野島の章 「絆」
野島貴明の編
秋が俺の名前を叫ぶと共に右手にはバトンが手渡された。ヒンヤリしているはずのアルミ製のそのバトンは持ち替えた俺の左手に熱いと思わせるほどの熱量を感じさせた。
数年前まで孤独だったはずの俺は、いつからか8人の想いを託される人間になっていた。
俺はそんな男じゃない。どこにでもいるただの中学生男子だ。
そう思わせてくれたのは間違いなく文芸部時代のあの4人がいたからだ。あいつらは俺を理解しようとしてくれた。いちいち突っかかってくるコースケ。わからなければ何でも聞いてくる阿子。静かに笑っているか静かに泣いているかの桜。あいつらは俺を「野島貴明」にしてくれた。あいつらの前だけが俺の居場所だった。
「コースケは桜と、タカは阿子と付き合えば良いじゃねぇか」
文芸部に行くたびに俺ら4人は木佐先輩にからかわれ、いつだったかそんなことを言われた。その頃には俺らの仲は友達と言って差し支えないほどには進展していたが、当時中1だった俺らは恋愛に対してよくわかっていなかった。人を好きになるということがどういうことかわからなかった。ただあるのは漠然とした恋という言葉への憧れ。その憧れは木佐先輩の言葉によって身近な阿子と桜に向いていった。
そして俺たち4人は屋上で付き合う事になった。
恋というものがどういうものか、人を好きになるというのがどういうものなのかは未だにキチンと説明はできない。恋の参考書なんてどこにも売ってない。だから俺は阿子に好きだと言った事が一度もなかった。
「次は阿子」
「ほい」
何故あのタイミングだったのだろう?明確な理由は俺の中に見当たらない。けど不満はない。俺の最初の「大好き」はあの時で良かったんだと思う。なんの意図も見返りもない、ただ純粋な気持ちでその言葉を言えた。あざとい俺にとっては後ろめたさが何1つない綺麗な想いを込める事ができた最良のタイミングだった。
俺と阿子は最近よく言い争いをするようになった。
その理由の全てが進路に関してのものだった。先月の進路希望用紙の第一候補に俺は阿子の志望校の八九寺を記入した。あとで担任に呼ばれ、第二志望の千石に行くべきだとかなりの時間説得されたが俺は折れなかった。
「どうして!なんで八九寺なの!タカは千石に行くべきだよ!」
喜んでくれるのかと思ったら逆に阿子にしこたま怒られてしまった。
「じゃあお前も千石受けるのか?」
阿子が一緒ならば八九寺でも千石でもどっちでも良い。どこの高校へ行こうとやる事は変わらない。どの学校に行ったってどこの大学でも目指せる。
「合格率が50%しかないから私は千石には行けないよ」
だったら八九寺で良いじゃねぇか。
「なんで進路を私に合わすのよ!」
「じゃあお前が合わせてくれんのかよ!」
この話はいつも阿子が泣き出して答えが見つからないまま尻すぼみになってしまう。俺はいつしか阿子が俺と一緒にいる事が負担なんじゃないかと思っていた。
バチンっ!
昨日初めて俺は同年代の女に殴られた。
「アンタは頭はいいけどバカだね!秋が言ってる通りだよ!」
頭いいけどバカってなんだ?
「私はアンタの将来の選択肢を狭めるようなことしたくないんだよっ!」
「バカにすんなっ!千石から八九寺行ったくらいで俺の将来が狭まるかよ!」
「だったら千石行きなよっ!アンタのそれは優しさじゃないっ!アンタこそ、私をバカにすんなっ!」
泣き叫ぶ阿子の姿が寝る前になっても頭から離れなかった。きっと俺の想いよりも阿子が俺に対する想いの方がはるかに恋にふさわしい。人は好きだからといって一緒に居られるわけじゃない。想いは距離と比例しない。反比例もしない。ただ胸の奥底に、深く深く沈んで積もり積もっていくもので、それは時々心の表面に浮上し、時々口から溢れ出すものなのかもしれない。
「大好きだぞ」
お前はいつだって俺のことばかりだ。自分のことより俺のことを優先する。俺はいつも、それに甘えてばかりだったかもしれないな。大好きなんて、言う資格ないかもしれない。恋がなんなのかもわからない。けど阿子、俺の言葉は真実だ。他の誰もが否定してもお前だけは信じてくれ。
離されまいとコーナーを全力で走る。爪先と踵の存在をこれほどまで感じたことはなかった。はっきり言って残る全ての力を出し尽くしても、前を走るゴミの背中にひっつくのがやっとだった。
「しつけぇな野島ぁ!諦めろよっ!」
クズのくせして俺に一丁前の口利いてんじゃねぇよ。
「うるせぇな。遅ぇんだよ!もっと速く走れよゴミ」
俺は後輩に良いトコ見せなきゃなんねぇんだよ!教えなきゃならねぇ事がわんさかあって困ってんだよ!もっと速く走れよ。それをぶち抜いてこそあいつらに認めてもらえるんだからよおっ!
「ぼじまざぁぁぁぁん」
乃蒼、俺はお前のこと何にもわかんねぇ。秋から聞いてた話と、こないだ吉岡ん所で会って以降のお前のことしか俺は知らねぇ。今だって、お前のことはほんのちょびっとしかわからねぇよ。 けどな、何だろうな?俺はお前のこと放って置けないんだ。
今年の初めコースケが教えてくれたんだよ。うちの学年のアホどもがお前の髪の色が気にいらねぇってお前を呼び出そうとしてんのを。最初は知らねぇよ好きにしろよって思ってたけどコースケが言ったんだ。
「その相手って、鈴井乃蒼だぞ?」
って。去年から何度も何度も秋から聞いてたお前の名前だよ。余計な事だとは思ったけど、お前に対する悪意はお前のところに届く前に鎮火しといた。けどな、俺は果たしてそれがお前にとって本当に良いことだったのかってずっと考えていたんだ。俺らのした事は何か違うんじゃないかってずっと腑に落ちなかったんだ。俺らは今年で卒業だ。来年お前を守れない。秋達がいるから大丈夫か?秋達が助けてくれるか?ずっとずっとお前は誰かに守られながら生きていくのか?
「俺の後輩は頼りになるか?」
と聞いた時お前は
「はい、こう見えてなかなか」
って答えたよな?俺は嬉しかったよ。秋がちゃんとお前を守れてて。けどとても残念でもあった。お前が誰かに守られてて。
「じゃあちゃんとこいつを一人前の騎士様にしてやってくれよ」
ならせめて、秋がお前をきっちり守れるようになって欲しいと願ったんだ。
「いいえ。いつか私が秋をお姫様にしてみせますよ笑」
俺はお前のことを少し見くびってたのかもしれないな。お前はちゃんと強くなろうとしてたんだな。お前はお前で秋の事を救おうとしてくれていたんだな。今お前が秋に救われているように。だから乃蒼、いつかじゃなく、いま秋を救ってやってくれ。あいつはお前らが思ってるほどしっかりした奴じゃない。あいつはあいつで、もう背負ってるんだよ。何か得体の知れない悲しみを。
良いか乃蒼。お前は弱い。吹けば飛びそうなほどお前は弱い。けど弱さは武器だ。弱くなきゃ誰も守ることなんか出来ねぇんだよ!強いだけじゃ、誰かの苦しみや悲しみを一緒に背負うことなんて出来ねぇんだ!誰かの痛みを理解してやれなきゃ、何から守っていいかなんてわかりゃしねぇんだ!なぁ乃蒼、お前は弱い!人一倍弱い!だからこそ誰よりも誰かの苦しみをわかってやれるはずだ!お前の大切な奴がボロボロに傷付いて泣いてたら、そばにいてやってくんねぇか?お前も一緒になってボロボロになって泣いてやってくんねぇか?何にも出来なくていいよ。何かできるから強いわけじゃない。そんなボロボロの誰かと寄り添えるって事が、もうそれが強さだと俺は思うんだ。
乃蒼、お前は優しい奴だ。けどそのままじゃダメだ!秋に甘えるな!彩綾に寄り添うな!タケルに求めるな!お前が甘やかせ、寄り添い、求められろ!大丈夫だ。お前にはもう友達がいる。そいつらは絶対お前のことを見捨てたりしない。だからお前も強くなれよ。1人でも生きていける強さを持て!そうなった上で誰かと生きろ!
輝けよ乃蒼。お前はまだ未完成だ。お前はそんなもんじゃない。本当のお前はまだまだ先にあるはずだ!
「野島さんっ!あと半分っ!」
彩綾、お前は芯のしっかりした奴だ。多分陰で努力してんだろ?表にはそんな姿チラッとも見せねぇで隠れて必死に生きてんだろ?
いいか、覚えとけよ!努力は必ず報われるからな!
最近じゃそんなの綺麗事だとか努力したって報われねぇよみたいに軽んじられてるけどな、けどな、んなこたぁない!努力は絶対に報われるぞ!そりゃ自分の思うようにその努力が報われるとは限らない。じゃなきゃこの世にはプロサッカー選手が溢れ、ノーベル賞も取り放題だ。そんな奴はごく一握りだ。だからお前のその努力はお前の出したい結果には伴わないかもしれない。けど、嘆くな!諦めるな!生きてりゃ絶対にその努力が活きる時が来る。いつか来る、超えられない高い壁にぶち当たった時、その壁を越えるのに必要なのはお前がしてきたいつの日かの努力だ。だから誇れ彩綾!お前のその努力を自分で誇れ!人に褒めてもらえなくてもいい。人に見せる必要なんてない。いつかお前が自分を否定する時思い出せ!お前はちゃんと生きてきたと、ちゃんと努力してきたと自分で自分を褒めてやれ。お前のその努力は他の人がするようなただの慰めなんかじゃないからな!ちゃんと賞賛に値する価値があるものだからな!それでも自分で自分を見失った時、俺のところに来い!俺がいっぱい褒めてやる!お前は頑張っていると、お前はいい女だと、お前が前を向けるまで褒めちぎってやる!
「のじまさぁぁぁんっっ!」
雪平、お前さっき友達のとこを薄っぺらい関係なんて言ったよな?バカだな雪平。友達ってのは大体がそんなもんだ。自分の都合のいいように距離を保ち、不利益になると思ったら途端に疎遠になるもんなんだよ。そんな不安定で脆いのが友情ってやつなんだ。さもさも綺麗で必要で価値のあるみたいに扱われてるけど、実情そんないいもんじゃない。大体の友情なんて10年ともたねぇよ。な?クソみたいだろ?なんの価値もないように思えるだろ?けどな、そんな中に一握りだけ本物があるんだよ。10年だろうが20年だろうが変わらないままの関係を築ける奴らってのは絶対にいるもんなんだ。10年そこらしか生きてない俺が言ってもなんの説得力がないだろ?笑。だからちょっと俺らといてみろよ。証明してやる。友達ってもんはそれなりに悪くはないかもなって、俺らが思わせてやるよ!
いいか雪平、お前が苦しい時そばにいてくれるのは友達だぞ!そばにいるだけだ。何もしてくれねぇよ笑。けどな雪平、1人じゃないって事が、隣に誰かいるって事がどんなに安心できるかお前は知らねぇだろ?孤独じゃないってのがどんなに心強いことか知らねぇだろ?そのままだといつかお前は立ち上がれなくなる。1歩も進むことも出来やしない。けどその倒れたすぐ隣に誰かいてくれるだけで、這いつくばれるんだ。一緒に泥水飲んでまた立ち上がって歩いてくれるのが友達なんだよ。いいか、間違えるなよ?そんなやついねぇからな!誰も他人のために泥水なんて飲もうと思えねぇよ。お前だってそうだろ?だからまずお前が飲めよ。誰かのために啜ってみろよ!そのうちの何人かに1人が、お前のためにそばにいてくれるよ。もしそんな奴が1人でも現れたらな、雪平、絶対離すな!しがみついてでも何でも良いから絶対に離すなよ!そいつはお前にとって何よりも大事なお前の味方だ!財産だ!信じてみろ、俺を秋を、今お前のそばにいる奴らを。お前が倒れた時、俺らが一緒に泥水啜ってやるからよ!だからその腕を開け雪平!閉じてちゃ誰にも抱きしめてもらえねぇぞ!そしてお前自身が、抱きしめたいやつを抱きしめらんねぇだろうがよぉ!
「のじまぁぁぁぁぁぁぁぁ!テメェ何してんだよっ!俺に偉そうに言っといてそのザマかよ!全天がなんだってんだ!今勝てねぇなら意味ねぇだろが!ブチ抜けよ!2位なんていらねぇんだよ!そんなの認めねぇからな!良くやったなんかじゃ意味ねぇんだよ!俺らは、勝たなきゃダメだろがっ!」
わかってんよ秋。そんな怒るなよ。
お前には言いたい事がいっぱいあるよ。けど何1つ上手く説明してやれねぇんだよ。ごめんな。言葉の代わりに俺の全てでお前に教えてやるよ。
お前を救えるのはお前しかいないってことを。
強さってのは弱さのすぐ隣にあるってことを。
受け入れるってことは苦しみを経た先にあるってことを。
もっともっとたくさんだ。もっと色んなことをお前に伝えたい。お前には余計な言葉なんかいらない。誤解も不安も恐怖もお前になら何も感じない。お前は凄ぇ奴だ。お前といると安心する。俺が俺でいられるのは阿子達と、お前の前だけだ。
阿子、お前は何も言わねぇのかよ?
ってオイ!なんて涼しい顔してんだ笑。なんだよその「信じてます」って顔はよぉ笑。お前も凄ぇ女だよ。お前が彼女でホント良かった。
なぁ秋。お前がもし恋とは何か、人を好きになるってなんなのかを知りたきゃ俺よりも阿子に聞け。あいつが全部知っている。そんな気がするよ。
「おい!」
クソみてぇな奴だが最後に一言伝えておきたかった。
「はぁ…はぁ…なんだよ!」
なんだよってか?別れの言葉だよ。
「じゃあな」
渾身の力で地面を蹴る。もう余力なんて残ってない。さっきのコーナーでこいつに追いつくのに全部使ってしまった。けどな、やせ我慢も男の大事なスキルだよなっ!
ああああああっ!しんどいっ!苦しい!目がシパシパする!足を止めてグラウンドに横になりたい!オロC飲みたい!乃蒼のチーズケーキ食いたい!阿子の太ももで寝たい!おっぱいっ!
あ〜もうっ!それもこれも全部終わった後だ!勝ってからのご褒美だ野島貴明!
イケる!勝てる!絶対勝てる!俺の勝因はあいつらだ!お前ら愛してるぜバカヤロー!!!
最後のコーナーを曲がった先に白いテープが見えた。俺の視界にはもうそれしか見えない。すぐ後ろで聞こえる荒い息はもうすでに敗北を覚悟している。長い長いこのリレーもこの直線でようやく終わる。
「「「タカぁぁぁぁ!」」」
「「「野島さぁぁぁぁぁんっっっ」」」
ああ…終わるのか。もったいねぇなぁ…。こんなに気持ちいいことなかなかないのにな。こんな充実感、これから先何度経験できるかな?もしかして一生できないかもしれない。だとしたら今ちゃんと実感しよう。1秒たりとも無駄にできねぇな。この光景を、音を、匂いを、言葉を、感覚を、想いを全部覚えておこう。
ああ…幸せだなぁ。俺は今、全力で生きている。
「のじまさぁぁぁぁぁぁん!!!!!」
なぁ秋、ちゃんと見てたか?一瞬も見逃すことなく俺を見てたか?ちゃんと伝えたぞ?受け取れよ秋。何がお前を苦しめているのか俺にはわからないけど、お前はきっと乗り越えていける。俺はそう信じてる。
テープを切る瞬間、頭の中は真っ白になった。何も考えられない、何も見えないし何も聞こえない。けどすぐに衝撃とやかましい声で引き戻された。目の前に秋とコースケがいた。
「野島さぁぁぁん!!!」
「タカ、お前はやっぱりとんでもねぇ奴だ」
2人に抱きつかれ地面に転がる。痛いし重い。やめてほしい。
「野島さん、アンタ凄えや」
雪平、褒めるなら見下すのはやめろ。
「うっく、うっく、野島さぁぁぁん」
彩綾、泣くなよ笑。可愛いじゃねぇか。
「ぼじばざぁぁぁぁん」
乃蒼、何言ってっかわかんねぇよ笑。
「タカ。ありがとうね」
何言ってんだ。桜も走ったじゃねぇか。みんなで走った勝ちじゃねぇか。
「・・・・」
「おい阿子、お前もなんかねぇのかよ!笑」
「・・・・・き」
「あ?なに?うるさくて聞こえねぇよ」
「大好きだって言ったんだよ!なんでアンタはそんなカッコいいんだよ!惚れ直すじゃねぇかこのバカっ!」
秋とコースケの上に阿子が乗っかる。重い重い重い!バトンより遥かに重いから!!!
散々ぱら俺の上で転がり騒ぎようやく俺は3人から解放された。
「はぁ…、死ぬかと思った」
「そのまま死ねば良かったのに」
そんな爽やかな笑顔で言ってんじゃねぇ。
「悪ぃな秋。ホントに主役食っちまった笑」
苦笑いしながら首を傾け
「仕方ないっすよ。この話の主役は野島さんに譲ります」
と先輩を立てる後輩の鏡みたいなことを言った。
「ぼじまざん、ばだじずごぐがんげぎじまじだ(野島さん、私凄く感激しました)」
「おい乃蒼、ついに注釈まで付き出したからそろそろそのキャラやめておけ」
「だっでぇ…」
「ぼじまざん、ばだじ…」
「彩綾、お前は違う!やめろ!」
「ぼじまざん、、ぼべ…」
「雪平、面白そうだからって乗っかるな」
ったく、なんて後輩どもだ…。サイコーじゃねぇか。
ああ、疲れた。なんだこの疲労感。全身力が入らねぇよ。けどいいんだ。終わった。終わっちゃったんだ。やだな。またこいつらと走りてぇな。けどもう2度とできねぇんだ。
俺は赤くなったであろう目を誰にも見られないように顔を背けた。
フェンス越しで拍手をする花さんの姿が見えて、俺は胸が熱くなって少しだけ涙が溢れそうになった。
上を見上げ誤魔化す。曇天の隙間に青が見える。
「見てたかよ?母さん」
俺は今、母さんのいないこの世界で這いつくばって生きてるよ。一緒に泥水飲んでくれる仲間が、こんなにも出来たよ。




