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4話.君の願いを胸に

梓の遺した言葉が、俺の心を突き動かした。それは、単なる言葉ではなく、梓からの最後の願いだった。そして、俺に与えられた、唯一の使命。梓の願いを叶えるために、俺は再びペンを握った。震える手で、インクが滲むほど力を込めて。インクの黒色が、まるで俺の心の闇を映し出すかのようだった。それでも、俺は書かなければならなかった。


梓に読み聞かせた小説の続きを書き始めた。主人公が最も美しい花を見つける場面。それは、梓との出会い、共に過ごした日々、そして別れ、そのすべてを込めて書き上げた。この物語は、梓が生きた証であり、俺が梓に捧げる、永遠のラブレターだ。この物語の中に、君は永遠に生き続ける。


小説のタイトルは、『約束の向こう側』。


梓が「読んでほしい」と願ってくれた、その想いを込めて。けれど、この小説を捧げた君は、もうどこにもいない。その事実が、この小説を完成させるたびに、俺の心に深く重くのしかかる。喜びと、痛みが、常に背中合わせに存在した。


永遠の隣人

完成した小説は、いくつかの出版社に持ち込んだ。そして、奇跡的に、ある出版社から出版が決まった。信じられなかった。夢を見ているようだった。


初めて書店に並んだ俺の小説を見た時、俺は梓の幻を見た気がした。檸檬色のワンピースを着た梓が、俺の小説を手に取り、嬉しそうに微笑んでいるように見えた。その幻は、あまりにも鮮明で、まるでそこにいるかのようだった。それは、ただの幻想だと分かっていても、俺はそれにしがみつくしかなかった。その幻が、俺の心を繋ぎ止める、唯一の希望だったから。俺の生きていく理由だった。


小説は、多くの人に読まれた。読者からは、「感動した」「生きる勇気をもらった」という声が寄せられた。梓の願いは、現実になったのだ。しかし、その喜びを分かち合う相手は、もういない。どんなに称賛されても、どんなに多くの人に読まれても、俺の心は空っぽだった。隣に君がいない。それだけで、世界は色褪せてしまう。


俺は、梓がいつも生けてくれたリビングの花を、毎日新しく取り替えるようになった。梓が好きだったカモミールティーを淹れ、梓の遺影に語りかける。その写真の中の梓は、いつも変わらず微笑んでいる。その笑顔を見るたび、胸の奥が締め付けられる。


「梓。俺、やったよ。俺の小説、たくさんの人が読んでくれているよ。君がくれた言葉のおかげだよ。ありがとう、梓」


俺の言葉に、梓は微笑んでいるように見えた。けれど、その微笑みは、永遠に触れることのできない、冷たい写真の中だけだ。


季節は巡り、梓が逝ってから数年が経った。俺は小説家として、活動を続けている。新しい作品を生み出すたびに、梓の声が聞こえるような気がする。それは、幻聴なのかもしれない。それでも、俺にはそれが、梓の存在そのもののように感じられた。


「律。今回の作品も、とても素敵よ。もっと、律の物語を読みたいわ。頑張ってね」


梓の言葉は、いつも俺の傍らにある。それは、俺を支える最後の光であり、同時に、俺の心を深く抉る痛みでもある。この痛みが消えることはないだろう。いや、消えてほしくない。この痛みが、梓と俺を繋ぐ唯一の絆なのだから。


時々、俺は梓の墓前に足を運ぶ。梓が好きだった白い花を供え、今日あった出来事を報告する。俺の心の中の梓は、いつも俺の話を真剣に聞いてくれる。


「梓。この前、新しい小説のアイデアが浮かんだんだ。今度は、もっと明るい物語になりそうだよ。君がいたら、どんな顔をするかな。笑ってくれるかな」


風が、そっと俺の髪を撫でていく。それは、梓が俺の頭を撫でてくれているような気がした。その温かさを、俺は確かに感じていた。けれど、その感触は、いつも空虚で、俺の指の間をすり抜けていく。掴みたくても、もう掴めない。


梓は、もうこの世にはいない。物理的に、触れることはできない。しかし、梓は俺の中に生きている。俺の心の中に、俺の記憶の中に、そして、俺の書く小説の中に。それは、決して癒えることのない傷として、永遠に残り続けるだろう。この傷こそが、梓が生きていた証であり、俺が梓を愛した証だから。


梓が俺に教えてくれたこと。それは、愛の尊さ、人生の儚さ。そして、喪失の痛み。この痛みがあるからこそ、俺は梓を忘れずにいられる。


約束の向こう側で、梓は俺のことを見守ってくれているだろうか。俺は、その問いに、答えを見つけられずにいる。いや、きっと見守ってくれている。そう信じていたい。いつか、俺がそちらへ旅立つ日まで。その日まで、俺は梓がくれた愛の残像を胸に、この痛みを抱きしめて、生きていく。


そして、梓の笑顔を、決して忘れない。永遠に、この胸に抱きしめて。


おわり

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