第6話 面接
ウォーデンはゆっくりと立ち上がり、剣を構え直すことなく、肩をすくめた。
「君は、いったい何者なんだい?」
その問いに、どう答えるべきか一瞬迷う。
だが、その逡巡を断ち切るように──
「──勝者、ユーリさん!」
サリエルの澄んだ声が訓練場に響き渡った。
張り詰めた空気が、次第にざわつきへと変わっていく。
「……嘘だろ」
「ウォーデンさんが負けた……?」
「あのウォーデンが……?」
「アダマンタイト級だぞ? 世界に数人しかいない、あの……」
「ありえないだろ、あんな子供に……」
「でも見たじゃないか。彼女の方が圧倒してた」
「ああ、そうだな。アダマンタイト級がちょっとずるした程度で負けるなんてありえない……」
「実力は本物、ってことだよな……」
「マジで何者だ、あの子……」
観客たちの反応に、俺は戸惑いを隠せなかった。
(……え? そんなにすごい人だったのか?)
彼のレベルはたしかに125だった。
ゲーム時代の感覚で言えば初心者を少し脱したくらい──ゲームの仕様がだんだんと感覚的に把握できて来たくらいの段階で、さほど強いとは言えない部類である。
ここ、エインズワース市はゲームだったころは最初に訪れるアレッサの近郊だから、二桁くらいの弱い冒険者が集まっていて、だからレベル100代の彼がここでは一番強い、みたいに思われてるのかと一瞬思ったけど……。
(誰か、アダマンタイト級とか言ってたよな……)
アダマンタイトと言えばすごく頑丈な金属として有名である。俺がここまで来たときに聞いたのはせいぜいカッパー、シルバー、ゴールドくらいだが……この感じからすると、かなり高いランクの冒険者の可能性がぬぐい切れない。
それに、周りの冒険者たちの反応……まるで、伝説級の人物でも見たかのような空気じゃないか。
(……もしかして、俺、やっちゃった……?)
少しずつ、背中に冷や汗が滲んでいく。
ただでさえこの世界に来たばかりで、相場も常識も、具体的な身の振り方も決めてないのに──。
「えぇ……っと、その……ありがとうございました?」
目を左右に泳がせながら恐る恐る口にすると、ウォーデンはニッと笑ってみせた。
「礼などいらんさ。試験とはいえ、良い戦いだった。……いや、実にいい戦いだった。戦いに負けたのは何十年ぶりだろうか……。君、名は何と言った?」
「ユーリ……です」
「姓は?」
「……ないです」
一瞬だけ間を置いて、そう答えた。
「そうか。君ほどのものなら、きっと貴族として質の高い教育でも受けているものだと思ったんだが……いや、教育だけでは無理か。もっと何か、特殊な──」
怪しむような視線に、耐え切れず視線を逸らす。そんな俺の様子を見て、何を思ったのかウォーデンはふっと笑みを浮かべた。
「いや、失敬。それにしても驚いたよ。あれほどの召喚獣を二体もテイムしているとは。召喚魔法使い自体が珍しいのもあるが……大変だったろう?」
「まあ、それなりには」
黒騎士と白騎士は、俺のステータスと連動している。レベルを600まで上げるのは本当に骨が折れたし、達成した時は歓喜で声が出なかったものだ。
……なんて意味で彼が言ったのではないだろうな、というのをなんとなく察しながら、無難な答えを口にする。
「それなりに、なぁ」
意味深に言う彼に、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「……サリエル、俺はこれで問題ない。正式に合格でいいだろう?」
「ええ、これで不合格ならギルドとして損失が大きすぎます」
周囲の反応から察するに、きっとサリエルにとっても信じがたい光景だったのだろう。事実をうまく呑み込むのに苦労していそうな苦笑いを浮かべながら、彼女はウォーデンの意見に賛同した。
模擬戦闘試験が終わった直後、各々好き勝手に観戦していた冒険者たちは、興奮と混乱の入り混じったざわめきを残して散っていくのを見届ける。
(あぁ、これから目立つだろうなぁ、俺……。
勝手に二つ名とかつけられたりしたらどうしよ?)
考えたって仕方がない。目立つのは慣れてないから、正直勘弁してほしいが……仕方ない、諦めよう。
「それでは行きましょうか。ついてきてください」
サリエルの言葉に小首をかしげる。彼女のその言い方では、まるで試験が模擬戦だけではないみたいに聞こえたからである。
そんな俺の考えを読み取ったのか、彼女はニコリと笑みを浮かべて、注釈を入れた。
「ユーリさんほどの方を不合格にするには、冒険者業界として大きな損失です。私も個人的には、もういっそこれで登録しちゃえと思っているのですが、規則は規則ですからね」
言って、彼女は館内の二階へと上がる階段に手招いた。
(なるほど、面接ってことか)
たしかに、強力な人材の放置はギルドとしては避けたいだろう。だが同時に、その人となりを見極められなければもっと危険である。
俺がもし悪人だったとしても、ギルドは対抗できる戦略を用意することは非常に難しいだろうが、それでも最低限の対策を取ることはできるからね。
俺はおとなしく彼女に従うと、ギルドの奥まったところにある応接室へと足を踏み入れた。
「失礼します」
「来たか」
大きな執務用のデスクを迂回して、一人の男がこちらに歩み寄ってくる。
長い金髪を緩く三つ編みにした線の細い美丈夫で、その髪の隙間から除く、長い三角の耳が、彼の種族を雄弁に物語っている。
(エルフだ……!)
街中で獣人は見かけたが、エルフはついぞ見かけなかった。それは、特定のエリアからなかなか出てこないタイプのNPCだというDFHの設定が生きていたからだと思っていた。
しかしまさか、そのエルフがこんなところでギルドマスターをやっていたとは。
驚きのあまり固まっている俺に、エルフはクスリと失笑する。
「私はジャン。ジャン・フィリップだ。ユーリ君。君のことは、この窓から眺めさせてもらっていたよ。小さいのに、ずいぶんと強いじゃないか。なあ、ウォーデン」
「ああ、まったく完敗してしまった。こんなに手も足も出なかったのは、ここ数十年で初めてだ」
遅れて部屋に入ってきたウォーデンが、笑いながら言うのに、ジャンは呆れたようにため息を吐く。
「感心してる場合じゃないんですよ、まったく。これでは、あなたがここにいる意味がないじゃないですか」
「すまない。だが──」
「わかっている。どうやら杞憂の可能性の方が高いみたいだからね」
二人のやり取りに、俺は小首をかしげる。
(なんだ、この違和感は?)
少し考えるが、答えは出ない。
不意に、ジャンがこちらに顔を向けて質問を飛ばしてきた。
「ユーリ君。まずは2、3質問させてくれ。あの黒騎士……あれは本当に召喚獣なのか? あの反応速度と戦闘技術、ただのリビングアーマーには思えない」
召喚魔術スキルは、テイムした魔物を好きなタイミングで召喚し、戦闘に参加させるスキルである。どうやらこの辺の認識はこちらの世界でも変わらないようで、彼らは俺の黒騎士のことを、どうやらテイムしたリビングアーマーだと思っているようだ。
「えっと……」
ジャンの質問に言葉を濁す。
正直に答えていいものか迷うのは、この回答如何で、この世界での立ち回りが決まってしまうかもしれないと恐れたからだ。
俺は、この世界で自由に気ままに暮らしたいのである。
彼はジャン・フィリップと名乗った。フィリップ。苗字を名乗ったということはつまり、彼は貴族であるということの証明に他ならない。
もし貴族に俺の力が知られればどうなるだろうか?
ゲームだった時代でも、レベル600にたどり着いたプレイヤーは、プレイ人口約10万人のうち、たったの千人程度しかいなかったのである。
レベル125程度であの反応ということは、レベル600の俺は作り話に思えるほどの異質な存在である可能性が高いのである。
ゲーム時代の知識でチートと言うのもあこがれるが、それで貴族に政治的に飼われてしまうのは──いや、待てよ?
そこまで考えて、俺はふと考えを改める。
レベル600が、仮にこの世界において存在しない嘘のようなレベルであったとして。そしてたかだかレベル100代程度で大騒ぎするような連中に、俺がどうこうされると思うか?
答えは単純明快。ノーだ。
しかし、懸念はまだある。
俺はそもそもこの世界のことはよく知らない。今回のウォーデンとの模擬戦だって、彼は俺の知らないスキルしか使っていなかった。であれば──
(──油断は禁物。ここは黙秘で通そう)
俺は小さく笑みを浮かべると、暗に答える意思はないとジャンに伝えた。
「そうですか。では──玻璃の精霊よ。閉ざされた暗幕を剥ぎ取り、真実の黄金を晒し出せ〈アナライズ〉!」
ジャンの方から、魔力の波が飛来する──が、しかし俺に触れるや否や、その魔力はバチンと何かに弾かれるようにして霧散した。
「鑑定遮断のスキルか!? いや、この感覚はむしろ、魔力密度が高すぎて鑑定できなかったような……?」
ジャンが何かぶつぶつと呟いているのをよそに、今度はこちらがジャンの方を鑑定し返してみることにする。
『ジャン・フィリップ
種族/ハーフエルフ
性別/男
レベル/100
能力値/STR:10
VIT:10
AGI:10
INT:20
DEX:50
保有スキル/『生活魔法』『精霊魔法』『情報魔法』
称号/冒険者ギルドエインズワース市支部ギルドマスター
古代魔法研究者』
(なんだ? このステータスは?)
一目見て、違和感に気づく。
保有しているスキルツリーの名前である。
(『魔術』じゃなくて、『魔法』?)
他もそうだ。魔術スキルではなく、魔法スキルになっている。
模擬戦の前に見た魔術系スキルも、俺の知らないものだった。
ウォーデンだって、ゲームにはなかったスキルしか使わなかった。いろいろ鑑みると、もしかするとスキルツリー自体が、何者かによって改竄されているのかもしれない。
あるいは、経年変化という可能性もあるが……それならスキル名が変化していることについては甚だ疑問の余地が残る。
一瞬思考を巡らせてみるが、答えはわからない。
それなら、俺が能力について黙秘したのは、一応正しかったのかもしれない。
「……まあ、いいでしょう。腑に落ちない点はいくつかありますが、精霊も騒いでいませんし」
ようやく彼の中で思考がまとまったのだろう。
半分諦めたような表情でそう告げた。
「精霊?」
「精霊は邪心や悪意に敏感ですからね。君に邪な企みがないことさえ分かれば、もう充分です」
『精霊魔法』とやらのスキルによるものだろうか。
俺はとりあえずなるほどと頷いておくことにした──その直後だった。
突然部屋の扉がノックされて振り返ると、男性のギルド職員が部屋に入ってくるところだった。
「準備できました」
「よろしい。ではサリエル君、彼女を案内してやってくれ」
「承知しました」
サリエルはジャンの指示に恭しくお辞儀をすると、俺についてくるように視線で合図して、部屋を後にした。
次回もまた来週です。お楽しみに。