ヒロシマ・シティ・ブルース(4)
アイロン型のマスクに呼応するように、両腕から高圧高熱スチームが噴き出す。アリサの両腕は戦闘用義肢に置換されている。だれにケジメをつけるように言われたわけでもない。彼女がそうした理由はただひとつ、それでより多くの喧嘩に勝てるからだ。アリサは右腕を振りかぶった!
高圧スチームがピストン駆動し、シリンダーを打ち出す! さながらそれはかつて存在した、工事用杭打機のごとく、上腕部を打ち出した! カオルからみれば、繰り出されたパンチがまるで伸びたように感じたことだろう。事実、彼女の上腕部は伸びたのだ。そしてカオルの鋼鉄製マスクの頬をかすめた。スリット状のバイザー部分に宿る赤いバイオ・センサーが、アリサの高速ピストン・パンチを察知し、首をそらすことで直撃を避けたのだ。カオルはそのまま地面に手を付き、鋼鉄製ヒールでアリサの顎を打つ。こちらは直撃! 鋼鉄製同士がぶつかり、重苦しい共鳴音があたりに響き渡る!
「ミキ! 逃げえ!」
カオルの叫びに、ミキはびくりと体を震わせた。無理もない。スミキが死んだことで、自分に行き場所が無いと思い込んでいるのだ。しかしそれは、今後生きていればという前提に立ってのことだ。アリサがこうなった以上、ちょっとやそっとのことでは止まらない。少なくとも抵抗をやめれば、カオルもミキも、命はない!
「姉貴!」
「ええけえ逃げんかい!」
「わりゃ、よそ見しおる暇あるんか、カオルゥ!」
アリサはごり、と首をひねりながら、今度は左手を振りかぶり、伸びた拳をカオルのマスクに叩きつけると、床にめり込ませた! あまりの衝撃に、床に放射状のひび割れが生まれ、窓がすべて衝撃波で砕けて割れた! ミキはよろめきながらも壁に手をつきながら、姉貴分の言うことを正直に聞いて、事務所から脱出!
「おう、ガキの一匹二匹、いくらでも逃がしたるわァ。ほいじゃがのう、カオルよゥ……お前だけは逃がさんでえ」
再び右腕を振りかぶり、高圧スチームがマスクから、腕から吐き出した!
「オフクロには、連れてこいとだけ言われとる。つまりはそれ以外はなあんも知らんいう事よ。つまり……お前とワシで、直結データ交換で決まりじゃ」
直結データ交換! 侮辱的かつ恥辱的な言葉である。この日本においてそれは、性行為の完全代替行為として認知されている。アリサは直結データ交換をカオルとするために、これまでありとあらゆる事を仕掛けてきたが、こんな時にまで迫ってくるとは。
カオルは電脳が揺らぐような思いを抱きながら、振り下ろされようとする右腕にヒールで蹴りを入れ、そのまま腕に両足を絡め強引に上体を起こす!
「なんじゃあ? カオルゥ、お前の足はスラっとしとって羨ましいのお」
「伯母貴、ぺちゃくちゃ喋っとる暇があるんか!」
直後、アリサはピストン・パンチを暴発させながら腕を振り、カオルを強引に振りほどく! 主を失ったデスクにカオルは叩きつけられごろりと転がり、その影へと落ち姿を消した。ソファーを薙ぎ、観葉植物を乱暴に倒しながら、アリサは隠れているカオルの元に向かう。アイロン・マスクの首裏から物理ケーブルを引き出しながら。
「あるでぇ~、カオルゥ。お前、直結データ交換したことない言うて聞いとるでェ……これがもう一回ヤッたら、病みつきになるんじゃ。お前によお教えた」
銃声。アリサはゆっくりと銃声の先を見下ろした。すなわち自分の胸、ドレスシャツに咲く赤い花の存在を。アリサはため息のようにしゅう、と残りの蒸気を吐き出すと、赤い花に触れた。べったりとつく、血液置換オイル。つんと香る鉄の臭いと、油の臭い。アリサはゆっくり壁に背中をつける。彼女は、硝煙立ち上る銃口を見た。物理拳銃を握るカオルの姿を。
「カオルゥ……痛いで、ボケがァ……」
カオルは立ち上がり、さらにアイロンマスクに銃口を押し付けた。極道として、彼女は殺されたスミキの仇を取らねばならなかった。それがヤクザの取るべきケジメだ。そのためには、何が立ちはだかろうと排除せねばならぬ。それがたとえ、世話になったことのある、姉貴分だとしても。
「伯母貴、かんにんしてつかあさいや。わしゃ、スミキのオフクロさんの仇をなんとしても取らにゃならんのじゃ。ほいじゃけ、死んでもらわんといけん」
「ほうか。……シキシマ会長は、毘沙門一家の事務所におるはずじゃ。あとは、好きにせいや」
アリサはぐったりと血液置換オイルに塗れた手を広げた。トリガーに指はかかっている。スミキの机の下に、乱暴にテープで張り付けられていた物理拳銃が、カオルの命を救った。そして、今ここでアリサの命を奪うだろう。
アリサは毘沙門一家の幹部だ。彼女を殺せば、間違いなく毘沙門一家はカオルを、ミキを殺しに来る。全面戦争だ。しかし、そうなっても、カオルは仇を取らねばならなかった。彼女はクレバーな未来を夢想できるほど頭が良くなかったし、そもそもそんな未来を望んでいなかった。
自分が望んでいるのは、自分が自分らしくある未来だ。それはすなわち、血を血で洗う、ヤクザがヤクザでいられる世界だ。
スミキは言った。暴力が得意な者には、暴力が得意な者のための仕事があると。ならば、自分には暴力しかない。その道を指し示してくれたスミキに報いるには、復讐しかない。
トリガーを引いた。弾は出なかった。マガジンを取り出し確認すると、弾は入っていなかった。チャンバーに入っていた一発だけが、アリサの胸を貫いたのだ。
「……殺さんと、後悔するでぇ、カオルゥ……」
「この銃は、もう弾が出んのですわ」
「ほうかァ……痛いのう、ほんまに」
「勘弁してつかあさいや、伯母貴。……わしゃ、もう行かんと」
カオルは往く。空っぽのマガジンと、物理拳銃を携えて。復讐する対象はわかっている。毘沙門一家のシキシマ。やつだけを殺せれば、それで良い。
事務所の外へと出ると、いつしか見た透明な雨が降り始めていた。遠くサイレンの音が響いている。誰かがここのことも通報したのだろう。しゃがみ込んで、めそめそと泣いているミキの姿が目に入る。ミキは二十歳になったばかりだ。ヤクザの世界ではまだ、子供なのだろう。
「ミキ、逃げろ言うたやろうが」
「ほいじゃが姉貴、わしゃ、わしゃどこに逃げりゃええんじゃ? 家は事務所じゃったのに、のうなってしもうた。オフクロはもうおらん。姉貴までおらんようになったら、わしゃ、どうすりゃええんじゃ」
カオルはミキの顔を掌で包みながら、優しく言った。それは彼女と言う人間が最後に残していた、やさしさの断片であった。
「わしの事は忘れんさい。わしゃ、いかんにゃならん。お前は連れて行けん」
「姉貴」
「わりゃ、姉貴分の言う事が聞けんのんか。頭が悪い言うて、そんなことも分からんのんか!」
カオルの凄みに当てられたのか、ミキはその場にへたり込んだ。ミキは組の事は何もわかっていない三下だ。シキシマの狙いは自分だとも聞いている。そもそも彼女が狙われるようなこともあるまい。
カオルは行く。ろ過装置を通され、不純物の無い透明な雨の中を、空っぽのマガジンと物理拳銃を持ち行く。殺人のために。復讐のために。