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ヒロシマ・シティ・ブルース(3)




 一晩経っても、スミキは戻ってこなかった。

 カオルはミキと一緒に事務所で眠れぬ夜を過ごした。猥雑なネオンサインが消え、遠くレトロ・ロメン・トレインの音が響く。昨晩、野球チームのヒロシマ・パシフィコ・カープスが負けたらしく、大量に投げ捨てられたホログラフィ・メガホンが自動圧縮処理アポトーシスを起こしながら0と1に分解されていった。酔っ払いが循環分解処理を仕切れなくなったアルコールデータをげろげろと吐き出し、それもメガホンと同じく自動圧縮処理をかけられ消える。このヒロシマ──いや日本においては、すべてのホログラフィ・オブジェクトに自動圧縮処理プログラムが組み込まれている。実態なくとも形あるものは、いつか勝手に消えゆく。アサ組長はどうだろうか。彼女が消えることは、果たして決まっていたのか、そうでないのか。窓の外から聞こえる猥雑ないつものナガレカワ・ストリート。カオルもミキも、そのような上等な事を考えられる頭脳を持ってはいなかった。彼女らはスミキ興業に所属するヤクザだ。ヤクザが考えるのは、もっと別の事だ。

「姉貴。わしらはいったいどうなってしまうんじゃろうか」

 応接用ソファに腰かけ、うつむいたまま、ミキはぽつりと言った。

「なあんもかわりゃせん。頭が変わっても体はおんなじ、かわらんのじゃけえのう……」

 カオルは電子タバコを取り出すと、迷わず咥え、水蒸気をふかした。彼女は爪はじき者であった。堅気の世界でも、ヤクザ社会の中でも、彼女の居場所は少なかった。それは、彼女の持つ黒髪──唯一マスクでも置換できなかった部位に起因していた。

 彼女の黒髪は、正真正銘彼女の生体由来のものである。カオルには先天的に丸箱へ置換するための電脳手術に、拒否反応が出てしまうのだ。まともな教育も受けられず、行政サービスからも見放された彼女は、マスク置換手術に一縷の望みを託した。

 固められ、アリのはい出る隙間のない完璧なシステムほど、それを破る者のうまみは増す。丸箱への置換より、マスクへの置換手術のほうが、より完成した技術形態と拒否反応への対策が練られていたのは確かであった。

 それでも、彼女のつむじから後頭部にかけての部分に、やはり拒否反応が出てしまうことが判明した。電脳への置換は、途中でやめられない。事実彼女の生身の脳は、その時点で電脳にデータ移行が完了してしまっていた。

 後戻りできぬ事態に困惑しながらも、執刀医は電脳化を強行した。マスクへの置換自体は問題なく完了したものの、彼女は不完全なマスクをもって生きざるを得なくなった。『ナマモノのカオル』。生体由来の美しい黒髪は、ヤクザ社会においてはマスクをつけるという覚悟を持たぬ女であると蔑まれた。

 むろん、カオルはそうした言説をすべて手足を使って叩きのめした。語るだけの学も口も無い以上、彼女は暴力に頼らざるを得なかったのだ。

 救いようのない乱暴者に、ついてくるものは少なかった。正道な世界に戻ることはできない。かといって、ヤクザ社会にも居場所が無い。カオルは自暴自棄になり、喧嘩に明け暮れるようになった。

「姉貴、わしゃここを追い出されたら行くとこなんか無いで。わしゃ頭が悪いけえ、どこの親分も拾ってくれん」

「オフクロはわしらをほっとかんけえ安心せえ」

 それはカオル自身に言い聞かせるような言葉であった。かつてスミキは何も言わず、ゴミ捨て場──置かれたオブジェクトが十二時間動かない場合自動圧縮処理をかける場所のことを指す──に放置されたカオルに手を差し伸べた。ろ過装置によって完璧に不純物が取り除かれた透明な雨の中で、スミキはわざわざ高級PVC傘を差しだしながら、言った。

「ナマモノだと風邪を引かんのか?」

「誰じゃ、われ」

「わしゃ、こういうもんよ」

 手のひらほどのサイズの大きな名刺。スミキ興業代表取締役、スミキユウコ。裏面には、金箔押印刷された『一蓮托生 生涯仁義』のスローガン。ヒロシマ・アウトローの世界に身を置く者ならば、一度は目にする天神会の掲げる題目。

「ヤクザもんかや。わしゃ、安佐組のヤクザを殴ったけえ、目ぇつけられとる」

「わしゃ、お前の味方よ。カオル、言うそうやの。お前、いっぺんわしのとこで仕事してみんか」

「わしができる仕事なんかあるかいや」

「ある」

 飴頭の女は、自分が濡れるのも構わず、傘を畳んだ。透明な雨はいまだ地面を打ち続けている。ひときわ強い雨が降り始める。

「頭がええやつには、頭がええやつの仕事がある。腕っぷしが強い奴は、腕っぷしの強い奴のための仕事がある。安佐組でも、ここらでわやしよるやつがおる言うてお前、有名人で? わしが仕事くらいいくらでもつくっちゃるけえ、来いや」

 マスクに置換した人間に、もはや涙は流せない。ただ、流れ落ちる透明な雨は、確かに彼女の感情を代替していたと思う。たしかにあの時、カオルは泣いたのだ。




「誰か、おるか」

 横柄な声が事務所に響く。そっけない鉄の扉を叩く者の正体に、カオルもミキも覚えがあった。

「……アリサの伯母貴じゃ」

 ミキは慌てて鉄の扉を開く。大昔の鋼鉄製アイロンを象ったマスク、派手なピンク迷彩のジャケット。豊満な胸をみせつけるように、胸元が大きく開いたドレスシャツに、七分丈のスキニー。天神会系安佐組、毘沙門会若頭のアヤノコウジ・アリサ。武闘派と名高い毘沙門会でも、トップクラスの血の気の多さと有名な超武闘派ヤクザである。

「おう、邪魔するで」

「アリサの伯母貴、いつぞやはこのミキがご迷惑をかけました」

 ミキは、名目上カオルの舎弟である。姉貴分たるカオルには、誰かに釘を刺される前に、率先して非を認めるのも仕事である。それが極道の流儀なのだ。

「カオルゥ……なんや、なんやァ。お前にそういうこと言われるとのう、わしゃなァんも言えんようになってしまうんじゃ」

 そういうが早いが、アリサはカオルの腰に手を回し、豊満な胸を彼女に押し付けるようにしながら言った。どうやらアリサはカオルに初めて会った時から彼女をいたく気に入っているらしく、ことあるごとにこうして体を密着させてくるのだった。

「伯母貴……そういうのは、今勘弁してつかあさいや」

「なんじゃァ、ほんまにつまらんやっちゃのう。……ほいじゃが、こうもしとれんわ。お前ら、ニュース見たんか?」

「ニュース……わしゃ、公共放送はえっとみんのです。アニメはよう見ますで」

 ミキがそうなんとも間抜けな事をぬかすので、カオルは狐面をこづきながら、ホログラフィ・モニターのスイッチを入れた。

ニュース・チャンネルには、殺人事件のニュースが流れていた。

『昨晩午前二時、カミヤ・ストリートのレストランで、指定暴力団安佐組傘下、スミキ興業社長・スミキユウコさんが殺害される事件が起きました。調べによりますと、犯人はレストランで食事中のスミキさんに銃を二発発砲し、殺害したのち逃亡、現在も拳銃を所持したまま逃走中の模様です──』

 時が止まったような気さえした。

 カオルも、ミキも、すべての指針を失ったような、ぽっかりと空いた喪失感に飲まれそうであった。スミキはもういない。殺されたのだ。何者かによって。

「カオルゥ。……ぼーっとしとるとこすまんがのォ、ここで、腹ァ括ってもらわないけんのんよ」

「……アリサの伯母貴、勘弁してつかあさいや……。わしゃ、オフクロを失のうたんじゃ。括る腹もあらしませんで」

 カオルは、血液置換オイルが滲みそうなほど、拳を強く握りしめていた。親を殺されたヤクザがとる行動は一つ。復讐だ。討つべき仇はどこにいる。どこにいようと見つけ出し、くびり殺す。

「……スミキのオフクロさんを殺したんはの……うちのオフクロ、つまりシキシマ会長なんじゃ」

「……伯母貴、そりゃ、本当なんか」

 アリサはふう、とため息をつきながら、わざとらしい態度で続けた。この女だけは読めない。アイロンのマスクは伊達ではない。瞬間的に沸騰し、暴力に走ったかと思えば、こうしてへらへらとした態度に出ることもある。

「おお、そうじゃ。……ほいでの、わしゃ、お前らに聞かんにゃならんことがある。スミキのオフクロさんが死んだ今、カオルゥ……お前の身柄を、毘沙門会で預かる言う話があるんじゃ」

「断る、言うたらどがあにするんじゃ、伯母貴」

 再び、アリサがふうとため息をついた。アイロン型マスクの蒸気口から、地獄のように熱い蒸気が噴き出す。毘沙門会一の武闘派が、牙を剥いたのだ!

「そりゃ、決まっとるわ。……しばき回して連れていくで、カオルゥ!」


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