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ヒロシマ・シティ・ブルース(5)





 ナガレカワ・ストリートの外、ホンドオリ・ディストリクトまで出てくると、歩く人間が全く違ってくる。身なりの良いビジネスマン、旧世代型のままメンテされずに、死を待つばかりのホームレス、丸箱に共通のホロ・ワッペンを張り付けた学生。まるで異世界だ。だがこれがヒロシマ・シティだ。

 レトロ・ロメン・トレインから行けば、毘沙門一家の事務所は近いはずだ。この場所からタクシーはなかなか捕まらない。ホログラフィックで浮かび上がる信号機が赤に変わったのを見て、カオルは道路中央にあるロメン・ステイションへ向かおうとした。

 その時であった。重厚な黒いボディに走るサイバー・ブルーの光。あからさまに大きく横柄なリムジンが、カオルのすぐそばに急停車した。扉が開く。中から声。

「乗らんかい」

 カオルには選択肢があった。乗るか、乗らないか。彼女は足を踏み出し、予想外にラグジュアリーな空間へ入り込む。ブラウン管式テレビジョンディスプレイのマスク、高級ダーク・スーツの女が、ホロ・ウィスキーのデータを取り込んでいた。

「カネモトのオフクロさん。ご無沙汰しています」

「おう。……前の幹部会以来じゃの。飲るか?」

「いえ……」

 安佐組若頭。名実ともに、次期安佐組々長の座に近いことを意味する。ナンバーツー。それ以上に、カオルは彼女にスミキに次ぐ尊敬を抱いていた。スミキは、安佐組の中でも末席に近い扱いを受けていた。シノギの規模も、シマ内にある十数軒ある飲み屋から、おしぼりの納入をしている程度だ。こと毘沙門一家の規模に比べれば、天と地ほどの差があるだろう。

 カネモトはそうしたシノギの大小で、何かを決めつけることをしなかった。仁義。筋を通したか、否か。もはや極道の世界においても古臭い価値観とみなされても仕方のない堅物さを、アサ組長もスミキも信頼していた。

「極道の世界に信頼なんちゅうもんは無い。わしらは喰うか喰われるかじゃ。毎日が化かし合いなんじゃ。ほいじゃがの、何かあったら、カネモトのオフクロを頼りんさい。極道は、最後に裏切らん人間だけが信じられるもんなんじゃ」

 スミキの言葉が脳裏によぎる。リムジンはゆっくりと、動いたかどうかもわからぬほどスムーズに動きだす。ヒロシマ・パシフィコ・カープスの、はるか昔の本拠地のモニュメントに、ソーゴ・デパートメント。グラウンド・ゼロ・パーク。

「お前が無事で、まず良かったわ。シキシマめ、あの色ボケ女を差し向けた言うて聞いての。わしゃ肝を冷やしたで」

「ご心配おかけしまして、えろうすいません」

「ええんじゃ。詮無い事じゃけえの。……カオル。お前が何言うても、このままお前は基町会でガラを預かるけんの。シキシマは、お前のことを喉から手が出るほど欲しがっとる」

「……カネモトのオフクロさん。それがよう分からんのですわ。なんであがあにわしのガラを欲しがるのか、分かりません」

 カネモトは、テレビジョン・ディスプレイに『郷愁』の二文字を浮かび上がらせながら、窓の外を見た。鳩が飛び去っていく。平和の象徴。歩く丸箱達。管理社会の犠牲者たち。

「……お前は、おっちゃならん人間なんじゃ、カオル。こと今の安佐組においてはの」

「どがあな意味ですか」

「お前、親の顔を見たことあるんか。……腹あ痛めて産んでくれたほうじゃ」

「一度も」

 カオルは産まれた時から一人であった。ヒロシマシティの北部にある、ちいさな孤児院に捨てられた彼女は、親の愛も知らなければ、丸箱に置換できなかったことから満足のいく教育も受けられなかった。自分にとって真に親と言えるのはおそらく、スミキただ一人だった。そんな彼女ももうこの世には存在しない。

「そうじゃろうのう。それには、理由がある。……お前の母親はの、亡くなったアサ組長その人なんじゃ」

「組長が、わしの母親……?」

 テレビジョン・ディスプレイに砂嵐が起こり、ノイズが走る。それはカネモトの動揺そのものであった。

「組長とハイジローのオヤジさんの間には、子ができんかった。それはみんな諦めとった。しかし、アサ組長はあれだけの器量じゃ。男もほっとかんかった。ヤクザが男遊び女遊びするのは、当然の事じゃけえの。ハイジローのオヤジさんも、それは了承済みだったんじゃ。……じゃが、アサ組長も女に違いなかった。男遊びの結果、妊娠して──その子を産むことに決めた。それがお前なんじゃ」

 告白はそれで終わった。カオルはうつむいたまま、膝の上で手を握りしめていた。親が無いことで迫害を受けたことも一度や二度ではない。自分を捨てた親に復讐しようと考えたことも何度となくある。だがそんな母親は、自分を『ナマモノに産んだ』と憎んだ存在は、既に失われていたのだ。むなしかった。

「シキシマのところに行くつもりなんじゃろう。車に乗せる前のお前は、そんな雰囲気じゃったわ。じゃが、いかん。お前はアサ組長の血を引いとる以上、シキシマはお前を追いかける。お前をバラすか、言う事を聞かせるかすれば、自分が安佐組組長になる特急券を掴むことになるんじゃけえの。逃がすわけないわい」

「カネモトのオフクロさん。わしゃ、あんたの言う通りシキシマをバラしに行くところじゃったんじゃ。じゃがの……わしゃ、わしゃ、分からんようになってしもうた。停めてくれ」

 運転手にそう声をかけ、止まったリムジンの扉を開けると、ふらりと外へ出た。既にアサミナミ区まで来ていた。ヒロシマシティ中央区に働きに出るサラリーマン達の、閑静なベッドタウンだ。

「カオル」

 カネモトは強く彼女を引き留める代わりに、復讐者に何かを投げ渡した。カオルは振り返りもせずに、それを受け取った。見るとそれは、銃のマガジンであった。十二発入っている。

「持っていけや」

「オフクロさん」

「スミキからよう聞いとった。こうと決めたら、もう曲げやせんとのう。アサ組長とそっくりじゃ、そういうところは。じゃが、身を守るもんが必要じゃろ。そのベルトに挟んだ拳銃に入れる弾くらいはのう。……ほいじゃが、時間はないで。逃げ場も、たぶん無いじゃろう。いつでもええけえ、わしに連絡しんさい」

 リムジンは静かに去っていった。カオルはテールランプが見えなくなるまで、ずっと頭を下げていた。ぐちゃぐちゃになった電脳が重くなったように感じられた。カオルは歩き出した。アストロ・モノレールが頭上を走る音を合図にして、彼女はあてどない旅へと踏み出した。思考の旅を。復讐の意味を考える旅へと。

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