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第2話 ただの挨拶

 翌朝。

「よし、書類まとめ終わった!」


 昨晩の夕食のときにヤコブからこの世界の仕組みを聞き、まだ夢のような気持ちでいる春香。

霊獣と契約することで魔法を使えるようになるなんて、本当にファンタジーそのものだった。


 書斎を出ると、ふわりと甘い香りが漂ってきた。

テーブルにはこんがり焼けたフレンチトーストが並んでいる。


「フランスパンを卵と牛乳に浸して、バターで焼きました。簡単ですが……どうぞ」

「いただきます!」


 ひと口食べた瞬間、じんわりと優しい甘さが広がる。

「おいしい……フランスパンのフレンチトーストなんて初めて食べました!」

「気に入っていただけて良かった」

ヤコブは穏やかに目を細め、食前の祈りを捧げる姿もどこか品がある。


(……やっぱり紳士だな)


  

「……あのヤコブさん、午後から洗濯や夕飯作ります」

ヤコブは驚いたように目を瞬かせる。

「いいのですか? はるかさん」


「いや……洗濯物は自分でしますよ」

ヤコブは少し頬を赤らめて視線をそらす。

 

「少し……恥ずかしいですから。未婚の女性(マドモアゼル)にお願いするのは失礼かと……」


(……婚約破棄されたなんて言えないし)


「ヤコブさんは……その……結婚されているんですか?」

「いえ……していません」

「じゃあ……ヤコブさん、おいくつなんですか?」

「私は28歳です。……行き遅れですね。本部勤務は休みがなくて……なかなか続かなくて」

(昔付き合っていた彼女の浮気現場を見てしまってから……女性不信になったとは言えない……)

 


春香は思わず胸の奥でつぶやく。

(こんなにイケメンで、しかも紳士なのに……独身……遊び人? いや、違う。誠実な人だって、なぜか分かる……) 



「それなら今日は家事ではなく……私と一緒に街に出かけませんか?」

らね」

「えっ…」

「服を買いに行きましょう」

 

「いつまでも姉の服ばかりでは申し訳ないですから」

「……なんかすみません……」

 


 春香の脳裏に、過去の言葉がよみがえる。 

『なんでそんな明るい服を着る? 黒にしろ!』

『お前みたいな取り柄のない女と付きあってやってるんだ。恵まれてると思え』


 

「はるかさん?」

はっとする。

 

 ヤコブが心配そうに顔を見つめる

「いえ……なんでもないです」


────

 

 一緒に王都の街を歩く、石畳の道に入ると少し歩きにくいなと思った瞬間。

 

「どうぞ」

そう言って自然に差し伸べられた大きな手。

 

「ありがとうございます……」

(やっぱり紳士だな……)

 

   

 店に着くと、店員がにこやかに頭を下げた。

「いつもご贔屓にありがとうございます、アルカディール様」

「私の一族は商人ですが、長年頼んでいる店でね。ここの服はいい品物ばかりなんです」

「彼女に合うものを三着ほどお願いします」


(……ヤコブさんの家柄は、商人なんだ)


春香は勧められた青いワンピースに袖を通す。

鏡に映った自分に、思わず見惚れた。

 

「……どうでしょうか」


ヤコブは言葉を選ぶように、けれど優しく微笑んで。

「……素敵ですよ、春香さん」

春香の頬が熱くなる。

 


───

 

「お洋服ありがとうございます。私何も返せなくて……」

「いえいえ……あの書類の量をたった1日でまとめていただけて本当にびっくりしました」


ヤコブは心配そうに春香の横顔を見る。

「けど……無理していませんか?」

「大丈夫です」

 

「無理はしてはいけませんよ」

「はるかさんは優秀な方ですね……すごい才能をお持ちだ」

「えっ……そうですかね……」

 

──

 

『これ頼む!急ぎで』『早くしろ』

残業して仕事するようになってた……。

そしてそれが当たり前になっていった。 


(OLの事務経験しかなかったけど……) 

(褒められた事なんてなかった……)

  

 でもなんでだろう……。

この人の横を歩いていると落ち着く。

理由はわからない……。

 

懐かしいような。不思議な感覚。

会ったばかりなのに……。


───

 

 二人はキッチンに立ち、話ながら夕飯の準備をしていく。

ヤコブは慣れた手つきで、パンやチーズをカットしていく、

「簡単な夕飯ですみません……」 

「本部勤務は24時間体勢なので、いきなり呼び出されますから」


「一度、ポトフ作って緊急徴集がかかり、そのまま、地方に派遣され、一週間後屋敷に戻ったら……」 

「大変な事になってました……」

「これ以来あまり料理をしなくなりました」

ふっと苦笑いをするヤコブ。

 

(冷蔵庫とかないから……悲惨だろうな……)

想像したらゾワっとした。

 

 

「ヤコブさん……明日から夕飯良ければ作りましょうか?」

「私はパンとチーズがあれば十分ですが……」

 

ヤコブは少し考えた後、

「では交互に作るのはどうでしょう? はるかさんの負担にならない程度に」

 

「じゃあ明日夕飯私が作りますね。何か好きなものはありますか?」

 

「そうですね……シチューとかですかね」

「わかりました……私作ります」


「本当にいいんでしょうか?」

「明日がとても楽しみです……」

あどけない笑顔につい、胸が高鳴る。

  

「今日は早いですが……もう寝ましょうか? 新しい環境でお疲れだと思いますから」

「ありがとうございます……」

 

「おやすみなさい。はるかさん」 

(なんでこんなに……この人は優しいんだろう)

  


 初めての共同生活1日目はあっという間に過ぎていった。

 

 

──

  次の日 

 春香はキッチンに立ち、シチューをコトコト煮込む。 

 ヤコブが帰ってきた。

 

「今……帰りました。はるかさん」

「おかえりなさいヤコブさん」

髪を結んでエプロン姿でいる春香をみていた。

 

「……? どうかしましたか?」 

「いえ……つい見とれてしまいました」

 

「家で待ってくれる人がいることはこんなに幸せな事なのですね」

「えっ……」

 

「すぐ着替えてきます」

 

シチューを並べていると2階からヤコブが降りてきた。

「いただきます」 

「主を恵みに感謝します」

 

春香はシチューをすくうヤコブの顔をじっとみていた。

(味つけ大丈夫かな……)


「美味しいです……とても」

「お料理上手ですね」

 

「よかったです……」  

(元彼には『俺の母親の方がうまい』なんて言われてばかりだったのに……。こんな風に笑って褒めてもらえるなんて……)

  

「私は幸せものですね。ありがとうはるかさん」

  

(私はOLしか経験なくて、家事も人並みで『何の取り柄もない女』って言われてきて、ずっとそうなんだって思ってきた)

 

(でも、この異世界に来て……こんなにも温かく満たされていく)

 

「……私も幸せです」

(彼の前だと自然と笑顔になってしまう)

  

「……」

ヤコブはつい春香の笑顔に見惚れていた。

「ヤコブさん?」


「いえ……なんでもありません。ごちそうさまでした片付けは私がしますので、はるかさんはお休みください」

 

食器を重ね立ち上がるヤコブ。ふと横顔を見ると耳が少し紅くなっているように見えた。


 

────


 翌朝。

春香はふと庭先に出て、息をのんだ。


ヤコブが上半身裸で、剣を振るっていた。

鍛え上げられた肩や腕が朝日に光っている。

(……すごい。鍛えてるんだ……)


  

視線を逸らそうとするが、つい目が吸い寄せられてしまう。


「おっと……すみません」

タオルでさっと体を覆うヤコブ。

 

「春香さん、おはようございます」

 

「おはようござい──」 

そう言って近づいてきた瞬間――。

 

頬に、ふっと軽くヤコブの頬が触れる。

柔らかい香水の香りがふわりとする。


「──!!」

春香は目を丸くする。


「?…la biseビズですよ……ただの挨拶です。親しい者同士の」

「私は男性にはしませんが……する方もいますよ」

 

(ただの挨拶!? これが!? 異文化……!!)

(……てか、そうだった……ここ、異世界なんだった!!)


春香は胸を押さえ、ドキドキを抑えきれなかった。

 

ヤコブはすぐ背を向けた。

「……行きましょう」

低い声でそう言いながら、耳の先がわずかに赤く染まっていた。


(……見られてないですよね)

タオルを握る手に力がこもる。

 


 

続く


ヨーロッパではビズ(la bise)と呼ばれる挨拶があります。

実際に唇は頬には触れず、キスするフリをすることの方が多いです。

人によって頬にキスしたり、音をだす方もいます。

男同士は少ないです。

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