第7話 災害派遣
数日後。
早朝、まだ夜明け前のこと。
ヤコブはまた、いつもの“戦争の夢”に囚われていた。
───
──運河の向こう側が、真っ赤に燃え上がる。
歓喜と悲鳴が入り混じった声が、遠くから押し寄せてくる。
救助隊のテントから、不死鳥マリアが飛び立った。
「……あの炎はミルカの火竜の力だな。北の連中は……全滅だろう」
青年はポケットに触れる。
「……でも、これで戦争は終わる。やっと……この髪飾りをミルカに渡せる……」
(そして、想いを伝えよう……)
──しかし、一時間後。
「不死鳥はどこだ! 意識不明の霊獣使いがいる!」
兵が駆け抜ける声に、青年は振り返った。
「……なに? カナンの連中は全滅したはずだ!」
「運河の中にまだ生き残っていた! 火竜使いミルカが攻撃を受けた!……重傷だ!」
「ミルカが──!」
視界が揺れ、地面が崩れる。
全速力で駆け抜ける。血を吐きそうなほどの焦りと痛みを抱えながら。
「マリア! 急げ!」
運河の先は黒く焦げ、崩れ落ちていた。
焦げ臭さが鼻を突き、そこに集まる霊獣使いたちは皆、下を向いて泣いている。
火竜までもが、沈黙のまま目を伏せていた。
「……嘘だろ……」
中心に横たわっていたのは──もう二度と目を開けない女性。
───
「……っ!」
ヤコブは飛び起きた。全身に冷たい汗が張りつき、胸が荒く上下する。
また、あの戦争の夢。
なぜ同じ光景を繰り返し見るのか、自分でもわからない。
けれど、そこに焼きついた女性の面影が……どうしても春香の笑顔と重なってしまう。
(……初めて会ったはずなのに。
まるで、ずっと昔から知っていたような……)
夢だと頭では理解している。
だが心は、説明できないざわめきに抗えなかった。
───
その時。
窓から、赤い封筒をくわえた伝書バトが舞い込む。
「……! 本部から……緊急徴集……!」
ヤコブは素早く着替え、表情を引き締める。
そして扉の前に立ち、軽くノックをした。
「春香さん。早朝にすみません」
「……? はい……」
驚いた声とともに、春香がばさりと布団から起き上がる。
「起こしてしまって申し訳ありません。本部から緊急徴集がかかりました。
災害派遣で……おそらく一週間ほど戻れません」
「……危険な任務、なんですか?」
「できるだけ、被害が出ないように動くだけです」
ガチャリと扉が開く。
そこに立つヤコブの真剣な顔を見た瞬間、春香は思わず彼に飛びついた。
「──っ!」
ヤコブの身体が硬直する。
「気をつけてください……お願いです」
ヤコブは一瞬、彼女の肩に触れるのをためらった。
だが、そっと手を添え、安心させるように優しく抱き返す。
「……必ず、帰ってきます」
その言葉とともに、彼の頬がほんの一瞬、春香の頬に触れる。
意図したのか、偶然なのか分からない──けれど胸が跳ねる感触。
「では……行ってきます」
扉が静かに閉まる。
残された春香は胸に手を当て、鼓動を必死に抑えていた。
(……必ず、帰ってきてください……ヤコブさん)
───
ヤコブが災害派遣に出てから、一週間。
春香は窓辺に立ち、空を見上げては小さくため息をついていた。
「……今日も帰ってこなかった」
彼と鳩達がいない屋敷は、広すぎて、静かすぎて。
作った料理も、片付けた書類も、心を満たしてはくれない。
──そして七日目の夕暮れ。
重い扉が、ゆっくりと開いた。
「ヤコブさん……!」
駆け寄った春香の視線の先には、疲れ切った軍服姿のヤコブ。
泥にまみれ、深い影を宿したその目が、彼の過酷な任務を物語っていた。
「おかえりなさい……!」
言った瞬間、ヤコブは無言のまま、春香を力強く抱きしめた。
「……何か、あったんですか?」
沈黙ののち、彼の低い声がぽつりと落ちる。
「……住民の一人が……助けられませんでした」
春香は言葉を失う。
抱きしめる腕の力が、さらに強くなる。
「少しだけ……肩を貸してください」
春香は静かに頷き、彼の背に両腕を回した。
「……はい」
その夜、二人は多くを語らなかった。
ただ並んで座り、湯気の立つ紅茶を見つめていた。
静かな屋敷に、互いの心臓の鼓動だけが響いている。
──やがて、ヤコブが小さく呟いた。
「私は……指揮官として、部下の前では強くなくてはいけない。
けれど……私は弱い。こんな私を見て、幻滅しませんか?」
春香は首を振る。
「幻滅なんてしません。……むしろ、住民の方のことをこんなに想えるヤコブさんは、とても優しい人だと思います」
「しかし……軍を率いる立場として、この弱さは……」
「じゃあ……」
春香はまっすぐ彼を見つめる。
「私の前では、その弱さを出してください。絶対に否定しません。
優しいヤコブさんを、なくさないでほしいです」
気づけば、春香は彼を強く抱きしめていた。
「……ありがとう。……春香さん」
ヤコブは無意識に彼女を引き寄せる。
だが、はっとして距離を取った。
「……すみません。この屋敷に春香さんを迎えた時、手を出すことはしないと決めたのに……何度か触れてしまった」
春香は首を振り、そっと微笑んだ。
「……ヤコブさんだからいいんです」
「……っ」
「私……最初は、助けてもらったからだと思っていました。
でも違う。……多分、ヤコブさんのことが好きなんです」
「──!」
──そして、ふっと春香の頬へ顔を寄せる。
目を閉じかけて、一瞬ためらうように動きを止める。
「……挨拶の言い訳は、もう通用しませんね……」
春香の胸が跳ねる。
ヤコブは、今まで「ただの挨拶だ」と言い訳してきた自分を、彼女の前で打ち砕いた。
ヤコブの頬が赤く染まる。
視線を逸らしながらも、深く息を吸った。
「……春香。今からするのは、ただの挨拶じゃありません。いいですか?」
春香は真剣にうなずいた。
次の瞬間、彼の唇がそっと頬に触れる。
温かな誓いを込めて。
続く




