、酷い性格してなくてね」
「詳しい命令は」
「あくまで退けるだけでいいよ、殺しは厳禁」
「委細承知。お前も気を付けろよ、何かあったら惜しまず空想の主君としての能力を使え」
「そっちもね」
私達はそれぞれの役割を果たす為に、別方向へ行った。
目的地は、徒歩五分程度の距離にある。友達の家、というのは湊斗の家なのだ。電話で確認してもいいが、こんな事件があったからか何となく顔を見たくなってしまった。それに、ここからは推測の域を出ないが、殺されたのは、恐らく私の高校の在学生だろう。
学校側の根回しが明らかに速かったのと、現場を見た限り、帰宅途中、それも高校の目の前で殺されたからだ。運動部員の可能性も無きにしも非ずだが、あの時間帯は陸上部も校庭で走っているはず。
因みに、湊斗が殺された可能性は限りなく低い。今日は私と一緒に帰っていたし、もし帰った後もう一度戻ったとしても、時間的に不可能だからだ。
街道を右に曲がり、少し入り組んだ道を進むと、直ぐにその家は見えてきた。ザ・お金持ちの家、という訳では無いけど、白い色合いの落ち着いた雰囲気の家が湊斗の家だ。二階建てに憧れる私からすれば、こんな家住みたいな、と思う下心もある。
とりあえず、インターホンを1回だけ鳴らした。すると、思っていたよりも早く、彼は中から顔を出してくれた。
「紫か!良かった・・・それよりも、何で俺の家に?」
出るや否や、ほっとした顔でこちらに駆け足で来た。こんなに慌てる様子を見るのも、随分と久しぶりな気がする。いつも表情筋を動かしていないのに、それを感じさせない。
「ニュースで殺人事件が流れてたからさ、顔見に来ちゃった。迷惑だった?」
「いや、俺もメールでも送ろうかと思ってたとこ」
「なら良かった」
「・・・上がって。山程って訳じゃないけど、話があるんでしょ?」
「うん、ありがとう」
私は促されるまま、彼の家に上がらせてもらうことにした。
礼儀は弁える方なので、お邪魔しますという挨拶と、靴はかかとを揃えて置いて上がった。左手のリビングには想像の範疇を出ず、質素な家具が多い。まぁ、上がったのは久しぶりだけど、せいぜい二年ぶりぐらいだからなぁ、二年じゃ家具は買い換えないか。
「飲み物・・・リンゴジュースしかないか。菅原!リンゴジュースでもいい?」
「ホント!?やった、ありがと!」
ジュースなんて数年前に飲んで以来だったっけ。楽しみ。
近くのイスに腰掛けて大人しく待つ。その間もソワソワとしていたのか、彼が来ると、急に吹き出した。
「何よ、失礼ね」
「ご、ごめんって。んっ、ふふっ、分かり易過ぎるのも、難儀なものだと思っただけ」
「笑いながら言わないでください」
「リンゴジュースで本当に良かった?」
笑いながら、向かいの席に座る彼。
「全然!むしろ嬉しいよ!」
「・・・助成金だけだと、やっぱりキツイよな」
机に置かれたリンゴジュースは、果汁百パーセントなのか、果糖よりも酸味が強かった。後からじわじわくる。その間も、彼は難しい顔をして座っていた。
「一般生活は送れてるんだから問題ないって。学費も免除されてるし、ラッキー」
「それは!お前が寝る間も無く努力したから」
「だから大丈夫だって。本当に」
彼女の目は真剣そのものだった。だが、彼はこうも思った。言及されたく無いから、紫は話を切り上げようとしたのではないかと。
彼女に親は居ない。正確には居なくなったのだ。それが理由で、成人するまで国から助成金が配布されているが、到底それだけでは生活出来なかった。だから彼女は、学費免除の為に、多くの時間を勉学に使い、お金を稼ぐ為に、内職までしていた。努力と引き換えに、他の人と何にも変わらない生活を手に入れたのだ。
「…母さんが、今度一緒にご飯でも行こうってさ」
「あー、どうしよ。迷惑じゃない?」
「迷惑なら誘わないだろ」
「そっか。なら、近いうちにご一緒させてもらおう」
それから、軽い沈黙が流れた。二人とも、これからの展開を知っているからだろう。
「桐生があの殺人犯を気にしてたのって、これが起きるのが分かってたからなの?」
ほんの少しの間を置いて、彼が答えた。
「分かってたとしたら?」
彼はあくまで静かに聞き返した。
「何も。学生で出来ることなんて限られてるし、私だって、何も出来なかった」
「・・・・・・分かっていた、というより、その可能性が高いことを知っていた。というのが正しいな」
同じくリンゴジュースを飲んでいる彼の顔は渋かった。確かに、このリンゴジュースは酸味が強い。
「殺されたのって、私の学校の人でしょ」
「どこでそれを?」
「女の勘ってやつ」
声色は努めて楽しげだったが、顔はとてもそんな風には見えなかっただろう。目は口ほどに、いや、それ以上に物を言うのだ。
「岡田 和勝、それが今回殺された学生の名前だ」
「・・・岡田が」
「校門のすぐ前で腹部を刺され、出血多量で病院に搬送されたが、数十分後に死亡。付近の防犯カメラに死刑囚の姿が確認されたのと、凶器の包丁にそいつの指紋が確認されたのが決め手だ。警察もその線で捜査を進めてる」
「よく知ってるね、怖いぐらい」
「知ってて損する事なんて少ないからな」
「…なんで今、私にその話をしたの。まぁ大方分かるけどね。その情報を私が得て、桐生に利益があるんでしょ?じゃなきゃこんな話しない」
体の筋肉が、強ばっていく。
「そういう菅原も、随分頭に血が上ってるぞ」
視線を下にして、目を閉じる。自分が思う以上に、怒りの感情を抑えるのは困難らしい。肩の力を意識して抜く。
「ごめん。もう、大丈夫」
「やっぱりお前変わってるよな」
「むっ、何急に。失礼だなぁ」
「友達が殺されたのに、真っ先に犯人に対して怒りの感情が向く。普通は悲しみで涙を流し、死んだ事実を受け入れようとする。親族なんかは怒りが生まれやすいが、それでも先に悲しみにくれるはずだ。だけど菅原は怒った。やっぱり、変わってる」
「人を変人扱いし過ぎじゃない?」
「まさか。それに、だからこそ俺には都合が良い。なぁ菅原、そんなお前に折り入って頼みがあるんだ」
「…聞くだけ聞く」
「今日の深夜一時、学校に来てくれ。そこで話す」
「ここじゃダメなの?それに、私に校則違反しろって言ってるよね」
「それまでに考えておいてくれ。良い返事を期待して待ってる」
それだけ言うと、リンゴジュースを飲み、目を伏せた。
「えお前馬鹿だよなやっぱ」
「最近周りの人が私に冷たい気がする」
「いやいや、怪しすぎるだろおい」
頭を抱えながら言う彼は、失礼ながらちょっと面白かった。
リビングで夕飯を食べながら、普通は絶対にしないであろう話をしている。あれからしっかりリンゴジュースを飲み干し、家に帰る頃にはすっかり日が暮れていた。今日は帰ってくるのが遅くなってしまったので、レトルトカレーになったが、それも新鮮なのか、彼はうまいうまいと食べていた。レトルトだからか、私は嬉しい感情にならなかった。もしかしたら、それが原因では無いかもしれないけど。
「んで?どうすんだよ。流れからして、あの脱獄犯に関しての内容だろ」
「そう、だね。この話、引き受けるつもり。幼馴染からのお願いだしね」
「いや、まぁお前が良いならいいけどよー。面倒な事にならないといいけどな」
他人事のように呟きカレーをまた頬張ると、彼は福神漬けを乗っけてまた食べた。
私は最後の一口を食べ終わったので、座布団から腰を上げる。
「ごちそうさまでした。栄司も早く食べてよ、お皿早めに洗いたい」
「ちょい待って、卵乗せて食いたいから卵取って」
「話聞いてた?また今度作るからその時にして」
「マジ?言質取ったかんな、忘れんなよ」
「はいはい」