花の章 「北海道編〜帰り道〜」
ヤバかった。本当にヤバかった。
お寿司には醤油が欠かせないと思い込んでいた。しかしあのお寿司に醤油があったら、味が落ちてしまう。本当に美味しいお寿司は適量の塩で食べるのが1番美味しいのだという事をあの店で学んだ。
「本当に美味しかったです!いや、本当に!俺何食べても美味いと思うけど、さっきのお寿司は本当に最高でした!ありがとうございます森社長!」
秋もやや興奮気味だった。
「だろ〜?立食いの寿司屋だけど、あのレベルで座れるお店行ったら1人1万じゃ足りないからな笑。リーズナブルな上に味は極上で俺のお気に入りなんだよあの店」
秋がお気に召したのが嬉しかったのか森社長も饒舌気味だった。
てっきりカウンターだけしかない頑固な寿司職人の店かと思っていたら、そこは6人ほどしか席につけない立食いのお寿司屋さんだった。店主も30代半ばほどと若く顔はTKOのハゲた方に似ていた。森社長はリーズナブルと言ったけれど、それでもソコソコの値段だ。まぁだとしても味は絶品なので相対してリーズナブルではあるのだけれど。森社長は私達全員分の勘定を持ってくれた。ありがとザッキー。ごちそうさま。
「あ〜、また食べたい。花さん、また北海道に来たら食べに行こう!」
え?また一緒に旅行してくれるの?やったぁ!
「いいよ〜。行こう行こう。あと今回食べ損ねたスープカレーとジンギスカンもね」
いつにする?冬休み、また来ちゃう?来年は受験だもんね。冬休みだと札幌は雪が降ってるよ!雪の大通公園を歩くのなんてロマンチックじゃない?冬休みにまた来ちゃう?きゃ〜!頑張って働かなきゃっ!
「ゆっくり観光できなかったかもしれないが楽しかったか?札幌は」
進行方向に顔を向けたままで森社長は秋に尋ねた。
「うん!凄く楽しかったです。森さんありがとう、ご馳走様でした。戻ったら友達に自慢します!」
そうかそうか、と森社長はガハハと地で笑った。
「それに住田さんも。色んなところに連れて行ってくれてありがとう。なんか住田さんとは今日初めて会ったのにそんな気がしないや。親戚のおじさんみたいな感じがするよ笑」
一瞬車内が凍りつく。秋、みたいな感じじゃなくその人、あなたの叔父さんなのよ。
とは、間違っても今はまだ言えない。
「秋…」
「え?」
バカ三太!あんた今、三太郎の声だったよ!
どうにか誤魔化そうとしたその時だった。
「前の車、止まりなさい!白のストリーム!左に寄って止まりなさい!」
後ろからやかましい声が聞こえ、振り返ると覆面パトカーらしき車が赤色灯を点けて私達の車の後ろにピタっと付いていた。
「なんだ?スピードは出してないし…シートベルトもしてるよなぁ?」
森社長は不思議そうにしている。
「なんですかね?ここでゴネても仕方ないし一旦止まりましょう」
きちんと住田さんの声でそう言うと、森社長は車を路肩に止めた。
コンコンという黒のスーツを着た男が運転席の窓を叩く。スーっと窓を開け
「どうしました?違反は何もしていないはずですけど?」
と森社長が応答すると
「免許証出して」
とだけ男は答えた。
ハイハイ、と財布の中から運転免許証を取り出して男に渡す。ごっことはいえ現役のプロだからちゃんと運転免許証も偽造しているはずである。ちゃんと偽造って、すごい日本語だ笑。
「森、圭太だな?」
男が凄みを帯びた声で尋ねた。気付くと私達の車の前、横ともに車で塞がれており逃げ出すことは不可能だった。
「後ろに子どももいます。外で話しましょう」
森社長がドアを開けようとしたその瞬間に
「勝手に動いてんじゃねぇ!」
と男が威圧して叫んだ。それに対しキレたのは住田さ…、三太だった。かろうじて声は住田さんではあったけれど横顔がそりゃもう阿修羅マンの如く怒り猛っている。
「おい、調子にのるなよ地方公務員。まず警察手帳を見せろ。あれば逮捕状も出せ。無ければ任意なはずだ。お前、覚悟はできてんだろうな?」
「うるせぇ。お前こそ何だ。こっちはきっちり逮捕状もあんだよ」
住田さんと森社長が顔を見合わせる。
「あれ?状ってどうなったんだっけ?」
「ガラ抑えてんのはウチだから…あれ?もしかしたらこっちの方は回ったまんまかも?」
「おいテメェ」
「ちょ、俺のせいじゃないでしょ?状止めんのはアイツの仕事でしょ?」
「アイツに内緒の計画だろが!」
やめて〜!秋に聞こえてる〜。
「オイ、何ごちゃごちゃ言ってやがる。とりあえず森、外に出ろ」
「あぁ?テメェ誰に口利いてんだコラ」
「も…森社長!ここは一旦刑事さんの言う通りに」
慌てて私が促すと怒りのザキさんはギラッとした目だけで私を睨んだが、隣にいる秋を思い出したのか
「はいはいはいはい、わかりました〜」
と素直に応じて車から出た。
「花さん、森さん何か悪いことしてたのかな?そんな風には見えなかったけど」
あ〜、なんて誤魔化そう?
「大丈夫。ただの間違いだと思う。森なんて苗字どこにでもいるし。それにこの車は森さんの車じゃないんだ。ほら、朝事故ったっていったろ?」
住田さん!三太!お願い、うまく誤魔化して!私にゃ無理!
「あ、そう言えば!そっかぁ良かった。じゃあすぐに誤解は解けるね!」
そうなればいいのだけど…。
「そうだな。どれ、ちょっと助けてくるか」
と言って住田さんも車から降りて身振り手振り激しく何かを抗議している森社長のところに歩み寄って行った。が、助けに行ったどころか話がこじれているのは森社長、住田さん、そして複数人の私服警官の顔付きで明らかだった。まったくもう!あの人たち何してんのよ!ここに秋がいるのよ!
「私もちょっと行ってくる」
「え?花さんも?」
「ほら、私いま警察関係のパートしてるじゃない?それに元スパイだから警察の偉い人やそのもっともっと偉い人も知り合いだし」
今そこでもめている2人がそうなんだけど…。
「わかった。けど花さん、捕まらないよね?」
秋が不安そうな顔で私を見つめた。
「何で私が捕まるのよ笑。もし私が逮捕されたらロシアとアメリカとフランスとスペインとイギリスと…その他諸々の国のトップが日本政府に抗議しにくるわよ笑」
新しくアメリカの大統領になったあの人は私のフェイスブックに張り付いて毎回イイねを押している。
「わかった。花さん、頑張って!」
「うん、任せて!」
頑張って、か。こりゃ絶対に負けられない戦いがここにあるな。
外に出ると男たちの怒号が聞こえた。
「だから!俺は森圭太じゃねぇ!」
「じゃあ何で森圭太の免許証持ってんだよ!それはそれで違う罪名で現行犯逮捕の対象だぞ」
「だから!テメェんとこの署長に連絡つけろコノ地方公務員!」
「あぁ?コラ!地方公務員舐めんなよ!」
「地方のくせして何偉そうにしてんだこのハゲ」
「オイ三太!テメェなにハゲのことシレッとdisってんだ!」
「山崎さん、今ちょっとその件に関して議論してる場合じゃないでしょう!」
「ねぇちょっと2人とも冷静になってよ。秋が心配してんだから」
「あんた誰だよ」
「私?あ、私は警視庁刑事部特別重犯罪課交渉係パートタイマー七尾花です」
「勝手に仰々しい部署作るな」
「ホントだってばぁ。警視総監直属の部署なんだからねっ。嫌いだけどあのハゲ」
「お前までハゲdisんのかよ」
「ちょっとザッキー今はそれどころじゃないでしょ!」
「で、その警視総監直属の部署のパートタイマーさんが何の用?こっちはこいつの逮捕状あるんだけど?」
「だからぁ、人違いなんだってぇ」
「じゃあこいつが森圭太じゃないっていう証拠を見せてみろよ。なにか?マスク取ったら別人の顔でも出てくんのか?」
「その通り」
ザッキー、今は博多華丸のモノマネしてる場合じゃないでしょ!似てるけど。
「じゃあ取って見せろ笑」
半笑いで挑発する私服警官にイラついたのかザッキーは首の根元からマスクを剥ごうとしている。
「ダメー!」
「山崎さん!秋が、秋がいるからやめて下さい!」
「うるせぇ!俺はこうでもしねぇと腹の虫がおさまらねぇ!」
「おい、万が一その下から違う顔出てきたらお前もっとめんどくさい罪になるってわかってんだろうな?」
「くそっ!八方塞がりだ!おい三太!草刈に電話しろ!」
三太がチラッと私を見た。仕方がない、今は緊急事態だ。
「くそっ!圏外だとよ!あいつホント使えねぇ!」
そのまま大気圏外にでも行っててくれないかしら?
「朝美は?秘書なんだから居場所ぐらい把握してんだろ!」
ザッキーが怒鳴る。
「もしもし、朝美さん?練生川です。あのさ、ちょっと緊急事態で。クソ長官殿って今どこにいるかわかる?………はぁ?くそっ!あいつホント使えねぇ」
「なんだ!どこにいるって?」
「君の名は観てるらしいです」
「あのヤロー!4回目じゃねぇか!おい!朝美に逮捕状の件聞いてみろ!」
「朝美さん、森圭太の逮捕状ってどうなったか知ってる?………へ?マジで?」
「なんだって?」
「あのクソ長官殿、俺らの今回の件全部知ってたって。だからあえて逮捕状回したままだって」
「どうやったらバレんだよ!アイツにだけは勘付かれないように動いたじゃねぇか!スペックホルダーかよ!」
千里眼の?あり得る。
「で、おたくらどうすんの?車にいる子、こっち見て不安そうにしてるけど?」
私服警官に言われて車内を見ると秋が心配そうにこっちを見ていた。
「ザッキー…お願いがあるの」
「なんだ?」
「捕まって」
「テメェ!」
「山崎さん!」
「まさかお前までか?」
「捕まって下さい」
「お前ら俺のことなんだと思ってやがる!」
「何回も捕まってるじゃないですか」
「アンタ何回も捕まってるの?穏やかじゃないね」
「うるせぇな!全部不起訴処分だ!」
「だから!お願いザッキー」
「おい花、お前血も涙もねぇな」
「山崎さん、署に行ってからメイク取ればいいじゃないですか!それで全て済むでしょ!」
「俺のぉぉぉぉ!心のケアはぁぁぁぁぁ!」
「わかった!お医者さん紹介するから!」
「花、テメェ」
「違う!カウンセリングのお医者さんじゃなくて!毛根の方!」
「……………腕は、確かなのか?」
「保証する!」
「毛根は、蘇るのか?」
「蘇る!絶対!」
「……………刑事さん、行きましょう」
「アンタ、情緒不安定だな?大丈夫か?」
私服警官に両脇を抱えられたザッキーはうなだれながら覆面パトカーに乗り込んで行った。走り出した車の中から振り返ってこっちを見る悲しそうな表情のザッキーの顔が段々と遠くに行って見えなくなった。
「森さん、捕まっちゃったの?」
言い訳は住田さんにお任せします。
「森さん、車の免許の更新に行ってなかったみたいで期限が切れてたんだよ。大丈夫、後で迎えに行ったらすぐ帰れるから」
「そっか。それなら良いんだけど…」
それでも秋は森社長の身を案じている。なんで優しい子なのだろう?毛根の蘇りと引き換えに捕まってくれたザッキーの事を心配してくれるなんて。
「さ、札幌に帰ろう。明日の飛行機早いんだろ?遅くならないうちに帰って寝なきゃな」
逮捕された森社長に代わって住田さんが運転した車は1時間ほどでホテルに着いた。
「ホントはコーヒーでも飲んで…って言いたい所だけど、これから森社長を迎えに行かなきゃならないから今日はこの辺で。明日千歳まで送ってやるから9時にはチェックアウト済ませておけよ。じゃあな秋、楽しかったぞ」
「うん、今日は色々とありがとう。また明日ね」
手を振る秋を穏やかな目で三太は見つめていた。
「じゃあな花」
「うん、ありがとね」
秋を見る目とは違った目で、私を見つめる。顔は違うけれど、昔何度も見た三太の目を私も見つめ返した。
「はぁぁぁぁぁ、疲れたぁ。でも楽しかったね」
秋は部屋に戻るなりベッドに飛び込んだ。
「そうだねぇ。濃いぃ一日だったね笑」
たくさんありすぎて思い出すのも一苦労だ。
「観覧車、楽しかった?」
至福の15分間だった。
「うん、そうだね。大切なこと思い出したよ」
私には好きな人がいた。今もまだその人のことを想っている。
「恋してる?」
ドキッとした。
「へ?なんで?」
「彩綾も亜子さんも桜さんもそうだけど、恋をしてる人って綺麗だなって思うんだよ」
「私、いま綺麗?」
もう三十路だけど、それでもやっぱり綺麗でいたい。綺麗だと思われたいし綺麗だと言って欲しい。それが、私が良い男だと思う人なら余計に。
「母親に言うのも変かもしれないけど、花さん綺麗だよ?いつもは可愛いって思ってるけど、今日はなんか綺麗って思う」
心臓がドキドキと胸打つ。嬉しいと言う感情が血液に混じって全身を駆け巡る。
「あり、がと」
恥ずかしさで思わず下を向く。照れて上手く言えない。
無言のままでいる秋を変に思い顔を上げるとベッドの縁に座った秋は変な顔をしていた。
「どうしたの?」
「いや、抱きつくとこだと思ってたけど予想外の反応だったから」
あははは。ちょっとまだ乙女モードなみたい。
「うん、そうだね」
ゆっくりと近付き、そしてゆっくりと抱きしめる。
「やっぱするんだ?笑」
「うん。したい。ダメ?」
「いや、別にいいよ?人前はさすがに恥ずかしいけど、花さんがしたいなら」
「うん、今はちょっと抱きしめたいかな?」
「どうぞ」
「あのさ…」
もう少し甘えてもいいかな?
「なに?」
「頭の後ろ、撫でで」
「こう?」
秋の手が私の後頭部を優しく撫でる。
「もう片方で、ちょっと強く抱きしめてくれる?」
ギュッと抱きしめられる。
「ねぇ秋、もし好きな人ができてその人を抱きしめる時が来たら、今みたいにしてあげて」
あなたにこうして抱きしめられる女の子は、どんな子なんだろう?
「そうなの?うん。わかった」
きっとその子はどんな不安や悲しみも少しずつ溶けていくはずだから。
秋に抱きしめられながら、私は自分の気持ちを整理した。
秋を想う気持ち。
三太を想う気持ち。
私自身を想う気持ち。
そして私はひとつだけ自分にご褒美をあげようと決めた。今すぐにではないけれど、ひとつだけ自分のわがままを秋に伝えてみようと思った。秋がどう思うかはわからない。だからその先のことは、その時に考えよう。
今はそのご褒美の時間が来るのが待ち遠しく思うだけで、それだけで十分だ。




