リンの章 「あなたのために奏でましょう」
「白米、ベチャ夫」
「はいっ」
レンちゃんの手が止まる。
私はこれからしばらくの間1人でこの卒業証書授与のピアノを弾き続ける。
「彩綾先輩からは2人で弾くとして…でも予定通り乃蒼先輩のはレンちゃんが弾くよね?」
目の端で苦笑いするレンちゃんの顔が見える。
「あのさ…悪いけどお前も一緒に弾いてくれないか?」
「ダメだよ、乃蒼先輩のはレンちゃん1人で弾かなきゃ」
「1人じゃダメなんだよ…。お前がいなきゃ、、、」
「そんな泣き言、聞きたくないっ!」
なんでよ!
ちょっと目が見えないくらいなんなのよ!
少し休めば、きっとレンちゃんならいつも通り弾けるよ!
泣き言言わないでよ…
弱気になんて、ならないでよ…
私なんて…私なんて…
「乃蒼先輩と秋先輩のはお互いが弾こうって決めてたじゃん!」
「そうだけど…」
「私は…秋先輩がいないんだよ?聞いて欲しかったのにいないんだよ?でも乃蒼先輩はいるじゃん!いるのに弾かないなんて…ズルイよ」
レンちゃん。
私は乃蒼先輩じゃないから乃蒼先輩の気持ちはわからない。
乃蒼先輩という個人から美少女というカテゴリーに広げたとて、素朴な顔の私にはやっぱりわからない。
だから私個人としての見解なんだけどきっと乃蒼先輩の中でレンちゃんの存在が今までよりも大きくなったんだと思うの。
開けるつもりのなかったピアスホールをレンちゃんの月を刺すためだけに開けるくらいに。
なのにあなたは弾かないの?
その気持ちに応えようとは思わないの?
目の見えないレンちゃんは乃蒼先輩の耳に月が輝いてるのはわからないかもしれないけど、それを抜きにしたって最後の今日この時に弾かないなんてサイテーだよ!
「意気地なし!」
勢いのあまりピアノの音が思ったよりも強く跳ねた。
「そうじゃなくて、、、」
横を向くとレンちゃんが見えない目でまっすぐ私を見てた。
「乃蒼先輩に用意してた曲、変えようと思って」
「じゃあそれでいいから弾きなよ!」
「良い曲なんだ。乃蒼先輩を好きになってからの時間全部を音にしたような曲。でも困ったことにその曲って俺1人じゃ何か足りないんだよ。どうやってもその何かがわかんなくてさ、仕方なく新しい曲を作って今日はそれを弾くつもりだった。でも今俺は不完全なその曲で乃蒼先輩を送りたいんだ。だからその足りない何かをお前が足してくれないか」
この直前になってモチーフもわからない、どんな曲を弾くのかもわからない、そんな中で素人の私がプロ志向のレンちゃんに合わせろと?
私のことプロピアニストかエスパーと勘違いしてない?
「レンちゃんの想いの足りない部分を私なんかが補えるわけないじゃん。それにレンちゃんの乃蒼先輩への想いに私を混ぜちゃダメだよ」
「いや、その足りない何かって…もしかしたらお前なのかもしれない」
「どういう…意味?」
「お前がいなきゃ、今こうしてここにいることはなかった。後ろで、宗次郎達のように遠くから乃蒼先輩を見てただけだったろうな。『なんで俺はあんな高嶺の花に恋をしてたんだろう?届くわけねぇじゃん笑』って昔の恋を懐かしんでたと思うよ」
「昔…?昔って、なに?」
「わかんない?お前がいなきゃ俺は今頃とっくに乃蒼先輩を諦めてたって事さ」
私?
私レンちゃんに何かしてあげられてた?
「お前がいたから俺は文化祭で七尾先輩の伴奏をして、そこから乃蒼先輩と話すようになって、今こうしてここでピアノを弾いてるんだ」
「それはたまたまだよ。あの時がなくたってきっとレンちゃんならどこかで今みたいに乃蒼先輩の近くにいれたはずだよ」
レンちゃんが笑って首を横に振った。
「だとしても、やっぱりお前がいなきゃ俺は諦めてたと思う。お前はいつも俺の背中を押してくれた。時には力一杯背中を叩いてもくれた。俺の恋にはいつもお前がいた。それに、お前の七尾先輩への恋を近くで見てたから、俺も頑張れたんだ」
私は何もしてない。
レンちゃんにも、自分の恋にも何もしてあげなかった。
そんなふうに言ってもらえる資格、私ないよ…。
「俺が乃蒼先輩を好きになってからの時間は常にお前の恋と一緒にあった。どうせお前は『私何もしてない!』とか思ってんだろ?でも俺はお前に支えられたと思ってる。だから最後にもう一度支えてくれよ。お前とならきっと乃蒼先輩を送り出すにふさわしい曲が弾ける」
「過大評価しすぎだよ」
「お前は過小評価しすぎだ。俺は信じて疑わねぇよ、お前となら弾ける」
「紀尾井、文春」
「はい」
文春先輩が私たちの前で一度頭を下げた。
私がこうべを垂れると察したレンちゃんも少し遅れて頭を下げた。
「テンポは?」
「弾いてくれるのか?」
「私これから彩綾先輩のところまで1人で弾かなきゃならないし、今からじゃ打ち合わせもできないし…もう散々だよ」
しかも乃蒼先輩。
加えてレンちゃんの想いを込めた曲。
プレッシャーしかないよね。
愚痴でも言わなきゃやってらんない。
「テンポはそうだなぁ…80ってとこか。最初は俺が弾くからそれに合わせてくれりゃいい」
「簡単に言ってくれるよまったく…。で?高音は私でいいの?」
「いや、ハイは俺が弾く」
「じゃあまた座る位置変えなきゃ」
「ありがとなリン。終わったらジュースおごってやる」
ギブとテイクのバランスおかしい!
「そんなんじゃ割りに合わないっ!」
「映画も付けちゃう!」
「全然割りに合わないっ!」
「ならどうすりゃいんだよ」
このプレッシャーやら何やらと同等の対価はなんだろう?
う〜ん、ピアノ弾きながらじゃ思いつかないや。
「じゃあ私のお願いなんでも聞いて」
「なんでも?なんでもはちょっと…」
「あそ。じゃあやらない」
「おいぃぃぃぃ!頼むよ!」
「じゃあ聞いてくれる?」
「ちなみにそのお願いってなに?」
「それは後から考えます」
「今考えろっ!」
「無理っ!じゃあやめよっかなぁ〜?笑」
「お、お願いします…」
これまで何度となくレンちゃんに貸しを作ったけど、間違いなく最大のものになるだろうな。
それだけ私がしなきゃならない責任も大きいってことなんだけど。
でもそっか、なんでもお願いを聞いてくれるのか…。
なんにしよう?
そうだなぁ…。
私が我慢の限界にきたら『秋先輩に会わせて』ってお願いしてみようかな?
結構な無茶なお願いきいてあげるんだもん、それくらいいいよね?
追記
「教えてはくれないんですか?」
「私の質問の答えを曖昧にするなら答えるつもりはありません」
「ではそれに答えたら教えてくれますか?」
「あなたは答えませんよ」
「なぜそう思うのですか?」
「あなたの今はそれだけで形成されているからです。それをひっくり返すなんてこと、あなたには出来ません」
「………嫌な性格だと、言われませんか?」
「よくご存知で笑」
「まぁ…古くからの友人ですからね」
「確かに、付き合いは長くなりましたね」
「その古い友人からの頼みでもダメかい?」
「古い友人だからこそ、なんだけどね」
「頼むよ祝人」
「いや無理」
「頑固だな…」
「キミにだけは言われたくないんだけどなぁ…」
「わかったよ。じゃあ誰といるかだけでも教えてくれないか?秋が本当に安全なのかどうか心配なんだよ」
「俺は冬馬の諜報能力には一目置いてるんだ。だから絶対に教えない」
「本当に頑固だなぁ」
「だからキミにだけは言われたくないよ」
「俺はこれからどう生きていけばいいんだ」
「仕事しなよ…」
「モチベーションが上がらない」
「モチベーションがなくてもしなきゃならないのが仕事だろ」
「いつにも増してヒドイなぁ。友人なら少しくらい優しくしてくれてもいいじゃないか」
「じゃあ少しだけヒントをあげよう。あの子が向かった先は萩の憧れた世界だよ」
「百合!?それとも薔薇!?」
「萩にそんな趣味があったとは初耳だよ…」




