おまえらもちつけ
これは月に住むウサギたちの物語である。
木製の大きな臼を取り囲み、休憩しているウサギが十数匹。その中で、臼の傍らに座っている二匹が皆の兄貴分であり、餅つきを担当しているウサギだ。残りのウサギたちは餅米の準備やつき上がった餅を成形するのが仕事である。
臼の傍のウサギのうち、仮に右側をライト、左側をレフトと呼ぶ。
「餅、つかねぇのかよ」
レフトがぽつりと呟くと、ライトは右手に持った細長い煙管を吹い、ふーっと煙を吐いた。
「だりぃー」
その声からは全くやる気が感じられない。
「今日、満月だぞ」
「知ってる」
ライトは面倒くさそうに耳の後ろをポリポリかきながら答えた。
月齢については、ここに暮らす全てのウサギたちが熟知している。レフトに言われるまでもない。
煙管をくわえたままで、ふいにライトは目を細めた。
「なあ。オメェ、なんで餅ついてんだ?」
「なんでって、そりゃあ……、わかるだろ」
ライトの問いかけに対し、レフトは「何を今更」とでも言いたげに肩を竦める。
月のウサギたちは皆、幼い頃から両親に餅つきが自分たちの役目だと言い聞かされて育ってきた。そして大人になると当たり前のように餅つきを始めるのだ。
「親父からはコドモの夢を守るためとかなんとか言われたけどよ、昨今のガキどもは何だ? オレたちのことなんか、てんで信じちゃいねぇじゃねーか」
ライトは眉間に深い皺を寄せて語る。
「確かになぁ……」
それについてはレフトも同じ気持ちでいるようだ。
「こないだ月を見てた親子の会話、教えてやろうか? 『ほーら、お月様でウサギさんがお餅をついてるぞー』『パパ、いまどきそんな非現実的なこと信じてる子いないよ』だとさ! いるっつーの! めちゃくちゃ餅ついてるっつーの!」
荒ぶるライトの背中を、弟分のウサギたちが宥めるようにさする。
月のウサギは視力も聴力も地球のウサギの比ではない。集中すれば、微かにではあるが地球上の人間の会話も聞き取れるのだ。
「非現実的とか、コドモの言うことか! 夢はどこ行った!」
更に荒ぶるライト。その拍子に煙管から飛び出した燃えカスを、弟分の一匹がすかさず灰皿でナイスキャッチ。別の一匹が刻み煙草の袋をライトに差し出す。実によく訓練されている弟分たちであった。
刻み煙草をつまみ取り煙管に詰めながら、ライトは更に喋り続ける。
「それにだ、ついた餅食うのオレらじゃん。毎日三食、餅ばっかでキツくね?」
「ぶっちゃけ飽きたし、もたれるな」
レフトだけでなく、弟分たちも一様に頷いている。
「知ってっか、人間に飼われてるウサギは“ちもしい”って草を貰って食うんだぜ」
マッチを擦って火を付け、ライトは改めて煙草をふかし始めた。
「ちもしい……、よくわかんねーけど、いい響きだな。食ってみてぇ」
レフトは初めて聞く未知の食べ物に思いを馳せる。
チモシーは米と同じイネ科の植物であり、無農薬であれば稲わらもウサギの餌になるのだが、ライトはそこまでは知らなかったようだ。
「はぁ……」
二匹揃って大きな溜め息を吐く。
そこへ弟分の一匹が望遠鏡を手に駆け寄ってきた。
「兄貴ー、こっちを見てるコドモがいますぜ! 二人も!」
「どーせまた夢のないクソガキどもだろ」
ぼやきながらもライトは煙管を置き、弟分に促されるまま望遠鏡をのぞき込む。
レフトの元にも他の弟分が望遠鏡を持ってきた。本当によく出来た弟分たちである。
地球上のとある民家のベランダで、幼い兄妹とその父親が月を見上げていた。
「パパ、お月様にウサギさんがいるってホント?」
兄が聞くと、父親は穏やかに微笑んで答えた。
「ホントだとも。よーく見てごらん。ぺったんぺったん、お餅つきしてるよ」
「わかんないよー、どこにいるの?」
「どこー?」
兄妹は揃って不満げに口を尖らせる。
「んー……、今日はお休みしてるのかもしれないねぇ」
父親は少し困っている様子だが、兄妹はお構いなしで騒ぎ立てた。
「えーっ! 見たい見たい! ウサギさんのお餅つき見たーい!」
「見たーい! ぺったんぺったん見たーい!」
ライトとレフトは望遠鏡を下ろし、顔を見合わせた。
そして、
「よっしゃあーっ!!」
ライトが勢いよく杵を持ち上げ、レフトも素早く身構える。
「オメェら、餅米持ってこーいっ!」
レフトが威勢良く叫ぶと、弟分たちは「待ってました」とばかりに大量の蒸した餅米を抱えてやってきた。
臼に餅米が投入され、ライトが力強い杵さばきで突き始める。レフトはライトの動きに合わせて、「よっ! はっ!」と掛け声を発しながら手際良く何度も餅を返す。
「わっしょーい!!」
いつもより盛大な餅つきは、月が沈むまで休むことなく続いたそうな。
これは月に住む“とてものせられやすい”ウサギたちの物語である──