表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

インテリ大学生と女幽霊

作者: 相浦アキラ

 不動産屋のソファにもたれかかり、冷めたほうじ茶をすする。


「こちらの物件は如何でしょうか。駅前2分、賃料9万8千円となっておりますが……」


 タブレット端末に顔を落とした私は、しかし小さく首を振った。


「モルタルタイルの外壁デザインはなかなかに趣深い。しかし……惜しいですね。内装は陳腐と言わざるを得ません。こちらに近い条件で、木質系壁紙をアクセントに使用している物件はないのでしょうか」


「……少々お待ちください」


 職員の方は「もう勘弁してくれ」と言いたげな顔で端末を操作している。申し訳ないが、私としても妥協するわけにはいかない。


 仮にも私は、来月から名門大学への入学を控えている。

 最高の環境を整えておかなければ、勉学に悪影響が出かねない。


「お客様、申し訳ございませんが……」


 やはり今回も無駄足に終わったか。

 頭を下げる中年男性に会釈して席を立とうとした時、


「……?」


 ふと、窓際のスチール棚に立てかけられた黒ファイルが気になった。

 古びたファイルには『貸借用物件(G)』と書かれたラベルが貼ってある。


「アナログのファイルですか。一応こちらも拝見してみたいです」


「い、いえ……これは……」


 歯切れが悪い声を絞り出しながら、職員の男性は誤魔化すように額を掻いている。

 そんな彼の態度を見ていると、この黒ファイルの正体に大体の見当がついてくる。


「なるほど。事故物件をまとめたファイル、という事でしょうか。是非拝見してみたいです」


「……柳川様。悪いことは言いませんから、おやめになった方がよろしいかと……」


「何故です?」


「大きな声では言えませんが、出るんですよ。……支店長の目が光ってさえ無ければ、本当はこんなファイル今すぐ焼き捨ててやりたいのですが……」


「出るとは? 一体何が?」


 平然と尋ねる私と対照的に、男性は怒ったように唇を噛んだ。


「決まってるでしょう。……幽霊ですよ!」


「幽霊ですか……フッ……フフハハハ! アハハハハ! おっと失敬!」


「笑いごとじゃないんですよ!」


「ハッハッハ……いやはや、失礼。しかし二十一世紀にもなってそのような非科学的なデマカセをご信仰とは……アハハハハハ! ――おっと失敬!」


「……本当なんです!」


「くだらないですね。幽霊など空想上の産物に過ぎません」


「柳川様。不動産業界一筋で30年やってきた私が申し上げているのです」


「いやはや。無理もない事です。集団心理、様々な認知性バイアス、憶測と強引な関連付け……様々な心理バイアスの働きによって、オカルト現象を信じ込んでしまう人の何と多い事か。あなただけではありませんのでご安心を」


「冗談抜きで本当に出るんです! どうかご再考を!」


 余りのアホらしさに、私は肩をすくめてみせた。


「……私がそちらの優良物件ファイルに記載されている物件で賃貸契約を結んだ結果、あり得ない話ではありますが……ふざけたデタラメに巻き込まれて私が死亡したとしても、あなたに責任は一切ありませんのでご安心ください。あなたは過誤無く物件の説明を行い、私も承知の上で契約を行うのですから」


「…………」


「では、拝見致してもよろしいでしょうか」


「……どうなっても知りませんよ」


 ◇


 素晴らしい物件だ。

 家賃5万円。駅前3分。

 外装はウェーブのかかったグレーの上品なモルタルタイル。

 内装は白の紙壁紙を基調に、スタイリッシュな木質系壁紙が所々アクセントになっている。


 加えて大通りからは離れており、騒音も少ない。

 日当たりも良く、窓に映る公園の緑が心を落ち着けてくれる。


 ……いやはや、文句のつけようが無い素晴らしい部屋だ。

 

 非科学的現象を信じていないというだけで、このような上質の物件に格安で住む権利が得られるのだから、やはり知性というものは人生を豊かにしてくれる。


 やがて実家から届いた荷物の整理を粗方終えた私は、日課の読書と勉学をこなしていった。


 やはり実家の自室よりも二割増しで捗る。


 そっと本を閉じ、黒く揺れる公園の木々を眺める。ハーブティーの入ったカップを口元に傾けていると、22時のアラートが鳴った。

 電灯を消して、低反発マットレスに倒れ込む。


 ……今日も素晴らしい一日だった。

 明日も勉学に励み、より豊かな生活を目指そう。


 ◇


「……してやる」


 女性の……声?


 夢だろうか。


「……殺してやる」


 重たい瞼を開くと、徐々に意識が立ち上がって来る。

 どうやら夢ではないらしい。


「……殺してやる!」


 底知れぬ怒気の込められた唸り声に、思わず身構える。


「どなたですか?」


 薄暗い部屋を見回しながら声を張ると、


「悔しい……どうして……どうして私を捨てたの……」


 今度は泣き声がさめざめと響き出す。

 起き上がって電灯をつけると、部屋の隅に白装束の女性が座り込んでいるではないか。

 私は息を吐きつつ、机上のスタンドに乗った分厚い六法全書を手に取って開く。


「刑法130条前段……住居侵入罪」


「えっ」


「あなたが犯した罪の名です」


「…………」


 女性は口を開け広げて釈然としていない様子だ。

 仕方ない……


「読み上げましょう。正当な理由がないのに,人の住居若しくは人の看守する邸宅,建造物若しくは艦船に侵入し,又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は,三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。住居侵入罪の条文にはハッキリそう刻まれています」


「……いや、私幽霊だから法律で裁けないと思いますけど」


 本気で自らを幽霊だと思い込んでしまっているとは、何ともいたたまれない。

 彼女もまた反科学的デマゴーグの被害者という事だろう。

 ……なんとか彼女を正気に戻す事はできないだろうか。

 顎に手を当てて考え込んでいると、


「私が怖くないんですか?」


 女性が怪訝そうな青白い顔を向けて来るので、私は肩をすくめてみせた。


「感情を外面に出すなど、全くのナンセンスです。理性と知性で自らの精神を律してこそ、我々は人間としての真に豊かな人生を歩む事が出来る」


「そうですか……」


「さて、貴方の処遇についてですが」


「……警察呼ぶならとっとと呼べばいいじゃないですか。その間私は消えておくので捕まえようがありませんけどね」


「いえ、警察を呼ぶつもりはありません。それより、今の貴女は顔色が大層悪い。もしかして食事をとっていないのでは?」


「そりゃ、この体になってからずっと取ってませんね」


「それはいけない。何か用意しましょう」


「いや、ちょ……私幽霊ですから!」


「あなたは幽霊ではありません。傷つき苦しんでいる、一人の女性です」


「っ……!」


 それ以上、女性は言葉を発しなかった。

 私はすぐにキッチンに向かう。


 一人分のパスタをアルデンテにゆで上げて湯切りする。木のボウルでかき混ぜ特製バジルソースと絡めていく。

 仕上げに岩塩と粗挽き胡椒を振りかけ、ミニトマトとバジルの葉を添えて完成だ。


「どうぞ」


「……ありがとうございます。私、幽霊だから食べられるかわかりませんが……」


 恐る恐るフォークを取る女性。

 パスタを口に含むと、その表情は華が開くように綻んだ。


「おいしい! こんなおいしいパスタ初めて食べました!」


「それは良かった」


 微笑み返すと、品定めするような上目遣いが私を見上げていた。


「……なんかあなた、よく見たら結構カッコいいですね」


「……!! なっ……!! え……? あっ……その……えっと……」


「顔真っ赤じゃないですかー。童貞みたいな反応しちゃって」


「あっ……ええっ!? ――どっ! どう……!? ど……ど……!!

 ああっ! あっ……! ど……童貞です!!」


「なんかごめんなさい」


「い、いえ!」


 私としたことが、女性相手に取り乱すとは何たる失態だ。

 深く自省しながらも、コップのミネラルウォーターを飲み干す。

 気を取り直して、少し血色が良くなった様子の女性を見つめ直した。


「さて、お尋ねしますが。何故あなたは私の部屋に?」


「……話せば長くなりますが」


 女性は10年間交際していた男性に一方的に別れを言い渡され、深く傷ついたという。「お前とは遊びだったんだよ」という最後の言葉が、女性の心に深く突き刺さったという。

 そして、彼女はこの部屋で命を絶った。


 無論、この場合の「命を絶った」というのは精神的な意味での比喩表現、もしくは思い込みの一種だろうが。いずれにせよ彼女の哀しみは二人で過ごして来たこの部屋に淀み続ける事になった。……底知れぬ未練を伴って。


「それはさぞかしお辛かったでしょうね」


「私、どうしても許せなくて……それでも会いたくて仕方なくて……彼はもう帰ってこないって分かっているのに……」


「…………」


「でも、不思議なんです。あなたと一緒にいると、少しだけ彼の事が忘れられる気がするんです」


 目と目が合って、心音が高鳴って行く。

 知的な印象を醸し出す、切れ長の瞳。透き通った鼻筋。彼女の美しい顔立ちに今更気付かされた私は、息を呑んだまま凍った様に動けなくなっていた。

 そして、冷たくも柔らかな指先が、私の腕に絡みついていく。


「私も、ずっと未練を抱えたままじゃいけない。いつかは帰らなくちゃいけない事は分かってるんです。でも……」


「私が傍にいます」


「えっ……?」


「私がずっと傍にいて、貴女を護ります」


 私は今、非合理的な事をしているのだろうか。

 心の奥底から湧き上がる剥きだしの感情に突き動かされてしまっているのだろうか。


 しかし、今だけは……


 人生で一度、今だけは……


 全て捨て去ってでも、何もかも忘れて彼女を抱きしめたかった。

 彼女の冷めきった心を、私の腕で温めてあげたかった。




 そして、私と彼女は、慈しむ様に互いの背を撫で合った。


「温かい……です……」


「それは何よりです」


 少し離れて、また見つめ合う。


 そして私は、彼女の唇へとゆっくりと傾いでいく

 何も考えず、ただ心のままに。



 ◇




「……続いてのニュースです。午後三時ごろ、東京都のマンションの一室で男性が氷漬けになって倒れているのが発見されました。警察によりますと、男性はこのマンションに一人で住む、大学入学を控えていた柳川学さんで、その場で死亡が確認されました。警察は何者かが柳川さんを冷凍庫に閉じ込めて殺害し、マンションに遺棄したと見て捜査を進めているとの事です」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ