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1話.約束の向こう側

「約束の向こう側」

挿絵(By みてみん)

出会い、そして芽生えた色彩


夏の終わり、夕焼けが群青の空に溶け込む頃、俺たちは出会った。あのカフェのテラス席で、君は檸檬色のワンピースを着て、カモミールティーを飲んでいた。その日差しに透ける君の髪が、あまりにもきらきらと輝いて見えて、俺は思わずペンを止めたんだ。まるで、退屈な白黒のフィルムに、突然鮮やかな色彩が宿ったかのような、そんな衝撃だった。小説家志望の俺と、花屋で働く君。共通点といえば、本が好きだという漠然としたものしかなかったけれど、君の隣にいると、心が不思議と穏やかになった。まるで、ずっと心の奥底で探し求めていた、たった一つのパズルのピースが、ようやく見つかったかのような、そんな深い安堵感が俺を包み込んだ。惹き合うのに時間はかからなかった。それは、必然だったのかもしれない。


君の名前は、佐伯さえき あずさ。花のように可憐で、それでいて芯の強い女性だった。その笑顔はひまわりのように明るく、俺のどんなちっぽけな悩みも、一瞬で吹き飛ばしてしまう力があった。まるで、差し込んだ光が闇を払うように、君はいつも俺の心を照らしてくれた。悲しい時には、そっと俺の隣に寄り添って、ただ黙ってくれる。その温かい存在が、どれほど俺を救ってくれただろう。言葉はいらなかった。ただ隣にいてくれるだけで、俺はどんな困難も乗り越えられる気がした。俺の名前は、藤堂とうどう りつ。少しばかり不器用で、感情表現が苦手な俺を、梓はいつも優しく、時にはおどけたように、からかっては、包み込んでくれた。君の隣にいると、俺も少しだけ、素直になれた気がしたんだ。俺の頑なだった心が、君の優しさに触れて、少しずつ溶けていくのを感じていた。


互いの夢を語り合った夜、梓はきらめく夜空を見上げながら、俺に言った。「いつか律さんの小説が本になったら、私が一番最初の読者になるからね」その言葉は、俺にとっての魔法の呪文だった。どれだけ筆が進まなくても、どれだけ出版社の門前払いを食らっても、その言葉を思い出すたび、乾ききった心に、泉が湧き出すように水が注がれるのを感じた。挫折しそうになるたび、梓のその言葉を思い出し、すり減ったペンを握りしめた。けれど、今となっては、その言葉はただ、俺の胸を締め付けるだけの、途方もない重荷のように、そして、決して解けない呪いのように響く。


初めてデートした日、梓は人混みの中で、迷子の子供みたいに俺の手をぎゅっと握りしめた。その小さな手は、俺のどんな大きな不安も溶かしてしまうほどの温かさがあった。「この瞬間がずっと続けばいいのに」と、まるで秘密を打ち明けるように、梓はそっと呟いた。その言葉が、俺の心を温かく、そして、切なく満たした。俺たちは、海へ、山へ、公園へ、たくさんの場所へ出かけた。どんな場所でも、どんなたわいもないことでも、梓と一緒なら、まるで魔法がかかったように輝いて見えた。そう、あの頃の俺たちの世界は、七色の光に満ちていたんだ。しかし、あの輝きは、もう二度と訪れない、あまりにも儚い幻だったのだろうか。俺の手から零れ落ちてしまった、砂時計の砂のように。


穏やかな日常の、終わりなき予感

季節は巡り、俺たちは同棲を始めた。二人で過ごす日々は、穏やかで、まるで永遠に続くかのように満たされていた。朝食を共にし、仕事から帰れば、玄関を開けた瞬間に、梓の作った温かい手料理の匂いが俺を包み込んだ。その匂いが、俺にとっての「ただいま」だった。リビングには、梓が生けてくれた季節の花が、いつも鮮やかに飾られていた。その花を見るたび、梓の存在が、俺の日常そのものになっていることを実感した。呼吸をするように、当たり前にそこに君がいた。その花も、今となっては、ただ虚しく枯れていくばかりだ。水を与えても、もうあの日のように瑞々しく咲き誇ることはない。


「ねぇ、律。もしも私が死んじゃったら、どうする?」


ある日、梓が突然そんなことを言った。それは、まだ肌寒い春の日のことだった。日差しは穏やかだったのに、その言葉は俺の心臓を、凍てつく刃で突き刺すようだった。俺は思わずペンを止めた。あの時、君の言葉の裏に隠された、微かな震えに、どうして俺は気づいてやれなかったのだろう。どうして、もっと深く、君の瞳の奥を見つめてやれなかったのか。もっと真剣に、深く、君の言葉を受け止めるべきだったんだ。


「何言ってんだよ。そんなこと、言うなよ」


少しだけ不機嫌な声でそう言うと、梓は困ったように笑った。その笑顔の奥に、何かを隠しているように見えたのは、今だからこそわかることだ。あの時の俺には、その笑顔がただの冗談にしか見えなかった。


「だって、もしもの話だよ? 律、ちゃんと生きていける?」


俺はため息をついて、梓を抱きしめた。俺の腕の中にすっぽりと収まる梓の体が、こんなにも小さく感じたことはなかった。壊れてしまいそうで、強く抱きしめることもできなかった。


「生きていけるわけないだろ。お前がいない世界なんて、俺には想像できない。光のない闇の中をさまようようなもんだ」


梓は俺の腕の中で、くすくすと笑った。その笑い声が、今も、鮮明な映像として、そして、耐え難い痛みとして、俺の耳に、そして心の奥底に、こびりついて離れない。


「じゃあ、私が死んでも、律は私のこと、ずっと覚えててくれる?」


「当たり前だろ。俺がお前を忘れるなんてこと、あるわけないだろ。俺の人生は、お前で彩られたんだから」


「忘れないでね。私のこと」

挿絵(By みてみん)


続く

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