リンの章 「耳に輝く」
「八丈島、茂」
「はいっ」
異変はずっと前から気付いていた。
おそらくその小さな変化に気付いたのは私、そしてサチもかな?
他に気付けてるとすれば少なからずそれなりにピアノの腕がある人くらい。
それほど小さな異変だった。
「大丈夫?」
とレンちゃんに声をかける。
「まぁ…なんとか…」
力なくそう答える姿なんて中学に入るまで想像もしたことがなかった。
なにせレンちゃんはどんな時も常に強気の姿勢を崩さず、追い詰められていればいるほど勝気に振る舞う人だった。
人はそれを強がりと言うけれど、私のように強さを持たない人は強がることすら出来はしない。
だからレンちゃんは強い人だと思っていた。
自分の弱さを知る、本当の意味で強い人だと思っていた。
「冷暖房、弱子」
「はいっ」
結局秋先輩を見つけられずに野島先輩達は戻ってきた。
私とレンちゃんに『ごめん』と謝る野島先輩がなんだか痛々しく見えて私はとても申し訳ない気持ちだった。
卒業式の少し前、吉岡先生が私達の所に飛んできて先生の家にも秋先輩からの手紙が投函されていた事を教えてくれた。
内容が内容なだけに心配した奥さんから先生のところに連絡があったらしい。
中身は感謝の言葉がたくさんたくさん綴られていたそうだ。
『お前が先に言うなよ、と思うよ…。今日までとっておいた俺の言葉はどこにぶつけりゃいい…』
いつも強く高く山のような吉岡先生も今日ばかりは弱々しく見えた。
乃蒼先輩も永澄先輩も知らなかった秋先輩の失踪。
それを知っていたのが私だけだったというのがとても申し訳なく思う。
それでも少しだけ、本当に少しだけ『私だけに打ち明けてくれた』ということが嬉しいと思ってしまう。
可愛い言い方をすれば、とてもいけない子だと自分で思う。
悪い言い方をすれば、性格の悪い独占欲の強い嫌な女。
自覚してる、私は嫌な奴だ。
みんなが不安で心配なこんな時に、沈黙を守りながらただ1人優越感を感じているもの凄く嫌な女だ。
知られてしまえばきっと先輩達もエリやサチさえも私から離れていってしまうだろう。
そしてさすがのレンちゃんも私に呆れ、けれどレンちゃんは優しいから私のそばにいてくれるだろう。
その優しさにつけ込み私はレンちゃんに甘え、辛うじてあと1年をやりすごしこの中学から去って行く。
そして恐らくみんなとは連絡を取らぬまま、何食わぬ顔でつまらない千石高校の3年間を耐えるのだ。
孤独って怖いな。
私はそれを何よりも恐れている。
なのにそれほど心が乱れないのは、私は孤独じゃないって事を知っているからなのだろう。
たとえ私が誰かを殺め世界中から罵倒されても、世界で2人…その2人だけは私を見捨てることはない。
だから私はその2人に胡座をかきながら決して外れる事なく人の道の真ん中を歩く。
私を守ってくれる人を守るために。
「おい、集中しろよ。走ってるぞ」
「あ、ごめん」
「ったく。しっかりしろよ。お前が頼りなのに」
「うん、ごめんね」
ごめんねレンちゃん。
本当はそういうセリフ聞きたくなかったなって思っちゃう。
小さい時から私のヒーローで何をするにも輝いて見えた。
ずっとそんな風に憧れながら1番近くでレンちゃんを見てたかった。
ごめんね、そんなの私の一方的な押し付けでしかないのにね。
>
>
>
『目が…見えないんだ』
『え…なに…それ…冗談よね?』
『冗談じゃなくて…。視界がボヤけて見えてる。それがここ最近段々酷くなってて…』
『もしかして昼休みのバスケの時にシュートが入らなかったのも…』
『前まではリングくらいは見えてたんだけど、今はもうボヤーっとも見えなくてさ…』
『日常生活はどうしてんのよ』
『ハッキリ見えなくてもそれが誰かくらいは雰囲気でわかるだろ。文字はめっちゃ顔近付けたらなんとか見えるから学校の授業は予習で何とか切り抜けてる』
『なんとかって…』
『なぁリン、目が見えなくなるって…怖いな』
『レンちゃん…』
『こんな事ならあの人の事もっと見てれば良かったなって思うよ。ずっとあの人の顔だけ見て、見えなくなっても鮮明に思い出せるようにって…今すごく後悔してる』
『………』
『けど本当は…大人になって、今よりもっと綺麗になったあの人を…見てみたかったよ…』
>
>
>
今すぐ病院に行く事を勧めたけれど、レンちゃんは卒業式が終わってからと頑なに拒んだ。
きっと目のことで卒業式に集中出来なくなるのが嫌だったんだと思う。
そんなの、自分の体の方が大事なのに…。
けどレンちゃんにとってこの年の卒業式が去年よりも大切なのは私にもなんとなくわかる。
秋先輩、そして大切なあの人との別れを自分の唯一誇れるピアノで彩りたかったのだろう。
けどねレンちゃん、やっぱりそれは間違ってるよ。
先輩達だってそんなの望まないと思う。
たとえそれが他の誰かのピアノでも、CDだとしてもレンちゃんの目の方が大事だって思ったはずだよ。
レンちゃんだってわかってるよね。
わかってるけど、それでもレンちゃんは自分のピアノで先輩達を送りたかったんだよね。
なのに秋先輩がいない。
レンちゃんが憧れて、2年間その背中を追い続けた人はこの会場のどこにもいない。
きっと今頃、私達の行ったことのない遠くの街へ向かっている途中だろう。
ターーン♪
今日何度目かのミスタッチ。
普通の人ならよくあるミス。
けれど藤村蓮を知る人にとって今日の演奏は信じられないほど稚拙なものだった。
だがほとんど鍵盤も見えていないというのにここまで弾ける人は果たして私達の年でどれだけいるだろう?
かつて鍵盤の魔術師と呼ばれたレンちゃんは時として天才とも言われていた。
天才?ちゃんちゃら可笑しい。
この人は努力の人です。
見えずともこれまで何億回と叩いて来た鍵盤の感触だけを頼りにこの1時間をも超える演奏をしてきたことがその証拠です。
「…以上3年3組、36名」
「続いて3年2組…油汚ジョイ」
「はいっ」
リン、と右耳から私の名を呼ぶ声がした。
「ごめん、もう…どこ弾いてんのかわかんなくなって来た」
放課後の通し練習でもだいたい2組くらいからレンちゃんの演奏が乱れ始めていた。
本番なら気持ちで最後まで弾き切れるかも、という期待をしていたけどそれは儚い夢と消えた。
「けど凄いよね、譜面も見えないのにここまで弾けるなんて」
「でももう限界…。永澄先輩達の時にミスらなかったのは不幸中の幸いだよ。俺のピアノで卒業式をぶち壊すわけにもいかないから、この先はお前に任せてもいいか」
「うん、いいよ。その代わり彩綾先輩からはまた一緒に弾こうよ。それまでちょっと休んでて」
「悪いな。…いや、違う。ありがとう、リン」
この中学に入るまで、レンちゃんがありがとうを言えるなんて思わなかった。
この中学にはレンちゃんを変えてくれた人がたくさんいた。
小学生までのレンちゃんも十分カッコよかったけど、ありがとうと言えるレンちゃんは可愛さも身に付けた。
カッコよくて可愛いのはもう無敵だと思う。
そしてその魅力はきっとレンちゃんが1番気付いて欲しい人に届いてるはずだ。
今朝乃蒼先輩の右耳にはいつも通り秋先輩から贈られた青い薔薇が咲いていた。
左耳には親友から貰ったという赤い石、そしてその上には新たに緑色したエメラルドの月のピアスが刺さっていた。
それは去年の文化祭が終わった後、レンちゃんが私にくれたピアス。
本来ならば乃蒼先輩が15歳の誕生日にレンちゃんから受け取るはずだったピアス。
乃蒼先輩はもうピアスの穴を開けるつもりはないとレンちゃんに話していた。
レンちゃんはそれを承知で月のピアスをプレゼントするつもりだったけど贈ることが出来ず私にくれた。
あのあとすぐ私はそのピアスを乃蒼先輩に渡していた。
余計な事と知りつつ全てを乃蒼先輩に打ち明けて。
『ありがとう』
感情が読み取れない表情をしながらただ一言乃蒼先輩はそう言って木箱を閉め受け取った。
そして今朝、乃蒼先輩の左耳には1つ穴が増えていた。
レンちゃんの月をその身に刺すために。
私は見た瞬間喜びで震えたよ。
ねぇレンちゃん。
どうなるかはまだわかんないけど、私はきっとレンちゃんは乃蒼先輩の心を動かしたんだと思う。
遠回りもしたし回り道もしたよね。
逃げもしたし隠れたりもした。
だけど愚直に、一心に乃蒼先輩だけを想ったその気持ちが乃蒼先輩の心を打ったんだと私は思う。
誰かを好きでいる想いをひたむきに伝え続けたレンちゃん。
それを出来なかった私はあなたを羨ましく思っています。




