第79話 兄と妹の週末 ⑥
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手洗いうがいのついでに、部屋へと戻って着替える。
そして、特に着信がある訳でもないスマホを充電してからリビングへと戻って来た。
台所ではさっそく、晩御飯の準備に取り掛かっている碧と谷園が手際良く調理をしている。
俺も何かしら手伝おうと近づくも、碧と谷園から「休んでて」と追い返されてしまった。
寂しいというよりは、手持ち無沙汰でどう動こうかと立ち止まってしまっていた。
テレビでも見ていれば良いのかもしれない。
でも、同級生の谷園が厄介だ。
例えば、ついうっかりで「実は青さん、家では何もしなくて~」なんて口を滑らされたら最悪だ。
滑らせるなら滑らせるで、家での手伝いをする男として広まって欲しい。それより先に、裁判が開かれる事になるだろうから本当に注意しなければならないのだが……。
「お兄ちゃん、暇ならお風呂でも沸かしてきて!」
「そ、そうだな。掃除してくる……谷園、碧のサポートよろしく」
「て言うかお兄ちゃん……まだマノン姉を苗字で呼んでるの?」
包丁を片手に、そんなことを聞いてくる碧。
まだ、というか……谷園がなんとなくしっくりくるのだからしょうがない。
深い意味も何もないけど……とりあえず、名前の呼び捨ては少し恥ずかしい。でも、谷園に「さん」は付けたくない。他の人も含めて「ちゃん」なんて付けて呼ぶタイプでは無い訳で。
「結論、谷園が一番呼びやすいくて丁度良い」
「マノンですぅ~」
谷園までも手を止めて、ついでに口を尖らせながら抗議してくる。
呼び方……呼ばれ方にすら気を使うのが女子の在り方なのかと、その難しさに目を逸らしたくなる。
だが、今日は谷園と碧にそうそう逆らえない日だ。休日限定なら……と妥協点を考えていたら、碧が爆弾を投下してきた。
「でも、女の子は苗字が変わるかもなんだよ!? 例えば、谷園から神戸に変わったらどうするの!?」
本人は何気なく発した言葉だろうが、それを向けられた俺は返す言葉が出ずに固まってしまった。言葉の意味は難なく理解出来て、それでいて絶妙に何かを意識してしまう質問だ。
俺に向けられた質問ではあるものの、題材にされた谷園は――少し壊れたというか、意識が何処かへ飛んでいった。
「ワタシ……タニゾノマノン……ジュウロクサイ……。ワタシ……カンベ……カンベマノンチャン……ジュウハッサイ?」
谷園の顔を見ると、今日のお昼に食べた出来立てのナポリタンを思い出した。それくらい真っ赤になっている。
熱を帯びた赤い頬が、顔全体に広がるのは一瞬だった。
それが原因かもしれないが、ホット珈琲みたいに静かに――それが錯覚だと分かっているけど――谷園の顔から湯気が立って見えた。
その様子に隣に居ながら少し遅れて気付いた碧が、谷園の肩を揺らしているが、意識が戻ってくる気配は無い。
「マノン姉? マノン姉!? うぅ……どうしよお兄ちゃん……」
「碧、言葉ひとつで人は壊れてしまうんだぞ……というのはいつか話すとして、とりあえず自力で戻ってくるまでソッとしておこう」
「い、良いのかな? それで……」
「大丈夫。谷園は……いつもおかしいからな」
今だ何処かの空間を旅している谷園は放っておく。
俺は風呂掃除に、碧は調理へと戻った。
思ったよりピュア過ぎる一面がある谷園に、あまり意外感は覚えなかった。
叩けば何かしら出てくる谷園だから、いちいち驚いてはいられないと脳が処理しているからかもしれないが。
◇◇◇
「ふぅ……」
浴槽をスポンジでゴシゴシと洗い、水で綺麗に流しきれば、後はボタンひとつでお湯を張ってくれる。
捲っていた袖と裾を戻し、リビングへと戻る。
「この匂いは……」
「あ、お兄ちゃんお疲れ~。今日はなんと~……麻婆豆腐です! ちゃんとご飯も炊いてるよ!」
まだ完成ではないみたいだが、ほぼほぼ完成しているみたいだ。
麻婆豆腐でお米無し、二日続けてのラーメンという状況は避けられたようで、一安心だ。
隣を見ると、谷園は一応の回復はしているみたいなのだが、包丁なんて渡そうものなら……具材を切るのだって失敗しそうなくらい動きがぎこちない。
リンゴの皮剥きさせたら食べるところが少なくなりそうである。
「こっちも……あと、十分ちょいくらいしたらお風呂に入れると思うぞ」
「もう完成するからお兄ちゃんは座ってて」
「はいよ」
それから五分もしない内に、麻婆豆腐が麻婆丼に姿を変えて運ばれて来た。
我が家の麻婆豆腐はそんなに辛くは無い。
碧が辛いのを苦手としているし、俺も得意って訳ではないからだ。
いつもの席に座り、後は「いただきます」をするだけなのだが……。
「谷園、ほんと大丈夫か?」
「ダ、大丈夫デスヨ! 神戸マノン、十八歳! 至ッテ健康デス!」
「全然ダメじゃねーか……お前は谷園マノン、十六歳だ。なんだその十八歳って……碧、谷園の頭を右斜め四十五度の角度から叩いてみてくれ」
「えっと……よく分かんないけど、分かった! ……えいっ」
谷園の後ろに回り込んだ碧が、軽めに叩く。
だが、谷園に変化は見られない。ダメージ不足と考えた俺は、碧にもっと強く、そしてチョップでやるように指示を出した。
「ご、ごめんねマノン姉……怒るならお兄ちゃんを怒ってね? せーいっ!」
「アイタッ!? 暴力はいけないんですよ、碧ちゃん……あら? あらあら? ……何故か麻婆豆腐が完成してるぅぅ!?」
「戻ってきたか谷園。碧、おつかれ」
状況が分からない谷園に、少し嘘を交えて意識が飛んでいた事を伝えた。
意識が飛んでるなんて普通に考えたら恐ろしい事に違いないのだが、そこはさすがの谷園だった。
いつもの能天気さが発揮されたのと、目の前の料理の方に意識が向いて、深くは気にしていない。
ただ……料理を手伝えなかった事は少しばかり気にしているが。
「今日のご飯も美味しいぞ、碧」
「今日も頑張って作ったからね!」
「むぅ~……本当は私も手伝っていた筈なのに、何か衝撃的な言葉を耳にしたような? 気がしないでもないような?」
「無理に思い出さない方が……な?」
谷園に思い出されるよりは、忘れてくれていた方が都合が良い。
下手に刺激しないように話題には注意しておこう、と思いながら麻婆丼を食べ進めていった。
「ごちそうさま。んでー……碧達、先に風呂に入る?」
「ごちそうさまー。どうするマノン姉?」
「ごちそうさまです。そうですねぇ~、私はいつでも良いですよ?」
別に俺もいつでも良かった。先に入れと言われたら先に入るし、後でも別に問題ない。でも、女子的事情から先に入りたい派と後に入りたい派がいるだろう。
後に入ってお湯を飲むという変態性は持ち合わせていないし、そこは信用して欲しい部分だ。
でも、あれだ。疑わしきは罰せられてもおかしくない時代だし、今日はシャワーで済ませる方が無難で良いかもしれない。
「じゃあ、二人で先に入ってきたら? その間に皿洗いはしておくよ」
「うーん……分かった、お兄ちゃんお願いね! マノン姉一緒にお風呂入ろ」
「了解ですよっ! では、青さん……はっ! もしや私の使ったお箸を舐める気ですね!?」
「唐突に人を変態にするなっつの……乾燥機は無いから自分の服まで洗濯機に入れるなよ」
二人がリビングから出ていくのを見送り、食器を洗い始めた。
水分を拭き取ってから棚に戻すところまでやっても、二人はまだ上がって来ていない。
テレビを観るかゲームアプリでもしてようか迷って、とりあえずスマホを取りに自分の部屋まで戻った。
「スマホ~スマホ~っと……あれ? 珍しくチャットが」
自分で言ってて少し悲しくなったが、届いたメッセージを見てみると、のののからのチャットだった。
『神戸、暇』
と、それだけのメッセージだったが届いていたのが一時間近く前。俺が充電してからしばらくした時に届いていたのだろう。
ちょっと申し訳ない気持ちになりつつ、返事を送る。
『ごめんよ、ご飯食べてた』
『さっき食べた』
返信の返信が早い。
近くにスマホを置いていたのだろうか?
表情が見えない分、チャットだといろいろと分かりにくくなる。
『ななさんはまだ帰って来てないのか?』
『明日帰ってくる』
『明日?』
『どこかに出掛けた。行き先は知らない』
出張か何かだろうか? 仕事は大変そうだとのののから聞いた覚えがある。
そのせい……と俺が言うのは勝手な話なのかもしれないが、のののが平日も休日も一人で過ごす事が多かったのはそういう理由だからだろう。
『戸締まりはちゃんとしているのか?』
『もち』
当たり障りな質問……違うだろう、と。
一人家に居るのののが暇をしていると言っているのに、曖昧なやりとりで済ませて良い訳ないだろう、と。
だが、今日をどうにかしてやることは流石に出来ない。だから、明日――
「お兄ちゃーん? お風呂空いたよ~?」
「『ののの、明日暇なら朝十時に駅のホームで』……っと。あ、ちょっと碧いいかー?」
俺は部屋を出て碧にお願いと相談、谷園との話の擦り合わせに向かった。
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