第57話 『ののの』と『ななな』
お待たせ致しましたー
よろしくお願いします!(´ω`)
「そろそろ行ける」
「そっか……じゃあ、戻ろうか?」
お会計を済ませ、ピークの時間帯はとっくに過ぎていたうどん屋を後にした。
のののの歩くペースがいつもより遅いのに気付いて、本当に大丈夫なのかと心配になる。だがまぁ、走りさえしなければ平気だろうと結論付けて少しだけペースを落として横を歩く。走ったらヤバいのは俺も同じだしな。
「真っ直ぐ巳良乃家に戻るとして……どうすんの? また勉強?」
「悩みどころ」
このポカポカとした昼過ぎ、しかもお腹が満たされているタイミングで、次に何をするかを決めかねるって気持ちはよく分かる。
今すぐに考えるのを止めて、ただボーッとしたくなる。そんな感じに人をダメダメにしてしまう、日差しや風の心地好さが全身を包んでいる。
「帰ったら休憩にしない? ほら、せっかくの日曜日だし……二人でゆっくりしとこうぜ?」
「それは良き。神戸、急ぐ」
「いや、ゆっくりしようって話してたよね!? あと、その近道はそんな近道じゃなかっただろ?」
早く帰ってゆっくりしたい気持ちは、俺にもある。だが、ここで急いでは何の意味も無いだろう。ゆっくり帰った上でゆっくりする……だから、俺は少しだけ早歩きをし始めたのののの頭を掴んで動きを止めた。
頭を掴んだのは丁度良い高さにあった事以外に、大した理由は無い。
「うぅ……縮んだ」
「別に叩いた訳じゃ無いだろ? 仮に、縮んだとしても誤差だよ誤差」
「……次は法廷で会おう」
今のがセクハラとでも言いたいのだろうか? 今ので訴えられた上に、もし負けたら洒落にならない。冗談とは分かっているが、ここはご機嫌取りをして機嫌を直して貰わなきゃな。
(そうは言ってもなぁ、うーん……何をすればのののの機嫌が良くなるのか……難しいな)
のののの好きな物を思い出してみる。うどん、ココア、猫。それに本……あれ……あれぇ? ヤバい事だ、思ったより出てこない。
のののと話すようになってからの時間は、たしかにまだ短い。でも、もっと知っているものだと思っていた。教室でもよく話す……いや、大半は読書で潰れていた気もする。
一度気になり始めたら止まらなくなった。教室でのののと一番話すのは俺だという自信はある。なのに、その俺がこんなにものののを知らないなんて……良くない。これは良くない。
「ののの、家についたら休憩しながらで良いけど自己紹介をしよう。改めて」
「自己紹介?」
眠たいのか、それとも単純に疑問の眼差しなのか微妙なラインの目付きをしながら、少しだけ首を傾げて問うている。『何故、改めてそんな事を?』と。
「ののの、俺の好きな色は? 動物は? 嫌いな食べ物は? そういう事だ」
「青色、パンダ、茄子」
(おぉ……う。ここは知っていても知らないフリをして欲しかったなぁ。流石の記憶力と言わざるを得ないけど)
四月の出会ったばかりの時に、そういえば色々と質問された事を思い出した。
忘れてるのは、もしかしたら俺だけかも知れない。最悪である。意気揚々と言い出しただけ恥ずかしい。
どうしようか? いや、うん。そうだな……違うことにしてしまえば良いか。のののが今言った情報は四月の事。今は五月。好みのランキングに変化があっても何もおかしくは無い。
「たしかに、のののが言ったのは正解だ。でも、今は黄色とか好きだし、猫も好き。茄子は今も嫌いだけど……とにかく」
「裏がある?」
「ひょぇ? な、無いよ? 別に、のののについて知らない事が多いからとかじゃ……無いよ? ただお互いの最近の好みについて話そうって提案だよ?」
(あ、危ない……相変わらず鋭いな。女子に向かってあなたの事を教えて下さいとか、言えるわけ無いしな)
のののの疑いの目が止まらない……というか、下から見上げてくる分、目を離せなくなる威圧感がある。
数秒見ていたのののはふと目を離して、一人で頷いていた。何を納得したのかはだいたい予想が出来る。
「なら、少し早く」
「……そうだね」
だから、全てバレてしまっている事が分かるこの応えにも、俺は動じない。焦らず堂々と、決して羞恥で悶えたりはしないのだ。
◇◇◇
「ただいまでーす」
「ただいま」
「お帰りなさい」
(………………うぇばらがべらぁばぁ!?)
家に帰った時のただいまなんてものは、だいたいが癖になっているもので、高校生にもなれば、特に返事を期待して言う程のものじゃないだろう。
それに加え、誰も居ないと思っていたのだ。女性の平坦な声で返事が返ってきたのに対し、声を出さずに堪えただけ偉いというか、なんか……自分を褒めてやりたい。
「お母さん。今日は早いね」
隣に居るのののがそんな一言を放ってすぐに、奥のドアが開いた。
そこから、のののによく似た人物――身長は俺よりも少し低くて、髪は結ばないでも良い程度の長さで整えられてある。そして、スーツを着ているその姿は、仕事の出来る女性像そのものだ。だが、瞳というか目元がどこと無く気だるげで、隣に居る小さいのののを知ってさえいれば、この二人が血縁関係にある看破するのは容易いだろう。めちゃ似ている。
それに、うちのお母さんよりも若そうに見える。
二十歳ぐらいで子供を産んだとしても、今は三七歳あたりだろう。うちのお母さんは四十オーバーで年相応だが、ののののお母さんはいったい何歳なのだろうか? そう疑問に思うほどに若くみえる。
「早めに終わったもの。それよりも、あらあら」
「遊びに誘った」
「えっと……初めまして、神戸青です」
静かに必要最低限の会話、それと落ち着いた声色。のののが二人居るみたいだ。
名前を告げてお辞儀をするだけの簡単な挨拶をして、顔を上げるとののののお母さんが近寄って来ていた。
玄関で靴を脱ぐ前の状態の俺達の……いや、俺の前まで来たその人は何かを観察するかの様にジッと見つめてくる。なんなら、ペタペタと触ってきている。
「矢倉くん?」
「いえ、神戸ですけど?」
さっきの自己紹介を聞いて無かったのかとツッコミを入れるか、誰と間違えているのか問いただすべきか迷った結果、普通に正していた。
お邪魔させて貰っている立場であるを忘れてはならない。いきなり家主に無礼を働くのは良くないし、礼儀正しくあった方がお互いに居心地が良いだろう。
「神戸は……矢倉?」
「いや、違うぞののの? 神戸は神戸だ!」
だが、のののは別だ。こっちにはちゃんとツッコミをして良い。というか、今のはさせられた感があるな。
そもそも、矢倉って誰……だろうか?誰と間違えているのだろう。そんなに似ているのかな? だとしたら、一度会ってみたいものだ。
「ののの……?」
「あぁ、その……ののさんのアダ名です。おれ……僕くらいしか呼んでないですけど」
「そうなの? 良かったわね、のの」
「うん」
のののとのののお母さんの会話のテンポはよく似ている。間延びしている訳では無いのに、少しスローテンポという不思議な感覚。慣れるまでに時間が掛かるけど、慣れたらこっちのもんだ。
「……初めまして、ののの母で、巳良乃ななと申します。今のは『のの』の母と言ったのであって、『ののの』母ではありませんよ?」
「大丈夫。神戸なら、理解してくれる」
(いや、どうかな……? 今のは危うかったかもしれない。のののっていうアダ名を教えた直後だしな。ってか、どのタイミングで自己紹介してんの!?)
巳良乃ななさん。巳良乃ののさん。安直にアダ名を付けるなら『のなな』さんだが、言いにくいし『ななな』さんかな。
この人はきっと、のののよりマイペースが強い様に感じる。ただの直感でしかないが、自己紹介のタイミングとかでだいたいは察せる。
「そうなの? 楽な人ね」
「助かる」
「いや、可能なら主語述語助動詞その他諸々……お願いしたいんですけど?」
俺のお願いは、普通に何事もなく無慈悲にも聞こえなかった事にされてしまった。その瞬間に俺サイドも、その件は諦めろと脳から指令が発せられて、全身の隅々にまで行き届いていた。
「青さん? 青くん? 青ちゃん? ……どうしましょ?」
「お母さん、落ち着いて。神戸、上がって」
「あっ、うん。お邪魔しますね」
靴を脱いでまずは手を洗いに向かい、そのままリビングに案内された。お茶とお菓子を持ってくるとのののが動きだしたが、なななさんは今もなお、俺の呼び方を迷っているみたいでブツブツと何かを言っている。別に何でも良いんだけどな……矢倉以外なら。
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