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不二幸助の排他的日常  作者: 改革開花
不二幸助の排他的日常
7/21

恋する勇気、愛する優しさ

 不二が保健室を出たのと入れ替わりで、一人の少女が入って来る。背は小さく、目は丸く、普段は結ばれている髪はストレートに。誰にも部屋に閉じ籠ったままと思われている少女、田崎美衣だった。田崎は後ろ手で扉を閉めると、田崎が入った時から椅子に座ったままの保険医、若野祥子の方へと歩き向かった。


「今日は休みじゃなかったか」

「気が変わったんですよ」


 若野は二杯目のコーヒーを一口。口の中で苦々しい液体を転ばせてから、不満そうにそれを飲み込んだ。


「ふむ……。インスタントはやはり駄目だな」

「生活指導室なら良い豆も置いてるでしょう」

「それは駄目だ。私はあそこの連中が嫌いだからな」


 歯に衣着せぬ物言いに、田崎ははにかんだ。でもそれは酷く辛そうな物で、普段の彼女を知る者には想像もつかない程に引きつった笑顔だった。


「まあ、あれだ。何物も一定の対価を支払わなくては手に入らないと言う事だ。コーヒーの豆にせよ、恋にせよ」

「恋とコーヒーは同格ですか」

「恋は軽いからな。愛は重いが」


 若野はやはり不満そうな表情のまま、インスタントコーヒーをもう一杯注いだ。


「ほれ、飲むと良い」

「ありがとうございます」


 若野が机の上、田崎側へコーヒーカップを置いた。田崎は近くから椅子を引き寄せて座る。

コーヒーを手に取った、熱い。匂いを嗅いでみた。コーヒーらしい匂い。

 猫舌の田崎は慎重にコーヒーを口に運んで、そして顔をしかめた。ブラックは早かったらしい。


「さて、田崎。お前は何が欲しい。保健室には本来置いてはいかん物もここには色々あるぞ。胃薬、整腸薬、頭痛薬、風薬。どれが欲しい」

「恋の病への特効薬はありますか」

「残念だがそれは一週間前に切れたんだ。しばらくはない」

「そうですか」


 保健室に静寂が訪れる。田崎も若野も、二人とも何も話さない。ただ、コーヒーを口に運ぶだけの時間が過ぎる。


「……人は失敗を恐れる。田崎、お前にとって失敗とはなんだ」

「今の気持ちを失う事です」


 ぼそりと呟いた若野の抽象的な問いに、田崎は間髪置かずに答える。若野は満足そうに頷いて、次を問う。


「ならば。失敗ばかりする人間、お前はそれについて如何様に評価する」

「頼りない人、でしょうか」

「なるほどな。ある意味正しい」


 コーヒーカップを左手に持ち替えて、仕事の無くなった若野の右手の人差し指がすっと伸びる。


「失敗する人間にはいくつか種類がある。まず一つ、与えられた仕事を達成するだけの能力が無い場合」


 今度は中指。すらっとした指が陽を遮った。


「二つ、能力はあるがそれを発揮できなかった場合。プレッシャーなんかがその良い例だ」


 当然に薬指が続いて伸びた。


「三つ、能力はあるがそれを発揮しない場合。これは失敗の向こう側に何らかの益を見出しているのだと見る事が出来る。もっとも、その益が果たして普遍的な益とは限らん。害こそを益と見なす奴も、いる」


 小指は伸びない。それで最後のようだった。若野は指を仕舞って田崎を見る。田崎も目を反らさずに若野を見た。


「生きている限り全てが終わるような失敗は無い。致命的でも壊滅的でも人生は生きる限り続く。道を踏み外しても、あるのは新たな道だけだ」


 若野と田崎がコーヒーを一口含む。やはり苦味が舌の上を走る。若野はそれに不満そうにし、田崎はそれに顔をしかめる。

 若野は天井を見上げて、溜息のようにと呟く。


「自分を完璧に説明しろと言われて出来る奴はよっぽどの馬鹿か、やっぱりよっぽどの馬鹿だけだ。でもあいつは出来るだろうさ。だからやはり、あいつは馬鹿なんだ」

「そうですね」

「馬鹿に付き合うには馬鹿になる必要がある。馬鹿には馬鹿がお似合いだ」

「なら私も馬鹿ですよ」

「そうか」


 コーヒーを一口。若野のカップは空になり、田崎の方のカップはまだまだ残っていた。


「お前も本当に馬鹿だな」

「それが惚れた弱みでしょう」

「男が言うセリフだろう、それは」

「男女平等社会ですから」


 田崎だけコーヒーを一口。やっぱりコーヒーは無くならない。田崎は机の脇にある、スタンドに刺さったシュガースティックを鷲掴みに抜いた。びりっと端を破いて、順に全部黒の中に溶け込ませていく。じゃりじゃりと音のしそうな、コーヒーもどきが出来上がった。


「甘過ぎる位が丁度良いんですよ」

「奇遇だな、私も甘党なんだ」

「じゃあなんでブラックを飲んでるんですか?」

「次に甘い物を食べた時に、甘さが引き立つからな」


 若野の言葉に田崎は笑った。楽しそうに笑った。若野も笑った。嬉しそうに笑った。


「そろそろ帰ります。いつまでも部屋を空けるのも不味いですから。コーヒー、ごちそうさまでした。近いうちにまた遊びに来て下さい」

「行かないよ。姉とは折り合いが悪いんだ」

「母はそう思っていないようですよ?」

「そうか、なら勘違いだ。昔から姉とは仲が良い」

「それじゃあ、また」

「ああ、溢れんばかりの恋をしてこい」


 白黒入り混じった半液体の砂糖を底に残して、田崎はコーヒーカップを置いて行った。若野のカップには何も残っていなかった。


 

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