第1章「無能と有能の差異」
遥か前に春が終わって暑い夏が朧想街に訪れた。
夏休みを間近にしたそんなある日の午後5時。
長ったらしい居残り課題を終えた僕、焔魂夜行は重々しい足取りで帰り道を歩いていた。
因みに制服は夏服に変わっている。
通気性は良いのだろうがやはり暑いモノは暑い。
どうしてこんな目に遭ったのかと言うと最近僕の成績が右肩下がりな上、あらゆる実技の成績が底辺レベルだからだ。
個人的には放っておいて欲しいが公務員としての仕事を全うする善良な教師の方々は余計な危機感を持って頂いているらしく、僕1人にそんな命令を下した。
そりゃあ、忙しかった。
鬼にタダ働きされるわ、狐にストーカーされるわ……よく思い出せないが何かしたし、されるわ、狸に良いように利用されるわで忙しかった。
これ程エキサイティングな毎日を過ごしている高校生は僕だけだろう。
故に成績が下がるのも当たり前だと言える。
もう最近では留年しないで無事に学校を卒業する、というのが目標となっている。
こんな考えをしている時点でもう色々と駄目なのは自覚している。
が、仕方が無いのは仕方が無いのである。
将来は未来の自分が何とかしてくれるだろう。
僕はそう結論付けた。
そんなこんなでいつもとは違って3人は既に帰ってしまい、僕は1人だ。
なんだか一抹の淋しさを感じる。
友達の少なかった中学生の頃みたいだった。
さて、なんだか空腹を感じた僕はとある洋食店に向かう。
決して孤独を紛らわす為ではない。
勿論目当ての店は『西風苑』だ。
クラスメートの御船千鶴がバイトをしている店でもある。
安価で美味しいのが特徴。
お気に入りの店でもあり、僕自身足繁く通っている。
ドアを開いて中に入ると丁度良いくらいに冷やされた空気が僕を包んだ。
今日から冷房を使用し始めたようだ。
「いらっしゃいませ……夜行君」
カウンターから僕を迎えたのは勿論千鶴だった。
因みに最近やっと名前を覚えてくれた。
やはり店員は彼女だけらしい。
厨房は謎だがやはり他の1人がやっているのかもしれない。
店内に居る客はいつもと同じく5人程。
多いという程ではないが決して少なくはない。
名前は未だに知らないが全員見慣れた顔だ。
老若男女様々で、共通性はあまり見られない。
それだけ色んな人に愛されている、という事だろうか。
「ではこちらに」
千鶴は僕を空いたテーブルに案内する。
窓際の席で、夕日が差し込んでいる。
店内の落ち着いた雰囲気もあってなかなか良い感じなのだが座ってみるとかなり眩しい。
客に対して嫌がらせか。
とはいえ他のテーブルは全員座っているのだった。
喉が渇いていた僕は千鶴が置いた水を飲む。
程良く冷たい。
「御注文はお決まりでしょうか」
「本日限定のやつで」
「かしこまりました」
注文を承った千鶴が調理場に向かう。
メニューは見ていないが僕の場合はいつもこうしているのだった。
どんな料理が運ばれてくるかわからない、というスリルを味わえるからだ。
勿論なんだかなぁ、と思うような料理もあるが、その分アタリが出ると嬉しい。
なので僕は毎日変わる『本日限定料理』をどんなものか知らずに注文しているのだった。
わかっているのは『本日限定料理』の値段は全て600円、という事のみ。
暫くの間待っているといつも通り千鶴が料理を持ってきた。
「お待たせしました」
彼女はテーブルの上に料理の皿を乗せる。
僕は期待に胸を膨らませながらそれを見た。
そして唖然とした。
なんか触覚的なものが出ている。
毒々しい色の体液的なソースが掛かっている。
加熱されている筈なのに何本も生えている足が未だうねうねと動いている。
その黒光りしている甲殻はゴキブリのよう。
他に目立っているのは輪切りされた蛇とか。
あとイナゴとかドンコっぽいの。
他には哺乳類のものであろう脳味噌とか見える。
なんかすごいビジュアルで説明できない。
「……これってなに?」
「ゲテモノ食材詰め合わせだとか。味見してみましたけど外見にさえ目を瞑ればなかなか美味かと」
それではごゆっくりとお召し上がりください、と告げると千鶴はカウンターに行ってしまった。
こうして料理として出されているという事は問題なく食べられるし、味も美味しいという事なのだろう。
しかし一気に食欲が無くなった。
これを限定料理として振る舞うあたり実行したであろう店長は無謀とも言える。
だけどこの博打がアタリだったのならば――僕は顔も知らないその人を心から尊敬する。
蜘蛛のフライとか豚の脳とか揚げたゴキブリとか全然形が作られていない程未成熟途中のヒヨコとか羊の睾丸とか牛の陰茎とかサソリの丸焼きとかコウモリとかアザラシの中に海鳥を入れて醗酵させたものとか蛆虫チーズとか世界にあるゲテモノ料理なんてこの料理以上だろう。
中には猿を生きたまま頭をこじ開けて脳味噌を食べるとか聞くし。
日本だってマグロの目玉とかワラスボとかセミとかハチの子とかナマコとか食べるし、海外ではタコとか生卵がゲテモノ料理扱いされるし。
食文化というのはなかなかわからないものである。
僕は決心し、恐る恐るナイフとフォークを握って料理に手を付ける。
そうして変な感触を感じながら料理の一片を持ち上げるとそれをゆっくりと口に含んだ。
僕はその瞬間、新世界への扉を開いた。
×
『PSI』――超能力というのは一定以上の知能を持つ動物ならば持っている。らしい。
僕の通う学校はおろか、世界的に超能力開発というのは為されており、個人差はあれ一定の成果を挙げている。
しかし未だに僕は未来予知も瞬間移動も何もできないのだった。
勘と気配の察知は鋭いので、もしかしたらこれが能力なのかもしれないが未だにそれらしいものは体験していない。
まぁ、影を実体化したりできるがそれはあくまで妖怪としての力を解放した時のみだ。
勿論日常生活で役に立つ訳がない。
故に僕は瞬間移動や予知能力など便利なものに憧れる。
しかし学校のテストの結果を見ても適正は5段階評価のうちの2だった。
結論として僅かな未来予知だとか。
デジャヴしか経験はないのだが良いのだろうか。
さて、超能力とは名前の通りである。
つまり常識を超えた能力。
まぁオカルトと扱われるものをインチキだとか幻だとか決めつけていた前時代と違って現在ではその能力にもちゃんとした説明がなされているので『常識』というのはズレているのだが気にしてはいけない。
超能力というのはまず、2種類に分類される。
思念連絡・未来予知・遮蔽透視・過去読取など通常の情報や論理的な推測によらずに外界の情報を得る能力である『ESP』。
発火能力・瞬間移動・思考操作・思念写実・物体取寄など物体に直接影響を与える能力である『PK』。
他には高い能力持ちの動物の事を『Anpsi』とか呼んだりするのだが現在ではほとんど使われない。
このような能力についての言及はかなり昔からされており、ヨーガの悉地、仏教の神通力などがまさにそれである。
「結局、こんなのを持ってても使い余すだけなんだよねー」
……と、僕は目の前に居る彼女からそんな話を聞いていた。
「そういうものなの?」
「うん、便利っちゃぁ便利だけど凄い疲れる。だからあんまりおいそれと使えないんだ」
僕の前に座っているのはクラスメートである長納巳肇だ。
注文した料理を震える手で胃に詰めていた僕の前に突然現れたのである。
料理を注文しないようなので理由を訊いてみると『お金が無いけどお腹が減ったからやってきた所、案の定キミが居たので助かったよ』との事。
理由になっていないと思う。
そんな彼女は僕の注文したエグイ料理をちょくちょく摘んでは口元を美味しそうに緩ませている。
「いやぁクセになるねぇ、やっぱりゲテモノっていうのは人を選ぶ分、ハマると抜け出せないね!」
なんだか僕の注文したものなのに彼女だけで食べ切ってしまいそうな勢いだ。
僕自身最初はイケそうだったが、ふとこれが虫や爬虫類のオンパレードという事を思い出した途端にこれが喉を通らなくなった。
そんな訳で彼女が全部食べてしまっても良いかな、なんて考える。
残すのは勿体ないし。
巳肇はサクサクのゴキブリフライに齧り付き、それを租借する。
女の子なのに凄いなぁ、と僕は若干引きながら思った。
「ふぅ、御馳走様ー」
彼女は並びの綺麗な白い歯の間に挟まった触覚を摘み、それを抜く。
なんだかおっさんみたいだ。
「で、超能力実技の成績が芳しくない夜行君は私になんの質問があるのかな?」
「超能力ってどうやったら強化されるの?」
「レベルアップみたいな? そういうのは元々の素養が大きいと思うよ。勉強によってある程度どうにかなる魔術と違って超能力はその名の通り、『能力』だし」
そもそも君の能力って何なのさ、と巳肇が首を傾げた。
「多分、未来予知かな」
自信はない。
「未来予知ってこの世界を平行世界だと解釈した時、説得力に欠けるんだよね。ある程度変動する未来を相手にする以上どうしても答えは100%にならないから」
彼女は氷水を呷る。
「結果が収束すると仮定すれば強い気がするけど」
「それじゃあ意味は無いよ。悪い未来を知ってそれを回避しようとしても結局努力は無駄になって未来の通りになるんだから」
未来予知って使えないんだなぁ、と僕は凹む。
能力というのは通常、1人1つだ。
例外として『テレポート』と『アポーツ』など同系統の能力を発現するような人も存在する。
しかしごく稀に『パイロキネシス』と『サイコメトリー』など『ESP』と『PK』という分類の垣根すら超えて発現しているケースもある。
超能力専攻の巳肇はその数少ない『多重能力者』なのだった。
「そういえば巳肇ってどんな能力を持っているの?」
「ええと、『テレポート』と『プレコグニション』、『サイコメトリー』……ほぼ全部だね」
思わず顔が引きつる。
ほぼ全部って。
『ぼくがかんがえたさいきょうのうりょくしゃ』かよ。
「あながち間違ってないねー」
僕の率直な感想に対して巳肇が快活に笑う。
どこか狙ったような印象。
僕を挑発しているとでも言うのだろうか。
「でもまぁ色々と苦労したよー色々」
「そういうものかな?」
「そういうものなのー」
とてもそんな風には見えない彼女に疑惑の目をくれつつ僕は氷水を飲む。
なんだか『出来る人』と『出来ない人』の差を実感した。
やはりこればかりは努力でどうにかならないものだと僕は思う。
生まれによる差とか周囲の環境とか。
言い訳がましいな、と自分でも思い、苛立つ。
しかし顔には出さない。
彼女にあたるのは道理になっていない。
無力ならば無力なりにどうにかしなければいけないのだ。
それが凡人の運命である。
「――ま、私はこんなチカラいらないんだけどね」
「どうして?」
巳肇はおかしそうに笑う。
一見するとそれは天真爛漫な少女が見せるようなもの。
だけどどこか薄っぺらい、諦めのような自嘲にも見えた。
「生まれ持った才能を手に入れるか捨てるかは選択できないよ。そしてそれに『幸せになる』って保障も」
一瞬。
ほんの一瞬だけ空気が凍った。
僕の肌が粟立つ。
何か身体の芯のようなものが揺さぶられた。
彼女の声は暗く、昏く、冥く、闇い。
彼女がプレッシャーを与えているのではない。
ただそれ程の『何か』を感じさせるのだ。
一体何があったのか。
彼女は何を背負っているのか。
僕は何も言えず呆然としていた。
「まぁ気にしなくて良いよ」
巳肇は肩を竦めて言う。
その顔には小悪魔じみた微笑。
「あ、うん……」
いつの間にか店内の空気は普通になっていた。
手を止めていた客も各々料理を突っついている。
異世界から元の世界に帰ってきたような気分だった。
「じゃ、そろそろ行くね。御飯ありがとー」
彼女は氷水を飲み干すと席を立ち、鞄を掴んでドアに向かう。
僕が止める暇は無かった。
何か言っておこうとする僕。
しかし何も思い付かない。
「そうそう」
そう言った巳肇は僕に顔を向けた。
「近いうち、この街に大きな企業が進出するらしいけど関わらない方が良いと思うよ」
「え?」
巳肇は困惑する僕を面白がりながら外に出た。
ドアがバタン、と閉まり、店内を沈黙が支配する。
クラシックのBGMだけが虚しく響く。
僕は立ちあがったまま動けない。
金縛りに掛かったみたいだった。
「――今まで顔を出さなかったのに」
レジカウンターに立っている千鶴がボソリ、とそんな事を言った。
僕は彼女にどういう事なのか目で尋ねる。
しかしそれを知ってか知らずか、もしかしたら敢えて無視しているのかもしれないがただ閉じられたドアを見詰めていた。
「もしかして独りで……」
そう呟いた千鶴の表情は俯いていてわからない。
僕は出て行った巳肇の後を追おうかと思ったがやめた。
なんだか『追うな』とでも彼女が言っていたような気がしたからだ。
僕はテーブルの上に乗っている空の皿をぼんやりと眺める。
どうして彼女はここに来たんだろう。