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霊能夢想  作者: 四畳半
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第5章「狂人の笑い声は熟した林檎を腐らせる」

 福来伴拮と呼ばれた男は興味深げに目を細める。

 そうして暫くの間僕と千鶴の顔を交互に見比べると、突如、納得いったように手を叩く。

「……あァ! よく来てくれたじゃん、君達! ずっと研究に没頭していたから中々思い出せなかったよォ」

 その不愉快な声に顔を顰めながら僕はやっとの思いで声を出す。

「研究だと?」

「んー? 部外者には言えないねェ」

「子供を使った人体実験か?」

「さァ、どうでしょォ」

 福来がケタケタと不気味な笑い声をあげる。

 まるで精神異常者サイコパスのようだ。

 いや、こいつの場合、狂科学者マッドサイエンティストの方がお似合いか。

 僕は彼の顔を睨み付ける。

 それでも伴拮は態度を改めない。

 怒り、という感情すら感じられない。

 どちらかというと喜んでいるようだ。

 まるで探していたオモチャが見付かった子供のような。

「――さて、と」

 福来が笑うのをやめる。

 その顔に浮かぶのは能面のような無表情。

 僕の背筋が凍る。

 感情を押し殺しているのではなく、感情というものが存在していないかのような雰囲気。

 僕達は身構える。

「そろそろ研究素材になって貰おうかなァ――!」

 声と同時に伴拮の周囲に炎の壁が展開された。

 壮絶な熱と光に僕は腕で顔を覆う。

 オレンジ色の炎はメラメラと狭い通路を埋め尽くす。

 僕達の動きが止まる。

「貴様、超能力を手に入れたの?」

 バリアを展開している千鶴が信じられない様に尋ねる。

「素材がすぐに足りなくなるからねェ。何よりこうすることで研究への理解が早まるんだよォ」

 福来は炎の壁からのっそりと姿を現す。

 普通なら火だるまになっている筈だ。

 だが、その白衣には焦げ跡ひとつすら付いていない。

「幻覚、か?」

「違うよォ、正真正銘、君達認識している『炎』は幻じゃなくて本物だよォ」

「まさか……」

 千鶴の顔が焦りに歪む。


「『人体発火マン・イグニション』、意味はわかるよねェ」

 

 福来は無造作に右腕を振るう。

 気だるげに、適当に。

 すると炎が渦を巻き、こちらに襲い掛かる。

 紅蓮の炎は壁を、床を、天井を這ってこちらに流れたきた。

 炎が視界を埋め尽す。

 僕は慌てて壁を展開する。

 炎の奔流はそれで喰い止めたように見えた。

 が、

「僅かな隙間から炎が流れて!?」

 僕は目を見開く。

 壁を這うパイプやケーブルの、ほんの僅かな隙間。

 影で防いでいないその隙間からオレンジの洪水が流れ込む。

 僕は第2の壁を生み出す。

 しかし炎は僅かに早く到達し、僕の肌を僅かに炙った。

 引火はしていない筈だった。

 なのに。

「熱ッ!?」

 僕は自分の腕に目を向ける。

 それは炎に包まれていた。

 ギョッとする。

 僕はこの炎が消せないと判断し、影による消火を試みる。

 燃えている、という事は酸素を消費するだろうからだ。

 しかし影で包んだにも関わらず熱は消えない。

 パニックに陥りそうな意識を必死に押し留め、僕は腕の皮膚を僅かな薄さで、影の刃を使って切除する。

 引火は止まった。

 僕は血の滲む右腕を抑える。

 気が付けば僕の周囲の炎は何時の間にか消えていた。

 僕の傍らには千鶴が立っている。

 どうやら彼女が消火してくれたようだ。

「……人体発火。まさか単なる発火ではないなんて」

 その名称には聞き覚えがある。

 普通に生活していた人間が、ある時、突然に燃え上がり、そのまま焼死するという現象だ。

 これらの現象には共通点がある。

 出火原因が不明なこと。

 人体だけがあり得ない程の早さで灰になるまで燃えること。

 3000度以上の熱であるにもかかわらず、延焼範囲が発火した人物とその周辺のみというごく僅かな範囲のみだということ。

 そして足首だけが残る、ということだ。

「これは酸素ではなく、魂とかオーラみたいな生命エネルギーを喰って燃えるんだよォ。他は灰なのに足だけ残るのは人体に含まれる生命エネルギーが上半身に集中しているからァ。だからオバケってのは大体足が無かったり薄い」

「呼吸は危険よ。身体に入ったら中から焼き尽くされるわ」

 僕は汗を拭い、よろよろと刀を構える。

 こんな相手に勝てるのか。

 こちらには炎を防ぐ壁があるとはいえ僅かな隙間があればそこから炎は侵入してくる。

 しかも一回引火すればその炎はしぶとく燃え続ける。

 範囲も威力もあちらの方が上手。

 どうする。

 僕は『天満月』の刃に影を纏わせ、長さを延長する。

 攻撃範囲を広める、という理由もあるが、何よりもこの刀が危険だからだ。

 なんせ魔力の塊である刀だ。

 あの炎に包まれたらどうなるかわかったものじゃない。

 下手をしたらこの研究所が丸ごと吹き飛ぶかもしれない。

 迂闊に手出しもできなかった。

 千鶴は電気の塊である槍を生み出す。

 紫電がバチバチとスパークしながら彼女の手をのたうち回っている。

 彼女はそれを躊躇無く福来目掛けて放った。

 その槍は残像を描きながらレーザーのごとく福来のもとに突き刺さる。

 しかしその寸前。

 槍は軌道を変え、横の壁に刺さり、消滅した。

「やはり当たらない……!」

 金属で囲まれたこの通路では相性が悪い。

 千鶴は唇を噛んで後退りをする。

「――そろそろ良い子にしようねェ」

 炎の海の中、白衣の狂人は笑っていた。

 黒い影がゆらゆらと揺らめく。

 彼は笑いながら右手を前に突き出す。

 炎の津波を僕達に叩き付ける。

 人体を一瞬で燃やし尽くし、灰に変える炎。

 それは破壊を起こさない奇妙な爆発を繰り返しながら僕達に殺到する。

 熱と光と衝撃と爆風と爆音がそれと同時に襲い掛かる。

 千鶴がバリアを最大限に展開する。

「くっ……このままじゃ、押される……ッ!」

 千鶴の顔が苦しげに歪む。

 僕は能力を使うと精神力を消費する、という話は聞いていた。

 彼女は長時間能力を使用していたのだ。

 ましてやこれ程の攻撃を防いでいる。

 ならば疲労も限界に近い。

 このままでは確実にやられる。

 彼女の頬を汗が伝う度に僕の鼓動が加速する。

 じりじりと焦燥が思考を塗り潰していく。

 何か方法は、と僕は考える。

 あの攻撃を防ぐ方法。

 それを考えている間にも炎は徐々に勢いを増していく。

 千鶴の限界が近付いていく。

 何か、突破する方法は――

 その時、僕の脳裏にすぐさっきの映像が浮かんだ。

 腕を焼かれた時だ。

 炎は僕の壁と、通路の壁の僅かな隙間から入って来た。

 それはそこしか入る場所が無かったからだ。

 それはつまり僕の影の壁は炎の影響を受けないということ。

 壁として展開してもパイプとパイプの隙間を完全に埋めるように展開するのはかなり難しい。

 それに何枚も展開できるわけではない。

 ならば簡単だ。

 鎧のように、

 例えばうじゃうじゃと出てきたあのパワードスーツの集団のように影を纏えば――

「バリアが破れる――!」

 千鶴が叫ぶ。

 僕は床に倒れ込む千鶴の身体を影で優しく包む。

 呼吸できるように僅かなスペースを作っているが完全密封。

 炎からは守れる筈だ。

 僕は襲い掛かる炎の津波を前に立ち塞がる。

「さて、どれくらいでキミは燃えるのかなァッ!」

 福来が爆笑する。

 対する僕は彼を静かに睨み付けながら、集中していた。

 身体の動きを阻害しない程度に影を展開するのは骨が折れる。

 そしてやがて炎は僕を呑み込んだ。

 福来の笑い声が更に大きくなった。

 しかし僕はそれらの現象を全て認識している。

 鮮明に。

 彼の挙動ひとつひとつを。

 僕はゆらりと炎の中から足を踏み出した。

 福来の動きがピタリと止まる。

 当り前だろう。

 あれほどの地獄から人間が生きている筈がないのだから。

 しかし残念ながら僕はただの人間じゃない。

 妖怪の血を引いた人間だ。

 自分の姿はわからないが、おそらく全身黒づくめだろう。

 つま先から頭のてっぺんまで。

 一応呼吸の為に口元にスペースを作ったがこの大きさだとあまり長い時間はこうしていられない。

 保つ時間は精々3分程だろうか。

 しかし十分だ。

 僕は感覚を更に一層鋭くさせる。

 勿論視界は真っ暗だ。

 だが、極限まで高くした感覚は気配を読み取り、そこから得た情報から僕の脳に仮想空間を構築する。

 誤差は殆ど無い。

 彼の動きが読める。

 僕は更に一歩を踏み出す。

 福来の動きが驚愕から動揺に変わった。

 そうして僕は地面を蹴り、走り出す。

 『天満月』を構える。

 あの狂人を一刻も早く片づけなければならない。

 福来は呆けた顔をし、右手を振り上げた。

 たったそれだけの挙動。

 しかしそのアクションは炎柱の発生を伴なった。

 噴火のごとき光の柱。

 それは莫大な熱と衝撃を以って僕の身体を灼く。

「……」

 僕は動きを止めない。

 一歩ずつ、確実に福来の元へ向かっていく。

 福来が表情を変えずに更に一本、右の壁から噴火させる。

 それでも僕は歯を食いしばりながら歩く。

 もう目前だ。

 福来は興味深そうな目を僕に向ける。

 それは初めて海を見たような、雪を見たような、流星を見たような子供の目。

 疑問を見付けた科学者の目。

 そうして彼は僕に両の掌を向けた。

 その瞬間に僕の目前を今迄と桁違いの炎が出現し、呑み込んだ。

 熱い。

 僕は叫びたい衝動に駆られる。

 早くここから逃げ出したくなる。

 だけど下がる訳にはいかない。

 止まりそうになる足を僕は懸命に動かし続ける。

 炎の波は勢いを増していく。

 それは最早壁とも言えるかもしれない。

 だけど僕はそれでもひたすら前へと突き進む。

 あと10歩。

 9歩。

 8

 7

 6 

 5

 4

 3

 2

 1

 炎の攻撃が止む。

 それは僕が火炎地獄から抜け出した事を意味し。

 福来の元に到着した事を意味していた。

 僕は構えた刀を横薙ぎに、彼の腹部目掛けて放つ。

 福来も慌てて白衣の内側から拳銃を取り出し、一切の迷いなくその引き金を引いた。

 銃口から火花が散り、そこから弾丸が発射される。

 それは回転を繰り返し、僕の眉間を目掛けて飛ぶ。

 僕が纏っているこの状態の影ではその薄さ故にその弾丸を防ぐ事はできない。

 ならばやる事は簡単だ。

 僕は全身に纏わせた影を解除し、続いて目の前に壁を展開した。

 黒い壁は弾丸を受けとめ、潰れたそれを地面に落とす。

 感覚が高められているこの状態だからこそできる芸当。

「これで……ッ!」

 パーカーをはためかせ、僕は天満月の峰を福来の腹に叩き込んだ。

 骨が折れ、肉を叩くような嫌な音が響いた。

 彼のひょろひょろとした身体がいとも容易く吹き飛ぶ。

 そして通路の床を無様に転がると壁にぶつかり、やっと止まった。

 僕はよろめく身体を踏みとどませる。

 彼の手から離れた拳銃が僕の足元に転がった。

 僕は握っていた天満月でその拳銃を徹底的に破壊する。

 これで武器は封じた。

 しかし能力を使われる恐れがある。

 油断はできなかった。

 千鶴を保護していた影も解除する。

 苦しそうに、僅かに顔を歪ませていたが気絶しているだけらしい。

「勝った……これで奴の野望は潰えたのか……?」

 取り敢えず彼を確保して信用できる機関に身柄を渡せば解決だ。

 ここに閉じ込められている子ども達もすぐに救出しなければいけない。

 まだまだ不安要素はあるが危機は脱する事ができた。

「あ、あァ……いててて……容赦無いなァ、キミ」

 唐突に耳に侵食した笑い声。

 僕は肩で息をしながら頭を持ち上げ、福来を睨み付ける。

「こっちの負けだよォ、スタミナ切れで『人体発火』は使えないし拳銃も壊されてしまった。降参さ降参」

 彼はもぞりと動くと、ナメクジの如き遅さでゆっくりと立ち上がった。

 まるで昼寝から起き上がるような挙動。

 骨も折れている筈なのに、その顔に苦痛は感じられない。

 寧ろ清々すがすがしさすらあった。

 彼は両手を上げ、降参のポーズをとる。

「さて、殺さないのかい?」

「……」

 福来はニヤニヤと下品な笑みを浮かべながらそんな事を言った。

 確かに彼の行った事は決して許される事ではない。

 だけど僕に、彼の生命を奪う権限はない。

 そんな事は決して許されない。

 不殺主義、という訳ではない。

 少年法というのは嫌いだし、心神喪失という理由で殺人が無罪になるなんて間違っているとも思っている。

 だけど、僕に殺せる訳がない。

 それをやってしまったら、僕の根幹が折れてしまうから。

「ふゥーん……」

 福来はつまらなそうな顔をする。

「ま、良いや。キミがやらないならボクは自分でケリを付けるよォ」

「ケリ?」

 僕は彼の真意が読み取れない。

 何をする気だ。

「舌を噛み切る」

 僕は何も言えない。

 彼の言った事が理解できなかった。

 冷や汗がドッと出た。

「んじゃ、バイバイ」

 呼吸を荒げる僕に福来は手を振る。

 そうして彼は大口を開け、色の悪い舌を出す。

 止める暇すらない。

 彼は舌を出したまま思い切り歯を噛み合わせる。

 血が彼の口から吹き出た。

 彼は口元を血だらけにしながら、それでも笑っていた。

 笑いながら泡を吹き出していた。

 おぞましかった。

 あんな状態でも笑っている人間の姿が何よりも怖かった。

 笑い声が僕の耳を犯す。

 僕は耳を塞ぎ、叫び、その笑い声を掻き消す。

 舌を噛むと喉が詰まって窒息死するんだよな。

 遠のきそうになる意識の中でなんとなくそんな事を考えた。

 笑い声は止まらない。

 いつまでもそれは続いた。

 狂っている。

 何もかも狂っていた。

 それがあの男だった。


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