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花さんと僕の日常   作者: 灰猫と雲
第一部
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秋の章 「中学入学前」

例年よりも遅咲きの桜は、入学式の日にはその花びらを雨のように散らせていた。制服に袖を通しただけで少しだけ大人になった気分になった。

制服といえば初めて花さんが俺の制服姿を見た時、いつものようにはしゃいだり泣いたりするかと思ったのに、ただ一言

「うん、似合うよ」

と言って優しく頬を撫でただけであとは何も言わず買ったばかりのデジカメをパシャパシャと何百枚も撮っていた。

「なんか、怒ってる?」

「怒ってないよ」

確かに怒ってはいないようだった。ただ普段とは少し感じが違う。

「俺なんかした?」

花さんはカッと目を見開き、

「俺?おれぇ???」

と一人称を「僕」から「俺」に変えた事に驚きの表情を見せた。俺は流石に照れながら

「中学生になって僕ってのもなんだかカッコ悪いなぁって思って。やっぱ変だよね?あ〜けど僕っていうのもなぁ」

と悶絶していると

「ううん、良いんじゃない?男の子っぽくて」

そう言って今度は携帯のカメラで俺を撮った。しばらく携帯をいじっているところをみるとようやく携帯の壁紙を俺の寝顔から今の制服姿に変えてくれるようだ。正直ホッとした。

「それで、なんでご機嫌斜めなの?」

ふぅ〜、と大きなため息の後に花さんは覚悟を決めたような感じで

「着替えておいで。ちょっと話しよう」

といつもとは違うトーンで言った。自分の部屋に戻り、ドアをしめた途端に急に鳥肌が立った。次にこのドアを開けた時に俺の今までとこれからが大きく変わるような気がして漠然とした不安に恐ろしくなった。なるべくゆっくりと制服を脱ぎ、タンスからわざわざ新しい部屋着を出してそれに着替え、胸に手を当て呼吸を整えてから再び居間へと通じるドアを開けると、花さんは目を閉じてテーブルの前に座っていた。俺が座っても動くことなく目も閉じたままジッと固まったままだった。けどそれがいい、今は花さんの目と口が開かれるほうが怖い。しかし永遠にそのままの体勢でいるはずもなく花さんは静かに目を開き、俺を見た。

「お父さんのこと、知りたい?」

予想は当たっていた、が全然嬉しくもなんともなかった。12年間花さんと暮らしてきた間に父親がいないことに疑問を持たなかったり、どんな人なんだろう?といった興味がまるでわかないような幸せな人間ではなかった。だけどテレビで父と子の家族愛なんかが流れればそそくさとトイレに立つし、父親参観のお知らせは花さんに見られる前にくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てるほど気を遣っていたつもりだった。花さんに、俺が自分の父親に対して興味を持っていないかのように振舞っていた。俺のことはなんでも承知の花さんのことだからきっとそんなこともバレてはいるんだろうけど、それならそれで知ってて欲しかった。俺は父親なんかより花さんと一緒にいたいと思ってる事。

俺にはオバケよりジャガイモより怖いものが2つある。1つは花さんが俺の前からいなくなる事、もう1つは俺が花さんの前からいなくなる事だ。いつからか、俺が父親の事を知ってしまうと花さんと父親のどっちかを選ばなければならなくなるような気がしていた。もし仮にそうだとしても花さんを選べばいいだけの話だと自分でも思う。けど、生まれてこのかた見た事もない父親と、自分の命よりも大切に育ててくれた花さんを同じ天秤で測り比べると言う事が許せなかった。

いや、違う。それも本音じゃない。

本当の本当の本当は、俺が父親を知った時に父親のところに行きなさいと花さんが俺に言うのではないかという事が1番怖かった。花さんが俺を大事に想っていてくれるのはこの12年で疑いようもなく信じられる。だからこそ、だ。俺が大事だからこそ花さんは自分から俺を手離し父親のところへ行けと言ってしまうような気がして怖かった。そんなふうにならないように、俺はこの七尾家から父親というキーワードを遠ざけていた。


「知りたくない」

そう、本心で答えた。

「嘘、ついてるね。やだよ。私に嘘つかないでよ」

眉毛が八の字になるほど悲しい顔をされた。俺はそんな顔する花さんが嫌で、そんな顔をさせているのが自分だと知るとちょっと自分に嫌気がさした。

「本当に知りたくない。今は」

「今は?」

「俺、これからよくわかんないこと言うかもしれないけどちゃんと本心いうから。整理がついてないまま話すからゴチャゴチャしてわかりづらいと思うけど、そうしないと話せないから俺の話したことは花さんが整理して理解して」

花さんはまた目を瞑り「うんわかった」と返事をした。しばらく見ていたけど花さんは目を閉じたまま開らこうとはしなかった。そんな小さなこともきっと俺が話しやすいようになんだろうな、と思った。

俺は自分の気持ちをぶちまけた。花さんがいなくなるのが怖い、俺がいなくなるのが怖い、何より花さんからの自分と離れて父親のところへ行けと言われるのが怖い、ずっと花さんといたい、だから父親のことを聞いてしまって今と何かが変わることを恐れている、本当は知りたい、けど知ったら自分がどんな感情を持つのかわからない、好きになるのか、嫌いになるのか、なんとも思わないのか、会いたいと思うのか、思わないのか、そういったまだ経験したことのない感情に振り回されて自分できちんとした答えを出す自信がない、だから、聞けない。

少しだけ目がうるるっとした。けど泣かずに最後まで言えた。もう中学生に俺はなる。全てを花さんに決めてもらうのはダメだと思う。だから今は聞かない。言った後にそう腹が決まった。

花さんはまだ目を閉じたままだった。ゴチャっとした俺の話を咀嚼し、整理し、理解するように。やがてゆっくり目を開けると白い腕がゆっくりと伸び、テーブル越しの俺の頬に冷たい手の平をそっと当てた。

「ほんと、バカな子」

手の平の冷たさに俺はホッとしていた。温もりに安心感を感じる描写がよくあるけど俺は温もりよりもひんやりとしたあの感触に心が安らぐ。

「頭の悪い子」

手の冷たさは優しかった。

「記憶力のない可哀想な子」

「ちょっと!」

あはは、と笑って俺の顔から手を離し立ち上がって自分の部屋から大きなせんべいの空き缶を持ってきた。花さんが大切にしているものが入っている缶だ。俺の黒歴史が入っている缶と言い換えても良い。

「自分で書いたこと覚えてないの?」

そう言って作文を缶から取り出しテーブルの上に置いた。その原稿用紙の1番左側には汚い字で「花さんについて」とタイトルが書かれている。

「1番最後に、アンタはなんて書いたっけ?私はそれ信じてるんだよ?書いた本人が不安に思ってどうするの」

原稿用紙を数枚めくり1番最後に書かれた言葉を読むと、確かに今とは変わらない気持ちが書いてあった。

「秋、ちょっとこっちにおいで」

言われた通り花さんの隣に座ると急に花さんがガバッと抱きしめてきた。俺はびっくりするわ恥ずかしいわで振りほどこうとしたけど、元スパイの前ではそれは無駄な抵抗だった。

「このままで聞いて」

聞いたことがない花さんの声だったので俺はジタバタするのをやめ、おとなしく花さんに抱きつかれたままの格好で聞いた。

「ごめんね。本当のこと言うとね、今日もし秋が知りたいって言っても教える気は無かったの」

真意がわからなくて俺は答えることができなかった。

「秋、いい?よく聞いてそして忘れないでね。大丈夫?ちょっと記憶力が心配だな」

「ちょっと!」

花さんはまた、あははと笑って少しだけ腕に力を込めた。

「秋、あなたが知りたいと思ったら18歳の誕生日に私が知ってる事全部話してあげる。知らなくて良いと思うのなら私は一切何も言わない。18歳になるまで、よく考えておいて。それだけじゃなくて、聞いてきちんと正しい選択肢を選べるような大人になってなきゃダメだよ?」

18歳。あと5年と少し。

「それから…」

さっきよりもきつく抱きしめられた。

「もし全部聞いて私と一緒にいられないと思ったらちゃんと言って。大学を卒業するまでのお金の心配はしなくていいから」

本当は腕をふりほどいてきちんと目を見て言いたかったけれど腕の力が強くてそれができなかった。仕方なくそのままの格好で言葉にする。

「だから聞きたくなかったんだ!何言ってるの?なんで一緒にいられなくなるの?」

やっぱりきちんと顔を見たかった。今どんな顔をしているのか、知りたかった。そうか、こうやって抱きしめられたまま話すのは顔が見えないようにだ。とようやく理解した。

「ううん、秋が自分の事、私の事、父親の事を聞いて、それでも私といてくれるならそんなに嬉しい事はないよ。だからもし、秋がそう思ったらっていう話」

そう言って手櫛をするように俺の髪を撫でた。

「そんなこと、あるわけないっ!」

俺は力一杯花さんの腕を振りほどき、花さんを睨みつけた。

「やだ、ダメだって、見ないでよ」

花さんは涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだった。いつもは実際の歳よりも若く見える綺麗な顔が今はお世辞にも綺麗とは言えず、どちらかといえば、ひどくブサイクだ。けど笑ってはいられない。今はそんな時じゃない!俺の、存在の、根幹に関わる大事な話の最中だ!

「俺が花さんと一緒にいたくないって思うなんて、今までもこれからもない!子どもだからってバカにしないでよ!」

「バカにはしてないよ。けど、1人で生きていけるようになる日は全部知ったその日かもしれないでしょ?」

俺のことをバカだと言った花さんの方が大バカだ。

「1人で生きていけるようになったら1人で生きなきゃならないの?わざわざ寂しい思いするために成長するの?」

「違うよ。好きな人ができた時にその人を守れるように成長するんだよ」

「なら俺は好きな人も花さんも両方守れるようになるよ。それなら文句ないでしょ?」

花さんは嬉しさの中にちょっとだけ複雑な顔をした。

「そんなの、お嫁さんになる人が困るよ」

俺はなんだかわからないけど啖呵を切りたかったんだと思う。

「俺が好きになる人はそんな事で困らない!花さんの事もちゃんと大事にしてくれる人だもん!」

ああ、そうか。語尾に「もん」をつける時は自分でもそうなったらいいな、という願望が含まれている時なんだ。

「そんな人、なかなかいないよ?」

「いるもん。探すもん」

もんもん言ってたら自分でも子どもじゃないかと思ってきて可笑しくなった。

「いたとしてもそんな魅力的な人が秋を好きになってくれるかな?」

「だったらその人以上に魅力的な人間になったらいいんでしょ?」

「なれるの?」

「それはわかんない!」

花さんがあははと声をあげて笑った。なにそれ、と体をくの字にして楽しそうに。

「なれなくて、そんな人にも出会えなかったら、今となにも変わらないだけでしょ?」

花さんは笑った余韻を残しつつティッシュで涙を拭き、鼻水をかんだあとまた俺を抱きしめて

「そうだね。嬉しい。ありがとう。」

そう言ってまた泣いた。


花さん。

俺に父親はいません。

俺は父親はいりません。

親は花さん1人で十分で、父親がいる家庭よりも俺は花さん1人いる方がずっとずっと幸せだと本気で思っています。

だから、俺が1人でも生きていけるようになるまで一緒にいて見守っててください。

俺がその力を身につけた時、今度は俺が花さんを守るから。

大切な人と一緒に、花さんのこと見守っていくから。

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