第6章「戦う理由が単純故にその意思は硬く鋭い刃となる」
僕は1人でとぼとぼと夜道を歩いていた。
遥か後方には所長の居なくなった研究所が寂しく聳えている。
千鶴は残りの処理をしておくからと僕だけを送り出した。
現在の時刻は11時を廻っていた。
街の方はまだ明るいが、この辺りは森と林と山で囲まれているような場所なので真っ暗だ。
チカチカと明滅を繰り返す街路灯に羽虫が群がっているのがわかる。
静かだ。
風も無い。
暑さも不思議と感じなかった。
非日常な1日はこれで終わった。
そうだ、これで終わったんだ。
こうして帰って祀達のお説教を受けて日常が戻る。
それで良いじゃないか。
「もうこれで、良いんだよ……」
僕は自分を納得させるようにひとりごちる。
どこか疲れ切った声。
そんな自覚を抱く。
「福来は死んだんだ、これでもう終わったんだ」
だから早く帰りたい。
早く帰って皆の顔を見たい。
皆と平穏な時間を過ごしていたい。
彼女達とともに居れば僕は幸せだ。
それが保証されるなら僕はそれで良い。
こんな血と死と狂気で満たされた世界に浸っていたくない。
漠然としたものではなく、確信をもってそう思う。
だけど心残りはある。
それが僕の腕を引っ張る。
いくら無視してもその手はいつまでも僕の腕を握って離さない。
「……っ」
とにかく早く帰ってしまおう。
僕は足早にコンクリートで舗装された道を進んでいく。
その先にある僅かな光を求めて。
走る。
動く足はスピードを徐々に上げる。
僕は全速力で走った。
やるべき事はやった。
ならそれでいいじゃないか。
僕は走り続ける。
逃げるように。
泣き付く子どもを振り払うように。
僕はなんて最低な人間だろう。
自己嫌悪に陥る。
消えてしまいたい。
そうして暫くの間走り続けていると、いつの間にか街の中心部に来ている事に気付いた。
繁華街のようだった。
煌めくネオンは毒々しくサイケデリック。
辺りを歩いている人間も似たような奴らばかりだ。
光に群がる蛾のような下卑た連中。
厚化粧の女がいやらしい笑みを浮かべて僕に話し掛ける。
僕は特に反応を返さず歩き続ける。
女が罵声を浴びせたが僕は何も反応しない。
何も聞こえない。
そうして俯けた顔を上げる。
僕の左横にあった建物を見上げる。
『西風苑』だった。
千鶴がバイトをしている洋食屋。
カーテンの隙間から僅かに光が漏れていた。
しかしこんな時間に開店している訳がない。
そんな訳がないのだけれど、僕は何故だか扉に手を掛けた。
そうして理由はわからないけれどノブを捻る。
開く訳がない。
なのにドアに抵抗は無かった。
何かに導かれるように僕は店内に入る。
暗かった。
しかし月明かりと街路灯の光が仄かに店内を照らしている。
丸テーブルには誰も座っていない。
いや、居た。
「千鶴か?」
低い、男の声。
店の隅。
窓から外を眺めている者が1人。
客ではなく店主らしい。
歳は30代後半くらいだろうか。
エプロンを着てはいるが、それでも大柄な身体が鍛え上げられているのがわかる。
スキンヘッドにした頭と厳つい顔。
顎には僅かに髭が生やされている。
彼は僕の顔を確認すると困ったような顔になった。
「なんだ、常連さんじゃねぇか」
「えと、……こんばんは」
僕は取り敢えず頭を下げる。
なんて言えば良いのかわからなかった。
僕がしどろもどろしていると彼は苦笑いして席を勧めた。
その厚意に甘んじて僕は椅子に座らしてもらう。
「で、どうしてここに来たんだ?」
「……特に理由は無かったんです、何かに導かれるように」
「まぁ良い。俺も暇してたしな」
彼は壁に立て掛けてあった杖を持ち、椅子から立ち上がる。
僕は疑問符を頭に浮かべたがすぐにその理由がわかった。
彼は両方とも義足だったのだ。
「気になるのかい、コイツが?」
「失礼しました、でもどうして……」
先天性のものや、事故、病気などの理由で足を失っている人というのは存在する。
しかし医療は進歩し、再生治療やクローン技術を応用した人体をパーツ毎に作る技術によって腕や足というのは誰もが手に入れる事ができる。
しかも保険によって治療は無償だ。
にもかかわらずどうして彼は前時代の遺産とも呼べるような義足を装着しているのか。
「謝らなくても良い。同情されるのは御免だ」
彼は手をパタパタと振り、いらないのジェスチャーをする。
「これはな、俺が自分でやってる事なんだよ」
「好きでやっている事なんですか?」
「まぁそういうこった。言い換えるなら呪いみたいなモンかね」
彼は厨房に向かい、冷蔵庫から飲み物を取り出すと、それをグラスに注ぐ。
そうして彼は僕の目の前にそれを置いた。
サイダーだった。
シュワシュワと音を立てている。
「サービスだ、気にせずに飲んでくれ」
「……ありがとうございます」
僕はグラスに口を付ける。
美味しかった。
「お前さん、名前はなんて言うんだ?」
「夜行です」
「そうか、俺は清原靖平だ」
清原はニッと笑うと椅子にどかっと座る。
「で、夜行。こうなった理由だ。ちょっと長くなるかもしれねぇが我慢してくれ」
彼は背もたれに体重を掛けた。
そうして目を細める。
「俺は元々研究者だったんだよ。こんなナリでもな、驚いたか? ……で、俺の専攻は能力関連だったから勿論やってる研究もそれ関連だった。当時は能力の存在が証明されたばかりで、多くの研究者が能力っつー、たった1つの土俵で争ってた訳だ。発展途上も発展途上の学問。一攫千金っていう理由もあっただろうが殆どの場合は純粋に好奇心を満たしたいが為に研究していたんじゃないかね。で、俺達の研究所も多くの成果を上げて段々と力を上げていった訳だ。そりゃあ、当時は楽しかった。あの頃は純粋に研究に没頭していた」
清原の口調は穏やかだ。
昔話を子どもに聴かせる親のように。
しかし段々とその声音が低くなる。
「だけどいつしか研究は歪み始めた。多くの研究者が名誉と金を重視するあまり、被験者の権利を侵し始めたんだ。実験は熾烈なものに変わっていく。俺は研究の中止を求めた。このままでは手遅れになる。発展ってのは良い事ばかりじゃない、犠牲の上で成り立つよいうのはわかっていた。だけど納得できなかった。小さな子供たちが泣き叫んでいる。それだけで理由は十分だろう。誰かの犠牲によって発展するなんて俺は認めねぇよ。だから俺は所長に中止を求めたんだ。だけど上層部は了承しなかった。それどころか実験は更に酷いものになったんだ。俺は研究所の中に囚われている人間を秘密裏に逃げさせようとした。ちょうどでかい事故が起きてチャンスだったんだ。多くの研究員は現場に急いでたから監視は機能していなかった。俺はこの隙をついて収容されていた者を逃げさせたんだ。しかしまだ残りが居た。それが巳肇だ。俺はそいつが居る場所に向かった。それは勿論事故が発生した現場だ。地獄のような光景だったよ。何人もの研究員が血まみれで呻いていた。五体満足のやつは殆ど居なかった。多くのやつが死んでいた。俺はその中心部を目指した。炎と煙を掻き分けるように進んだよ。それで、やっと巳肇を見つけた。俺は名前を呼んだ。しかし反応はなかった。俺は構わずあいつの身体を抱えて研究所の中を逃走した。勿論追手がやってきた。何発か弾をもらった。だけど止まらなかった。そうしてエントランスにやってきて俺は巳肇を抱えて外に出ようとした。その時だった。あの狂人……福来伴拮がやって来たんだ。そいつはどこから持ってきたのかチェーンソーを握っていた。俺は危険を感じて巳肇だけでも逃げさせた。外には警察が駆け付けていた。だから安全だと思った。しかし俺はこの狂人を止めなければならなかった。背中を向ければ死ぬのはわかっていた。なんせ奴は最後まで研究の続きを望んでいた男だ。なら、奴に立ち向かって少しでも巳肇が逃げる時間を稼がなければならねぇと思ったんだ。……末路は見ての通りだ。両足を切断されて絶体絶命だった。だけど俺にトドメが刺される寸前に警察が駆けつけて俺は一命を取り留めた」
「じゃあその足は……」
「そう、結局千鶴と巳肇の心に一生消えない傷を負わせた俺の罪滅ぼしみたいなモンだ。勿論それだけで償えるモンじゃない。だから身寄りの居なかった2人を引き取って、奴らの力が及ばないであろうこの街にやって来てこの店を開いた。料理には自信があったからな」
「あいつらはよぉ、ああ見えても重いモンを背負っているんだよ。平気な面をしててもわかる。必死に耐えているんだ。心を開いてくれた俺にも全てをさらけ出してはくれねぇ。まぁ当り前だよな、こっちは加害者だ。だけどな、夜行。お前が居る時は2人とも心から笑っているのがわかる」
「僕に何が出来るんですか……」
「俺にはわかんねぇよ。だけどよ、お前は2人の力になれる。俺は驚いたんだぜ、珍しくこの店に巳肇が顔を出したと思ったら正直な思いをぶつけてよ」
「……」
沈黙。
僕は黙って外に目を向ける。
そうして目を閉じた。
浮かぶのは2人の姿。
僕に呆れ顔を向ける千鶴と悪戯っぽい笑みを浮かべる巳肇の顔。
それは壊れそうだった。
今にも泣き出しそうな顔だった。
僕は拳を握りしめる。
逃げ出した自分が恥ずかしかった。
まだ問題は山積みだ。
僕は席を立ちあがる。
「すみません、用ができました」
「おう、ありがとうな。話を聞いてくれてよ」
「こちらも色々と学ぶ事ができましたありがとうございます」
僕はペコリと頭を下げた。
「んじゃ、頼むぜ。俺には何もできねえが」
「大丈夫です。2人は僕がどうにかします」
そうしてもう1度深くお辞儀すると僕は店を出て走り出した。
日常に帰る為ではない。
非日常に身を投じる為だ。
2人を連れて帰る為だ。
「やる事は幾つもあるだろ……」
僕は自分に舌打ちしながら呟く。
『――生まれ持った才能を手に入れるか捨てるかは選択できないよ。そしてそれに『幸せになる』って保障も』
『――昔の話よ。それにここまでではなかったわ。それでも悪夢のような日々だったけれど』
僕は足を早める。
きっとあの男はまだ生きている。
巨大な計画が動き出している。
根拠は無いが確信はある。
僕は祀達にすまない、と思いながら全力で走る。
目的がわかっている以上立ち止まる必要はない。
暗い街を月明かりを頼りにして疾走していく。
自分の為すべきと思った事を。
自分の心に従って。
彼女たちを地獄から救い出す為に僕は走る。
能力を発動した。
弾丸レベルのスピードを以って僕は『異能真理研究所』を目指す。