第10話 140年前の髪飾り
春香がログハウスに入ると、ヤコブが気まずそうに立っていた。
「春香さん……すみません」
「え?」
ヤコブは視線を落とし、低く告げる。
「本当は、部屋を二つ用意するようにマタイに頼んでいたんです。ですが……一つしかなくて」
ヤコブは深く息を吐き、真っ直ぐに春香を見つめた。
「正直に言いますと……一緒に寝たら春香さんに手を出してしまいそうになるので、外の椅子で寝ますね」
「えっ……でも」
「野営で慣れていますので……気にしないでください」
「……春香さん、おやすみなさい」
春香の胸がきゅっと締めつけられる。
───
ヤコブは外のイスで星空を眺めると、ふと気配を感じ、横を見ると春香がそっと隣の椅子に座る。
「なかなか寝れなくて……隣良いですか?」
「どうぞ」
「現実世界ではこんなに星が見れないんです」
春香は呟くように言う。
「春香さんがいた世界は、どんな世界だったのですか?」
「私たちの世界は、能力とかそういうものはなく、私はただの会社の事務員でした」
ヤコブは静かに頷く。
「春香さんはその世界で生まれて、こちらに来たのですね」
「最初はこの世界に来て怖い人に連れて行かれそうになった時、戻りたいと思いました。でも、今は……ヤコブさんといられて、帰りたくないです」
その視線に、ヤコブは我慢できず春香を抱き寄せる。
「良かった……いつかあなたが突然いなくなるのではと……」
力がさらに込められる。
ヤコブの腕が少し震える。
「私はヤコブさんから離れません」
やがて二人は星空の下、手を繋いだまま眠りについた。
──
翌朝。
春香が目を覚ますと、ヤコブはすでに起きて、馬の世話をしていた。
「おはようございます。昨日すぐ寝ちゃいましたね」
「そうですね。移動で疲れたのかもしれませんね」
「春香さん、朝食ですがこの近くに有名なパン屋があるそうです。一緒に買いに行きましょう」
帰り道、二人は骨董品店に立ち寄る。
春香は入り口近くの絵画を見入っている。
ヤコブは奥に進み、棚の奥に
飾られた青く小さな石のはめ込まれた髪飾りに自然と手が伸びる。
「これをください」
しかし若い店員は首を振る。
「これはすみません……展示品でして……」
「……そうでしたか。失礼しました」
立ち去ろうとした時、店の奥から老人が現れた。
「これが気になりますか?」
「ええ、素敵で……大切な方に渡したいと思いました」
長老は微笑む。
「……あなたなら、無料であげよう」
「いえ……そんなわけには」
「一度も使用されず保管されているものです。ぜひお使いください」
「きっと髪飾りがあなたを呼んだのでしょう」
「ありがとうございます。必ず大切にします」
ヤコブは深く頭を下げ、髪飾りを手にした。
その背を見送りながら、老人が小声で話す。
「あの髪飾りは、私の祖先の知人からのもので、戦争で想い人が亡くなり、渡せなかったものだったらしい」
「求める者がいたら渡してほしいと言われていたが……」
「百四十年、求める者はいなかった。今回が初めてだ」
──
ヤコブと春香は運河の横を手をつないで歩いていた。
「春香さんに渡したいものがあります」
「えっ……」
胸ポケットから先程の髪飾りを取り出し、春香の手にそっと載せる。
「すごく綺麗な髪飾り……貰ってもいいですか?」
「えぇ……」
春香は前髪に髪飾りをつける。少し恥ずかしそうに顔を上げる。
「どうですか?」
「やっぱり春香さんにとても似合いますね」
「ありがとうございますヤコブさん」
ヤコブは緊張しているように見えた。
「春香さん……」
「ヤコブさん……?」
「私と婚姻してくれませんか?」
「……」
春香はふっと微笑む。
「はい……私でよれば」
あどけない笑顔に、ヤコブは思わず片手で抱き寄せた。
「必ず、あなたを守りますから」
「渡せて良かった……」
胸の奥に湧き上がる嬉しさと理由の分からない切なさが同時に込み上げてくる。
その感情を抱えたまま、ヤコブは更に春香を強く抱き寄せた。
なぜか、春香の瞳から涙が零れ落ちた。
ずっと昔から、この言葉を待っていた気がする。
理由は分からない。
けれど確信できた。
──自分は、この人に出会うために異世界へ来たのだと。
ヤコブもまた思う。
「ようやく……ようやく出会えたのかもしれない」と。
互いの鼓動が重なり合う。
二人の物語は、確かに動き始めていた。
続く




