あの日誓った貴方との約束 Part.2
太い幹を持つ大樹が軒並ぶゾーンを抜け、暗さが増した杉林に駆け込む。いつものスーツではなく、運動靴に動きやすいラフな服装、急な悪天候を考慮しコート一枚を羽織ってきたが、それが幸いしたらしい。額に冷たい刺激が降りる。木々の合間を縫いながら、上を見上げると今にも雨が降り出しそうな天気である。雲の動きが異様に早く、雷雨を誘うかのようだ。後ろからは俺よりも確実に速い足音が、まだ遠いけれど地鳴りと共に近づいてくる。持って数分、と言ったところか。
寄り道や相手を撒くこともせず、ただ愚直に山を下る。途中、ここの天候のせいか濡れた土を滑りながら降りていく。体勢を崩さない為に屈んだ際、コートの裾が土まみれになってしまったのを横目に、更に下山を続行。
だが、この世には是非もない。是非もなければ、救いもない。
野生の獣に足の速さで勝てる訳もなかった。俺の持って数分というのは撤回だ。五分も持たなかった、加えて辺りは獣道ときた、絶望的状況は周知の上だ。人間には限界が設定されていて、そのラインを超えないように創られている。今ここでボーダーラインに足を踏み出したりでもしたら、今後に支障が出てしまう。死んでしまったら、今後など無いが。
万事休すかに思われるこの状況。しかし揄士郎はMAUを見回して、ニヤリといたずらっ子のように笑う。
「ばーかっ。こんなんで俺を追い詰めたつもりなら、もう一回産まれ直してこい」
中々にキツい言葉を浴びせる彼だが、MAUは特に気にすることも無く、躊躇いなど全く皆無で襲って来る。前足の爪を立て、獰猛な牙を見せつけ、飛びかかった。顔を後ろに仰け反らせる。その時の表情すら、余裕そうだ。
揄士郎の右から銃声が鳴り響く。銃弾は見後にMAUの脳天を貫いて、奥のあった杉にも風穴を開けた。続けて、逆方向からは二体のMAUが先程の個体よりも怒りを露わにして迫る。こんな獣にも、同胞が殺られれば仇討ちをしようと殺気立つのか。一切避ける素振りも見せず一瞬だけ目を細めるとMAUを横目に眺め、笑みを崩さない。
今度は顔スレスレに短剣が振り下ろされる。空中から体ごと前転してMAUの腕を真っ二つに捌いた。艶やかなピンク色が宙に円を描く。地に降り立つ泥水の飛沫さえも、湖の聖水を思わせるほどの影響力、美しさをまとっていた。続けざまに軽やかに舞ってMAUの体を散らす。その姿にも華があった。
「社長っ!間に合った!?間に合ってるよね!!?」
MAUの消滅を目ざとく確認した後、大袈裟なほど心配してくれているアルミス、妹のシムルが近寄ってくる。戦闘中のダイナミックな動きはどこへやら。俺の周りを忙しなくちょこちょこと動き回る彼女は、一言で言えば愛らしい。そんな妹とは対照的に、未だ敵の殲滅を続ける兄のイアン。最後の一体となったMAUの虚しい反撃も難なく躱し、宙返りしたまま器用に眉間を撃ち抜く。
灰とは似て非なる物質になり、崩れ、風に吹かれる。確認が済むと、すぐにこちらに首を回して、言及するかのような口ぶりで話しかけてきた。
「まだ未熟なあの二人を、あんな敵の中枢に置いてきているんだ、この状況の怖さを分かっていないわけはないだろう、社長」
かれこれ数年程の付き合いにもなるが、こんな表情をする彼は初めて見たな。驚きにも似た興味深さが湧き上がったが、それを内に収め、彼に言葉を返す。
「分かっているとも。だけどねイアン、君は一つ勘違いをしている」
「勘違い?何をだ」
「彼らは君の言う通り、弱冠十六、十七歳の子供達だ。しかし、年齢など些細な問題に過ぎない。特に彼においては、ね」
楽しげな顔の俺と、訝しげに見つめるイアン。ケンカが勃発するのではないか、そう不安が拭いきれていないシムルの空気が混ざり合い、何とも言えない空気が流れる。
それぞれが空気感を感じているが見て見ぬふりをしている中、イアンは俺の言葉の意味が知りたいらしく、この空気を無視して続けた。
「彼・・・桐生 湊斗のことか」
「あぁ、湊斗君は僕が考えている以上にヤバいだろうね」
至極楽しそうに答えた俺が不気味だったのか、あからさまに引いている顔を作ってきたイアンはほっといて、一度冷静に考える。
イアンの言うことは真理だ。だがあの二人、いや四人か?とにかく、彼、彼女らが負けることはまず無いだろう。懸念点は無い訳では無いが、カバーしきれる範囲内だ。
しかし、一つだけ気がかりなのが、MAUの群れが何故あの場に居たか。あいつらに食料が必要無いのは長年の研究で判明している。ならMAUが都市や人々、あまつさえ動物を襲うのか。一部の連中は終末論を唱え、神罰だなんだとMAUを崇拝の対象にしたり、畏怖したりしている。そういう奴らは社会から煙たがられているのが殆どだが、あながち間違いではないと俺は思う。
もし、理由もなく地球、そして人間だけでなく罪の無い動植物を無差別に攻撃しているのなら、その説は案外的を得ている。傲慢な人間を神が見捨てたのだと。
もう一つ気がかりな点が、奴らが今まで陣形を組んで襲ってきた事など、今まで一度もなかった事だ。徒党を組んで集団でいること自体はそう珍しい話じゃない。だが、明らかにこちらを分断させようとする他意も感じられた。
無差別襲撃、餌の必要性。MAUの習性であるそれらを統合し、考察したら、ある齟齬が生まれる。
______どうして、MAUがあのタイミング、あの状況で俺たちをピンポイントで狙ったのだろうか。
自分より数倍はあろう巨体が、汚らしい雄叫びをあげながら突進してくる。二秒もあれば余裕で距離を詰められ腸を見事に食い破られるだろう。あいにく、そんなグロテスクな描写は私自身が嫌いなので、さっさと避けるに限る。猪突猛進の姿勢は人間だったら好ましいが、怪物の場合は言うに及ばず。
避ける動作も最小限に留め、横跳びでかわす。それにしても、そろそろ十分が経過するはずなのに一向に数も減らない、早乙女さんも来れない。早乙女さんの方でも、なにかトラブルがあったのかも。
思い立ったが吉日。目の前で戦闘の真っ最中の栄司に心の中で謝罪しつつ、横の湊斗に声だけ語りかける。
「桐生。今、早乙女さんと連絡取れる?」
湊斗も返答する元気は残っているらしく、息も上がっていない様子で喋った。
「・・・あっちも妨害を受けてるらしい。もう五分はかかるな」
「ん、ちょっと待って、今どうやって連絡したの?スマホを操作したようには見えなかったよ」
「こっち見てないのによく分かったな。栄司!!後ろにもう二体追加!」
距離を保つ為に少し離れた湊斗が、注意深く観察していたおかげで、栄司はMAUの攻撃をノールックでかわす。空中とは思えぬ体さばきで、横に体をひねり頭を二等分にする。アルミスには体力の限界というのは無いに等しい。というのも、私は栄司が息を切らしたところを一度も見たことがないのだ。全ての戦いで疲れたー、などと愚痴ることはあれど、疲れているようには見えなかった。むしろ、楽しげでもあったくらいだ。
アルミスの未知数部分の話はさておき、一体、湊斗はどうやって早乙女さんと連絡したんだろう。視界の端に見えた時は、手に何か持っている訳でもなかったし、イヤホンの類も見受けられない。どういう事だと頭を廻しても廻しても、すっと納得出来る答えが見つからなかった。そんな私が気になったのか、湊斗は口を開く。
「インコムだよ。正式名称は知らなかった、いや、栄司が教えてくれなかったのか。アルミスとレグリアスは、一定の距離なら頭の中、つまり脳内で会話が出来る夢の能力がある。まぁ、能力の説明は必要無かったか」
自嘲気味に漏らす湊斗。いやあの、初耳ですし、その便利機能欲しいんですが。
「あの、桐生さん」
「ん?」
「それ、使ったことないです」
静寂が辺りを包み込む。苦笑いの私に対してどう返せばいいのか悩んでいるようだった。ごめん、心の底から謝る。
「おーいっ!まぁた俺は蚊帳の外かよー!!」
十分動きっぱなしにしては元気がある栄司が、敵を葬りながら声だけで叫ぶ。そっちもごめん。でも元はと言えば、君の申告が無いせいでもあるんだからな。
「ごめん適当に頑張ってー」
私の間延びした声が届く。因果応報だ。
「はぁぁ?まぁいいですけど!」
戦いの火が消えなさそうな栄司から距離を取り、情報提供を求めた。
「さっきの話に戻るけど、インコム使えないってほんと?」
まだ信じきれていないのか、言葉とは裏腹に目が怪しんでいる。自分の当たり前と相手の当たり前が違った時、人間は疑り深くなってしまう。例えそれが、半生を共に歩んだおしどり夫婦でも。
「ホントもホント。こんなくだらない嘘、今つく必要ないでしょう」
かなり真剣に話したが相当信じきれないらしく、険しい顔が元に戻らない。湊斗にこれだけ話し込んでも信じられ無いほど、インコムとやらは使えて当たり前ということなのだろう。どうやら、私が思っている以上仕組みについて知らないことが多そうだ。
しばらく考え込む素振りを見せると、今よりはマシになった表情をこちらに向ける。目を見ればわかる。あれは疑いにかかっている時の目だ。
「菅原の言うことが正しいのなら、とてもじゃないが二人を連れて行けない」
「どういうこと?」
「負けるってことだよ。今の二人じゃ情報量で差がついてる。それに加えて、戦闘経験じゃあっちが勝ってるんだ、どっちが勝つかなんて一目瞭然だろ」
湊斗は断言した。今の私たちでは、清水綺嗣に負けると。負けると断言された事に絶望している訳では無い。むしろ今、この胸を焦がすような想いは、もっと別のものだ。
私としては大変認めたくないが、逆境に立たされて燃えているようだった。らしくないよりも、そうしたくない、が正しい。熱は人の判断を狂わすから。
「じゃあ闘らないの?」
「紫には危険な目にあってほしくないだけだ」
「なら余計なお世話ね。私だって怖くないわけじゃないよ、でも、それよりも貫きたいものがある」
胸に手を当てて、示すように伝える。そんな私を見て簡単に諦めがついたらしく、呆れ顔を向けた。
「強情っぱりなのは昔から変わらないな。人の忠告を聞いているようで聞いていない、タチの悪いタイプだったな、菅原は」
「人の悪口を堂々と言わないでくれる?」
湊斗の言うことには全面的に支持できる。栄司はアルミスとして欠陥品と呼ぶべき何かがあるのだろう。湊斗の口ぶりからして、インコムの能力やもっとあるであろう力は、アルミスなら絶対に知っている情報だということを示している。でなきゃあそこまで私に疑いの目を向けない。
「もし負けて、逃げられなくなりそうになったらすぐ離れるよ。手傷は負わせられるだろうから、後は警察か自衛隊か、はたまたあの人達が捕まえてくれるでしょ。それなら君が心配するような事にはならない。ね?」
宥めるように、諭すようにゆっくり顔を伺いながら告げる。可愛いウィンクも添えて。
「そんな顔で誤魔化そうしても無駄だ」
あらら、湊斗はウィンクよりも投げキッスの方が好きだったみたい。
「でも、そんな我が儘言ってられないみたいだな」
前言撤回とも取れる言葉を発した桐生に、思わずこけそうになったが、急にどういう心境の変化があったのだろうか。その答えはすぐに分かった。林の奥にはさっきよりも数を増やした怪物の大名行列が起こっていたのだ。流石にあれを相手取ってたら時間が無くなる。なるほど。だから桐生は・・・。
湊斗の意図を読んだ私は言葉を強くして言う。
「そんなの私が許さない。君を置いて行くなら一緒に死んだ方がマシ。例え、私に生き残って欲しいという、君の願いを退けても」
「ありがとう。でもな菅原。そうしなきゃ、俺の望みも、菅原の未来も、何も良い方になんて行かないんだ。それは菅原も分かってるだろ?」
「それは・・・」
私はただ、これ以上、大事な人を失いたくない、それだけなのに。結局、自分のせいで大切なものを自分の手で取り零すのね。湊斗の瞳から目線が逸れる。お気に入りの靴が、泥にまみれていた。
「この事件に首を突っ込む最終的な後押しは俺がしたんだ、その責任を果たすだけだ。菅原には、美味しいところ、持っていかせてやるからさ」
おどけた調子で言う彼に、更に罪悪感が募る。でも、彼の言う通りだ。勝手にここで永遠の別れに決めつけているのは、他でもない私自身。それこそ、湊斗の覚悟に対して失礼というもの。不思議とさっきまでの重い空気は無くなり、今は胸を張って言える。
「後ろは任せた!」
返事を待つことなく私は駆けだす。目指す先はもちろん、清水の待つ廃ビルだ。栄司に桐生に後を託す旨を伝えようと口を開きかけたその時、後ろから名前を呼ばれる。後ろ髪を引かれる形で止まり湊斗を見るが、何か迷っているのか、それから口を開かない。辛抱強く五秒くらい待っていたら、突然口を開いた。
「紫っ!俺・・・」
急な宣言に僅かに遅れて答える。
「どうしたの?」
さっきからどこかおかしい。いつもの冷静沈着という雰囲気はなく、親に秘密にしていたことを話す前かと思うほどもじもじしている。秘密じゃないにしろ、何か伝えたいことがあるのだろうか。
「・・・無事に戻れたら話すよ。無茶、するなよ」
「うん!」
華やかな笑みを見せて、また足を進めた。走る中、私は一度も後ろを振り返らなかった。
走ること十分弱、思ったより早く目的地につけた私達だったが、ある事を確認すると足を止めた。
「廃ビルの周りは見事に木が薙ぎ倒されてんな。早期決着が吉、か」
彼の言うとおりだ。廃ビルの周囲は不自然なほど気が横たわっており、一歩でもこの林から出れば即座に見つかるだろう。作戦を立てるなら今しかない。言いつけをしっかり守っている栄司を上目遣いで見る。
「桐生置いて来ちゃったけど大丈夫だよね?」
苦笑いの私に驚きを隠せない様子で返答する。
「はぁ!?ここに来てそれ言うのか!?俺はてっきり、お前がライラを見つけたから任せたんだと」
総合的な身体能力で劣っている私が君より早く見つけられるとは思えない、という反論はそっとしまっておく。あの時はこのまま相手の思うつぼになるのがイヤで、つい先走ってしまった。無論ちゃんと反省してます。でも桐生もバカじゃない。自分の身が危険に晒されるようなことになるなら、私達のことを止めるはず。そうしなかったってことは、行っても問題ないということ。
「桐生とライラさんを信じよう。私たちは一刻も早く、清水を行動不能にする、でしょっ?」
「それもそうだな。あんな所でヘマする二人じゃないか」
納得してくれたのか安堵の笑みが出る。またころっと表情を変え、射抜くような視線を向けた。
「今回のMAU、なんだか妙だったよな。統率が取れていたというか、連携が目に見えて進化してた」
この言葉には、私も彼に同意を示した。確かにMAUが徒党を組んで襲いかかってくることは今までに何度かあった。それは事実だ。でも、今日のMAUの動きは明確な敵意、そして軍隊と遜色のない敵の囲い方。これだけ怪しい点を見つければ、不自然に思うのは当然と言える。
今回は何もかもがイレギュラーすぎて判断が出来ないが、仮説を立てるとするならば。
「MAUを、誰かが操っていた」
私の言葉に即座に振り向く彼。顔はとてもじゃないが嬉しそうな表情とは言い難い。
「ちょっと待て。もしそれが本当ならとんでもねぇぞ。手段さえ分かってしまえば、誰にでもMAUを支配下に置けるって事だろ?」
鵜呑みにしたくないという心の表れか、断固拒否の姿勢を見せる。私だって信じたくない。しかし、今起きている事実、情報を鑑みたら誰だって思いつくはずの発想だ。
「ただ誓約のようなものはあると思う。一定の条件下でしか発動しないとか、命令出来る指示に制限があるとか」
「指示に限り、か。それ当たってるかもな」
疑問の目を向けた私に彼は自分の考えを伝える。
「あいつが操っているんなら、まず俺たちは数で圧倒されて確実に一人は殺られていた。だが現状はどうだ?こっちの作戦は掻き乱されたが、まだ立て直せるレベルだ。相手は脱獄死刑囚なんだ、そのぐらいの頭は持ってると思う」
論理的な思考を披露した栄司に対して、笑いを堪えるのに必死だったので、内容はあまり入っていない。もしかしたら、少し笑ってしまっていたかも。でもこれではっきりした。ことそっち方面だと、栄司は私より頼りになるようだ。
「いいよ、君のその仮説を信じよう」
反撃の狼煙を運ぶ向かい風が、どこからか届いた気がした。




