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花さんと僕の日常   作者: 灰猫と雲
第一部
22/787

秋の章 「外国語」

あの日以来、俺たちは前よりも一層仲が良くなった気がする。元々席が近いという事もあったし、タケルが休み時間の度に彩綾のクラスに行ってしまうというのも理由の1つだ。俺らは授業でわからない事を教えあったり他愛のない話をしたりしていたが、乃蒼の母親がフランス人である事は秘密だったのでイレーヌの話はもっぱら授業中にメモで回し合っていた。


『イレーヌがまた秋を連れてきてってうるさいの。けど秋はまた私の下着見るから来ちゃダメ〜」


2人の間ではすでにイレーヌという固有名詞で呼んでいた。もちろん本人も了承済みである。イレーヌも俺のことを秋と呼んでいるそうだ。七尾くんよりそっちの方が親しそうで俺は好きだ。


『あれは俺のせいじゃないだろ?イレーヌが勝手にやった事だ!』


『でも見たじゃん!私の買ったばっかのやつ!』


『あれ、買ったばっかりだったの?』


『えっち!!!!!』


目が合ってクスクスと笑いあっているとなんだかとても素敵な気分になった。つまらない授業も楽しく思えた。


ある日の夜、俺は乃蒼の携帯に電話をかけた。

しばらく鳴っていたがようやく応答があった。

「もしもし、七尾だけど」

「は〜い、秋。こんばんわ。元気にしてる?秋に会いたいからまた家に呼びなさいって言ってるのにあの子イヤって言うのよ?私もうあなたに会えないのかしら?」

情熱的にイレーヌが出た笑。

「久しぶりだねイレーヌ。俺も会いたいよ。乃蒼の許可がでたらまたミシィのお土産持って遊びに行くね」

「お土産なんていいからいつでも手ぶらでいらっしゃい。今度は私特製のエクレアをみんなで食べましょ。あなたの花さんも一緒に」

「やった!俺エクレア大好きなんだ!」

「Vraiment?それじゃ練習しとかなくちゃ」

初めて聞くイレーヌのフランス語。やっぱり発音がネイティヴだ。

「ぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!」

耳元で絶叫がクレッシェンドしてくる。ようやく携帯の主が現れたようだ。

「なに勝手に私の携帯出てるの!誰と喋ってるのよ!」

「誰って、おかしなこと言うわね?あなたに友達が2人もいるの?」

「いないわよっ!」

誇らしげだなぁ笑。

「それよりも秋に余計なこと言ってないでしょうね?」

「余計な事ってどのことよ?こないだ初めて黒の下着買ったこと?」

「やめなさいよっ!」

ほう。黒ですか。いいですね。

「バスト測ったらEカップになってたこと?」

「それは別に良いわよっ!むしろ言って聞かせなさいよ!」

それ、詳しく聞こうか?

「それとも今、バスタオルがはだけて全裸になってる事?」

「ちょっ、よしなさいよね!秋が想像するじゃない」

あ、お母さん、もうちょっと描写を細かくお願いします。

「良いじゃない!教えてあげなさいよ!秋あのね、乃蒼は綺麗なピンク色のーーー」

ガザガザドタっという2人が争う雑音と乃蒼の発狂した絶叫が聞こえて思わず耳から携帯を離した。

そうか、バスタオルの下は裸なのか…。今まで俺は乃蒼の下着姿しか想像してこなかった。なんか乃蒼に悪いような気がしてたから。それがイレーヌの一言で下着のその奥、Eカップのおっぱいと神秘的な洞窟にある秘境の雫を…

「ちょっとってば!ねぇ秋!聞いてるの!」

手に持っていた携帯から乃蒼の声が聞こえ我に返った。

「ああ、ごめん。お風呂だったんだ?」

「想像してないでしょうね?まさかわたしのハダカを想像して楽しんでたんじゃないでしょうね?」

あ、勘が良いんだった。

「楽しんでないよ」

「想像して、のところから否定しなさいよ」

「想像してるよっ!」

「開き直らないでよっ!」

学校の乃蒼よりも少しテンションが高い。緊張のないリラックスできる家での乃蒼はこうなのだろう。

「そんな格好でいたらまた風邪ひくぞ。一旦切るからちゃんと髪乾かして何か着ろよ」

「なに紳士ぶってんのよ。どうせ目の前にハダカの私がいたら服を着ろなんて言わないくせに」

俺は少し考える。

「言わないな。絶対」

「えっち!もういい!服着て髪乾かしてだから…20分後こっちから掛け直すね」

「いいよ、こっちからかける。どうせ俺の携帯料金はサンタさん持ちだから。」

サンタ?と不思議そうな声だった。

「よくわかんないけど、じゃあ20分くらいしたらかけ直してもらえる?」

かしこまりました、丁寧に言って電話を切った。テレビ電話にすれば良かったと後悔した。


部屋から出ると花さんは梨を剥いていた。梨も俺の大好物。けどそれ以上に花さんの大好物。

「どうだった?」

「ううん。風呂上がりだったからまた20分後に掛け直す」

梨に手を伸ばしシャクっと齧ると思ったより甘くなかった。

「ヴレモン…ヴィレモ…?なんだっけな?」

「Vraiment、『本当に』。あ、あんまり甘くないじゃ〜ん。高かったのになぁ」

残念そうな顔の隣で俺は驚いた顔をしていた。

「わかるの?フランス語」

「え?まぁ日常会話くらいなら」

そんなことくらいでどうしたの?というようなほど普通に返された。

「英語は?」

「そりゃ英語は話せるよ笑。」

笑ってるよ。余裕の笑みだよ。

「英語と…フランス語…」

俺は日本語しか話せない。

「あとスペイン、ポルトガル、ドイツ、ロシア。片言だけどインドと中国もちょっとだけなら話せるよ?」

一緒に暮らしていても日本に住んでいたら花さんから外国語を聞く機会なんてないんだけど、まさか8カ国もの言葉を話せるなんて想像もしていなかった。

「花さんてさぁ」

「ん?」

「大学卒業してたっけ?」

大卒だとしても凄いことだ。

「バリバリの高卒だよ」

あれかな?どこかに8カ国もマスターしないと卒業出来ない高校があるのかな?行きたくないな、そんな学校。

「覚えるの大変だったんだよ」

「すごいね。俺なんて国語がやっとなのに。俺、花さんの血ちゃんと受け継いでんのかな?」

国語は得意だけど英語は苦手だ。むしろ日本語が邪魔をして英語を覚えられない。

「ちょっと秋」

みると少し怖い顔をしていた。高かった梨が美味しくなかったから、ではないだろう。

「おいで」

ああこれは抱きしめるつもりだ、とわかってたので拒否しようとしたけど花さんの顔が怖かったので逆らえなかった。隣に座ると案の定俺を抱きしめ、中学の入学式前、父親の話になった時のような体制で花さんは話し始めた。

「秋、大丈夫。あなたの体の中にはちゃんと私のDNAが入ってる。私だって中1の頃なんか日本語だって厳しかったんだよ?」

俺の背中をポンポンと優しく叩く。

「なりたい自分をちゃんと想像してごらん。きっとあなたなら私以上になりたいようになれるから」

「だったら俺は結構本気で花さんみたいになりたい。花さんはいつもかっこいいよ。いつも俺の想像の少し斜め上をいく」

そうか、花さんはいつだって時間を上手く使ってきたんだ。今の今を行きてるんじゃなく、先のための今を過ごしてきたんだ。学ぶことも、人との付き合いも、それ以外のことも。全ての過去が今に表れているんだ。

「もしそう思ってくれてるなら、それは秋がいたからだね。秋がいなかったら私は何も頑張れないもの。秋に褒められたくて私は一生懸命頑張れたのかもね」

生まれる前に少なからず周りから否定されたであろう俺がこの世に生まれ存在している意味が、今ひとつだけ肯定された。

「俺、ちゃんと花さんのこと褒めてたかな?」

「う〜ん、あ〜でも時々褒めてくれたよ?秋はそんなつもりないかもしれないけど。それにね、私みたいになりたいだなんて、最高の褒め言葉だよ。生きててよかった笑」

なんかね、与えられてばかりだと思ってたけど、俺も何かを花さんにあげられていたら嬉しいな。

「今度はちゃんと褒めるよ」

「うん。ありがとう。私は褒めて伸びる子だからね」

「それ以上伸びたら花さんに追いつけないよ」

「大丈夫、秋は私より出来がいいんだから」

本当かな?と思ったけど、花さんは俺に嘘は絶対に言わない。少なくとも花さんは俺をそういう人間だと信じているのは本当だ。

「20分経つよ」

そう言って花さんは俺から両腕を離した。

「ありがとう」

俺に生まれてきた意味をくれて。俺はいったい生まれて何度花さんにありがとうを言っただろう?ありがとうと俺が言った数え切れないほどの花さんからの愛情で、今の俺は形成されている。

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