第4章「破壊と火花と硝煙の匂い」
我に返る。
そこはさっきと同じ風景だった。
決定的に違うのは人の存在。
それが何よりもの証拠だった。
ひとまず僕は千鶴と別れて神社に戻る事にした。
制服のままだとこれからの行動に支障が出るかもしれないからだ。
夜の街を出歩く高校生というのは目立つし、警察に補導されかねない。
まぁ僕達がこれから行うのはそれ以上の危険が伴うのだが。
僕は買ってきた商品を冷蔵庫にしまい(アイスは残念ながら融けていた)、夕飯を皆と一緒に戴くと制服からいつもの私服に着替える。
薄地の黒いやつ。
どちらかというと裾の長いパーカーといった感じだろうか。
着替えを終えた僕は部屋を出る。
これから千鶴と得体のしれない研究所に突入する訳だが祀達は連れて行ける訳がない。
関係ない、というのもあるが何よりも危険に巻き込みたくないからだ。
あの時だって危険が多かった。
今回も助かるという保証はない。
故に僕の行動は慎重にならざるを得ない。
彼女達に僕のこれからの行動を悟られるのもまずいだろう。
その良い訳はどうしようか、と僕は嘆息する。
窓は潜るには小さいし、裏口を含めた扉は開閉の音が非常に大きい。
以上の理由からこっそり出て行くのは難しいのだ。
本などを買いに行く、と言っても彼女たちには早くも僕が金欠だという事はバレている。
両親から貰ったお金は神社の運営費や生活費に逝っているし。
図書館に行くと言ってもあまり勉強を熱心にしないので不審がられるのは明らか。
ならば言い訳は1つ。
「夜行、どこに行くんですか?」
玄関で靴を履き替える僕の背中に掛けられたのは祀の声。
やはり勘が鋭い巫女だ、と僕は内心舌打ちをする。
僕のこれからの行動を知られてはいけない。
なので僕は顔色一つ変えずに嘘をつく。
「これから同人誌即売会に行って来るよ。お金は大丈夫さ、販売する側だから」
朧想街では割と大きな同人即売会が毎月開催されている。
実は今日も開催されており、僕自身クラスメートの雅やカサス、アリストなどの友人とサークル・『四畳世界』を結成している。
制作しているのは主にオリジナル作品とファンが異様に多い同人弾幕STGとその時々に放送されているアニメの二次創作だ。
サークルを結成している、とは言っても各々が好きなようにやっている、といった感じで主に薄い本を出しているのが僕で音楽をやっているのがカサスとアリストでゲームを作っているのが雅である。
案外、その界隈では割と名が通っている。
祀は僕に宇宙人を見るような目を向け、何も言わずに部屋に引っ込んだ。
「……行ってくるよ」
僕は心にちょっとした傷を負いながら外に出る。
「じゃあ行きましょう」
扉の前には既に私服姿の千鶴が立っていた。
僕は小さく頷くと、鳥居を潜って境内の外に出る。
「まず、優先的に倒す人物の名前を教えなければいけないわね」
殺す、訳ではないと知って僕は安心する。
警察にでも突き出すのだろうか。
しかし自らの名誉と保身にしか興味のない上層部の連中には通用しないだろう。
「取り敢えず南極みたいな場所にでも送ってあげようかしら。おかしくなった頭も冷えて正常になるだろうし」
僕は聞かなかった事にした。
しかし彼らはそれだけの事をしている。
それ相応の罰は与えなければならない。
「その人間の名前は福来伴拮よ」
千鶴はそう切り出した。
その名前は見覚えがある。
「さっきのレポートに書かれていた名前じゃないか」
「ええ。巳肇の身体を弄んだ最悪の人間よ。そして現在は今向かう研究所の所長を務めている男」
千鶴は吐き捨てるように言った。
僕も内心穏やかではない。
顔も素性も知らないが、あんなのまともな人間ではない。
ぶん殴ってやりたい、と思う。
「君も彼から何か――」
そこまで言って僕は口をつぐんだ。
彼女の過去穿り出してそうする。
それじゃあ被害者の心情を察さずに話を訊こうとするマスコミと同じじゃないか。
それ以上かもしれなかった。
「別に気にしなくていいわよ。特にひどい事はされなかったわ、慰み者のようには扱われたかもしれないけど」
僕は何も言えなかった。
7月の夜はまだまだ明るい。
しかしそれは住人の居ない、色褪せた空き家に差し込む光のような仄暗さのようにも見える。
退廃的で荒んで怠惰な世界。
発展の裏にある醜悪な真実。
どうして皆は強いんだろう。
どうして僕は弱いんだろう。
そのせいで祀を傷付けた。
そのせいでこの街が滅びそうになった。
これは全て自分が原因だ。
自分の心の脆弱さが、それを招いた。
俯く僕に千鶴は何も言わず、ただ話す。
「そんなに卑屈にならないで頂戴。貴方は十分な事をしてくれているわよ」
そうして静かな沈黙。
だけど不思議と重苦しさは無い。
これから戦場に向かうというのにおかしかった。
彼女の言葉に助けられたのかもしれない。
僕は気を取り直す。
「で、その目的地は?」
「歩く必要は無いから安心しなさい」
「……じゃあバスとか使うのか?」
「そんな煩わしい事しないわよ」
じゃあどうするんだ、と僕は内心首を傾げる。
他にある手段は……あれしかないじゃん。
僕達は裏道に入り、人気の無い場所を奥へと進んでいく。
後ろを見ると不自然にも数人の人間がこちらに付いてきていた。
追手らしい。
千鶴は呆れたように嘆息する。
「テレポートよ。メインの能力じゃないし、テレポーターと比べれば遠く及ばないけれど十分ではある」
彼女は僕の手を握る。
ひんやりとしていた。
しかし柔らかい。
握り返したくなるがやめておいた。
これはあくまで僕らが瞬間移動するのに必要な行為であって決して好意からの行動ではないと僕は自身に言い聞かせる。
「行くわよ」
「いつでも」
彼女は小さく目を閉じる。
そして景色が歪む。
星も。
街も。
人も。
何もかも。
音が消える。
視界が暗くなる。
浮遊感。
感覚が遠ざかっていく。
貧血で倒れた時に近い。
光を失っていく世界の色が抜けていき、砂嵐の画面のように風化していく。
どこかで体験したような気がする。
風景は歪む。
撓む。
攀じれる。
捻じれる。
拉げる。
潰れる。
|曲がる。
そうして僕はきつく目を閉じる。
その瞬間、僕達は跳んだ。
×
砂嵐の風景。
モノクロの世界。
歪曲し尽くしてぐちゃぐちゃになった視界。
それが正常化していく。
ゆっくりと瞼を開く。
そこは研究所の敷地内だった。
フェンスと木々に囲まれた、5階建ての施設。
かなり広大だ。
僕は隣に立っている千鶴に目を向ける。
「……何してるの?」
彼女の周りにはゴテゴテした金属製の何かがあった。
どうやらアポーツを使って取り寄せたようだ。
「見ての通り、重兵器の準備よ」
「まさか外からそれを使って襲撃するのか? それじゃあ、中に囚われてる子供たちや、巳肇まで巻き込まれるんじゃ……」
「そうじゃないわよ。研究所の敷地内には能力者の反乱を防ぐ為に能力妨害装置があるの。簡単に説明すると能力者の深層心理に強いダメージを与える音を洗脳によって脳に記憶させ、能力者が暴走したり反抗した際にそれを流して無力化させるの」
「君の襲撃に気付いた場合、それを使われて無力化って訳か……成程」
「で、今からそのスピーカーを破壊するの」
彼女は4方に設置されたスピーカーを指差す。
かなり巨大だ。
千鶴は慣れた手つきでそれを組み上げていく。
まるでプラモデルを作っているかのような気軽さだ。
「完成」
ほんの数分でそれは完成した。
見たところゴツいスナイパーライフルといった感じ。
全長で2メートルはあるだろうか。
使いこなせるのだろうか、と不安になるが千鶴の顔に気負いは感じられない。
寧ろ余裕がある。
「GX-2100、だったかしら。50口径の対戦車ライフルでアンチマテリアルに扱われていたと思うわ」
「アンチマテリアルライフルって人間に撃ったらどうなるんだ……?」
「水風船みたいに破裂するわ」
言いつつ千鶴はしゃがみ、それを構える。
かなり異様な風景だった。
「発砲音は抑えられている、っていうけどかなりうるさいから、音を『聞こえない様に』するわ」
まぁ戦車の装甲すら喰い破るライフルだしな。
僕が彼女の邪魔にならないように数歩下がると、唐突に音が消える。
自分の心音、呼吸すら聞こえない。
音が無い世界というのはこんなにも不安に感じるのか。
彼女はスコープに目を凝らす。
そしてその指が引き金に掛かる。
爆発音は無い。
しかしその音が聞こえるような錯覚すら抱かせる程の閃光。
凄まじい衝撃がありそうなものだが銃の機能のおかげかそれとも千鶴自身が何らかの対処をしているのか千鶴の姿勢は乱れておらず、銃口もそのままの位置に留まっている。
弾丸は空気を裂いて一直線にスピーカーに向かって飛んでいく。
僕はその末路を見守っていた。
今日は風は無い。
故に弾道が逸れる事はあり得ない。
目を凝らす。
弾丸はスピーカーを喰い破り、粉々に破壊した。
命中していない筈の鉄柱が衝撃でひしゃげる。
「残り3つ」
彼女は呟くように言って、2発目、3発目、4発目と発射していく。
どうやら1発目はウォーミングアップみたいなものだったらしい。
それらの弾丸は寸分の狂い無く、吸い込まれるようにスピーカーに向かって飛び、次々に破壊していった。
硝煙の匂い。
薬莢が排出される。
「……これで全部潰した筈よ」
千鶴は立ち上がり、薬莢を拾って、ポケットにしまうとライフルの解体を始めた。
バレットは熱くなってそうだが技術の進歩なのか能力によってかあっさりと掴んで取り外していく。
そうして元の状態に戻ったそれを彼女はどこかに飛ばした。
証拠隠滅。
しかし問題はこれからだ。
能力が使えるようになった千鶴は僕の手を握り、再び瞬間移動を始める。
今度はさっきのような眩暈じみた現象は起きなかった。
ただ風景ががらりと変わるだけ。
これはこれで唐突に生じる現象なのでちょっとクラっとくる。
そこはごく普通のロビーだった。
ガラス張りで、星空が見える。
かなり広々としており、一見怪しい実験が行われている研究所には見えない。
まぁ、来客用のスペースではあるのでこうなっているのも普通といえば普通か。
天井まで届くほどの高さ。
全体的に清潔感を与えるこの場所は自分たちの行いを隠蔽しているような印象を与える。
中を見回すが誰も居ない。
もしかしたら各々実験や研究で部屋に引き籠っているのかもしれない。
しかし受付も居ない、というのはおかしな話だと思う。
「それにしても正面から堂々と足を踏み入れてどうするのさ。こういう時はさっさと研究所の所長のトコに突撃して身柄を拘束した方が早くないか?」
この研究所にどんなトラップが待ち受けているかわからない。
いくつあるのか。
どんなものか。
もしかしたら既にその罠に僕達は掛かっているのかもしれないのだ。
迂闊な行動をしたらどうなるかは僕でもわかる。
「確かに私は能力を無効化するスピーカーを破壊した訳だけれど、内部にその装置が設置されていない、という保証はないわ。コスト削減の為に元の研究所と構造はほぼ同じだけれど」
そういえばそうだった。
彼女がこの施設に居たのは過去の話である。
どのようにしてここから生還したのかはわからないが当時と現在とでは設備に食い違いがあるのは普通だろう。
そう簡単に能力が使える筈がない。
使った途端にどこからともなく爆発が、みたいな事だってありえるのだ。
「それに、千里眼は持っていない私は所長である福来が何処に居るのかわからない」
「所長室とかに居るんじゃないか?」
「あの男はかなりの実験好きよ。特に人体実験が好きな変態。どこで何をしているかなんてわからないわ。それに一番セキュリティが厳しい場所でしょう」
「虱潰しにしていくしかない訳か」
「面倒だけれどそれしかないわ」
千鶴が歩きだした。
僕も慌ててついて行く。
取り敢えず地下に向かう事にした。
実験や研究は主にこちらで行われているらしい。
大規模な設備もここに集まっているので福来が居るとしたらここだろう、という千鶴の判断だ。
僕達の前にはどこまでも、それこそ奈落の底まで続いてそうな螺旋階段があった。
これを降りるのか、と思うと気が滅入る。
天光神社の鳥居まで続く階段よりも段数はある。
エレベーターは危険が一杯だという理由で使えないのはわかるがこれを長い時間掛けて降りるのもそれ相応の危険があるだろう。
挟み撃ちされたら堪ったものじゃない。
「その際は死なない程度に放電するから安心しなさい」
「それって僕も喰らうじゃん」
千鶴は取り合わない。
マジでやる気かもしれない。
なんだか暗澹とした気分になる。
「そういえば全然迎撃が来ないな」
「流石に気付いている筈よ。彼らだって無能ではないわ」
「じゃあどうしてこっちに襲ってこないんだ?」
「さあ。余裕綽々なのかそれとも一気にカタを付けたいのか――または、別の理由か」
君も十分余裕綽綽だよ、と思うが口には出さない。
そうして階段を下り終え、僕達は通路へ出た。
道はどこまでも続き、いくつも曲がり角がある。
僕の頭にはテレパシーによってこの研究所の見取り図がある訳だがそれで確認しても複雑な構造をしていてどう動けば良いのかわからない。
「まず、A-01。ここから入ってみましょう」
「A、B、C、D、E、F、の6つのフロアにそれぞれ10の部屋が割り振ってあるのか……じゃあ60回も出入りするのか」
「なんならここで騒ぎを起こして研究員を全員相手にする?」
「やめてくれ」
しかしドアにはロックが掛かっており、入る事ができない。
どうやら特定の人物しか入れない仕組みになっているようだ。
千鶴は天井を見上げる。
その目線の先にあるのは小さなスピーカー。
「この階だけでも30前後は存在するわね」
「どうやって壊すんだ?」
「私はもう武器をしまっているわ」
「……詰んでるじゃん」
「その為の貴方じゃない」
「僕の能力は月光を浴びないと制御し切れな――」
そこまで言って僕は思い出した。
祀から貰った剣、『宵刀・天満月』の存在を。
それは僕の右腕に宿っているという。
実感はないけど。
確か、使いたいときは名前を言えば良いんだったっけ。
「『天満月』」
僕はボソリと呟く。
刹那、僕の右手が光った。
満月の、青白い光。
それはやがて一振りの刀を形作る。
「銃刀法違反ね」
「あんなライフルを取り出した君には言われたくない。というか他の感想はないのか」
まあ良い。
僕は天満月を構え、能力を発動する。
満月の光を浴びている時、いやそれ以上にチカラを制御している実感がある。
この刀、すごい。
僕は壁に映った自分の影を実体化させる。
そしてそれを分解し、30の弾丸を生み出した。
僕はそれらに意識を集中させる。
一気にいける。
僕はその弾丸をそれぞれ設置されたスピーカーに向けて発射した。
それは音速を超える速さで空間を突き進み、無残にもスピーカーを粉々にする。
ついでに監視カメラも破壊しておいた。
「感謝するわ。これで安心して能力が使える」
千鶴は僕に礼を言うと扉に触れる。
その瞬間、彼女の手を中心に、扉に半径1メートル程の穴が開いた。
取り除かれた部分はテレポートによって部屋の奥にある得体のしれない機械に突き刺さっていた。
僕達はすぐさま中に入って攻撃の構えを取った――が。
「……誰も居ないわね」
千鶴の言う通りだった。
実験器具とパソコンに囲まれた、ケーブルの這うその部屋には誰も居ない。
しかし電源は点いたままなのでさっきまで居たのはわかる。
ならば何故ここから姿を消したのか。
僕達は外に出る。
そして他の部屋も同様に調べた。
だが、やはりそこには誰も居ない。
もぬけの空だ。
一体どういう事だ、僕は首を傾げる。
他のフロアに居るのかもしれないという事でBからFも探索する。
しかし結果は同じだった。
ハーメルンの笛吹き男、という民間伝承を思い出す。
1284年、ハーメルンに『ネズミ捕り』を名乗る男がやって来て、報酬と引き換えに街を荒らしまわるネズミの駆除を持ち掛けた。
街の人々はその男に退治の報酬を約束した。
すると男は笛を吹き、その音でネズミの群れを惹き付けると、ヴェーザー川におびき寄せ、ネズミを残さず溺死させた。
しかしネズミ退治が成功したにもかかわらず、人々は約束を破って男への報酬を渋った。
怒った男は街を後にしたが、6月26日の朝に再び戻って来て、住民が教会にいる間に男は笛を吹き鳴らし、街に住む130人の子供達を連れ去って洞窟の中に誘い入れた。
そして洞窟は内側から封印され、笛吹き男も洞窟に入った子供達も二度と戻って来なかったという。
黒死病説だとか自然災害説だとか少年十字軍運動の話だとか色々と解釈が考えられているが、現在でも答えははっきりとしていない。
最近は交霊術を使って作者との交信を図っているようだが、その作者がわからない以上どうにもならない。
過去にアクセスしようにも、現在の話と当時の話ではかなりの食い違いが生じているであろうという理由で真相は闇の中である。
まるで研究者が謎の男に連れ去られてしまったような、そんな印象。
他にはメアリー・セレスト号の話とか。
1872年にポルトガル沖で、乗員が消えた状態で漂流しているのを発見された船の話である。
航海史上最大の謎とされ、様々な尾ひれが付いている。
しかし、近年サイコメトラーによって『乗員は航海中にUFOに乗っていた宇宙人とひょんなことから仲良くなり、宇宙旅行に行った』という事実が判明した。
人騒がせな連中だった。
しかし研究員はどこにも居ない。
ならば彼らはどこで何をしているんだろうか。
「もしかして地上の方に居るのかな?」
「その可能性は低いわね。あそこは一般の人や来客用に開放されたスペース。職員は殆ど利用しない筈よ」
「じゃあ他にどんな場所が?」
「……実は見取り図と食い違いがあるのよ」
千鶴が納得いかなさそうな顔で言う。
食い違いだって。
「割と大きい隙間。この下に、ちょっとしたドームくらいのスペースがあるわね」
どうやら音波みたいなもので計測しているようだ。
超能力さまさまである。
「じゃあ、そこに居るかもしれないって事?」
「断言はできないけど調べるしかないわね」
僕は深呼吸し、気を落ち着かせる。
そうしてぐるりと見回し、
唖然とした。
「やっと気付いたの?」
千鶴が呆れたように言った。
僕に言い返す余裕はない。
なぜなら僕達のまわりには何十体ものパワードスーツで埋め尽くされていたからだ。
どうして気付かなかったのか、と思う。
どうして今更出てきたんだ、とも思う。
彼らは全身を黒い装備で固めていた。
フルフェイスのヘルメットによって顔はわからない。
しかし彼らがここの研究所の職員なのだろう、という事はわかった。
おそらく僕らを一気に、一切の逃げ道を与えずに殺す為にこうしてやってきたのだろう。
「流石に多いけれど、全員ではないわね」
千鶴の声に緊張感はない。
かといって油断しているわけではないことも僕にはわかる。
「さて、これからここが戦場になるけど頑張って」
「逃げないの?」
「この中に奴が居るかもしれないじゃない」
やる気まんまんだった。
スーツの1人がアサルトライフルを構えた。
それに続くようにして他の連中も武器を構える。
このままでは蜂の巣だ。
僕と千鶴はほぼ同時に防御行動に出る。
影で作られた壁とあらゆる物理法則を拒絶するバリア。
直後、眩い光が視界を埋め尽くす。
「さて、防御しているのは良いものの、これがあとどのくらい続くのかしら。私だって長時間能力を使える訳じゃないし」
千鶴が倒れるのが先か、それとも彼らの弾が無くなるのが先か。
「……もしかして行き当たりばったりで行動してない?」
「臨機応変に対応しているのよ」
千鶴は暫く考え出すと、閃いたように指を鳴らした。
「夜行君、ちょっとこっちに近付いて」
「このくらい?」
「もっと」
「あのこれ密着というか……」
「変な事をしたら許さないけど想像だけなら構わないから早く」
「……はい」
僕はほぼ彼女に抱き付くような状態になる。
おお柔らかい。
しかし顔には出さない。
「で、この影? の壁で私達を囲んで」
僕は言われた通り、再び壁を展開した。
それを確認した千鶴は指を再び鳴らした。
その瞬間、彼女の展開していたバリアが割れ砕け、僕達を取り囲むスーツの集団に向かって発射された。
彼らはたったこれだけの攻撃で吹き飛び、床を転がる。
僕は銃口が止んだ事に気付いて、影の壁を消す。
しかしまだ数人こちらに銃口を向けている者が居た。
千鶴は引き金が引かれる前に電撃の槍を彼らに向けて発射した。
雷電の爆発が発生し、彼らは糸が切れた操り人形のように膝をつき、倒れる。
一応全滅させた。
が、
「次から次へと――ッ」
僕は思わず悪態をつく。
奥の通路からはまた、複数のパワードスーツが銃を乱射しながらこちらに向かって走って来た。
僕は飛んできた弾を一つ一つ刀でたたき落とす。
現在は妖怪モードなのでこんな芸当も容易い。
早いとはいえ一直線に飛ぶ弾丸だ。
縦横無尽に繰り出される一紗の攻撃と比べれば何てことは無い。
パワードスーツの連中がギョッとしているのがわかる。
僕は弾を弾きながら、走り、彼らのもとへ突っ込む。
そして1人の懐に入ると構えていたアサルトライフルの銃身を切断し、スーツの腹に峰打ちを放った。
一撃で相手はノックアウト。
僕はそいつのヘルメットを鷲掴みし、後方のパワードスーツに渾身の力でぶつけた。
よろけた2人は3人目を巻き込んで盛大に転がる。
そして最後の1人が僕に向けて発砲した。
僕はそれを軽く首を振って避けると刀の柄を相手の喉元に叩きこむ。
「これで終わりか……?」
僕は周囲を見回す。
千鶴も相手にしていたようだ。
足元には何人か倒れている。
これだけの戦闘で両者とも無傷だ。
所詮は研究者、といったところか。
「さて、じゃあ下のスペースに行こうか?」
「ええ。取り敢えず通路を見付けないとね」
千鶴は倒れているパワードスーツを横に蹴飛ばすと通路の奥へと進んでいく。
僕も小走りで彼女に付いて行った。
「だけど、大体の場所の見当はついているのか?」
「通路の? 今から向かう場所はおそらくここが行っている研究の根幹に関わる部分でしょうから見取り図にもなかったわよ。サイコメトリーで研究員の記憶を調べてもそれらしいものは見付からなかった」
「じゃあ、力技で行くっていうのは? テレポートとか」
「壁が厚過ぎて、テレポートの際に失敗するリスクがあるわ。広さはあるけど高さはそこまで無いみたいだし。それに私には破壊力抜群の能力は持ち合わせていない」
「ならさっきと同じ作業か……」
とはいえやるより他はない。
暫くの間、僕達は地道な作業を繰り返す。
やはりさっきの襲撃で研究員は全滅したのか刺客は来なかった。
「で、見付かった?」
「この近くにあるのは確かなのだけれど」
しかしそれらしい扉はない。
この作業は長くなりそうだな、と僕は嘆息すると右の壁になんとなく視線を向けた。
「ん?」
その時、僕の目は一か所に止まった。
それは、不自然なモールド。
この研究所の壁のデザインはどこか近未来的で、どんな効果があるのか知らないが溝が彫られている。
一見するとなんの変哲もないただのデザイン。
しかし長い時間、その壁を眺めていた僕はその部分のデザインが他のものと違う事が妙に引っ掛かった。
まさか。
僕は恐る恐る指を伸ばす。
そして不自然な部分に触れる。
爪を溝に差し込み、カバーを外すようにしてそれを持ち上げた。
その下から現れたのはテンキーの電子ロック。
「千鶴、これを見てくれ」
「これね……助かったわ。今、これを開けてみる」
千鶴は掌を電子ロックに触れ、集中するように目を閉じる。
暫く待っていると電子ロックの小さな液晶画面に『認証』の2文字が表示された。
成功したらしい。
そして電子ロックの横の壁に亀裂が入り、ゆっくりとスライドした。
そこから現れたのは下に続く螺旋階段。
僕達は顔を見合わせるとそこに足を踏み入れる。
中は全体的に薄暗く、僅かな光が仄かに階段の輪郭を照らしているのみ。
ここから先に『何か』がある。
僕達は階段を下へ下へと向かっていく。
「……ここか」
「ここに福来は居る筈」
僕達の前に現れたのは巨大な扉。
その向こうの部屋はかなりの電気を喰うのかケーブルやコード、パイプが壁や天井を埋め尽くしている。
「じゃあ、さっさとここに入って終わらせよう」
僕は『天満月』の切っ先を扉に突き付け、
「――駄目だよォ、そこに入っちゃァ」
僕の思考に一瞬だけ空白が生まれる。
耳から入りこみ、脳を浸食するような、気味の悪い声。
それは怖気から空間を静寂に変える。
僕達の動きが固まる。
なんだ、今の声は。
僕はゆっくりと後ろを振り返る。
足音が聞こえた。
その足音は僕達の後ろの、暗くて何も見えない場所から響いている。
急ぐ訳でない。
注意している訳ではない。
ただ圧倒的な存在感を僕達に与える。
その足音は僕達から10メートル程離れた場所で止まった。
その顔が照明に照らされる。
男の顔は醜悪だった。
いや、整ってはいる。
頬が若干こけ、目の下にクマが浮いているが彫りの深い顔だ。
だが彼の纏う雰囲気、それが低俗で吐き気がする。
まるでサナギを半分に輪切りにして、そこから流れるドロドロの体液を人間の形に固めたような。
白衣の男。
間違いない。
千鶴は憎々しげにその名前を呟く。
「福来伴拮……!」