序章・置いて行かれてー1
急な転校から一ヶ月で合宿へ出発となったその日、バスの中で苦痛としか言いようのない時間に耐えていた。
引っ越しすらも急に決まったため、宗絃は家の片付けや役所での手続きのために多くの時間を費やし、新しい級友との交流を図る余裕などなかったのだ。
顔と名前が一致しているのは席が近く、向こうから話しかけてくれる数人だけである。
クラス担任の若手教師としてはこの機会になんとか周囲に溶け込んで欲しかったのだが宗絃は見事に不人気席である運転手の後ろに一人で座ってしまい、彼を気にも留めないクラスの盛り上がりをBGMにして流れる窓の外の風景を眺めていた。
そんな彼の時間が苦痛に変わってしまったのは、窓に反射して見えた通路を隔てた反対側に座る担任の「クラスの輪に溶け込んで欲しい」オーラを全開にした表情を見てしまってからである。
だが宗絃としても明らかに孤立した自分を現在進行形で小馬鹿にし、バスの後方で盛り上がる連中と仲良くなりたいと思わないし、それなら独りで構わないと思うのだ。
担当クラスの平和を切に願う若手教師には申し訳ないが、彼女のためにあんな人間と関わりたくはないのだ。
何度目かのため息が出そうになった時、突然バスが制御を失った。
先程まで登り坂であった道路が少し下に変化したせいかもしれない。
ベテラン運転手もその制御を取り戻せない内に氷の上で滑ったかのようにガードレールを突き破って横転したバスは、勢いそのままに山を滑り降りた。
最初の衝撃からどれぐらいの時間が経ったのだろう。
うめき声を上げながら宗絃が目を開けた時には、バスは山中で静止していた。
目覚めたばかりの彼の意識を急激に覚醒させたのは事故の衝撃で傷ついた体の痛みではなく、どこかから聞こえる燃えた木材が爆ぜる音だった。
バスに乗っていたこと、事故が起きたこと、そして周囲が燃えている可能性。
彼の脳裏には一瞬で「爆発」の文字が過ぎったのだ。
逃げ出すために体を動かそうとした瞬間、打撲の痛みが彼の全身を支配した。
「ロ、ロクなもんじゃねぇ。」
不意に口癖が漏れ出した。
這い回ってでも、今は一刻も早くこの場から逃げ出すのが先決である。
痛む身体で必死に立ち上がると、突如視界の端で何かが落下した。
何事かと硬直した耳に、男の呻き声が聞こえた。
視線を巡らせると、宗絃同様に衝撃で身体を打ちつけたのであろう、痛みで声を出す運転手が転がっていた。
運悪くバスが運転席と反対側を下に横転してしまったせいで今までシートベルトに引っかかり、宙に吊るされた状態だったのだ。
「ロクなもんじゃねぇ」
二度目の口癖とともに運転手を担ぎ上げ、こちらは運良く全壊していたフロントガラスがあった部分を通り抜けてバスの外へ出た。
数メートル離れた所で木の影に運転手を下ろしバスの方を見ると、やはり火の手が上がっていた。
大きなものではないが、簡単に消えそうでもない。着実に大きくなり、ガソリンに引火するのは時間の問題だろう。
遥か彼方から聞こえるサイレンがここに向かうものであれば僅かに希望があるものの、到着してから山を降って救助活動が始まるまでの猶予があると考えるのはあまりに楽観的だろう。
全員は無理。
これは絶対の結論である。
だが同時に「誰か、なら」と思わずにはいられなかった。
そして一度思ってしまったが最後、このまま座視できる性分ではないのが宗絃だった。
「ロクなもんじゃねぇ」
三度目の口癖とともにバスへと向かう。
さっきは、逃げねば、運転手を助けねば、という意識で振り返る余裕すらなかったが、バスの中は惨状と呼ぶに相応しかった。
バス全体が燃え始めれば、などという問題以前に、もう助からない者もいるだろう。
「誰か、動けるか?」
問いかけに返答はない。
宗絃が今動けるのは話し相手がなくバスの異変に一瞬早く気づけたために、誰よりも早く防御行動が取れたと言う一点の幸運の結果でしかないのだ。
最初は宗絃の後ろに座っていた女子二人。
真面目にシートベルトをしていたのだろうか。バスが倒れている方向も味方したのか、一人はダメージが少なく、助け起こす段階で少し意識が戻ったのだ。
それでも朦朧としているらしく完全に自立して脱出することは不可能だったが、二人とも小柄であったことが幸いし一人を支え、一人を担いで運転手がいた所まで離れることができた。
再度バスに戻る頃、身体に力が入らなくなってきた。
しっかりと鍛えているつもりだったが、流石にこれほどのダメージを負った状態では限界が見えてくる。
自分自身を支える力も危うくなりながら再度バスに辿り着く頃、変化に気づく。
(火の手が激しくなってる……?)
そしてもう一つ。
(呻き声?)
先ほどは聞こえなかったはずの声が聞こえる気がした。
誰かが目を覚ましたのだろうが、呼び掛ける声も出ず、結局バスに入って確かめるしかない。
呻き声の主は相変わらす名前も知らない女子だった。少し動けたらしく、脱出を試みたのかバス前方まで来ており、横倒しになった座席に寄りかかっている。
しかし、それが彼女の限界なのだろう。
呻き声すら出せなくなったらしく、その場でへたり込んでしまった。
頭や、ガラスで切ったであろう脚からは出血し痛々しいが死ぬには程遠い。最優先の救助対象だろう。
抱き起こそうとすると、彼女の方からしがみついてきた。
「お願い、助けて。」
掠れた声での懇願だった。
「分かってる。自力じゃ、歩けないか?」
問いかけに答えはなかったが、寄りかかる力が少し和らいだのがわかる。
その後、言葉のやり取りは無かったが二人で必死にバスから脱し三人の元へと運ぶと、力を出し切ったのか、彼女は膝から崩れ落ちた。
三度バスに向かおうとする宗絃の手が突然掴まれた。
「待って……。だめ……。」
今助けた女子だったが待てるはずはなく、言葉を返す余裕もないまま歩みを進めると驚くほど簡単にするりと手が抜けた。
振り返りもせず火の手がさらに勢いを増すバスへと向かう。
まだ何人か、明らかに息があるように見えたのだ。担任は意識が戻りかけていたのか、少し動いていた気もする。
まだ、まだ、と思う中、突然視界が大きく揺れた。
爆発ではない。
自分が膝から崩れ落ちたのだ。
バスに手を伸ばし、先ほど簡単に手が抜けた理由を知った。
いつの間にか流血で赤く染まっていたのだ。
ここまでかと悟る。
今更にサイレンの音がすぐそこに迫っていること、救助隊員と思われる誰かの叫び声に気づいたが、もう遅いかもしれない。




