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姉と弟  作者: 之木下
8/10

08 受験結果とこれから



 母から電話があったと、姉から電話がやってきたのは、第一志望校から合格通知を受け取った、三日後の事だった。


『とりあえず、おめでとう』

「ありがとう」

 メールで既に終わらせた会話を前置きに、姉はすぐ本題へと入る。

『母から電話あったのよ。「あなたが一人暮らししたいなんて言わない様に、お姉ちゃんが同居をこっそり誘いなさい」って』

「こっそりは何処行っちゃったんだよ……」

 ダイレクトなお誘いだった。


 七音はこの冬、大学受験に成功した。一応滑り止めに地元での有名校にも受かってはいたのだが、やはり、七音が行きたいのは地元から離れた都会の大学である。

 地元から離れるということは、古くから慣れ親しんだ土地から離れ、右も左も解らない場所へと足を踏み入れる、ということ。

 両親は昔から七音に対して過保護で、逞しい姉は兎も角、『単身』地元を離れることに、酷く不安がっているらしい。


 それは七音にも理解が及ぶ範囲であり、想像も容易だった。

 姉は逞しく、一人で勝手に突き進み、そして成功を収める天才タイプの人間。それに対し、七音は大人しく、どちらかと言えば引っ込み思案な方である。勉学に対しても秀才型と言わざるを得ない。やっているからできるのであり、姉のように、宿題しかやらないけどそこそこの点数はとれます、みたいな人間には、七音は決してなれないのだ。

 周囲に足並みを合わせ、何となく進み、何となく丁度いい位置に収まるのが、七音の性質。

 そして、姉が強烈で逞しかった分、七音の大人しさに両親は不安を感じ、箱入り息子とは言わないまでも、酷く過保護な両親が出来あがってしまったのだ。


『で、どうするの、おと。あなたが一人が良いって言うなら、あたしは反対しないわよ』

「…………」

 七音も年頃の青年である。一人暮らしに憧れる気持ちも、無くは無い。

 正直、姉の説得があれば、七音が一人暮らしすることは、なんとかなる事案だろう。七音に対して過保護な分、七音は両親からの信頼が無い。そのかわり、放っておかれている分、両親からの姉の信頼は、一等の物なのだ。


「…………いや、いい。音々と暮らす」


 けれど、七音の結論は、実は最初から決まっていた。

『そう』

 姉はそれだけ答えると、受話器の奥から、カチカチという音を鳴らした。それは聞き覚えのある音で――どうやら、パソコンを操作しているらしと、七音は気付く。恐らく、マウスのクリック音なのだろう。


「あっ、でも、それに伴い、音々には引っ越しをしてもらわなきゃならないんだけど……」

 姉の訳あり部屋に住むには、七音の蚤の心臓では耐えられないこと請け合いだ。受験時の滞在では何事も無かったが、もしもあの場にいるせいで霊能力が開花し、見えない物が見える様になり、変な物にとり憑かれたりするようになってしまってはと想像するだけで、七音は胃が痛むのだ。


 ここで一つ訂正を入れるとしよう。

 七音はホラーが苦手なのではない。

 七音が苦手な物の基準は、『姉の物理で対処できそうにない物』なのだ。


 幼い頃から、七音は姉という世界の王たらん少女と寝食を共にして来た。そこには当然協力があり、喧嘩があり、必ずと言っていいほどの敗北が付きまとった。

 姉は七音にとって、越えられない壁で、必ず前を歩く存在。

 彼女こそが最強で、世界の真理は内閣総理大臣でも天皇でも、勿論神でも無く、総て姉の中に存在する。それが七音にとって、意識の底に固められた真実であり、姉すらも意図していなかった、軽い洗脳のようなものである。


 その姉が、勝てない物があるとすれば。

 それが七音の恐怖の対象になることは、最早当然であると言えるだろう。


『解ってるわよ。今調べてるの』

 姉は用意が良かった。


 スマホで探せば……と思った七音ではあったが、姉は未だに古い型の折り畳み携帯を使っているのだと思い出す。使えるのを買い換えるのは勿体ないという、姉の倹約によるものだ。


『2LDKで良いわよね?』

「……うん、俺はなんでもいい……」

 あの訳ありマンションとオサラバできるのなら。その他訳ありマンション以外なら、文句は言うまい。

『候補はこっちで挙げるわ。後で、父のパソコンにいくつか送っておくから、それを確認して、最後はあなたが選びなさい』

「いいの?」


 最低限の基準――訳ありマンションじゃない&自分のスペースがとりあえずある――さえ満たしていれば、態々七音が欲しい物は何もない。例え畳一畳分ほどしかパーソナルスペースが無かったとしても、今更音々との間にそんなものを強要するほどの事は何もない。むしろ、要求して物理が飛んでくる方が、七音にとって問題だった。


 けれど、姉は七音以上に、人間としてしっかりしているのだ。

『馬鹿言わないの。それとも、おとは共同生活する相手の意向も聞かずに強行するほど、あたしのことを馬鹿だとでも思っているのかしら?』

「いえ、決してそのような……」

 馬鹿だとは思っていない。が、女王様だと、七音は思っていた。


『共同生活に必要なのは、お互いのプライバシーの確立と妥協と尊重よ。いつか彼女と同棲する時のためにも、覚えておきなさい。相手にはいはい言いなりになるんじゃなく、ある程度、機を見て自分の主張もしなくちゃだめよ」


 了解の返事をすると、姉は「よろしい」と容赦を下す。

 果たして、この姉を持つ七音が、いつどのように『彼女』という姉と同じ性別の人間を愛し、同棲まで行きつく事ができるのか、甚だ疑問は大きい。

 それでも、もし。姉と七音のような、格上と格下な付き合いでは無く、対等に存在を受け入れ、寄り添う合う存在と出会えたのなら。


『よかったわね』

 不意に、七音は姉に祝福された。受験の事かと想い、納得しつつも首を傾げていれば、やはり、姉は姉だった。


『態々あたしと同棲したいなんて、あれでしょう。あなた、あたしにこのマンションから、立ち退かせたかったんでしょう』

 七音は言葉に詰まった。

 正しく、その通りである。


 自分に害が無いのなら、姉がどこに住もうが、七音には関係の無い話だ。

 だが、近所に住む肉親が、姉が、あのマンションに居続ける限り――七音に、心の平穏は訪れない。

 もしも姉に呼ばれた時。もしも姉に用がある時。あのマンションに来いと言われてしまったら――

 恐怖は持続する。姉がそこに住み続ける限り。


『――おと、あたし、ここ結構好きだったの。だから、これがあたしの「妥協」であり、あなたに対する「尊重」よ。良いわね』


「…………」

 姉には敵わない。

 電話越しに聞こえる落ちつき払った声に、七音は弱々しく、「はい」と敗北を表し、軽く別れの挨拶して、七音の電話は通信を終えた。





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