雪平の章 「まだ俺のターン」
終わった。
約一週間ほどかけて出来たのは黒地に黄色の文字で描かれた
『創作カレー 十天屋』
という看板1つ。
「あとは店内の装飾にメニュー表作り、テーブルクロスも作らなきゃならないしカウンターも作るんだよな?」
言うな七尾。
「間に合うのかよ」
言うな佐伯!
「他のクラスと違ってウチら9人しかいないしね」
言うなってば荒木!
「お腹すいた」
それだ鈴井!
「とりあえずご飯食べようぜ。俺も腹減ったよ」
やらなきゃいけないことは山ほどある。時間はそんなにない。人手はもっとない。なら今必要なことは現実から目をそらすことしかないじゃないか!
「コンビニ行こ〜」
荒木は楽しそうに鼻歌を歌いながら端っこに置いたカバンから財布を取り出す。
「あ、でもさ、誰が1人留守番して置いた方が良くない?私残ってよっか?」
「行けよ鈴井、俺が留守番してるから。代わりに俺の分も買ってきてくれよ」
俺はジャージのポケットから千円取り出し鈴井に渡した。
「何買ってくればいいかな?」
「そうだなぁ、今日は『にんにくが決め手!台湾丼(旨辛肉そぼろ)』と『菜の花とたけのこのサラダ』。あとドデカミン ストロング」
鈴井は「覚えらんないよ笑」と言って携帯を取り出す。俺はもう一度、今度はゆっくりとオーダーを繰り返した。
「コンビニマスターかよ笑」
七尾はコンビニ弁当なんて食べないんだろうな。なにせゲーン・マッサマンを作ってくれる母親が家にいるんだもんな。
「いってらっしゃい」
俺は4人を手を振って見送る。
いってらっしゃい、か。言葉にするのはいつぶりだろう?
おかえりなさいを言われたのは…、そもそも言われた事があったかな?
「入って来ていいよ」
ぴょこんと背筋が伸びたせいで窓枠から顔が見えた。さっきから生物準備室の窓の外から黒い頭が2つぴょこぴょこしているのは気付いていた。この教室、または俺たちの誰かに用事があるのは想像できた。それが誰なのかがわからなかったから気づかないふりをしていたが、七尾達がいなくなっても頭が2つ去らなかったので俺かこの教室に用事があるのだろう。しかしその黒い頭の1人がマナツだとは思わなかった。
「マナツ…なにやってんの?」
「あははは笑。バレた笑」
「バレたって…。ま、いいや。なんか用事あんだろ?ちゃんとこっちから入ってこいよ」
中庭から頭を覗かせていていた2人にそう言うと、マナツ達は校舎内に戻りキチンと廊下側のドアから生物準備室に入って来た。
「私の友達の瀬戸永澄さん」
と紹介してくれた。
「で、こっちが小学校…」
「知ってる。三天の雪平くん」
ずっとずっと後になってわかった事だが、この時瀬戸はすでに俺が三天から落ちていたことを知っていた。マナツが瀬戸に俺を紹介しようとし、小学校からの『友達』という言葉に躊躇っていたのを瀬戸は気付きあえてそう言ったのだそうだ。だけどこの時の俺はそれを知る由もなく、マナツのそんな躊躇いさえ気付くことはなかった。
「もう三天じゃなくなったけどな」
「え?そうなの!?ごめんね、失礼なこと言って」
瀬戸さんはとても丁寧に俺に謝罪をする。
「いや、全然!むしろ三天なんて中途半端な称号ならかえってない方が気楽でいいよ」
強がりじゃなくて本当にそう思えた。三天なんかより数天の方が俺には誇らしい。
「で、どうした?彼氏に会いに来たのか?」
瀬戸さんは「え!?彼氏!?」と豪快に驚いているのに対し、
「そう。あの日からずっと忘れられなくて…」
と、マナツは骨格模型のそばまで行き彼氏を優しく抱きしめた。
「って、彼氏ちゃうわぁ!」
ガシャン
彼氏を壁にぶん投げる。そして拾う。
だから!彼氏と備品は大切に!
「あ〜でも落ち着くわぁ」
マナツは拾い上げた彼氏をそのまま膝の上に乗せた。初見の人が見たらガイコツを抱く中2女子はさぞかし不気味に見えるだろう。けど俺はこないだ見たせいか、なんだか骨格模型がマナツの膝の上に座っている今の方が定位置なように思えた。
「で、それをどうすればいいの?」
マナツと瀬戸は手に長い塩ビパイプを持っていた。きっとそれをどうにかしたくて2人はここに来たのだろう。俺だけに用事があって、塩ビパイプを持って来たのならそれで俺を殴るくらいしか俺には思いつかない。
「このパイプを四角にくっ付けて看板のフレームにしたいんだけど、グルーガンは特進に貸したって吉岡先生が言ってたから借りに来たの」
ノコギリとヤスリ。あとホールソーはどこだっけ?クギとカナヅチもいるな。
「何センチ×何センチ?」
「え?ミナト作ってくれるの?」
「グルーガンの接着力を過信しない方がいいぞ。普通に取れるからな笑」
俺は瀬戸さんから詳細が書かれている紙を受け取るとその通りに塩ビパイプをノコギリで切りホールソーで穴を開けるとその穴に塩ビパイプを通して抜けないようにクギでストッパーを打ち込む。若干パイプが回転してしまうけどまぁこんなもんでいいだろう。
「ほれ、出来た」
「「わぁ、スゴい!」」
2人は俺の作った塩ビフレームにエラく感心してくれた。
「こういうのチャチャッとすぐ作れるなんて、やっぱ男の子だね笑」
「昔から手先は器用だったよ。イメージないだろうけど」
お前はやっぱりまだ言い返せない弱虫だった昔の俺を重ねているんだろうな。
「なんかイメージと違〜う」
瀬戸さんは初対面だ。この子は俺にどんなイメージを持っているのか気になった。
「俺は瀬戸さんの中でどんなイメージ?」
「もっとこう不器用で繊細で、弱虫なのにそれを隠すために強いふりして。ずっと昔の後悔を引きずってるっていう感じ」
「すげぇ…。占い師かよ笑」
ドンズバで当てやがった。
「父親の仕事柄いろんな人見てきたから。人を見る目は自信あるの」
「そういえば聞いたことなかったけど、瀬戸さんのお父さんて何してる人?」
占い師だろ?
「ん〜………ナイショ〜笑」
占い師だな。
「じゃさ瀬戸さん。俺これからどうなる?」
「雪平くん私は占い師じゃないんだけど?まぁいいや。顔見せて」
言われた通り瀬戸さんに体をまっすぐ向けジッと目を見つめる。
「雪平くんさ、これからある選択を迫られるよ。きっとそれは今までの人生を全部掛けた選択で、これからの人生の方向が決まる選択だと思う」
当たってると思った。
「雪平くん」
「はい」
「どっちも正しいよ」
「はい?」
「私達がする選択なんて、どれもこれも正しい選択しかしないんだよ。間違う事なんてないよ。だから後悔なんて本当はしないんだと思う。後悔って、贅沢だよ。選ばなかった道をただ名残惜しんでるだけだもん」
マナツの差し出した手を掴めなかった俺の後悔は正しいと言えるのだろうか?
「選択を間違えたら、後悔だってしたくもなるよ」
「だったら雪平くんの今は全部否定されるよ?」
ハンマーで頭を殴られたような気がした。
「選択を間違ったって思ってる今があるからしたい事もあるんじゃないの?出来ることもあるんじゃないのかな?」
俺はあの日、マナツが差し出してくれた手を掴めなかった事をずっと後悔していた。だからこそ今、出来る事があるでしょ?と目の前の瀬戸さんは言う。俺が出来ること、したいこと、そんなの1つしか思い浮かばない。けどマナツは俺を許してくれるだろうか?あぁ、そう思うのはやっぱり俺がまだ弱虫だからか。マナツ、俺変わりたい。お前に言いたい言葉を胸張って言えるくらい、強くなりたい。
「な〜んてね〜。そんな顔しないでよ。女子中学生のザレゴト真に受けないで笑」
「いや、そんな事ないよ。今、俺の中で革命起きたよ」
身体中の血液が武器を持って現王政を倒すべく立ち上がった気がした。
「テキトーな事言っても難しく解釈して正しいように受け取ってくれる雪平くんがちょっと心配。詐欺に遭わないでね笑」
「気をつけるよ笑。マナツ」
「えっ」
隣で聞いていたマナツは何だか大人しい。人の話を黙って聞ける子だったんだ笑。
「すげぇ友達いるんだな」
マナツは目を閉じながら
「はい。私も今気付きました笑」
としみじみと言う。
「2人とも、詐欺に遭わないでね笑」
マナツはどうかわからないけど、こんな詐欺なら騙されてもいいと俺は思った。
「そういやお前に言わなきゃならない事思い出した!」
「え?なに?やめて、怒らないで」
彼氏を後ろから抱きしめて身を守る。なんかちょっとだけ彼氏が羨ましい。まぁマナツ、胸ないけど。
「荒木は佐伯と付き合ってるし、七尾は、、、」
「ああ、その話か笑。知ってる。こないだ聞いた」
あ、そう。
「その件で佐伯さんと鈴井さんにはとんだご迷惑をかけちゃったよ笑。近いうちに謝りに行かないとね」
「別に怒っちゃいないけど、お前が謝りたいって思うならいつでも来いよ。あいつらならきっといつでもWillkommenだと思うよ」
「ゔぃ…ゔぃる…こ?」
「ウェルカムだって言ったの」
「英語で言ってよね!わかんないじゃない」
「Woops. Force of habit.」
「ごめんなさい、日本語でお願いします」
「いつでも来いよ。あいつらみたいなので良かったらいつでも紹介するから」
この俺が誰かを誰かに紹介するなんてな笑。目の前に数年前の俺がいたら、お前はこの先信頼できる友達が出来るって教えてやりたい。信じねぇだろうな笑。もしかしたら未来の俺の言葉さえもあの時の俺は信じないかもしれない。
「ありがとう。あ、長居しちゃった。そろそろ教室戻るね。じゃね」
マナツの声が、幼い頃の声とダブった。
懐かしい、もう2度と聞けないと思っていたその言葉を聞けて俺は嬉しかった。
「雪平くん、これありがとうね」
瀬戸さんは四角に形成された塩ビパイプを首にぶら下げながら頭を下げた。
「いや、俺の方こそありがとう」
「ん?なにが?」
「瀬戸さんと話してて、なんか今までどうにもならなかったモヤモヤの晴らし方がわかった気がするよ」
ははは、と見た目とは180°違って男の子っぽいサバサバとした笑いの後、
「ええんよ。迷ってる人を助けるのは社会のルールじゃきん!捨て置いたら、大和撫子の名折れじゃきんっ!」
「………瀬戸さん?」
「はっ、ごめん。自分に酔うちょった笑」
訛りが笑。
「それじゃ雪平くん、ご機嫌よう」
「じゃね、ミナト。またね」
2人はドアからではなく窓から出て行った。そっちの方が近いのだという。
「オイちょっと待てマナツっ!」
ビクッとしたマナツは恐る恐るゆっくりとこちらに振り返る。俺は叫ぶ。
「彼氏置いて行け!俺らが怒られる!」
「あ、やっぱりダメ?落ち着くんだもん笑」
いいわけねぇだろ。お前の彼氏は学校の備品だ。
「じゃまたな。いつでも来いよ」
彼氏の腕を持ってカチャカチャと手を振る。
「うんわかった。ありがと。またね。ホネキチもバイバイ」
お前、ホネキチっていうんだ…。
マナツと瀬戸さんはブンブンと手を振り中庭から去っていった。
程なくして七尾達はコンビニから戻ってきた。
マナツ達と一緒にいるところを見られても困りはしないが、説明するのもめんどくさいのでちょうどいいタイミングだ。
床で5人輪になって少し遅めのお昼ご飯を食べた。
ホネキチにも何か血肉になるもの買って来てもらえば良かったな。
コンビニの弁当を食べ終わってから夕方の5時まで作業を続けた。まだまだやることがたくさん残ってて終わる見通しが立たない。予備校を辞めておいて良かったと心底思った。今俺は文化祭のために何かをしたかったし、こいつらと一緒に何かをしたかった。出来るだけ長い時間こいつらと残された時間を過ごしたかった。
瀬戸さんはどの選択も後悔はしないと言ったけれど、確かに後悔すると初めからわかっている場合、その事は選択肢には入らない。今この現時点に分岐点はない。まっすぐに伸びた一本道だけが俺の前に伸びているだけだ。
「ただいま」と返ってくる返事がない事をわかっていながらも、久しぶりにその言葉を口にする。今日もまた家の中には誰もいない。小学校の時の俺はそれが当たり前だと思っていたけれど、最近の俺は家の中が寂しいと感じてしまう。昼間あの騒がしい奴らと一緒だからだろう。けれど俺はその寂しさは弱さだと思わない。きっと誰かといる事を知り、強くなったが故の寂しさなのだと思う。
昔の自分に言ってやりたい。
お前のそれは強さじゃない。
けど今のお前はそれでいい。それでいいよ。
必死で俺自身を守ろうとしてたんだもんな。
今の俺がいるのもお前がいたからだよ。
昔の俺自身を肯定できる日が来るなんて、世界はなんて複雑で皮肉めいていてそれでいて暖かいんだろう?
その日俺は参考書を1度も開く事なく布団に入った。そんなこと小2で勉強を始めて以来初めてのことだ。なんかしがみついていたものから解放されたような気分だ。
ふぃーおっ
携帯を確認すると野島さんから俺と七尾宛にメッセージが入っていた。2、3やりとりをし携帯を枕元に置くと自然に瞼が重くなり、俺は朝まで一度も起きることなく泥のように眠った。夢の中で桜さんとマナツに会ったような気がした。