彩綾の章 「2人想えば…」
2組の途中からレンがピアノを弾くのをやめてしまった。
兆候はその前から気付いていた。
あの子の弾くピアノは聴いててとてもワクワクする。
けれど今日のはドキドキした。
ドキドキというよりハラハラと言った方が語弊は少ないかもしれない。
とにかく今日のあの子の演奏はいつもと違って変だった。
ミスタッチくらいならそりゃ人間だもの調子の悪い時くらいある。
今まではソツなくこなしていたけれど、あの子だって緊張する日もあるだろう。
それに秋がいなくなったことももしかしたら関係があるかもしれない。
いや、それがいちばんの原因か。
何しろ秋の一番の後輩はあの子で、あの子の一番の先輩は間違いなく秋だった。
その秋が中学生最後の卒業式に来なかったのだから、慕っていたあの子に影響がないはずがない。
ったく…一体何を考えているのだろう?
私はともかくタケルや乃蒼にまで内緒でいなくなるなんて。
そう、どうして乃蒼に何も話さなかったのだろう?
せめて乃蒼にだけは打ち明けてくれたら良かったのに…。
確かに私やタケルは秋と1番古くからの付き合いだ。
それまで秋の1番近くにいたのは間違いない。
だけど中学に入ってからその1番は乃蒼へと変わった。
本人に言ったら『そんなことないよ。お前らも1番近い存在だ』と返すことだろう。
けど私達は、秋を1番近くで見てきた私達はそれを否定する。
この中学に入ってから秋が1番近くで寄り添ってきたのは私達なんかじゃなく間違いなく乃蒼だった。
そのきっかけはもしかしたら私とタケルが付き合った事によるものなのかもしれない。
カップルとなった私達に遠慮した結果、乃蒼との距離が縮まったのかもしれない。
はたまたそんなの関係なく乃蒼とはそういう関係になる運命だったとも思う。
本人達の前では口に出した事はないが、2人はとてもお似合いのカップルになると私とタケルは思っていた。
秋は私達にとって特別な友達である。
その友達が好きになる相手もまた特別でなくてはならない。
乃蒼はその特別にお釣りがくるほどの女の子だ。
確かに初めて会った時は俯いて話す言葉もカタカナな不思議な女の子だった。
ケタの外れたコミュ症、と信じて疑わなかった。
だけど知れば知るほど誰よりも周りに気を遣い、誰よりも優しさを携え、賢く、そして妖しいほど美しい少女でもあった。
仮にうちの学校にミスコンなるものがあったなら、私は阿子さんでも桜さんでもなく乃蒼に一票を投じたことだろう。
もちろん阿子さんや桜さんには憧れている。
同性ながら惚れ惚れしちゃう。
けどもしも願いが叶うなら、私は乃蒼になりたい。
簡単にそんなこと言ってはいけないほど乃蒼には色々と苦悩があることも知っている。
だけど私は乃蒼になりたい。
『ように』や『みたいな』ではなく鈴井乃蒼、あの子に…。
これはタケルにさえ話したことのない私の秘密である。
私の女としての密やかな秘密なのである。
そういうことなわけで、だから乃蒼が秋の彼女になれば私は幸せだった。
好きな男の子と好きな女の子が付き合うなんてハッピーとしか言いようがないじゃない?
でも変にこじれたら嫌だから余計なことはせず寡黙に2人の行く末を見守ることにした。
幸いにして2人の1番近くにいる異性は乃蒼であり秋であった。
黙っていても自然に惹かれ合い好き同士になるのは火を見るよりも明らかだと思ってた。
それがあの日、2年生の文化祭を間近に控えたあの日、秋は好きな人がいるといった。
狭い世界で生きる中学生が好きになる人なんて同じ空間にいる女の子に決まってる、そして秋の空間にいる最上の女子なんて花さん以外に乃蒼しか考えられなかった。
だから秋をからかうつもりで
『いつ知り合ったんですか?』
と尋ねた。
『いやぁ///実は1年の頃から同じクラスでーーー』
そんな答えを期待していた。
『え〜っと、夏休みに会いました』
乃蒼では…なかった。
あの時私はどんな顔をしていただろう?
思い出そうとしてもよく覚えていない。
記憶にあるのは隣の乃蒼が気丈に振る舞いながら興味津々で『友人の好きな子を探る』という至って普通の女子を演じていて、それが無性に悲しかったことだ。
乃蒼は秋が好きだった。
直接言葉にしてそれを伝えられたことはない。
余計な詮索はしまいと尋ねたこともない。
だけど乃蒼は秋が好きだった。
だから私は悲しかったのだ。
照れながら嬉しそうに好きな人のことを話す秋が。
普通を装って悲しみを見せまいとする乃蒼が。
なぜユーリだったのだろう?
なぜ乃蒼じゃなかったんだろう?
乃蒼を選んでいたら、秋は去年の始めのような絶望に苦しめられることもなかった。
きっと…互いに想いを寄せ合いながら、私とタケルなんかよりももっと幸せで、学校中から羨望の眼差しで羨まれる2人になってたはずなのに。
そして頭が良く、誰よりも優しく、そして何よりも秋を大切に想う乃蒼が彼女だったなら…この街から出て行く事はなかったんじゃないのかな?
乃蒼さえいたら、どんな悲しみや苦しみも分け合っていけたんじゃないのかな?
全ては秋がユーリを好きになった事から始まっていたのかもしれない。
秋が今この場所にいないのはユーリのせいな気がした。
「3年1組、松竹 梅」
「はいっ」
ユーリはもうこの世にいない。
それはいくら彼女を責めたい気持ちがあるとはいえ私にとっても悲しい事だ。
秋の何億分の1の悲しみかは計り知れないけど、それでもやっぱり悲しい事だ。
それでも私達は生きている。
秋も、もがき苦しみながらなんとかかんとか生きている。
生きてさえいれば人は忘れてしまう、そういう生き物だ。
秋はユーリの事を忘れないだろう。
それでも絶望は薄れ、そして本能としてまた新たな恋をする。
秋が望まなくても、それを嫌悪しているとしても、人はそういう生き物だ。
なら秋の心の傷が癒えた時、今度こそ恋をするのは乃蒼だろう。
ユーリを失った悲しみごと包み込めるのは乃蒼をおいて他にいない………はずだった。
あれはいつだったろう?
そうだ、去年の文化祭の時だ。
私が開成受験のためガリガリに勉強していた時、1通のラインが届いた。
開くと送り主は1年の頃からの友人であるマドカからだった。
『ちょっと!!!いま学校中すごい事になってるよ!!!』
とよく意味のわからないメッセージに頭が二次関数の難問以上に『???』となった。
『え?なに?どしたの?』
『どうしたもこうしたも!七尾くんと一緒にいる人って彩綾も知ってる人?』
『秋と一緒?』
そういえばなんか全身刺青の歳上と仲良くしてるとかしてないとか言ってたっけ?
その人かな?
『なんか見たことないレベルの美人といるんだけど、七尾くん』
女ぁぁぁぁああああ!?!?!?
は?なにそれ?聞いてないんですけど?
てか乃蒼は!確か乃蒼も一緒に文化祭行ってるんだよねぇ!
もう受験勉強どころではなく殺気立ちながらマドカに送るメッセージを作っている途中でシュポンっ♪という音とともに一枚の写真が送られてきた。
そこには秋と、秋の腕をガッチリと掴んだ和服のクッソ美人が写っていた。
誰…この人………。
知らない、知らないよ。
『ねぇ誰この人?』
『彩綾も知らないなら私が知るはずないじゃん』
『なんで秋といるの?てかなんで腕なんか組んでるのよ!』
『さぁ?付き合ってるんじゃないの?』
『聞いてないよっ!』
往年の上島師匠ばりの『聞いてないよ』をマドカに送りつけるとすぐさまタケルに電話しコトの次第を説明した。
タケルの返事は『ほっとけよ』だった。
『俺達が別れた後あいつが根掘り葉掘り聞いてきたか?あれやこれや言ってきたか?言いたいことはあったろうと思うよ、俺達は長い付き合いだしそれまでの3人の関係を変えたのは俺らの方なんだからな。けどあいつ何も言わなかっただろ?どんなに仲が良くてもあいつは自分が超えていい線とそうでない線をわかってんだよ。それなのに俺らがその線を超えるのか?黙って見守っててやろうよ。お前は乃蒼を思っての事なんだろうけど…それこそ俺らの出る幕はねぇよ。あいつらが自分達で決める事だ』
だから私から尋ねる事はなかった。
初詣の時は秋は来なかったし、合格発表の時は合格した喜びとタケルの家族の話の衝撃でその事を忘れていた。
忘れていた…か。
こんな風に憂いた想いを馳せていても、所詮私はその程度しか関心がなかったのだ。
我ながら呆れてしまう。
そもそも最後に会ったあの日、秋がこの街からいなくなるほどの何かを背負っていた事にすら気付かなかった私に秋を責める資格などあるはずがない。
もしかしたら『秋の友達』という私の密かな自慢もこの中学とともに卒業しなければならないのかもしれない。
「嫌だよ…」
思わず口に出て隣に並ぶ女子が私の方を見た。
その言葉と頬を流れる涙に、きっと彼女はこの学校を卒業することの悲しみと受け取ったに違いない。
それはそれで構わない。
おそらく明日街で会っても話すことのない同級生に何をどう思われてもそんなことどうだっていい。
今の私が悲しいのは、
こんなにも胸が締めつけられて苦しいのは、
なんの理由も告げず秋が私達の前から消えてしまった事だ。
そしておそらく私以上に苦しい思いをしている親友をこの街に残し、私も東京へと旅立ってしまう事だ。
乃蒼…ごめんね。
こんな時に何も出来なくてごめんね。
私もこの街から離れちゃってごめんね。
こんな私だけど、それでもあなたを友達だと思っててもいいかな?
あなたを友達だと呼んでもいいですか?




