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ヒロシマ・シティ・ブルース(6)


 日が傾き、夜が訪れた。

「アリサはまーだ戻らんのんか」

 ナガレカワ・ストリートのわきにあるメイン・アーケード街、その中の会員制ネイルサロン。シキシマはそこで、左義椀の爪に、ネイルをしてもらっていた。ラメ入りの血のような赤いカラージェルを、均一に鋼鉄の爪に塗っていく。女子力の高さは、ヤクザの品格に直結する。この時代、ジェルは化学薬品扱いになり、違法すれすれだ。当然取引金額も高く、堅気の女子には手の届かぬ贅沢である。

「へい。カシラのことですけ、その……カオルを」

 ポリバケツ頭の女が、少し言いづらそうに言葉を濁した。

「直結データ交換かいや。好っきゃのう、あのアホも……」

 口ではそう言いながらも、シキシマはアリサを買っている。言動は軽薄、行動は異常、喧嘩で手を出すのも早い。だがそれでも、毘沙門一家という暴力組織においてアリサは別格だ。

「のお、姉さん。白系統のカラーでラメグラデしてくれや」

「かしこまりました」

 丸箱にネイルサロンのステッカーを貼った彼女は、シキシマのお気に入りだ。彼女はこのサロンに多大な投資をしている。その過程で、シキシマの不興を買い『犠牲』となったネイル・アーティストも少なくない。高級ネイルサロンを持つことは、それだけ同じヤクザや友好相手にネイルアートを格安で施せることを意味する。極道の力の証なのだ。

「ケイコ。まあ、順番が変わるかもしれんがの、わしゃもうえっと待ったのう。ほうじゃろうが?」

「へい。オフクロは十分待たれましたで」

 ケイコと呼ばれたポリバケツ女は、派手な白ジャケットの襟を正しながら、静かにそう組長に述べた。ただした襟と中のシャツの間から、肩に吊ったホルスターと物理拳銃が見えた。

「じゃったら、わしがこれ以上お前に何か言わんといけんと思うか?」

「思いませんわ」

「なら、ちゃっちゃとやりや」

 ケイコは深くお辞儀をしてから、そのネイルサロンを去っていった。ネイルアーティストには、なんのことかさっぱり分かるまい。よもや分かったとしても、彼女は理解しようとは思わない。この店で、シキシマの爪にネイルアートを施すのは、そういうことだ。知らぬ存ぜぬをつきとおし、見ざる言わざる聞かざるを徹底する。それが極道との付き合いと言うものだ。

 赤いネイルが、まるで血の池のようにシキシマの爪に広がる。それは彼女が他人に流させてきた血そのものに思えたが、賢いネイルアーティストは無心で今度は人差し指の施術に取り掛かった。





 カミヤス・タウンの小さなビジネスホテルに、カオルはチェックインしていた。階段を上がってすぐ、二階の部屋。ごろりとベッドに寝転がり、腰の違和感に手を伸ばす。物理拳銃。そしてカネモトからもらったマガジン。それをベッドのそばのサイド・テーブルに転がすと、なんとはなしにホログラフィ・テレビジョンをつけた。早速、スミキ興業での発砲事件が取り上げられている。それに、SNSからのレスが小ウィンドウでポップアップし、画面を埋め尽くした。

 世の中はなんと複雑な事だろうか。

 カオルは丸箱に置換できなかったころ、こうしたネットワークからも断絶されていた。丸箱には、常時ネットワーク回線につながる機能がある。もともとは健康管理のためのものだったが、すぐに娯楽のための機能に転じた。あらゆる事柄に、あらゆる人が反応する。しかしその一方で、すべての事柄、人にあまりなく反応することはない。必ず、どこかで誰かが、何かが反応もされず忘れ去られる。

 では、それは初めから存在しなかったことになるのだろうか。

 極道の世界において、目立つこと、認識されることは重要だ。矜持を失ったヤクザは、食っていくことすら難しい。仁義が軽視される世の中でありながら、仁義と侠気を見せられなかった極道は、放逐される。まるでそのような人間は存在しなかったかのように。

 スミキもいずれ、忘れ去られてしまうだろう。何も行動を起こさなければ、自分も。カオルは獣のように、それでいて極道のように思考の糸を伸ばしていき、結論を出した。

 オフクロを忘れさせない。逆にオフクロを殺したやつらの存在を、一人残らず忘れさせてやる。

「引き続き、天神会系安佐組関連のニュースを──」

 ニュースがまた戻ってきた。思考の海から──もっともカオルの海は極めて狭いのだが──戻ってきたのだ。そして彼女は、自分のマスクに着信が来ていることに気付いた。ホロ・ディスプレイに、メッセージ。ミキからだ。

「もしもし」

「カオルかや」

「……誰じゃ、わりゃ」

「ミキの端末をつこうて、お前に連絡しとるもんよ。起きとるか? 今から遊びに行くけんの。逃げんなや?」

 ぶつり。メッセージが切れると同時に、カオルに悪い予感が巡る。ミキは三下だ。何も知らぬ。カネモトが知っていたようなことも知らないし、自分の行き先も告げていない。

 だが、ヤクザがそれで納得するか?

 私は何も知りません。何もしゃべれませんで納得するか?

 少なくとも自分はしない。

 どかどかと数人の足音。モーテル形式で外に階段がある。出入口はそこだけだ。囲まれている。ミキの端末を使って、自分の居場所を割り出すにしても、あまりにも早い。

 そんなことを考える頭脳があれば、カオルはそこで立ち止まっていただろう。彼女の頭脳には仁義の二文字だけが宿っているだけだった。目の前に敵がいるのならば、すべて蹴散らしてしまえばよい。ベルトに拳銃を差し込み、マガジンをひっつかみ黒ジャケットを羽織る。ノック。扉にゆっくりと向かう。直後、カオルはドアを蹴飛ばし先制攻撃! 巻き込まれ、二階からヤクザが一人扉ごと転落! 飛び出した直後、目の前から座椅子頭のヤクザが拳を振りかぶり、右ストレート! 本能的に左掌でそらすと、右こぶしを座椅子頭の背もたれにぶち込む! きりきりと背もたれが跳ね上がる! すかさずもう一撃! ボキボキと骨格が砕け、座椅子の背もたれが後ろへ完全に折れ、そのままもんどりうって倒れた!

「カオル、こんボケがあ! チェックアウトできると思うなや!」

 少し大きめの丸箱達が、狭い廊下に殺到し怒声を挙げる。ヤクザが常人に紛れるときに使う、ダミーを身に着けているのだ。すかさずカオルは外廊下のてすりを掴み、思い切って飛び降り、止まっていたリムジンのボンネット上で一回転!  スプレー缶型マスクの運転手のジャケットの襟をぐいと掴み、引きずり出すと、そのまま乗り込む!

『音声認証願います』

 地面に転がっていた運転手が、ドスを抜いてカオルを突き刺しにかかる!

「ボケコラ! 死にさらせや!」

『音声認証完了しました』

 カオルは直後、運転席のドアを勢いよく閉め、運転手の手を押しつぶした! 一回、二回! 金属音。落ちるドス。二回目で頭まで巻き込まれた運転手は、べっこりとくの字に凹んだスプレー缶マスクごと地面に横たえた。アクセルをふかし、一階に降りてきていた数人のヤクザを跳ね飛ばす勢いでエンジンをフル回転! 銃声と怒声が混じったホテルを後にした。

「ミキ」

 運転しながら彼女が考えたのは、ミキの消息であった。胸騒ぎがした。ミキはバカで喧嘩っ早い、まさしく三下の妹分であったが、スミキと同じく大切な家族の一員であった。

 また失ってしまったのか。また忘れ去られてしまうのか。

 カオルはアストロ・モノレールを頭上に、夜のアサミナミ区を走らせる。毘沙門一家──シキシマユカノの元へ。

 握りしめていた拳から、血液置換オイルが流れ出ている。赤信号。ブレーキ。テールランプの光線が流れていく。手を開くのに苦労する。夜の色。暗い血の色。何かが、掌の中に握られている。

「金バッジ……」

 直後、はかったようにニュースが流れる。最悪のニュース。思考の海──むしろ池と言うべきではないか──をかき乱す、最後のニュースを。

「繰り返します。速報です。先日亡くなった安佐組組長の夫、アサ・ハイジロー氏が、サンヨウ高速道で自動車事故に巻き込まれ、死亡が確認された模様です──」


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