ヒロシマ・シティ・ブルース(2)
安佐組事務所、大会議室。天神会直系組織ともなれば、傘下組織の総人口は三千人を超える。そしてその組織を構成するための幹部たちの数も多数だ。二十人を超える幹部会。その中に、スミキ興業社長、スミキ・ユウコの姿もあった。ユウコのマスクはアメを象ったものだ。ダークスーツに身を包んだその胸は豊満であった。
「カシラ。……わしら、オフクロの体がえっとよう無かった言うんは、えーっと聞いとらんかったでえ。こら、どがあなこっちゃ」
居並ぶ幹部衆にいの一番にくぎを刺すような一言を放ったのは、天神会直系安佐組の若頭補佐にして、武闘派組織として有名な毘沙門一家を率いる女、シキシマ・ユカノだ。タイガーストライプ柄の派手なスーツ。遥か昔に使われていたという、電熱トースターの象ったマスク。そしていびつなほど大きな左義腕。一度、シノギの失敗で、安佐組長から左腕を肩からツメる羽目になった証だ。この時代、機械式の義肢は珍しくない。ヤクザの世界において、抱えた罪の大きさをツメる部位の大きさで清算させられることは普通の事だ。旧時代は、指を詰めるといった行為で済んでいたことも、今では児戯としか扱われない。
「シキシマ、口を慎みんさい」
安佐組若頭、基町会会長カネモト・ケイの鋭く重い言葉が、会議室を貫いた。ブラウン管式・テレビジョンディスプレイを象ったマスクに『任侠』の二文字が映り、砂嵐の中に消える。
「なーにが慎めじゃ。わしらはみんなオフクロの子じゃろうが。子が親の心配をしちゃならんのんか。のう、みんな」
「そこまでにしたらんかい。ふうが悪いやつじゃの」
シキシマの言葉に苦言を呈すように、会議テーブルの最奥に鎮座する、車椅子の男──柱時計型のマスクに置換し、振り子が絶えず揺れている──が言った。
「シキシマの。お前が言いたいんは、要は組の跡目が誰になるかいうことじゃろうが。わや言うなや。今日の今日で分かるかいや」
「オヤジさん……」
安佐組組長、アサ・ノブヨは優れたヤクザ女傑であり、賢い妻であった。しかし彼女は子供にだけ恵まれなかった。ノブヨの夫──ハイジローは、こうした事態を長年危惧し続けてきた。後継者の不在が、安佐組の崩壊を招く。それは過去どんな組織でも起こってきた、今後起こりうる未来であると言えた。
そして今その未来は、今ここに確定しようとしている。
「なん言うてもたいぎい事ですけ、意味ありませんわ。なんぼオヤジさんが言う事でも、安佐組の代紋掲げとる以上、安佐組の今後の事を考えんといけんじゃろうが」
シキシマが横柄に腕組みをしたとたん、トースト型のモジュールが勢いよく穴から立ち上がる! トーストの耳部分には威圧的な『仁義』の二文字がプリントされていた!
「シキシマ。ええ加減に……」
たまらずカネモトが立ち上がろうとするのへ、ハイジローがそれを制した。もはや見ていられなかった。かつて愛した女が作った組織が、崩壊していくのだけは耐えられぬ。
「そがあに言うんじゃったら、しょうがないわい。ノブヨが死んだ今、組長代行はわしじゃ。……二代目組長については、もともと候補がおったが……、こうなっては本家預かりにしてもらうつもりじゃ。天神会会長からの決定なら、全員文句はないじゃろうが」
吐き捨てるようにそう述べると、ハイジローは部下に車椅子を押させて、そのまま退室していった。
後には、呆然となったまま黙り込む幹部衆が残された。
スミキは嵐の到来を予感していた。
天神会の中でも飛ぶ鳥を落とす勢いであった安佐組が、跡目争いによって間違いなく二つに割れる。
一方は、若頭のカネモト率いる穏健派。ナガレカワ・ストリートを中心に、堅実なシノギによって確実に実力を積み重ね、安佐組躍進の原動力となった一派である。
対するは、若頭補佐シキシマによる急進派だ。何を隠そう、生前のアサ組長にナガレカワ・ストリートからの外国人マフィア集団排斥を提案したのは、他ならぬシキシマであった。当時のアサ組長はシキシマにその指揮を任せ、目論見は見事成功した。血で血を洗う抗争の果てに、ナガレカワ・ストリート浄化作戦は成功。外国人たちがやっていたシノギのほとんどが、安佐組の──シキシマ一派の懐に入り、その功績から彼女は若頭補佐のポストを得たのであった。
「おう、スミキの」
「こりゃ、シキシマの伯母貴……」
退室しようとしていたスミキに、シキシマは声をかけた。確かにかつてスミキは安佐組預かりの時代、シキシマと親しくはしていたが、ヤクザは実力社会である。シノギの大きさ、組織の大きさ、どれをとってもはるかに各上だ。かなう相手ではない。
「久々にあったんじゃ。どうじゃ、女子会にでも洒落込まんかい」
「ほいじゃが、伯母貴。オフクロが亡くなったばかりで、わしゃそんな気には……」
シキシマのトースターから、勢いよくトースト型のモジュールが立ち上がる! 耳部分にプリントされた仁義の二文字が、威圧的にスミキを見下ろす!
「わりゃ、わしらは兄弟分のようなもんじゃろうが。おん? それともなにかや。わりゃわしとは酒の一杯も飲めん言うんかい」
スミキは飴のリボン部分を思わず垂らしてしまいそうになる。あまりにも威圧的。ヤクザは上下関係に厳しい。それは女ばかりの組織になっても、どれだけ未来にきたとて同じなのだ!
「スミキの。……オヤジさんのこと、どう思った」
「どう思った、言われましてものう……」
しゃれたテーブルの上に載せられた、ホログラフィ・キャンドルライトが、異形頭の女ヤクザを照らす。あでやかなカーテンで仕切られた小さな空間以外に、客の姿はない。ここはカミヤ・ストリートのはずれにある、隠れ家的イタリアンの店だ。ヤクザは洒落を解すものでなくてはならぬ。兄貴分に対し、しゃれた、可愛い、おいしく、ヘルシーな料理を出す店をすばやく提供する。もっとも現在では食事をとる意味も薄れつつあり、すべてがホログラフィデータを取り込むことで代替されているが、そこまで電脳化されても、視覚情報は重要視されるのだ。
女子会──それは、ヤクザの会合においてもっとも重要なファクターなのである。
「わしはこの通り、安佐組にお情けで置いてもろうとる身ですけえ。跡目じゃなんじゃ言うても、現実味が沸きませんで」
「お情け? 体のどっこも詰めとるわけでもない、お前がかや? ……それに、わしゃ知っとるで。お前のとこで食わせとる、カオル言うガキをのう……」
自分の体がびくっと震えなかったか、スミキは身構えた。シキシマは確かに武闘派だが、愚かではない。むしろ頭が切れる女だ。知っていてもおかしくない。
すなわち、カオルの正体を。
「のう。オフクロは、お前ンとこになんであがあなガキを預けたんじゃ? わしはのう、スミキの。オヤジさんがなんでわざわざ本部預かりにしたんか、もう見当がついとるんじゃ。あのガキの正体ものう。……どうじゃ、いっそのこと、わしに預けてみんかや」
「なんのことかよう分からんですで、伯母貴。……うちのもんがええ加減心配しとるかもしれんですけ、そろそろ失礼させてもらいますわ」
彼女は問答無用で立ち上がった。これ以上この場にいれば、いらぬ波風を立てる必要がある。それはアサ組長の意志に反するだろう。
「ほうか。……スミキの。この店はのう、パンナコッタがぶち美味いんじゃ。いく前に食っていけや」
「ほうですか……じゃが、そろそろ夜も遅いですけ、甘いもんは……」
その時である! 突然ダークスーツに身を包み、ポリバケツのマスクを被った女が乱入してきた。コックでも、ウェイターでもない。その手にはパンナコッタではなく、実弾物理銃!
「伯母貴!」
「勘違いすんなや、スミキ。わりゃ格下の分際で、姉貴分の言うことを無視できるくらいろうなったんか?」
銃声。銃声。銃声。まき散らされる血液置換オイル。瀟洒なカーテンをひっつかむが、スミキは立っていられず引きちぎりながら倒れ伏していった。
「ダイエットの前に、自分の命を気にせえや」