第4話 窃盗
昼下がりの市場は、焼き立てパンや果物の甘い香りでにぎわっていた。
春香は布袋を抱え、隣のヤコブと並んで歩く。
「このリンゴ、すごく赤いですね」
「ええ、焼き菓子にしたら映えるでしょうね」
そんな会話をしていた、その時だった。
「きゃあっ!」
通りの向こうでマダムが悲鳴を上げ、男がカバンを奪って走り出す。
「待て!」
ヤコブが即座に声を上げる。
「春香はここで待機を!」
短く指示すると、一直線に犯人を追った。
狭い路地を抜け、ヤコブが腕を掴んで取り押さえる。
だが、男はナイフを振り回した。
刃先がかすめ、ヤコブの頬に赤い線が走る。
「ヤコブさん!」
追いついた春香が青ざめて駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「……かすり傷です」
冷静に答えながらも、頬から血がにじんでいた。
その時。
軍服姿のヨハネ指導官が現場に駆けつける。
「ヤコブ! すまない!」
ヨハネは男の上にまたがり、縄で拘束する。
空からは、朱色の大きな鳥影がすぅっと降りてきた。
「おいおい、ヤコブ! 顔に怪我してるじゃねぇか」
不死鳥が羽を広げ、ふわりとヤコブの前に舞い降りる。
「……しゃ、喋った!?」
春香が目を見開いた。
「なんだ?お前……ん?どっかで会ったことあったか?」
「……俺は三百年生きてるからな。話せて当然だ」
冗談めいた声とともに羽が光り、ヤコブの頬の傷がすぅっと塞がっていく。
「ありがとう、マリア」
「その女みたいな名前で呼ぶなって言ってるだろ!」
やり取りに春香は呆然とする。
その頬を、春香はためらいながら指でそっとなぞる。
「もう……血も止まってますね。よかった」
ヤコブは咄嗟に視線を伏せ、春香の手を優しく握り下ろした。
「心配をかけましたね」
不死鳥が口を開く。
「なんだ? この女、お前のつがいか?」
一瞬、空気が止まる。
「黙れ」
ヨハネの低い声が飛ぶ。
「ヤコブすまなかった……後はこちらで引き継ごう」
不死鳥は「ちぇっ」と翼をすぼめた。
「さっさと歩け」
ヨハネは男を連れて行く。
市場のざわめきが戻る中、春香の胸の鼓動だけがやけに速く響いていた。
───
帰り道。
「すみません……面倒事に巻き込んでしまって」
「いえ……ヤコブさんの傷が治ってよかったです」
「霊獣って人の言葉話せるんですね……びっくりしました」
「霊獣にもいろんな個体がいて、伝書バトのように人語を話さない個体もいます……何百年も生きた者は、言葉を覚え、使える魔法も増える事があります」
「……すごい」
春香の小声に、ヤコブは少しだけ笑みを浮かべた。
「この国の人は皆、霊獣使いになれるんですか?」
「霊獣使いは誰もがなれるわけではありません。血筋の影響も大きい。私の一族は鳥との契約が多いのです。姉はカラスと、父はコウノトリと契約し……物流を支えて商人として成功しました」
ヤコブがふと、昔を振り返るように語り始める。
「……私は最初伝書バトのナナと契約しましたが、
今のように手紙を運ぶのが上手ではなく、よく紛失して、仲間からは“使えない霊獣使い”なんて言われました」
春香は驚いた顔でヤコブを見る。
「ヤコブさんが……? 信じられません」
「だから必死に練習しました。視界共有も、剣術も……。なんとか今の立場になりました」
ヤコブは淡々と話すが、その背中には確かな努力の重みがある。
春香はしばらく黙って聞いていたが、やがて柔らかく笑う。
「……でも、その頑張りがあるから、今のヤコブさんがいるんですね」
ヤコブは少し照れくさそうに視線を下に向ける。
春香は、何気ない調子で続けた。
「そういえば……ヤコブさんに子どもができたら、どんな鳥と契約するんでしょうね」
「……え?」
ヤコブの足が止まる。
春香は気づかずに、楽しげに言葉を紡ぐ。
「女の子だったら……雀とかツバメとか可愛いですよね。
男の子だったら、大鷹……鷲とか?……かっこいいです」
くるりと振り返った春香は、ヤコブが顔を赤くしているのに気づき、首をかしげる。
「……あれ? どうかしました?」
「……な、なんでもない……」
耳まで赤く染めたヤコブの姿に、春香は思わず小さく笑った。
二人の距離は、夕暮れの道の中で少しずつ縮まっていく。
───
霊獣管理協会本部。
不死鳥が口を開く。
「なぁ……ヨハネ……ヤコブと一緒にいた女、霊獣使いじゃないよな?」
「そうだ。一般の方だ」
「……だよなぁ。昔あの女、見たことある気がするんだよなぁ……俺の相棒が好きだった霊獣使いに似てる」
「いつの話だ」
「140年前の終戦の時……」
「そんな訳ないだろう」
「お前ら霊獣と同じにするな……人間は80年近くしか生きられない」
「そうだよなぁ……似てるだけだよなぁ」
不死鳥はふわりと窓の横に着地する。
「まぁ……戦死したからな……ミルカは」
夕陽を眩しそうに不死鳥は眺める。
続く




