第17話 婚約の準備
ある昼下がり。
春香は庭で洗濯物を干していた。
風がそよぎ、青空に白い布が揺れる。
(そういえば……昨日、『春香さん、そろそろ婚姻の準備を始めましょうか』って言われたけど……)
(この世界の婚姻って、どんな感じなんだろう)
指先が少し震える。
思い出すだけで、胸の奥が温かくなるのを感じた。
───
一方その頃。
ヤコブは深呼吸をひとつして、執務室の扉をノックした。
「失礼します、指導官ヨハネ。ご相談があって参りました」
「どうした、改まって」
書類から顔を上げたヨハネが目を細める。
ヤコブは拳を握り、まっすぐな瞳で告げた。
「……婚姻したい女性がいるのです」
その瞬間、部屋の隅で羽を休めていた不死鳥がバサッと羽を広げた。
「おいおいヤコブ! ついに結婚か!? この前の女か!?」
「お前は黙っていろ」
ヨハネが不死鳥の頭を押さえつける。
「……婚姻の保証人になっていただけますか」
「ふむ……もちろんだ」
ヨハネの唇に、珍しく柔らかな笑みが浮かぶ。
「おめでとう、ヤコブ」
「ありがとうございます」
ヤコブは深々と頭を下げた。その手は、微かに震えていた。
───
夕暮れ。
食卓に並ぶ温かなスープの香りが、静かに部屋を包む。
ヤコブはスプーンを置き、少し緊張した面持ちで春香を見つめた。
「春香さん……婚姻のことですが」
「え?」
春香はスプーンを持ったまま、首をかしげる。
「この世界では、魔力を持つ結婚証明書にお互いが署名し、保証人が承認すると……正式に夫婦になります」
「はい……」
「災害派遣で少し遅れてしまいましたが……今度の休日、ヨハネ指導官が保証人になってくださるそうです」
春香の心臓が高鳴る。
ヤコブは真っ赤な耳を隠すように俯きながら、真摯な声で言った。
「その日に……私と夫婦になってくれますか?」
春香は思わず息を呑んだ。
その瞳の奥には、真っ直ぐな愛が宿っている。
「……はい。嬉しいです」
そう答えた瞬間、ヤコブはほっと微笑んだ。
照れたように頭をかきながら、それでも目はどこまでも優しかった。
───
次の日。
ヤコブは街の宝石商を訪れていた。
「こちらはいかがでしょう? 大粒の宝石を─」
「いえ……もっと、控えめなものを」
静かにショーケースを覗き込み、やがてひとつの指輪を手に取った。
細い銀の輪に、小さな青い石がひとつだけ。
(春香さんには……派手な輝きより、静かな光が似合う)
手のひらでその指輪を包むと、心が穏やかに満たされていく。
(明後日、彼女に渡そう)
──
「スープ温めよう」
春香は椅子から立ち上がると、
──カランと髪飾りが床に落ちた。
「えっ……やだ……」
「今まで一度も落ちたことなかったのに……」
(……なんにもないよね……)
ふっと風が吹き抜け、カーテンが揺れた。
胸の奥に小さな不安が芽生える。
続く




