1章・放り出されてー2
宗絃は転校前の町で道場に通い剣術を習っていたときに使っていたのは木刀が主である。たまに師範が真剣を持たせていたが、巻藁切り以外をしたことはない。
それでも師範が繰り返していた言葉は覚えている。
「剣は心で振れ。」
剣で戦うことを想像した時、道場での日々が思い出されて自然と力が抜けていった。
無駄な力がこんなに入っていたのかと、自然に笑みが溢れるほどだった。
跳びのいた宗絃を再度発見し、のそりのそりと方向転換をする熊に声をかける。
「そんなに余裕かましてていいのか?」
問いかけられた熊だったが、剣を持ったところで宗絃にさしたる警戒を示さなかった。
まだそれほどの相手ではないと舐めているのが明らかだが、宗絃としてはありがたくすらある。
警戒などされていない方が取れる手段が多いというものだ。警戒などされていないのに、油断まみれに見えているのに一切の攻めを許さなかった白い長髪を後ろで束ねた師範を思い出す。
両手で構えた剣は子供の身体で振るうには大きく、重い。
振るうにはあまりに勝手の違う剣だが、自分には関係ないと言い切れる。
呼吸が整い始め、剣が軽くなっていく気がする。
熊は警戒もせずに宗絃へと全速力で接近し、先ほどと同様に立ち上がって前脚を振り下ろした。
「流石に三回も同じ軌道は……。」
宗絃は呟きながら振り上げられた側の前脚下へと潜り込む。
大ぶりを外し、再び四つ足となって下がった熊の首へと突きを繰り出した。
一直線に伸びてゆく軌道は間違いなく喉元を捉え、反対側へと貫通した。
手に残る感触を確かめながら剣を引き抜くと同時に、安堵からか足の力が抜けてその場にへたり込みそうになるところをギリギリで持ち直す。
剣を抜かれた熊は喉から大量の血を吹き出しながらその場で倒れ込み、絶命した。
それを確認して深いため息を吐く。
新しい命を与えられて早々にこれ程の命の危機にさらされるとは思っていなかった。
「人里を探してどうこう言ってる場合じゃなかったな。そうだ、パンツは……。」
大切な事を思い出し、空中で手放してしまった衣類を探すと、靴は空中で放り出されてそのまま落ちたのだろうか。転がっているのがすぐに発見できた。
ではパンツとズボンは?
地面に落ちているのは見つけられず、どこかに飛んで行ったのかと周囲を見渡すと湖に浮いている、見覚えのあるパンツとズボンが目に入った。
靴と違い風に流されたのだろうか。騎士から手を伸ばして届かない場所を揺蕩っているため、泳いで取りにいくしかなさそうだ。
これ程の疲労感で泳ぐのは大変そうだが、あのまま沈んでしまえば回収はさらに困難になる。
どうにかして今すぐ取りに行かなければならないだろう。
「ロクなもんじゃねぇ……。」
上半身のシャツとパーカー、靴下を脱いで湖に入ろうとした時、宗絃のパンツとズボンが浮いている場所の水が湧き上がり始めた。
突然の出来事に宗絃が反応すらできないまま停止していると水は人の形を取り始め、わずか数秒の間に美しい女性が現れた。
水から現れたとはいえ透明なわけでもなく、どういう原理か色までついて現れた過程を見ていなければ普通の人間を見分けがつかないほどである。
疲労で頭が回らないせいか瞬きを繰り返して見つめるしかない宗絃に、彼女の方から声をかけてきた。
「この度は争いを収めていただきありがとうございます。差し出がましいようですが、貴方のお召し物かと思いましたので。」
そう言って差し出されたズボンとパンツを、
「あ、ありがとうございます。」
と言いながら受け取った。
受け取りはしたものの、それを履くでもなく呆けた表情で見つめてくる宗絃に水の女の方から声をかけた。
「あの、どうかなさいましたか?」
思考停止していたことに気づいた宗絃は慌ててパンツとズボンを履きながら、
「あ、いや、その……。」
と声は出るものの、まともな単語を話せないままだったが、履き終えると少し頭が整理でき始めた。
改めて彼女を観察すると、やはり今は普通の人間にしか見えない。
顔立ちが非常に整っていることと、黒いローブが見慣れないこと、何度確認しても水上に裸足で立っている事は特筆すべきだろうが。
そうして結局、
「うーん、何から話すべきなのか分からなくて。とりあえず色々聞いてみてもいいですかね?まずは貴方は?」
と率直に何も分からないと白状しようと決心した。
このまま黙っていても埒が明かないのだから、何かは話してみようと思ったのだ。
敵意も感じないのを幸いに、思いついたことはなんでも聞いてみようという結論に至った。
「あぁ、これはうっかりしていました。私もヒトとお話しするのは初めてでしたので。私はこの泉の妖精です。ヒトと接触する妖精はほとんどいませんからね。分からない方が普通ですよね。」
ウンウンと頷きながら答える妖精さん。
その様子は美人な外見とギャップのある可愛らしさを醸し出し、宗絃は少し、いやかなり癒された。
「あ、自分のことも話さずに申し訳ない。俺は神田宗絃。説明するのは難しいのですが、ここに来たのはついさっきで自分でも分からないことだらけなんです。」
自分で説明できることがほとんどないと、そこまで話して気づいた。転生だのダイシショサマなどと話したところで通じる訳もないだろう。
言葉に詰まった宗絃に妖精さんは真剣な眼差しを向けていた。
「なるほど。少しわかりました。突然何かが現れたことは感じていたのですが、ほぼ同時にモンスターも出てきたせいで混同してしまっていたのですね。悪いものだとは感じなかったので不思議に思っていたのです。」
「感じた?」
「はい。これでも妖精ですから。それに、とても特殊というか、特異な感覚でしたので感じ取りやすかったのもありますね。通常の移動手段でここに来られたのでないことは分かります。」
ファンタジーの小説などでよくあるように、この妖精さんも自然そのものに近い存在らしい。
「今の貴方からも心地よい感じがしますね。でも、ご自身でもどのような存在か分からない。とても不思議ですね。少し深めに調べさせて下さいませんか?お役に立つ確約は出来ませんが。」
「調べる?そんなこと出来るんですか?」
「ええ。妖精は『世界に蓄積された情報』を視ることが出来るんです。高位であったり、得意な妖精は驚くほど多くの情報を得ることが出来るのです。残念ながら私はそうではないのですが、貴方の過去を見せていただければ、関係のある情報を得られる可能性はあるかな、と思ったのです。」
「是非ともお願いします。自分でも分からないことだらけですから。」
「分かりました。では先ほど湖に入られようとした時のように、足を水に浸けていただけますか?」
宗絃は言われるがまま、岸に座って足を水に浸した。
足湯に入ってみたいと思っていたのだが、こんなところで実現するとは思わなかった。
「では、失礼します。」
妖精さんがそう言うと、心なしか足に触れている水から何かの力が流れ込んでくるような感じがし始めた。
これが妖精さんに過去を見られているという事らしい。
見上げた妖精さんは何か祈っているように目を閉じ、胸の前で手を組んでいる。
(妖精っていうより女神様って言われた方がしっくりくる見た目だな。)
少しの間見惚れていると、ゆっくりと彼女の目が開いた。
「不思議です。」
噛み締めるようにそう言った。
「過去を見たのに、貴方は大人でした。それに、最後のあの光景……。」
「最後?ああ死んだ時の?」
「え?その時の記憶があるのですか?」
過去を見たのだから高校生の自分で当然と思っていたのに驚かれてしまった宗絃と、出生地のヒントでも見つかることを期待していたのに当然のように死んだ時の記憶があると言われた妖精さん、互いに想定外の反応に硬直してしまう。
先に声を出したのは宗絃だった。
「えっと、死んだと思ったら勇者召喚されたとかで違う世界に転生させるって言われて、気がついたら森の中に放り出されてたんです。」
「転生?どなたかに言われたのですか?私に見えた光景では死んだ後、もう森に立っておられたのですが。」
宗絃の話を聞いて、妖精さんはさらに混乱してしまった。
「もう一度お待ちいただけますか?もっと深く、世界の情報を探してきます。」
妖精さんも気になり始めたらしく、宗絃の答えを聞く前に目を瞑って先ほどのポーズに戻り黙り込んでしまった。
何度か眉根を寄せた後、再び目を開けた妖精さんは難しい顔だった。
「うーん、転生も、勇者召喚も分かりませんね。勇者については魔王が誕生した時、対をなす存在として人間の中に生まれる魔族特効を持った人間のことですが、召喚や転生とは異なるようです。」
「そういう勇者ならイメージは湧きますね。つまり魔王と呼ばれる何かがいる?」
「ヒトが魔族と分類した種族がいるのです。その種族を強制的に従える能力を持った個体が生まれることがあるようですね。私が得られる情報は自然界のものなので、ヒトが定義する情報はどうしても曖昧になるのです。推測ですが、転生に関してもこの世界の外も関わるような、いわば我々妖精よりも上位の存在に踏み込んだお話なので私では感知できないのかと。貴方のおっしゃる転生のお話をされた記憶も、世界そのものが上位に存在するため私には見えなかったのでしょう。」
「妖精さんの得られる情報も世界の情報全てが得られるわけでなはいと。じゃあ、勇者召喚も自然発生するのとは違う、人為的に勇者を別世界から呼んでしまうような何かであった場合には情報を得られない?」
宗絃の予想を聞いた妖精さんの表情が一気に明るくなった。
「そう!そうですよ!多分!自分でもどうして分からないのか不思議だったのですが、一気に納得できました!」
嬉しそうに喜んでくれるのは嬉しいことだが、妖精という超常現象のような存在が一気に人間らしく見えてしまい始めた。
宗絃の中ではちょっと抜けたお姉さんぐらいの位置付けになっている。
状況の腹落ちがあまりに嬉しかったのか妖精さんは自身のイメージが崩壊していることに気づかない。
「ヒトが強引に勇者を呼び出そうとした結果ソウシさんが別の世界から呼び出された。だから私が取得できる情報の埒外なのなら納得できます。」
「納得してもらえたならよかった。呼んだくせに人里離れた森の中に放り出された理由がわからないけどな。」
「むう。確かにそれでは意味がありませんね。それどころか野生動物に襲われて危機一髪でしたからね。あれ?急に敬語をやめられました?」
「あ、急に接しやすい口調になったからつい。」
「そういうことですか。気にしないでください。信仰や宗教はあるようですが、そうして欲しいわけではありませんから。ちょっとバカにされている感じがして悔しい気はしますが……。」
急に気を抜いてしまったが、妖精さんはさほどお怒りでもないらしい。
敬語が苦手な宗絃にとってはありがたい緩さである。
「これ以上に知りたいことは人里を探すしかないってことは分かった。けど、この森を抜ける方法が分からない、というか、生き延びられる気がしない。俺が弱すぎる。」
自分を卑下するわけではない。
先程の戦闘を経て分析した結果である。
「そうですか?あの熊を倒した身体強化魔法が使えるなら生き延びるぐらいはできるのでは?」
「いや、訳のわからない力が出ただけだから魔法なのかすら自覚がない。制御できない力じゃ何の保証にもならないだろ。」
「制御できない?それは困りましたね。私は干渉できる存在ではないのでお送りもできませんし。」
確かに困った様子の妖精さんだったが、悩んだ時間は大して長くなかった。
「では自信がつくまでこの辺りで訓練しますか?」
「え?出来るの?」
「生活場所は多少ならなんとか致しましょう。先程のように凶暴な生物がこの辺りに出ることは稀ですし、食べ物は果実もあります。」
「なるほど、自力で森を出られそうになるまで鍛えればいい、と。で?代わりに何をすればいい?」
「はい!話が早くて助かります!」




