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花さんと僕の日常   作者: 灰猫と雲
第一部
172/778

吉岡克昭の章 「そして母になる」

「克昭最近変わったね」

優良からよく言われるようになった。

「変わったって、何が?どこが?俺はどんな風に変わった?」

この歳になっても変われるというのはなかなかすごい事だと思う。

人生の半分を過ぎると人は諦め、そして肯定し、誇りを持つようになる。

その誇りが間違っているとわかっていながらも、今までの歩みが正しかったと思いたいが故に固執しがちになる。

「よく笑う。よく落ち込むし、よく怒る。前までそういう感情は全部自分のものみたいに表に出さなかったくせに」

優良は大きくなったお腹を丸くさすりながら、まるでそこにいる命に言い聞かせるように言った。

「お前は人のことが羨ましいって思うこと、あるか?」

「そりゃあ、ね。この子を授かるにもいっぱい努力したし。産婦人科でね、周りがみんなお腹大きいのに私だけそんなお母さん達とは違う目的でその場にいたから。羨ましかったよ。妬ましかったと言った方がいいかな?」

優良は不妊治療のために数年産婦人科を渡り歩いた。

さっきは俺のこと、感情を表に出さないと言っていたが、俺は優良がその事で人知れず泣いていたことを知っている。

お前だって、悲しみを自分1人のものにしてたじゃないか。

あの時自分1人のせいにしないで俺にも責任を半分くれたら、悲しみも妬みも半分になったんじゃないのか?

夫婦は全てを半分に分け合うものなのかも知れない。

喜びも悲しみも、妬みも嫉みも、怒りも憎しみも、良いことばかりじゃなく嫌なことも半分に分け合えるから夫婦なんじゃないだろうか?

「俺は学校に行けば生徒達がみんな妬ましいよ。あいつら何をしてても全てに意味があるんだ。笑う事にも怒る事にも泣く事にも、これから先それが全部繋がっていくんだ」

「それは克昭だってそうじゃない」

「そんな事はわかってる。けどな、重みが違うんだよ」

「重み?」

「そう。あいつらはその瞬間その瞬間が経験なんだ。それを積み重ねて大人になっていく。その積み重ねは人によって色も形も大きさも違う。だからあいつらはどんな人間にもなれる。良い奴にも悪い奴にもなれる。俺はもう、こういう大人になっちまった。あいつらに比べて将来の振り幅が狭くなっちまった」

こんな歳になったって無限の可能性は残されているとは俺も思う。

けど人として成熟した分、責任を背負っている。

例えば俺が明日から俳優を目指そうとすれば目指す事はできる。

けど俺はそんなことしない。

身重の妻と、生まれてくる子どもと、今の仕事という『責任』を背負っているから。

そういったもの全てを投げ捨ててチャレンジする人も世の中にはいるだろう。

けど捨てて良いものと悪いものの区別がつかない奴はただのバカだ。

何かにチャレンジする資格すらない、愚か者だ。

「あなた、教師のくせにバカなのね」

「なんだとっ!」

「あなたはこれから、今までなれなかった者になれるじゃない」

「なれるって、何に?」

俳優?

「父親。なったことないでしょう?」

「あったら、問題だろう!」

「歳をとって可能性は狭まったかも知れないけど、それでもまだなれるものは残されてるはずだよ?そのどれもがきっと、あなたを今よりもっと豊かにしてくれるはずだよ」

俺がバカなんじゃない。

お前が人として俺より一回り大きいだけだ。

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>

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優良の母親から連絡があり帰宅せずまっすぐ病院へ向かった。

病室に飛び込むと優良は俺の想像していたよりも遥かに、普通だった。

「あれ?生まれ…ないの?」

あまりにもいつもと変わらないその表情に拍子抜けしてしまった。

「波があるんだよ。さっきまでやばかったけどスーっと引いちゃって、今は普通。感覚がだんだん短くなって来たらそろそろだって先生が言ってた。それまではリラックスして過ごしなさいだって」

「で、お前は今何をしてんの?」

「マリオカート」

優良は俺が寝た後に時々レトロなゲームをしていた。

誘われて付き合ってやる事もあるが、優良が上手すぎて対戦ものだとケンカになってしまう。

なので俺が優良とするゲームで好きなのは三國無双やサルゲッチュなど協力プレイものだった。

協力プレイって言葉の響きも、ちょっといい。

夫婦はそうあるべきだと思う。

「やる?マリオカート。コントローラー2つあるけど」

「三國無双、持って来てないのか?」

「持ってきてない。これから子ども産むってのに人をバッタバッタとなぎ倒すゲームをするのはどうかと思って」

ああ、確かにそうだな。

お腹の子も興奮して無双ゲージが溜まったら困ったことになる。

「仕方ない。つきあうか」

俺はワイシャツの上に来たジャージを脱いで由良の隣に座った。

「もし私が勝ったらこの子の名前、克昭が付けて」

「おいバカ言うな!この子が一生連れ添う大事な名前なんだぞ?俺のセンスのなさは知ってるだろ?」

昭和初期の名前しか思い付かない。

「私が産むから、克昭は名付けて。夫婦は何でも半分に分け合うんでしょ?克昭が産んでくれんならこんなこと言わないよ」

俺が産んだらキモいだろうが!

「いや、2人で決めよう。夫婦は協力プレイも必要だ」

「じゃあ克昭が勝ったら協力プレイにしよう。マリオカートは克昭だって勝つときあるじゃん?」

確かに他のゲームに比べたらマリオカートは勝率は高い。5回に1回は勝つ。

「ノコノコをくれ」

「じゃあ私はピーチ姫でやってあげる」

頼むぞノコノコ!俺たちの子の一生がかかっていると言っても過言ではない!


「ぬぅおおおおおお!どうだぁっ!」

「ほいっ」

甲羅をかわされたら俺にはもうなす術がない。

「はいゴーーーール」

おいノコノコ!何をノコノコしてやがるんだ!ノコノコするのは名前だけにしといてくれ!

ああそうだ!名前ぇぇぇぇ…。

「約束だからね?克昭が名前考えてよ?」

「おい〜、やっぱナシにしないか?女の子だぞ?ヨネコとかハルコとか可哀想だろ?」

最近シワシワネームが流行っているとは聞いているが、本当かどうかはよく知らない。

「克昭が良いと思ったなら私はどんな名前でも反対しない」

「和子でも?」

「いいね」

「マチ子でも?」

「いいね」

「お前なんでもいいねって言う気だろ?」

「そうだよ笑」

もっと真剣に考えてくれぇ!

この子の一生の問題なんだぞ!

「名前なんて何でもいい。どんな名前だってこの子がきっとステキにしてくれる。そうやって私はこの子を育てていくから」

その顔に俺はハッとさせられた。

「お前、もう母親だったんだな…」

優良は不敵な笑みを浮かべながら

「克昭は生まれてきて初めて父親になるけど、私はこの子がお腹に宿った時からもうお母さんなんだよ。もちろん色々葛藤したり悩んだりしたけどね。気付かなかった?」

気付かなかった。

いつだって俺の前では妻の顔だった。

それが今、母の顔をしている。

俺はその時初めて少しさみしい気持ちになった。

今まで俺の妻だった優良が、生まれてくる子の母になる。

俺だけの由良ではなくなる。

きっと分娩室に入ってから生まれてくるまでには少し時間がかかるだろう。

その生まれてくるまでに、俺はこのさみしい気持ちを断ち切ろうと思った。

父になるための最初はそれをしよう。

「でさ、お願いがあるんだけど」

「なんだ?背中でもさすろうか?」

「看護婦さん呼んで来て…」

「は?」

「痛いのっ!さっきからっ!早くしてぇ!いだいぃぃぃぃ!」

「お前バカかぁ!早く言えぇぇ!」

ナースコールの存在を忘れバタバタと廊下を走って詰所に走る。

「すいません!産まれそうですっ!」

「吉岡さん、そんな早く産まれないから」

なんでだ!なんでそんなことわかるんだ!

「でも、痛そうです。なんとかして下さい」

「今はまだそんな段階じゃないから大丈夫です。また少し時間が経てばおさまりますから」

「けどさっきも痛がってたんですよね?そろそろじゃないですか?」

「いやいや笑。まだまだ先は長いですよ?」

「いやでも、、、」

「それより奥さん1人にしていいんですか?心細いと思いますよ?」

「ですが、、、」

「吉岡さん。産婦人科で逆らっちゃいけない人が3人います。ご存知ですか?」

「い、いえ」

「ドクター、奥さん、そして看護師です。吉岡さん、今すぐ戻らないと本来新しい命が生まれるためのこの場所であなたのことブチ殺しますよ?誕生日と命日、同じ日にしたいんですか?」

よし、もう十分だろう。

病室に、優良のところに戻ろう!

やるべきことは全部やった。

悔いはない。


結局それから半日近くかけて優良は朝方に3240gの女の子を産んだ。

母子ともに健康で、産声を聞いた時には今まで感じたことのない喜びと責任と、女の子だからだろうか?寂しさがいっぺんに押し寄せて来た。

「お疲れさん」

「へへへぇ。私ブサイクだった?」

「いいや。カッコよかったよ。女も戦うんだな」

「あはは。いやぁ〜、痛かったぁ!けどそれ以上に嬉しい」

優良は隣で寝ている生まれたての我が子を愛おしそうに見つめる。

その光景を俺は優良と同じ目で見つめていることだろう。

「寝てないでしょ克昭?仕事大丈夫?」

「病室で1時間くらい仮眠してから出勤するよ。なんか変なテンションだからそこそこやれそうな気がする」

優良のすっぴんの顔に手を当てる。

優良が撫でられた子犬のような顔をした。

「褒めてよ」

「よくやった」

「もっと褒めてよ」

「頑張ったな」

「褒められ足りない」

「俺はお前と一緒になれて良かった。俺の妻がお前で良かった。この子の母親がお前で良かった。お前と巡り会えて本当に良かった。お前がこの世に生まれて来てくれて本当に良かった。ありがとう」

「あ〜、幸せだなぁ〜。この瞬間のために生まれて来たと言っても大げさじゃないかも?」

この子もいつか誰かの子を産み、今の優良と同じように思うのだろうか?

そう思うと優良の両親に深く感謝した。

由良を産んでくれてありがとう。

由良をこんなふうに育ててくれてありがとうございます。

おかげで俺は今、とても幸せです。

この子には、あいつら以上に無限の可能性がある。

親として、その無限の可能性を幸せなものとして導いていく責任がある。

俺1人では不安だ。

けど優良がいるならなんとかなる。

きっと優良ならなんとかしてくれる。

だって優良はずっと憧れていた母親になれたのだから。

昔アシスタントをしていた人の子を腕に抱いてからずっと夢見ていた母親に、なれたのだから。

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