一
あなたの事を追いかけます。それこそ地の果て、地獄の果てまでもっ!
最近の悩みを打ち明けよう。僕は最近――中間テストが終わって数日後位からか――ストーカー被害に悩まされている。朝、登校時に家を出た時から、夕、学校から帰って来るまで。常に見張られているのだ。ほら、今も振り向けば――。
「およ、どうしました? 私に何か御用ですかっ!」
「別に無いよ、気にしないで交峰さん」
ほら、後ろにぴったり付いて来てる。肩辺りで切られた短めの髪、すらっと伸びた体躯。赤縁眼鏡と赤の髪留め。そして周囲を圧倒するハイテンション。僕と同じ一年、交峰みたかさんだ。
「そうは言ってもですよ。何も無いのに後ろは振り向かないでしょう! やはりそこに……!」
「ないない、何も無い。安心して」
「安心しましたっ!」
一挙一動が恐ろしく大きい彼女は、身体の大きさ(背は百七十越え、腕と足もそれに連れて長い。所謂モデル体型)も相まって人払いの性質を持っている。彼女が僕の後ろに居る限り、並大抵の人間は近寄らない。今もぶんぶん腕を振り回す彼女に恐れをなして、何人かの生徒が距離を取った。道幅にゆとりはあるのに、誰も僕らを歩道内で抜かそうとしない。楽と言えば楽だけれど、申し訳ないと思わないでも無い。
「ところで! 不二さん、不二さん、不二富士山! 今日はどこに行こうと言うのですか?」
「富士山は違うね、謝ろうか偉大なる山に。……今日は田崎さんの家に呼ばれていてね。今はそこに向かう最中さ」
「おおっと! まさかの彼女の家でーとですか。いやはや、近頃の若者の性モラルの欠如も問題ですねぇ」
こいつ、往来で何て事言いやがる。見ろ、軒先を掃除するおばさんも子供と歩くお母さんも歩みを急ぐお兄さんも。皆こちらを不審な目で見ているじゃないか。
僕は恐らくこの先の人生に密接に関わらないであろう事を理解した上で、僕の世間体を守るべく、通行人の皆様に聞こえるよう、あえて声を大きめに交峰さんに答えた。
「いや、勘違いしないでよ。田崎さんは僕の彼女、言い換えるならガールフレンド? まあ、そんな関係では無いんだよ」
「彼女でもない人の家に向かう訳ですね。ついでに聞くと親御さんは?」
「いないって言ってたな」
「ますますですね」
釈明で墓穴を掘っていた。心なしか交峰さんも僕から距離を取っているように思える。……もっと近づいて良いんだぜ?
「ふーむ。そう言えば私が密着取材を開始してから早一週間ですが、その間一度も田崎さんを彼女と認めていませんね。何故です? やっぱり付き合いたてで恥ずかしいとか! とかとかっ!」
「違うよ。事実として田崎さんが僕の彼女じゃないから言ってるんじゃないか」
「でも多数の人間があの交際宣言を聞いていると」
「あれは交際宣言じゃないよ。どこの世界に期限付きの交際宣言があるのさ。僕達がしたのはただの――」
言葉が詰まる。僕としてもそれには答え得る物を持っていなかった。
そもそも僕はあの時断るつもりだったのだ。それをどうして受けてしまったのか。今でも分からないままだ。
急に黙った僕を交峰さんが怪訝そうに見ている。僕はとりあえず言葉を紡いだ。
「ただの滑稽な茶番劇の申し合わせに他ならないよ」
「ふーん。茶番、と。何に対しての茶番何ですかね」
「どうだと思う?」
「分からないですっ!」
交峰さんはあっけらかんと言った。交峰さんのように答えを放棄出来たらどれほど良かったか。僕は少し交峰さんが羨ましくなった。
――交峰みたか。僕をかれこれ一週間ほど付き纏っている彼女は、一体何を目的としているのか。本人は「探究心を満たす為」なんて言っていたけれど、それもどうだか、はぐらかされた気がしないでも無い。ただ一つ確かなのは彼女の情報収集能力と口の軽さは一級品と言う事だ。
彼女は今の僕のように――時には聞き込みなんかもあったそうだが――過去幾人もの「密着取材」の果てに、新入生ながら学校一の情報保有量を誇っている。まあ、その手の学校一なんてのは不安定な対外評価に依るし、その気になればなれそうだけれど、新入生である現段階でそこまで昇りつめた事こそが彼女の異質さを物語っていた。
一見すると彼女の行動は記者のそれに似ている。主にパパラッチとかゴシップライター。だが、彼女は自分のモットーとして、情報の選り好みを嫌っているらしく、曰く、「知りたい事は全て知るべし。知らない事は無くすべし」らしい。よって彼女はオールラウンダーの情報屋、と言う事だ。
しかし、それともやはりと言うべきか。年頃の女の子だからか、それとも学校という舞台がそうさせるのか、彼女の持つ「情報」は約六割が恋愛関連らしい。思春期真っ盛り。皆恋に生きているんだね。
そして、彼女は自分の成果を誇示したがるという、非常に傍迷惑な悪癖を持っている。関係無い所で聞いている分には実に面白いが、進んで近寄りたいとも思わないし、取材対象になっている今では他人事でないだけに背筋が凍る様な物を感じる。
そう言えば、色々と交峰調べの恋の話を聞いた。数ある話の中で記憶に強く残ったのは、赤石が田崎さんの事を好きだと言う事だろうか。
赤石の怒りも、絶望も。きっとそこに起因するのだろう。……薄々感付いていたけれどね。ついでに言うと、赤石は未だに不登校だ。一年ながらに男子バレーのレギュラー候補だったらしいが、その話もきっと流れる事だろう。
とかどうでもいい会話と思考をしている間に田崎さんの家に着いた。一戸建て庭付き。青みかかった瓦風の屋根に白い壁、最近のトレンドからは離れてこそいれど、何だか「よくある」感じの家だ。表札を確認、やはり田崎さんの家に間違いない。
僕の後ろでは交峰さんが感嘆の声を上げつつ、わちゃわちゃと動き回っている。何だろう、起き上がりこぼしの動きみたいだ。
僕は交峰さんを無視して、門扉の横に備え付けられているインターホンを押す。聞き慣れた量産型の電子音に続いて、田崎さんの声が返って来る。
「ちょっと待ってて。今開けるから」
家の中からとたとたと音がする。小走りで玄関に向かう田崎さんが目に浮かんだ。ぴょこぴょこ揺れるポニーテイル、いいね。
「お待たせー、さあはいっ……」
固まった。扉を右手で開け放って、身体を外にずいっと乗り出したまま、田崎さんは完全に固まった。視線は僕の後ろ、交峰さんの方に向いている。
そう言えばストーカー云々を言って無かった気がするような。偶然にも、田崎さんの家に行く話の時に、交峰さん居なかったし。
おいストーカー、ちゃんとスト―キングしておけよ。
「だ、誰? その子?」
「ストーカー」
「失礼なっ! 取材班です! 一人ですけどねっ!!」
交峰さんの「!」乱舞。効果はばつぐんだ。
田崎さんは見るからに状況理解が追い付いていない顔をしている。傍から見ている分には楽しいが、些か可哀想でもあった。助け船を出すとしよう。
「田崎さん、中に入っても良いかな」
「え、あ、うん。どうぞ」
田崎さんの了解を得て僕は門扉をくぐる。そして、交峰さんが入って来るより先に門扉を閉じた。
かしゃん。
僕と交峰さんが隔てられる。
「なっ! 何するんですか、入れて下さいよ!」
「不法侵入」
それだけ言って僕は田崎さんが開けてくれている玄関へと入って行く。外ではスト―キング行為が酷い交峰さんだが、これまで僕の家に入って来た事は一度も無い(当たり前だけれど。流石に入って来てたら通報している)。一応釘を刺しさえしておけば、大丈夫だろう。
「ああ~」
後ろから情けない声が聞こえてきたが、無情にも閉じた扉によって、その音も聞こえなくなった。