第84話 迷路の迷子
お待たせしました!
よろしくお願いします!
「お待たせしましたぁ~、ミラノ風ドリアと明太子スパゲティですぅ~。ハンバーグのAセットもすぐにお待ちしますのでぇ~」
ドリアは碧が、タラスパは白亜ちゃんが注文したものだ。
なんか、語尾がちょっと鼻につく若い店員によれば、俺のももうすぐ来るらしい。
先に食べ始めて良いと促しても、二人は食べ始めない。これが優しいからか、気分が優れないのか……それを判断するのは難しい。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙しかない。隣の席の話し声がよく聞こえる。
あぁ、駄目だ。沈めてしまった。二人の気持ちが……特に碧とは楽しい日曜日にする予定だったのに。やってしまった。
別に俺には碧を責めたりするつもりは無い。碧が腕を組むこと自体に、何も悪い事なんて無いのだから。
だから悪いのは俺の対応なのに……だが結果として、碧の表情は暗く沈んでいる。
「ほら、二人とも。まずは食べよう。んで、とりあえずここの三人だけでも全部吐き出して……飲食店でこの表現はアレだけど、とりあえず、ね」
「うん……」
「お兄ちゃん……私……」
碧の言葉を遮るように、あの店員が俺の注文した料理を運んできた。ネームプレートには『天空院』の文字。どこか見覚えのある苗字だが、まぁ今は気にしない。
食べるスピードを女の子に合わせるのが男としてのマナーではあるが、勢いの無い二人に合わせていたらおやつの時間になっても食べ終わっていなそうである。
何とかしないと、と思う気持ちだけが逸る。
だが、良い方法なんて思い付かない。下手に慰めれば、余計に抱え込んでしまいそうだ。
「碧、これはお兄ちゃんの問題だ」
「でも、でも……私が余計なことしなければ……お兄ちゃんは今も……」
「うん、付き合ってたかもしれない。でもね、俺は碧が腕を組んでくる事を余計だとは思ってない。思うわけないだろ? だから問題はソコじゃないんだよ。あれは、俺が走り出さなかった事が一番の問題なんだ。だから……」
「でも……でも……」
どんな言葉を持ってしても、今の碧を説得することは出来なそうだ。
いつかはこの日の出来事も碧の心情も笑い話になっているかもしれない。でも、そのいつかは未来であって、今現在の碧には何の意味も無いことだ。
俺はいつだって兄として、今目の前に居る碧を笑顔にする義務がある。
「たぶん、碧ちゃんはお兄さんについて知らない事があって……混乱しているんだと思うんです。自分を責めてるのもあると思いますけど……。お兄さんにとって大切な事ですから、なおさら。……私も、お姉ちゃんの知らない話を聞いて……知ってるお姉ちゃんとの差で少し混乱してます……」
白亜ちゃんが碧を庇ってくれる。
知っていたけど良い子だ。紅亜さんの妹……なんだよな。気付かない俺も馬鹿だった。いや、本当は気付かない様にしていただけやのかもしれない。
紅亜さんの妹と知って、すぐに納得出来たのも……きっと心のどこかではそう思っていたからだろう。
「白亜ちゃん……でも、やっぱり私が……私が悪いの」
「碧を気遣ってくれてありがとう、白亜ちゃん。でも、ひとつ思い付いた方法がある。これで碧は自分を責めなくなる」
「……えっ?」
驚きの声のトーンが若干異なるが、碧と白亜ちゃんから同時に聞こえてきた。
簡単なことだ。思い付いたというよりは、ここ数日で体験したことを思い出した。
碧が自分を責めているのなら……ただ、許してあげれば良い話。
白亜ちゃんの上にも碧の上にもクエスチョンマークが見えるけど、すごく簡単だ。
「碧」
「……うん」
「悪いと思うのなら……ごめんなさい、でしょ?」
「……っ! ごめんなさい……お兄ちゃん」
「許すよ。碧の気にしていることは全部許します。何てったって、お兄ちゃんだからな」
当然、碧は納得はしていない様子だ。白亜ちゃんでさえ、今のやり取りで良いのか疑問のままみたいだ。
でも、他でもない俺が許したのだ。誰にも碧を責めさせない。それが、碧自身であっても。
ちゃんと気に病んで謝ったのなら、許す。それが俺達兄妹がここ数日で体験したことだ。
それから何とか食べ始めた昼食。あまり喋らないまま二〇分が経過した。
「白亜ちゃん。そろそろ聞いても良いかな? 紅亜さんについて」
「はい。私が知ってること……ならですけど」
「俺は“浮気者”って言われてフラれたんだけど、たしかに状況的にそう見えた可能性はあるよ。でも、少し過剰すぎる反応だとも思ったんだ。紅亜さんが男に苦手意識を持ってるのは知ってたし、訳があるとは思ってた……聞けなかったけどね。何かあるなら、聞かせて欲し……」
「すいません~、空いてるお皿お下げしますねぇ~」
またしても変なタイミングである。
言いたい事は概ね伝えられたけど、話の腰を折られた感は否めない。
だが、三人分の食器を軽々と運んでいく働きっぷりは素直に感心する。
「こほん。白亜ちゃん、話せる範囲で良いから……教えてくれないかな?」
「はぃ……あの……その……」
やはり……言いづらいのだろうか。
口を開いても中々言葉が続かない。
あまり無理強いはさせたくない気持ちはある。家庭の問題に踏み込むのは関心されないのも分かっている。
でも、俺は知りたい。
「すぅ~~はぁ~~」
白亜ちゃんは大きめに深呼吸して、その間に何かを決意した顔付きになっていた。
だが、この次に出てきた言葉に俺と碧は返す言葉も見付からなかった。
胃に入った昼食が軽く感じるほどに、重たい言葉だった。
「お兄さん、碧ちゃん……あまり広めない様にと言われているのでお願いしますね。あの……私とお姉ちゃん、実は――異父姉妹なんです」
その言葉である程度は察する事が出来た。出来てしまった。
淡々と、白亜ちゃんは自分の知ってる限りの事を、紅亜さんについて話てくれた。
ようやく、紅亜さんについて知ることが出来たのだった。
◇◇◇
当然の話ではあるけれど、私が生まれた時には既にお姉ちゃんがいた。
五歳も離れていると喧嘩も少なく、私が言うワガママだってお姉ちゃんは笑顔で聞いてくれている。
だが、私が生まれた時の名前は「中島白亜」だった。
私のお父さん。でもお姉ちゃんにとってのお義父さん。
お姉ちゃんの最初の苗字は「古川」だと聞いた事がある。
お姉ちゃんが生まれてしばらくして離婚したらしいから、その苗字は短い間だけだったらしいけど。
その原因……お母さんは自分が悪いと言っていたけれど、浮気されて離婚に至ったという経緯は子供の私からすれば、細かい事情はよく知らないけれど、その男の人が悪いとしか思えない。
お母さんはとても優しい。よく、優しい人は損をするなんて聞くけど、私はそうは思わない。お母さんが優しくて、お姉ちゃんも優しくて、私は幸せなんだから。
それでも、お母さんがまた結婚したのは、きっと母親一人で育てるのが難しいからだと思う。もちろん、良い巡り会いがあったからかもしれない。
離婚している現在を考えると、それが良いものだったかはお母さんしか分からない。
私のお父さんが居て、お母さん、お姉ちゃんも居る。私は楽しかった。
だから当時、私のお父さんはお姉ちゃんのお父さんでもあると思っていた。
小学一年生頃に、何にでも興味を持つ様になった私は、お姉ちゃんに聞いてしまったのだ。何気に、それがどんな重みを持つのかも分からずに。
『お姉ちゃん! お姉ちゃんと私は少し髪の色が違うね!』
一年生と六年生では帰れる時間にズレがあったけれど、私はお姉ちゃんをいつも待っていた。
そんな、小学校から一緒に下校している時の日常的な会話だった。
いつもはニコやかなお姉ちゃんの表情が一瞬だけ、怖いとすら感じるほど『無』になったのを覚えている。
もちろん、一瞬のことだから見間違いかもしれない。その後は誤魔化されたことだけ覚えている。
だが、そんな楽しい日々に終わりを告げる出来事が起きてしまった。
それも五年前の秋頃の事で、私は詳しくは覚えていない。
鮮明に覚えているのは……ただ、泣いているお姉ちゃんとそれを慰めるお母さんの姿だ。
お姉ちゃんはご近所でも可愛いと評判だった。そんなお姉ちゃんに可愛いと褒めて貰える事が誇らしかった。
そんなお姉ちゃんが顔をグシャグシャにして泣き叫んでいたのだ。
お姉ちゃんは、赤い痕がついている首筋を触りながら『痛い、怖い』と泣いていた。それを見て、私も訳が分からないまま泣き出した。
泣き疲れて眠ってしまった。
翌日から、お父さんの姿を見なくなった。
お姉ちゃんは私の髪を撫でてくれなくなった。
それどころか、怯えられるまであった。
嘘のように会話の回数も会話の時間も短くなっていった。
お姉ちゃんと同じ部屋ではあったけど、お姉ちゃんの洋服や肌着に触れてしまうと物凄く怒られた。
幸せだった毎日が、泡の様に消えていった。
それからしばらくして、お母さんとお父さんが離婚したと聞かされた。
これからは三人で生活すると聞いた時は不安があったけど、少しだけ期待に胸を膨らませた。
住んでいた場所も遠くへ引っ越して、新しい環境になった。
苗字も「新山」と新しくなった。
お姉ちゃんは家と小学校を往復するだけで、家から出ようとはしなかった。
だけど……環境が変化したお陰か、その日から少しずつではあるけど、お姉ちゃんとの会話が増えていった。
怯えた目をする事も無くなっていった。
お姉ちゃんが中学生になって私が小学二年生になると、お母さんは仕事で家に居ないし、お姉ちゃんも帰りが遅くなって一人っきりで過ごす時間が増えていった。
寂しいと泣いた日だってある。ワガママだ。
でも、やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんで、部活があるのに帰宅時間を早くしてくれていた。
お姉ちゃんに甘えた。私は甘えた。お姉ちゃんの笑顔はもうだいぶ見ていないけど、甘えられる事実が、一年前の頃の様に戻れたみたいで嬉かった。
私が小学三年生になった頃、ようやく私とお姉ちゃんが異父姉妹という事を知った。
お母さんとお姉ちゃんの話を、たまたま聞いてしまったのだ。
『お母さん、お金が厳しいのは分かってるし、私達の為なのも分かっているけど……私は怖いよ……』
『そう……ね。お母さんが頑張るわ。貴女達の幸せがお母さんの幸せだもん。紅亜のお父さんも白亜のお父さんも……貴女達が少しでも楽できるようにと思ったけど……』
普通ならわざわざ別にする必要のない『紅亜、白亜』『お父さん』という言葉。
髪の色の違いやお母さん似ではあるけれど、やはり少し違う雰囲気。
後日、お母さんに聞いたら渋々答えてくれた。『違うのよ』って。
私にとってお姉ちゃんという存在が、どういうものか分からなくなった。怖かった。
お父さんが違うと、姉妹は姉妹と言えないのかもと考えてしまっていた。
お姉ちゃんが私のお父さんを嫌いだと、流石に理解していた。
毎日が不安で堪らなかった。
先に帰宅して一人で家に居ると、もうお母さんもお姉ちゃんも帰って来ないんじゃ……? と怖くなった。
だから家の手伝いもし始めた。子供ながらに嫌われない様に必死だった。
お母さんもお姉ちゃんも気付いていたと思う。『大丈夫よ』と言われても、私には何が大丈夫なのかさっぱり分からなかった。
お姉ちゃんが中学二年生、私が小学三年生になった頃。
私はついに言ってしまった。『お姉ちゃん、髪の色が違うから……紅亜お姉ちゃんは私のお姉ちゃんじゃ無いの? 私は……妹じゃないの?』と。
その時の私は酷い顔をしていたらしい。いや、その時だけじゃなく、三年生になってからほぼ毎日怯えていたみたいだ。
その問い掛けに対して、お姉ちゃんは『ごめんね白亜。弱いお姉ちゃんを許してね。もう、大丈夫よ』と言ってくれた。
とても不思議な話で、その時のお姉ちゃんの『大丈夫』という言葉は、本当に安心する事が出来た。
この瞬間から、私とお姉ちゃんは血なんて関係ない、絆で繋がった本物の姉妹になれたんだと思う。
◇◇◇
「そして、数日後にお姉ちゃんの髪が茶色になってたんですよ。『ほら、私と白亜は一緒よ』って。私はその瞬間、全部が吹っ飛びました。いろいろありましたけど、私はお姉ちゃんについて行けば良いんだって。ちゃんと家族なんだって」
紅亜さんが髪を染めた理由、男が苦手な理由。知りたかった事以上にいろいろと知ることができた。
だが、話してくれた白亜ちゃんに返す言葉が見付からない。
さっきまでの二人の気持ちに、俺がなっていた。
あまりにも自分が歩んで来た道と違いすぎて、気軽な相槌すら打てなかった。
「お姉ちゃんはツラい事が沢山あったんだと思うんです。でも、家族の前では明るくしていました。だから……お兄さんの話を聞いて驚いたんです」
「中学二年の頃の紅亜さんは正直分からないけど、髪を染めて来た事で、学校では……」
「はい……だから、私もお姉ちゃんの我慢に甘えてるだけと知ってショックでした。お兄さんには、感謝しているんですよ? お姉ちゃんを助けてくれて」
「いや、俺は……」
白亜ちゃんから見る昔の家での紅亜さん。俺から見る昔の学校での紅亜さん。
家族の前では学校での事を隠して明るく振る舞って、学校では我慢してばかり。
白亜ちゃんは感謝なんて言うけれど、男を苦手としている紅亜さんからすれば、俺の存在はストレスだったかもしれない。ただ、運が味方して、結果が良かっただけだ。
「お兄さんがいなければ、お姉ちゃんは今ほど笑っていなかったと思います。それほど……あの頃は笑っていなかったですから」
浮気ときっと……暴力。
それが紅亜さんの中に根付いてしまった、男という払拭できないイメージなのだろう。
俺については、少なからず信頼してくれていたと思う。だからこそ逆に、紅亜さんのトラウマをより強く刺激してしまったのだろう。
紅亜さんに関して、知っている事は他の人より多かった自負はある。簡単に聞ける内容では無いが、それでもお互いの家族のことすら知らない程度だった。
「……ありがとう白亜ちゃん。話しにくい事までごめん」
「いえいえ。あの、お姉ちゃんに怒られそうなんでその~、内緒で」
「あぁ、うん。それは、ね? 可能な限り」
「白亜ちゃん! 私はずっと友達だから。仲良くなったのは……去年くらいからだけど」
碧と白亜ちゃんの間で、自然な会話が増えてきた。
それを聞きながら、俺は自分の心と対話する。自問自答を繰り返す。
俺が聞きたかった事は聞けた。それによって、あの日の紅亜さんが取った行動の意味も理解できる。
紅亜さんも、あの日、俺の隣に居たのが浮気相手ではなく妹であると気付いた。
紅亜さんとの間にあった誤解が、ほぼ完全に無くなったと言っても良いくらい、お互い踏み込んだ。
――なら、どうする?
簡単だ。やり直したいという気持ちがあるのならば、神戸青は今すぐ連絡して紅亜さんの元に行けば良いだけの話だ。
だけど……だけれども。俺の心にたしかに存在する、行きたい気持ちとは別の気持ちを無視することはできない。
これは最低な迷いだ。迷ってること自体が失礼になる。
迷いの中身を考えてしまうと後には引けない。分かっているのだ。だから、ずっと考えない様にして過ごしてきた。
俺はまだ、高校生で半人前だ。愛どころか、好きの定義さえ持っていない。
避けては通れない、隠して進めないから、自分に問い掛けて、考える。
考えれば考えるほど、気になる存在が無視できないくらいに大きい。
心がぐちゃぐちゃだ。今考えていることが本心なのかも分からない。
本心を隠す為に、誤魔化す為に、無駄にいろいろと考えているのかもしれない。
誰だ、『恋は落ちるもの』とか言った奴は。迷うものじゃないか。
しかも進んだら最後、ゴールが用意されてるとは限らない最高難易度の迷路だ。当然、攻略法は無い。あるのは自分と心だけ。
その心が、トラップで迷わされ……心変わりを引き起こす。
「あぁ……もうわっかんない。自分の事が一番わかんない」
「お兄ちゃん?」
「お兄さん、大丈夫ですか?」
「……ついでにだ。ついでにだけど、情けない話を相談されてくれないかな?」
高校生である俺だけど。恥も外聞も捨てて、女子小学生二人に相談を持ち掛けた。
相談相手として絶対に間違っているが、間違っているからこそ心置き無く話すことが出来る。
自分の心に聞く限り……俺ってば、どうやら気になる人が複数人いるらしいんだ。
誤字脱字その他諸々ありましたら報告お願いします!
いやぁ~、こんなに自分で何を書いてるか分からなくなったの初めてですよ!もう、びっくりする!
たぶん、どこかおかしいからなんですよね……修正を入れるかもです(´ω`)
迷子なのは作者です……
はい、紅亜さんの過去は終わりですから……次は女子側の話になるかも? ならないかも?
ですかね!