狼男が恋に落ちたのは、可愛すぎる兎の幼なじみでした
獣人、妖精や精霊が共に暮らす架空界。
ネイトエールと呼ばれる国には、王国直属の騎士団があった。
その一角に属する狼人族のタオと獣人族(兎)のリリスは、幼い頃から顔を突き合わせてきた仲間――いや、幼なじみであり、時には喧嘩し、時には支え合う、不器用な凸凹コンビだった。
これは、とある任務の帰り道。
二人がようやく、"仲間"から一歩踏み出すかもしれない、ある一晩の話。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
夕方、任務を終えた二人は町の通りを歩いていた。
空はほんのり茜色に染まり、城下町からは焼き魚やスパイスの香りが漂ってくる。
城での火災から、数ヶ月。
最近では、奇妙な「空から鳥が落ちてくる事件」まで相次いでいたけれど、それでもネイトエールの人々は、少しずつ笑顔を取り戻し始めていた。
「ふぅ、やっと一息ついたな」
肩を回しながら言うタオに、リリスがちらっと横目で笑った。
「そうだね。お疲れ様。亡くなった鳥たちも見送れたし……ネイトエールが落ち着いてくれるといいんだけど」
「これ以上、空から何かが降ってくるのだけは勘弁な」
「ほんと、それ」
リリスはふっと笑いながら、手を軽く上げる。
タオもそれに応じて、小さく拳を合わせた。
「……じゃあ、打ち上げでも行くか」
その言葉に、リリスの耳がぴくっと動く。
「それ、デートの誘い?」
「いや、そういうつもりじゃ……」
タオの頬がほんのり色づいた。
精霊花の巡夜――そんなイベントがあった日に、リリスに想いを伝えた記憶がフラッシュバックする。
照れ隠しのように、彼はそっと視線を逸らした。
「ふふ。いいよ、行こう。ちょっと路地に入ったところにね、雰囲気のいい酒場があるの」
そう言って、リリスが先に立って歩き出す。
タオは肩をすくめながらも、その背中を追った。
町の酒場に着くと、こぢんまりとした木造の建物の中には、カウンター席と赤い布で仕切られた小部屋が並んでいた。
ほの暗い灯りのもと、数人の客が静かに杯を傾けている。
二人は壁際の丸テーブルに腰を下ろした。
そして――ふいに、少しの沈黙が訪れる。
互いに何を話せばいいのか分からず、視線が宙を彷徨う。
普段のような軽口が、なぜか出てこない。
“デート”と意識した瞬間、幼なじみという距離がちょっとだけ遠くなる。
「……ねえ、あたしたちが二人でどっか行くの、初めてじゃない?」
リリスがようやく切り出すと、タオがゆるく笑った。
「たしかに、ガキの頃はティナがいつも一緒だったしな。ふたりきりって、初めてかも」
「ティナが見たらなんて言うかな」
「“ようやくか”って笑われそうだな」
二人は、顔を見合わせてふっと笑った。
「おすすめ、あるか?」
「あ、あるある。“森のしずく”ってお酒。香りがすごく良くて……でもちょっと強いかも」
「おい、初心者にすすめるやつじゃねえだろ、それ」
「ふふ、でもタオには似合うと思って」
軽口が戻ってくる。それと同時に、グラスも傾き始めた。
一口目、リリスは小さく目を丸くして、
「ん……やっぱりちょっと強いね、これ」
と言いながらも、くいっと二口目をあおる。
「おい、ペース早くないか?」
「だって、なんか緊張しちゃってさ……こういうの。あたし、慣れてないし」
「ん……俺もだ」
タオのその言葉に、リリスがふっと目を見開いて、そして優しく笑う。
「あは、そっか。じゃあ今日は、へんなの抜きで楽しもっか」
そこからは、任務の愚痴や昔話、他愛のない言葉がぽつぽつとテーブルに落ちていった。
グラスが傾くたびに、リリスの目元はさらにゆるみ、声のトーンも少しずつ甘くなっていく。
「おい、そろそろセーブしとけって。顔、赤いぞ」
「だ〜いじょぶ、タオと一緒なら全然平気〜」
「いや平気じゃねえな、これは……」
リリスはにへらと笑いながら、さらにもう一杯グラスを持ち上げる。
タオは一瞬ため息をついて、それを止めようとしたが、結局は言葉にならなかった。
その顔があまりにも幸せそうだったから。
何杯目かのグラスを空にしたとき、リリスの頬は真っ赤に染まり、言葉のトーンもぐにゃぐにゃと緩んでいた。
「だめだこりゃ……飲ませすぎたな」
結局タオは、酔いつぶれた彼女を抱えて自室へ戻ることになった。
***
酒場を出る頃には日もすっかり落ちていて、街灯の明かりが石畳に揺れていた。
リリスの体は小さく軽く、それでも肩に回した腕の中でふにゃりと無防備に寄りかかってくるのが、妙にくすぐったかった。
(まったく……調子に乗って飲むからだ)
そう思いながらも、彼女のあどけない寝顔に責める気持ちは起きなかった。
ネイトエール城の静まり返った廊下を抜け、自室の扉をそっと開ける。
中に入ると、窓の外にはうっすらと月明かりが差し込んでいた。
灯りはつけず、そのままベッドの端に腰を下ろす。
タオはそっと彼女をベッドに横たえた。
かけ布をふわりとかけ、彼女の柔らかい耳が枕に押しつぶされていたのをそっと直す。
うさぎの耳はふにゃりと力なく垂れて、顔にかかりそうだった。
それを指先でやさしくかき分けて、片方を軽く寝かせて整える。
そのときーー
リリスが、ぼんやりと目を開けて彼を見上げた。
「タオ……本当にかっこいいねぇ」
酔いに滲んだ声でそう囁きながら、リリスはタオの頬に手を添えた。
「おい、飲みすぎだって」
「え〜……だってほんとだもん。タオは、かっこいいの……ちっちゃい頃からずっと、あたしの王子様だったでしょ」
「なっ……お前な。この酔っ払いが」
顔を赤らめ、タオが視線を逸らした瞬間だった。
リリスの唇が、そっとタオの唇に触れる。
驚きに目を見開いたタオを見て、リリスはくすりと笑った。
「ふふっ……びっくりした〜?」
その一言が、タオの中のスイッチを入れる。
「……今のは、お前が悪いからな」
次の瞬間、タオはリリスの肩を引き寄せ、深く、強く唇を重ねた。
さっきまでの柔らかなキスとは違う。
彼の体温も想いも、まるごとぶつけるような激しさだった。
リリスの目が見開かれる。
頬が一気に真っ赤になり、体がびくりと震える。
酔いが覚めるというより、頭の中が真っ白になる感覚。
「タオ、ちょっ……!」
ふいに息がこぼれる。
ドキドキが収まらず、胸が苦しい。
それなのに、タオはすぐに離れてくれない。
ほんのわずかに距離をとったその瞳は、いつになく真剣で、ぐっと近い。
リリスは息を呑んだまま、しばらく固まっていた。
だけど、そのままでいるのは、なんだか悔しい。
(……ちょっと、何この空気。あたしがドキドキしてるの、おかしいし……!)
「あたしばっかり、なんかズルいじゃん……」
そうつぶやくように言うと、リリスは不意にタオの首に腕をまわし、そっと耳元に唇を寄せた。
「……あの狼が、言ってたの。タオは耳が弱いって」
ささやくように、じわりとキスを落とす。
「っ……お、おまっ……!」
タオの肩がピクリと跳ねる。
リリスの頬は真っ赤だ。けれど、酔いのせいか彼女はさらに攻めた。
ちょん、と軽く歯を立てるように、甘噛み。
「う……リリス!やめろ!」
思わずタオが声を荒げた。
けれどリリスは、勝ち誇ったような小悪魔の笑みを浮かべる。
「ふふっ、耳、弱いって本当だったんだ」
「っ……! まじで、もう……!」
理性がまた軋む音を立てた。
タオはもう一度、今度は耐えきれずにリリスの唇を深く奪う。
息が乱れ、身体が火照る。
リリスも応えるように、身を預けてきた。
その肩が、わずかに震えていた。
緊張か、戸惑いか、それとも――。
彼女のうなじが近かった。
甘い匂いと、体温と、そこを流れる血の音。
本能が、そこに牙を立てろと命じてくる。
刻みつけろと、俺のものだと、証を残せと。
それが嬉しくて、でも、だからこそ怖くもあった。
唇が離れたあとも、タオはそのまま額を押しつけるようにして、深く息を吐く。
(……ダメだ。これ以上は、抑えが効かなくなる)
胸が苦しい。理性がぎりぎりで踏みとどまっているのが、自分でもわかった。
目の前にいるのは、大切な幼なじみで……それ以上の存在で。
でもだからこそ、今ここで、流されるように踏み込んではいけない。
「……今日は、ここまでだ」
リリスの手が、再び微かに震えた。
「……っなんで?」
タオは答えず、視線を逸らす。
「……あたし、そんなに魅力ない……?」
かすれた声。
今にも涙がこぼれそうなその瞳に、タオは顔をしかめ、髪をかきむしる。
「ちげぇ。そういうわけじゃねぇんだよ」
彼女の目を見て、言葉を吐き出すように続けた。
「お前、震えてただろ。……そんな状態で進んでも、意味ねえだろ。急ぐ必要なんてないし、俺は……」
「……?」
リリスの不安げな表情。
ーーいや、違う。震えていたのは、俺のほうか?
本当は、自分自身が怖かった。
このまま彼女に触れ続けたら、いつか本当に――牙を立ててしまいそうで。
「俺は、リリスのことが大切なんだよ。身体だけじゃなくて、心も、全部を大事にしたい。だから――焦りたくない」
そのあとに、少し苦笑するように言った。
「……草食獣と肉食獣だ。同じ獣人族でも、わけが違う。俺はちゃんと、わきまえてるつもりだ」
リリスはしばらく沈黙していたが、やがてそっと彼の胸元に顔を押しつけた。
「……バカ。でも……ありがとう」
タオはその小さな背中に腕を回し、やさしく抱きしめた。
しばし、互いのぬくもりを感じ合いながら、ただ静かに時が流れる。
……けれど、その沈黙を破ったのは、リリスの震えるような声だった。
「……タ、タオ」
「ん?」
「……ほ、本当にごめん。でも……でもやっぱり……」
リリスはもぞもぞと身体を動かし、顔を伏せながらぽつりと続ける。
「あ、当たってる」
「……っ!」
タオの体が一瞬で硬直した。
「おま、気づかないふりしとけよ……!」
顔を真っ赤にしながら、タオは思わず頭を抱える。
「せ、生理現象だ」
絞り出すような言葉。それが彼の精一杯の防御だった。
しかし、そんな彼をリリスがじっと見上げる。
「……タオ」
「……?」
「もう、これ以上何もしないって約束するから……触ってもいい?」
真顔。だけど耳まで真っ赤。
タオは一瞬フリーズしたのち、目をそらして、低くうめいた。
「……勘弁してくれ」
リリスはいたずらっぽく笑いながらも、ちゃんと手は引っ込めて、そのまま彼の胸に頬を寄せた。
「ふふ……タオ、好き」
「……もう寝ろ。ほんとに」
タオはぼそりとそう言って、彼女の頭を軽く撫でた。
その手のひらの温度が、リリスにとってはなにより心地よかった。
夜はまだ終わらない。
けれど、2人の距離は、確かに少しだけ近づいていた。
ありがとうございました。
兎は年中発情期といいますし、対して狼は交尾中に首を噛むといいますね。大変なコンビでしょうな……そんな事を思いながら描きました。
二人のことをもっと知りたい方はぜひ本編も覗いて見てくださいね!