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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

走馬灯

作者: 傘ゆき
掲載日:2026/04/01

「どうすれば......どうすれば......」


 銃弾を喰らった右腕を抑え、地雷の破片で負傷した左足を引き摺りながら、なんとか茂みをかき分けていく。


「どうして......どうして......」


 視界が滲んでぼやける。雨のせいではない。きっとこれは涙なのだろう。


「まだ......まだ......」


 死への恐怖が一歩一歩踏み出すたびに増していく。このまま死ぬのだろうか?そう思うと今までのことを思い出す。

 これが走馬灯というやつなのだろう。


※ ※ ※


 物心つく頃には、僕は孤児院にいた。

 僕の記憶の中では母の顔はぼんやりとしか覚えていなかった。

 僕が三歳の頃に孤児院の前に毛布に包まれて捨てられて、院長はそんな僕を気の毒に思い、この孤児院で育ててくれたのだ。


 とはいえ、この孤児院は決して裕福というわけではない。

 建物はボロボロで、雨漏りなんてしょっちゅうだ。隙間風はどの部屋にいても吹き、寝る時は毛布一枚だ。そのため冬に暖を取れるのは暖炉くらいだが、いつも取り合いになるし、気が勿体無いと滅多に暖炉に火は灯らない。

 食事は一日二回で、かたいパンとぬるいスープしか出ない。贅沢といえばクリスマスに食べるローストチキンぐらいだろう。

 この孤児院には院長と五人の職員がいるのだが、通常孤児院にはもっと職員がいることを僕はこの孤児院がヒソヒソと文句を言っているところをたまたま聞いた。


 しかし、そんな孤児院で厄介な孤児がいる。ボンだ。ボンは孤児の中でも比較的に体が大きく、力も強い。弱い奴をいじめては、布団やらパンやらを無理やり奪っていく。抵抗すれば殴られるし、それを止めようとした子も殴られる。

 だから、僕はボンがすることには一切口を出さないようにした。厄介ごとに巻き込まれたくないから。

 一部僕のように関わらないようにする子はいて、僕を含めた一部は標的にされなかった。彼らが僕は院長に気に入られていると思い込んでいるところもあるのかもしれないけれど。


 そんなある日の朝、僕が朝早く起きて仕事の準備をしようとすると、ボンが僕に話しかけてきた。


「なんでテメェは威張んねぇんだ?テメェは『特別』なのによ」


「別に、僕は君が思うような『特別』じゃないよ。確かに僕は院長に仕事やらなんやらを押し付けられているけど、君が思うように優遇されているわけじゃない。

 君たちと違う点はここで赤ん坊の時から育てられたか否かだよ。たまたま院長に仕事をもらって、ここで過ごしていいと言われただけだから」


 普通、孤児になるには親のサインが必要なのだが、勝手に孤児院の前に置いてかれ、僕は誰の子かもわからないただの身寄りのない赤ん坊だったわけだ。

 院長にとってこの孤児院で僕を育てても、利益というものはない。院長の慈愛で僕はここにいるわけだ。逆に言えば、院長はいつでも僕を孤児院から追い出すことができる。

 だから、僕は仕事をする。そうすれば、自分に利益が生まれて、僕はここに置いてもらえる。院長の気が変わらないうちに僕の利益を認めさせたいからやっているに過ぎない。

 しかし、他の孤児から見たらやらなくていい仕事を積極的にやる僕はただの変人というわけだ。これは僕がこの孤児院にいられるためにやっているだけだというのに。彼らは事情を知らないのだから仕方がない。


「へー、そうかよ。でも威張んねぇのはなんでだ?」


「僕は君みたいに力が強いわけでも、他の孤児を騙すやつみたいにずる賢いわけじゃない。だから、威張っても仕方がないんだよ」


 理由はもう一つある。人から物を奪うような人間だと院長に知られると困るからだ。そうすれば僕はここにおいてもらえなくなってしまうかもしれない。


「テメェ、やっぱ変だわ」


 ボンは興味を失ったようで、自分の部屋に帰って行った。


※ ※ ※


 僕が九歳のある日、不思議な少女がこの孤児院にやってきた。クルルという少女だ。彼女は没落した元貴族だそうで、養いきれなくなった親がこの孤児院に預けたそうだ。

 彼女は金髪で青い瞳、白い肌を持ち、綺麗な顔立ちをしている。孤児院には彼女のように金髪の者はいても、これほどまでに綺麗な金髪の少女は彼女だけだった。彼女は元貴族だというのにおおらかな性格で、僕らを決して見下しはしなかった。

 しかし、彼女には欠点があった。優しすぎたのだ。彼女にお腹が空いて仕方がないと言えばパンを分けてくれるし、寒くて仕方がないと言えば毛布をくれる。そんな彼女にみんなが甘え、彼女もその甘えに答えていた。

 しかし、この孤児院に恩という言葉も、義理という言葉もない。ボンのように平気で物を奪う者もいれば、裏で奪っている者もいる。はたまた盗む者さえいる。そんな中でクルルのような優しい子、もとい甘い子は絶好なカモというわけだ。

 クルルは日に日に痩せ細り、元々細い腕はさらに細くなった。とは言え、皆死んでは困ると思っているから死なない程度に奪っている。


 平民である職員にとってクルルは目の敵だ。なんせ、クルルの父親は元々民から何かと税を取っては裕福な暮らしをしていたのやら、裏で人身売買をしていたのやらと悪い噂の絶えない貴族だった。

 そのためこの孤児院で職員に仕事を押し付けられている。普通孤児たちはこのように仕事を押し付けられても、言うことを聞かないことが多く、大抵適当に仕事を終わらせる。

 だが、クルルは積極的に仕事をしていて、悪態をつけられようが、いちゃもんをつけられようが心が折れることはなかった。それを職員たちは面白くないと思って、だんだんと悪態やいちゃもんをつけることも少なくなっていった。いつの間にか仕事の教養は無くなっていった。


 クルルは自分から進んで、誰に何も言われずともするようになった。彼女の仕事ぶりはお世辞にも上手とは言えないが、僕としても一人でやる仕事をするよりは楽になった。

 わからないことがあるたびにクルルは僕に仕事について質問した。僕も仕事について色々と教え、彼女は僕の指示通り仕事をまっとうして、失敗することも多かったが諦めなかった。

 こうして一緒に仕事をするようになって、僕とクルルは会話する回数が必然的に増え、自然と仲良くなった。


 そんなある日、僕は彼女になぜそこまでするのかと尋ねた。彼女は同じ孤児にはカモにされ、職員には悪態をつかれる日々。それなのに、分け与えることをやめず、仕事もする。なぜそこまでできるのか不思議だった。


「だって、私の家は裕福だったんです。でも、そのお金は全て守るべき民から巻き上げたものなのです。私は知らなかったとはいえ、民が苦しむ中、美味しい食事、暖かい布団、わがままをいつでも聞いてくれる使用人に恵まれていました。そんなことが許されてはなりません。だから、これは私なりの償いなのです」


 僕は彼女のような心の清らかな者は見たことがない。自分の非を認め、償おうとする姿勢、僕は彼女のその姿勢に感動した。

 でも......


「それが正しいとは思わない。僕は命があればなんでもいいと思っている。そんな自分を冷酷だとは思わない。だって、命があっての物種だ。君もいつか返せばいいじゃないか。今じゃなくていいはずなのに」


「......いつかじゃ......ダメなんです。きっと、いつかが来るまでに私はきっと私の親のようになってしまうと思うから。だって、私はお母様とお父様の子供ですもの」


 親は親で、子供は子供だ。子供が必ず親のようになるわけじゃない。他人なのだから。


「君は真面目なんだね」


「いえ、私はただ怖がりなだけです。でも、私はそれしかできないから、それ以外の方法を知らないから」


 僕には理解できない価値観だと、そう思った。でも、僕には父親も母親も知らないからなのだからそう思えたのだと、今はそう思う。


 数年後、彼女は貴族に引き取られて行ってしまった。その後の孤児院は、クルルがまるでいなかったかのように日々が流れていった。


※ ※ ※


 十二歳の冬頃、僕に弟分ができた。その少年はココと言う名前で、とても明るい少年だ。

 僕はその子に随分と懐かれてしまっている。僕が兄に似ているんだとか。そのためか、僕のことを「にぃに」と呼ぶ。

 とはいえ、僕は実の兄ではない。だから、ココのために何かをしようという気はなかった。彼もそのことを理解しているのか、僕が冷たい反応で返しても気にしていないようだった。


 ある日、ココが僕に相談というものをしにきた。


「僕には昔、にいちゃんがいたんだ。でも、にちゃんは僕のことをよくいじめるんだ。だって、いつも僕の分のパンを横取りするし、理由もなしに殴るんだ。母ちゃんにそのことを言っても、うるさいって殴られたんだ。父ちゃんが戦争に行ったきり帰ってこなくて、兵士の人が家に来て母ちゃんと話してから母ちゃんおかしくなっちゃって......」


 きっとココの父親は戦死したのだろう。


「だから、僕、家が怖くて。この孤児院ににいちゃんに預けられて、僕は嬉しくて......。それで、にいちゃんに似てるにぃにがいて......でも、にぃにはにいちゃんと違っていじめなくて......それで......」


 僕は相談されることは何度もあるが、相談しにきた子達の気持ちがわからないでいる。大抵は「どうすればいい?」だのと質問で終わるのだが、そんなことを僕が知るわけがない。彼らはただ共感して心に寄り添って欲しいだけなのだと気付いてからはそうした質問を流してきた。

 今回も同じようにしようと身構えていた。しかし、......


「だから、僕はにぃにのこと、本当のにいちゃんだと思っている。信頼している」


「え」


 不意に出た言葉だった。

 質問ではなかったことへの驚きもあるが、一番驚いたのはそこではない。

 僕とココはただの同じ孤児院にいる孤児だ。それ以上でもそれ以下でもない。つまり他人だ。そしてこの孤児院で「信頼」という言葉ほど信用できるものはない。この孤児院で「信頼」という言葉を使って騙すものはたくさんいる。それ故に、親しくするふりをして食べ物を巻き上げるようなやつなんていくらでもいる。だから、僕はココに対して、いや、他人に対して冷たい対応をしていたのだ。

 だというのに、彼は僕を信頼しているというのだ。が、その信頼に応えられるほど僕は強くない。


「だから、にぃに、外に出たら一緒にいよ......二人ならきっと大丈夫だから......」


「......」


 確かに、この孤児院を出たとしても、二人の方が生きやすいだろう。だが、僕は院長と僕が成人したらココで働かせてもらうという約束をしている。

 だから、僕はその希望に応えられない。


「ごめん」


「......」


 彼の信頼を、いや期待を裏切ったのだから当然と言えば当然なのかもしれない。彼の気持ちがわからなくもないし、気の毒にも思う。

 でも、僕は他人に人生を預けられるほど、他人を信用できなかった。たとえ、院長との約束が叶わないとしても、ココと二人で生きようとは思えなかった。


 それから孤児院で、ココが僕を「にぃに」と呼ぶこともなくなり、会話することさえなくなった。


※ ※ ※


 十五歳の春、この国の戦況が悪い方へと言っていることを職員たちの会話から知った。

 そして、戦争のためにもっと兵が必要らしく、僕らは軍に引き取られることになるとも言っていた。そこで僕はとてつもない不安を覚えた。

 僕は軍に入りたくなかった。軍での生活はきっと孤児院よりも厳しい。僕は今の生活が満足なのだから軍になんて行って戦いたくない。

 でも、孤児院できっと僕はまだ役に立つ。仕事も今まで通りこなせるし、従順に院長の言うことを聞ける。

 そのことを院長に伝えると......


「たわけ!ここにおいてもらえただけ感謝しろ!」


 院長室で院長の怒鳴り声が響く。今までの微笑んでばかりの院長が嘘のようだ。


「......でも、僕は成人してもここで働かせてもらえるって......」


「は?そんなこと信じてたのか?

 俺はこの孤児院の子供たちを全員引き取ってもらう代わりに大金もらえるんだよ!気まぐれ育ててやっただけなのに自分を『特別』と勘違いしてるんじゃねぇ!」


 今思えば、この院長は孤児のことなんかただの金儲けの道具にしか考えていなかったのだろう。

 孤児院は主に税金と寄付金をもらって運営している。そしてそのもらえる税金は子供の人数につれて多くなる。この孤児院には多くの孤児がいるため、もちろんもらえるお金も多くて、きっと建物の設備管理などにお金が回せたはずだ。少なくとも食事はもう少しマシなものを食えたはずだ。

 だが、孤児院で十二年過ごしてきて、変わったことは何もなかった。

 だと言うのにこの院長と職員の住む寮はどうもしっかりしている。周りを見渡すと暖炉はあるし、隙間風もない。綺麗なカーテンにモコモコな絨毯、天井に吊り下がっているシャンデリア。

 そこでようやく理解した。この院長、男は僕らのことをなんとも思っていなかったのだ。


 しかし、そんなことよりも、僕は院長の話の内容に打ちのめされた。僕はうすうす彼の澱みきった心に感づいていた。それでも彼が僕を育ててくれたこと、僕にここで働くことを約束してくれたことで、僕に愛情があると、そう思っていた。

 少なくとも、他よりも「特別」に慣れていたと思っていた。


 でも、違った。


 その事実に僕は打ちのめされた。

 これまでやってきたことが全て無駄になった。

 そして、自分は愛情を注いでもらえて、「特別」なんだと勘違いし、僕の歩いて行く道がお先真っ暗になったのだ。

 これほどの絶望はない。


 僕はそこで膝から崩れ落ちた。院長はタバコを吸いながら「さっさと出ていけ」と僕に言った。

 そのタバコの匂いは、この院長はもう孤児院の院長ではないと、僕に思わせた。


 僕はそれから軍に引き取られるまで、僕は何も考えられなかった。


※ ※ ※


 そして十五歳の冬、その日は雪が降っていた。そして、その日、僕らは軍に引き渡されることになった。


「早く入れ!」


 孤児の一人一人が怯えながら、護送用の車に乗った。

 「死にたくない」と呟く者、母親と父親を泣きながら呼び続ける者、兵士たちに憎しみの目を向ける者、何も言わずに虚な目をしているもの。乗り込む直前に逃げようとする者もいたが、すぐに捕まって車の中に放り込まれた。

 戦争に駆り出されたくないと、誰もがそう思った。


「お前で最後だな」


 僕の番が来た。

 この車になった先には「死」の未来しかない。でも、今更、他の道はないのだ。

 そして一歩踏み出した瞬間......


「ママ!」


「はいはい」


 聞き覚えのある声が聞こえた。

 いや、聞いたことのないはずの声のはずなのに、小さい頃にずっと聞いたことがあるような声。

 心の中を安心させるような優しい声。

 その声のする方向に目を向ける。

 そこには確かに、記憶にある、「母」の顔があった。

 霧がかかったように朧げだった母の顔が、輪郭を持って明確になる。


「......お母さん......お母さん!お母さん!」


 僕は走り出した。

 まだ希望はあったと、そう思った。

 しかし、あと一歩のところで兵士に捕まった。

 頭を抑えられ、雪の中に顔が埋もれる。必死に声を上げようとしても顔が埋まって声が出せない。もがいても抑えられている腕の力が強くなる一方だ。


「な、何よ!この子!」


 母は少女を抱き上げた。


「ママ、このお兄さんだぁれ?」


 そこでこの子が僕の母を「ママ」と呼んでいることに気づいた。


「申し訳ない、マダム。この子が急に走り出してしまって......おい!こら!暴れるな!」


「......お母さん......お母さん!」


 僕は顔をなんとかあげて、母の顔を見上げた。


「何を言って......」


「僕だよ!カナタだよ!」


 母は少し顔を顰め、沈黙が少し流れた。


「マダム、失礼ながら、この子はあなたのお子さんですか?今孤児院から軍に引き取る予定なのですが、もし、今この子を引き取るのなら、この子は孤児の扱いではなくなり、今軍に引き取られませんが......」


 兵士は何かに勘付いたように、母に質問した。

 僕は母に期待した。自分の子供だって言ってくれると信じていた。

 でも......


「......知らない子です」


 彼女は虚ろな目で僕を見下ろした。

 僕は悟った。この母の目に映る僕はもはや子でもなんでもないのだ。

 母は少女を抱えながら去っていった。


「......坊主、立てるか......戻るぞ......気の毒だが、わかってくれ」


 僕は何も考えられなかった。

 自分の母親さえ、僕のことをなんとも思っていなかった。

 その事実にどうしようもない気持ち悪さが残った。

 どうしようもない吐き気と、頭痛が僕を襲い、うまく息ができなくなった。

 僕はそのまま兵士に抱えられて、車の中に入れられた。

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