2章・山を下りてー1
「空ぐらい飛べればいいのにな。」
妖精さんの元を離れて早二日。
この世界に来てから何度目かの願望を口にした。
試さなかったわけではないが、かなり危険な目にあったことも多々あるので地面への激突から保護してくれる妖精さんがいないところではとてもできない。
一定以上の速度を維持しなければ飛行できない上、かなりの魔力を消費するので移動のために気軽に使える技術とはならなかった。
真上に飛び上がり森からの脱出ルートを考えるのに使ったのが最後である。
重ねた試行で最も上達したのは飛行技術ではなく落下から身を守る術だったのは悲しい結果だ。
上空から辺りを観察して分かったことはこの森が盆地にあることだ。
周囲の山を越えなければその先に何があるかは分からない。
上空からのルート策定を諦めた宗絃は最短で山まで辿り着くこのコースを選び、森を抜け、山の麓へとたどり着いたところなのである。
道中に遭遇した襲ってくる獣といえば熊ぐらいのもので、それすら二日目からは魔力を込めた威圧で退ける術を覚えてからは快適な旅路であった。
だが今から眼前の山を越える事を思うと、面倒くさがりな性格の宗絃でなくてもため息が出るだろう。
森を抜けるとなだらかに上り坂が始まるのだが、かなり不自然なことも二の足を踏む原因である。
上空から見た時は何も気にしていなかったのだが、森を抜けた先からは木が生えていないのだ。
その分遭難の恐れはないが、こうも綺麗に境界があると疑わずにはいられない。
足元も悪くなさそうであるため登山自体の難易度は下がるだろう。
問題は食料を補充しながらの移動ができなさそうであることだろうか。
幸いにも宗絃が気に入っているリンゴのような果実は非常に日持ちする事を確認しているため、手持ちの袋に可能な限り入れておけば数日は保つだろう。
妖精さん曰く、服なども完全に無から作り出せるが、そこまで干渉するわけにはいかないらしい。
あまり特殊なものを着て人に接触するのも目立つだろうと考えた結果、麻から作られた服と袋だけを貰ってきたために運べる荷物の量はかなり限定的である。
「止まってても始まらないか……。」
何かあれば戻ればいいのだ。
早めの撤退を心に誓い、宗絃は山への一歩を踏み出した。
山をぐるりと回り込むか、一度登り切ってしまうか迷ったが状況把握には山頂から見下ろすのがいいだろうという結論に達した。
目的さえ決めれば案外早く歩みは進む。
足場がさほど悪くなかったのも大きかっただろう。
一時間を過ぎたか、間違いなく二時間も経たないうちに視線の先では山が途切れた。
山を登り始めてから今までより長い時間が過ぎたのではないかと思いながら山の頂まで登るとそこには、宗絃が想像してい他よりもはるかに広い世界が広がっていた。
山の反対側を見た宗絃は思わず、
「高っけぇーー。」
と口に出してしまった。
その時初めて周囲を山に囲まれた盆地なのではなく、巨大な山の山頂が凹んだような地形の中にいた事を知ったのだ。
山に木が生えていないのは単に森林限界を超えていただけで、本来樹木が生えない高度にある森林に宗絃がいただけなのである。
山の反対側でも眼下には森林が広がり、ただ下山しただけでは植生環境の分からない森を抜けなければならない。
どうしたものかと考え始めた宗絃の上を突風と共に大きな影が横切った。
上空に目をやれば、堂々とした影の主の姿がある。
人間とトカゲを合わせたような体。背中に生えた一対の翼。放たれる圧倒的な存在感。
その威容はファンタジー作品で見るドラゴンそのものだ。
周囲に隠れられるような場所はない。
腕組みをしてゆっくりと高度が下がって来るが、翼をはためかせるのは数秒ごと。ドラゴンの浮遊が翼ではなく魔法によって維持されている事を示している。
宗絃を見下す鋭い瞳と目があっただけで力の差を実感する。
(この感覚、クロス以上なのは間違いない。)
どこまで戦えるかは分からないが、なんとかして隙を作って妖精さんの森側へ逃げるのが最善の選択肢だろう。
そっと腰紐から兜割を抜いて魔法の準備をして開戦に備えながらも、こちらから攻撃は絶対に仕掛けず、視線を逸らす事もなく、心の中では何もせず飛び去ってくれることを祈り続ける。
そして突然、ドラゴンの移動がぴたりと止まると同時に巨大な魔力は放たれた。
(来る。)
同時に宗絃も魔力を展開した。
火や水を出したり、その調節をする魔法そのものの使い方は妖精さんから伝授されたが、それを戦闘に活かす方法についてはクロスに学んだものである。
魔力の展開もその一つ。
クロスに学ぶ前の宗絃が火を飛ばして攻撃する時の手順は、魔力を放出、火を出す、射出する、という三段階を踏んでいた。
しかし、事前に魔力を展開した領域を用意してしまうことで、その空間内でなら一手間省いて火を出すことが可能になり、戦闘中では非常に有効な時間短縮に繋がるのである。
また、副次的な効果で大きな期待はできないが、防御面でも有効になる場合があるらしい。
クロス曰く明確に知覚はできないものの魔法には支配権のようなものがあるらしく、これが弱いと相手の展開した魔力内では存在を拒否されると魔法として存在できずに霧散してしまうのだという。
「まあ、魔法が消されたらいつもより気合い入れないと勝負にならないってことらしいな。」
簡単に言うクロスだったが、本人は魔法を消された経験がないので本当にそうなった場合の対処方法は分からないらしい。
「相手の魔法が消えても油断して痛い目見るだけだぞ。」
と付け加えていたため、過去に何か失敗したようではあるのだが。
少なくとも眼前のドラゴン相手にそんな余裕はないだろう。
放たれた魔法に自分の魔法をぶつけるか、防御一辺倒なら障壁を作ってしまうか。理想は対消滅の衝撃に乗じて目眩しを展開して闘争であるが、それが上手くいくのか。
一瞬思考を巡らせた後、宗絃には疑問が浮かんだ。
(何も、来ない?)
魔力が放たれたと存在を感じることはあっても害はない。魔法として火や風に転じて初めて『攻撃』となるのだ。
疑問を抱きながらも魔力を展開する宗絃に声がかけられた。
「ヒトか?よく鍛えられているな。」
「え?」
普通に考えれば声をかけてくる存在はドラゴンなのだが、人語で、しかも口が特に動かないために事実がすぐには受け入れられなかったのだ。
「ああ。すまなかったな。」
突然の謝罪と共に放たれていた魔力が消え、ドラゴンは再び降下して宗絃の前に降り立った。
「まともに声を出しても人語にはならんからな。魔法で出している。それに、魔力をぶつけられたままでは会話などできるまい。我が名はムーン。山の内側から出ようとする存在などこれまでなかったから物珍しさに見に来たのだが、よもやヒトとは思わなんでな。反応を見てみたかったのだ。」
どうやら魔力による威圧は遊び半分で敵対する意思はないらしい。
「よ、よかった。」
全身から力が抜けた宗絃が一呼吸置くのを見てムーンも心配が杞憂に終わった事に安堵した。
ムーンはこの山一帯を縄張りとする幻種と呼ばれるドラゴンである。
もちろん山の中心にある妖精の魔力が行き届く範囲は縄張りと呼ばないが魔力を知覚できる範囲には含まれる。
数年前、突如としてダンジョンや原生生物とは異なる魔力は感じ取れたのだが不干渉を貫いた。
ムーンとしてはダンジョンが現れたことが問題だった。
ダンジョンはその性質上、放置すれば確実にモンスターが溢れるが、世界の上位の存在とも言える妖精の魔力が届く範囲に無断で入るわけにもいかなかったからだ。
そもそもダンジョンは魔石を主とした魔力を集める存在が核となる。
精霊の魔力に満ち溢れたあの森では核の力として取り込むどころか逆に精霊の魔力に侵食されてしまうのではないか。
結局ダンジョンは他のものと同じようにモンスターを生み出したので変わらない機能を果たしていたようだが、大きな動きを始める前に不自然に生まれた魔力によって消滅したようだった。
片方のの正体だけでも見極めたいと思っていたところにその本人が森を出たために急いでここまでやって来たのだ。
何かとんでもない厄災ではないかとの懸念は完全に晴れた。
突然現れたように見えたことを問えば、自分でもよく分からないと答える少年はまだ何かを隠しているようではあるものの、秘めているものが悪いようには見えない。
会話を重ねてもその印象が変わることはなかった。
これからはヒトの世で生きようとする彼に手を出すのは自身の主義に反すると思ったムーンは彼を見送る事に決めたのだのだった。
(しかし、魔法戦は少し試してみても良かったかもしれん。伝え聞くヒトの魔法とはかなり違うようだ。だが……。)
ここで興味本位に遊んで妻の説教を受ける自分を想像すると二の足を踏んでしまう。
せめて向こうが先に手を出せばと期待しながらの威圧であったが冷静に対応されてしまった。
興味深い成長をしていることは間違いない。
次の機会があれば普通に頼むとしよう。この少年なら断らないだろう。
そう決めたムーンは切り出した。
「してソウシ。麓の森はいかにして抜けるつもりだ?」
「やっぱりあれ、広いよなぁ。妖精さんの森より広いし、山を目印にも出来なさそうだし。一回森に戻ってグライダー作るのがいいかもしれないけど、失敗出来ないのはなぁ。歩くよりは森の外に簡単に近づけるだろうから、ベストな気はするんだよなぁ。」
「ぐらいだぁ?」
「えっと、翼みたいなものを作れば飛べはしないけど滑空して、かなり森の外側まで行けるんじゃないかと思ってる。」
「滑空か。だが麓はグリフォンもおるし、のんびり滑空しておれば襲われるぞ?森にもウィンドホークがおるから風の魔法で攻撃されればひとたまりもないだろう。」
「そんなのいるのか……。グリフォンはなんとなくわかるけど、ウィンドホーク?」
「風魔法を使う鳥類だ。群れればグリフォン一頭ぐらい狩りかねない知能もあるぞ。魔物のいる森なら大抵いるな。ここは我らの縄張りだが、他の山ではワイバーンが幅を利かせておることも多いから気軽に空を飛ぶと痛い目を見るぞ?」
「し、知らなかった……。」
(先ほどの力を見るにグリフォンやワイバーンの数頭では話にならんだろうが、はて、ヒトとはこれほど強かったか?)
愕然とする宗絃を見ながら辿ったムーンの記憶では、それほど力があればヒトの中でも複数の国で名前を知られるほどの実力者になるのはずである。
やはり普通のヒトではないとムーンは確信した。
これからソウシの様子を見続けるのも面白いかもしれない。悠久の時を生きるドラゴンとしてはこのような変わり者は素晴らしい退屈凌ぎになるのだ。
「ソウシよ。よければ我が麓まで送ってやろう。ヒトの目につかない程度のところまでだがな。」
その言葉は項垂れていた宗絃の頭を跳ね上げ、
「よろしくお願いします!」
と即答させたのだった。
「よしよし。では背中に乗るがいい。」
そうして伏せようとしたムーンだったが宗絃は、
「あ、ちょっと待って。その前に、ごめん。一つ黙ってたことがある。」
と切り出した。
心当たりのあるムーンが素知らぬ口調で、
「どうした?」
と聞くと、知りたかった答えが返ってきた。
「実は俺、訳の分からない内に森にいたんじゃないんだ。あ、いや、訳は分かってないんだけど。他の世界で生きてたのに、死んだと思ったらこの世界に子供の姿で森の中にいたんだ。元はもう少し成長してたんだけど。」
「ほう。他の世界から来たと言うのか?それはまた興味深い。」
「細かい話は俺にも分からないから説明できないんだけどな。誰かに召喚されたらしい。」
「召喚された?それなのに誰もいない森の中におったのは確かにおかしいな。召喚として成立しておらん。」
「うん。ムーンは勇者召喚って話、知らないか?」
「何?勇者?魔王と対の勇者か?勇者も召喚もわかるが、勇者召喚?」
「やっぱり知らないか。」
特に期待していたわけでもなかったため、宗絃はすんなりと諦めたがムーンの答えは予想に反し、
「少し聞き覚えがあるな。かなり古い話だが。」
との答えだった。
「え?」
聞き返した宗絃にムーンは少し暗い声で答えた。
「すまぬが我はヒトの世とも距離を置いておる故、答えることはせぬ。その話はソウシが調べてくれ。ヒトの世と関わりのある同族もおる。まずはそやつらを探してみるのが良いだろう。」
「分かった。ありがとう。探してみるよ。」
あっさりとした答えにムーンは満足し、今度こそ背中に乗るよう宗絃を促した。
ムーンの背中に乗った旅は非常に快適に進んだ。
初めこそ風圧を感じたが、風魔法で対策してしまえば揺れもなく、高速で山を下るのみである。
麓が近づいて宗絃が驚いたのは森の木だった。
麓付近では十メートルをゆうに超えていたのだ。御神木と呼ばれて不思議ではないレベルの巨木が平然と並んでいた。
驚いて周りを見回す宗絃だったが、木の間隔は非常に離れているためムーンは余裕で避けながら飛行する。
山から離れると徐々に木々が小さくなり始めた。ムーンの言う「ヒトの目につかない」とは言葉の通り、余裕でムーンが隠れてしまう場所という意味だったのだ。
宗絃の知る森のサイズに近づいた頃、ムーンが、
「この辺りまでだ。ここからならすぐに森を抜けられるだろう。」
と言って着地した。
宗絃は背中から飛び降り礼を言った。
「ありがとう。勇者召喚の話も助かったよ。」
「うむ。我も久方ぶりの面白い出会いであった。それと勇者召喚の話だが、我の同族に会っても分からないようであれば知っていることを話すつもりだ。役に立つかは分からんがな。」
「ああ。何も分からなかったらまた来るよ。」
「外から入るのは難儀するだろうが、ソウシなら大丈夫だろう。ではな。」
あっさりとした挨拶と共に翼をはためかせたムーンは再び浮遊し、森の奥へと飛び去っていった。
それを見送り、宗絃も森の外へと向けて歩き出した。
森を歩くのはさほど難しくなかった。
魔力で周囲を探知してみても、大した生物は引っかからず、妖精さんの森にいた鹿の方が魔力が強いのではないかと思うほどだった。
ムーンに言われたウィンドホークとやらが試金石になるかもしれないと期待していたのだが特に襲われることもなく森の切れ間が視野に入っていた。
森の奥の方でしか強い反応はなかったがムーンもそれを分かっていてあの場所まで送ってくれたのだろうと思った。
森を抜けた先からはついに人間の世界である。
今ある食料で人里にたどり着けるだろうか、着いたとて生きていけるのだろうか。
不確定要素しかないものの、今はまず人間に接触しなければ始まらない。
気合いを入れ直して森から一歩を踏み出すと、明確に「ここから変わります」と宣言されたかのように何かの膜を通りぬける感覚だった。
「これが異世界、ヒトの世界。」
などと心の中で呟く余裕もなく、多数の鳥の鳴き声と人の叫び声が宗絃の耳に届いた。
(いきなりトラブル?ロクなもんじゃねえ……。)
鳥の影が十匹ほど集まっているので現場はすぐに見つけられた。
馬車が数台とそれを守るように展開した護衛が四人ほどと、明らかにその一団を狙って取り囲む鳥の群れ。
おそらくあれがウィンドホークだろう。
複数の方向から同時に風の刃を放つと、一団の誰かが放ったであろう魔法の障壁といくつかの反撃魔法にぶつかって馬車を守った。
人間側は当然として、ウィンドホーク達も随分と連携をとれた動きをしている。
一匹だけ紛れ込んでいる一際強い魔力を感じる一匹がリーダーなのだろう。少し離れた宗絃から見ればその個体だけが群れの後方に下がり、余裕を持って全体を見渡せる位置で動いていることがよく分かる。
対する人間側は空中からの攻撃に対応しきれていないように見える。
何よりも有効な反撃手段に乏しく、必死に放つ弓矢も魔法も相手を捉えきれていない。
決して彼らの腕が悪いのではない。
一団をよく守り抜いているものの、全体を守らなければならない事を分かって上手く攻撃範囲を広げているウィンドホークの指揮が優秀なのだ。
決して攻め急ぐ事なく、反撃されても余裕を持って躱せる距離から近づかずに相手を弱らせる持久戦を展開している。
魔力も矢も必ず尽きる事をよく分かっているようだ。特に矢は補給出来なければ残数が見た目で分かる。
完全に主導権を握り完封勝利の盤面が整っていた。
たった一人の援軍が到着するまでは。




