第5話 模擬戦闘試験
「それでは始めようか。サリエル、審判を頼む」
「承りました」
サリエルがコクリと頷いて、俺とウォーデンを見やった。いつの間にか増えていた観客の冒険者たちが、ごくりと生唾をのむ。
黒騎士に対するウォーデンの異様な気迫に、場が飲まれたのだ。
目の前で黒騎士が大剣を地面に突き刺し、こちらの指示を待って仁王立ちしている。一方で対峙するウォーデンは、ゆっくりと木剣を肩に担ぎ、まるで獣のように油断なく構えを取っていた。
その目に宿る光は、完全に歴戦の戦士のものである。
(こっちはレベル600で、相手は125……数字だけ見れば、こっちの方が圧倒的なんだけど)
だけど──この世界でのレベル差がどのくらいの意味を持つのか、俺にはまだわからない。
ゲーム時代の感覚では、50も離れればまず勝負にはならなかったし、20離れていれば余程のスキル差がなければ厳しかった。でもこの世界はもうゲームじゃない。リアルだ。現地人の身体能力や経験が、どこまで数値に反映されているのか、予測できない。
深呼吸して、気持ちを整える。
落ち着け。動揺するな。どんな物語でも、隙を見せたやつはどれだけ強かろうが一瞬でやられる。隙を見せるな。自分を強く見せるんだ。
高鳴る鼓動を無理やりに押さえつけるようにして、いつの間にか震えていた拳を握りこんで黙らせる。
黒騎士の背中は、大きく、そして頼もしかった。
お前がゲーム時代から育て上げた己のステータスを信じろと言わんばかりに。
そうだ。
俺はあの世界で五指に入る最強の一角に並んだのだ。魔術師では火力が強くてもキャストタイムと言う最大の弱点があるせいで、戦士職に対人戦で後れを取ることが当たり前なビルドで、それでも純粋な魔術師としてそこに並んだ。
その俺の、一万時間以上を費やしたあの時間を信じるんだ……!
「準備はよろしいですね? では、模擬戦闘試験──開始!」
サリエルの声が訓練場に響いた瞬間、ウォーデンが地面を踏みしめて、低く構える。
その殺気を肌で感じ取るより早く、俺の黒騎士が漆黒の大剣を掲げて前に出た。
(来る──!)
ウォーデンの姿が掻き消える。
速い。まるで人間業じゃない。
文字通り瞬く間に黒騎士の懐に踏み込んだウォーデンは、鋭い雄たけびとともにスキルを繰り出した。
「〈アイアンブレイカー〉ッ!」
木剣に重圧のような黒い魔力が宿り、瞬時に黒騎士との間合いを詰めて振り抜いた。
──ズガァァン……!
重い金属の塊同士が衝突したような、激しい音が訓練場に響く。が黒騎士は一歩も引かなかった。
鈍い金属音とともに、両手で握る大剣が、彼の木剣の軌道を完全に遮断していた。圧し合いになったその一瞬、黒騎士の胴体がわずかに沈む。
「……なんだ、この重さ……!?」
ウォーデンが目を見開いた。
ただの力任せの衝突ではない。黒騎士の一撃には、鋼鉄の重みと、練り上げられた技術が合わさった確かな剣の型があった。
ウォーデンが黒騎士の大剣を受け流そうとしているのに、木剣に食い込んでいるせいで受け流せないのである。もし無理やり受け流そうものなら、木剣は折れ、そのまま彼は真っ二つになってしまうだろう。
力と技。そして戦略。その全てにおいて、黒騎士が明らかに勝っている。
(〈アイアンブレイカー〉……聞いたことないスキルだ)
DFHの対人戦を幾度となくこなしてきたから戦士職のスキルはほぼすべて頭に入っている。しかしその中に〈アイアンブレイカー〉などと言うスキルは見たことがない。
ユーリは思わず唾を飲む。
そのまま黒騎士が一歩踏み込み、大剣を水平に薙ぎ払った。
木剣が弾き飛ばされた。かろうじて木剣が手から離れることはなかったが、そのせいで大きく身を開き、急所をさらしてしまうことになるウォーデン。絶体絶命。彼の顔に一瞬死相が浮かぶ。
──が、ウォーデンは咄嗟にバックステップを踏んで、体勢を整えることができた。
黒騎士が、慈悲を与えたのである。
もう一歩踏み込めば、確実に仕留められたというのに、だ。
屈辱。ウォーデンが浮かべた笑みに、俺は一瞬、そんな感情を読み取った。
「ほう……召喚獣にしてはずいぶん練度が高いじゃないか……」
まるで、人と剣を交えているような口ぶりだった。
「……ならば、こちらも本気を出すとしよう」
ウォーデンの体が再び加速する。
「〈リープクラッシュ〉!」
爆発的な跳躍と共に、木剣に魔力を込めながら一直線に飛来する。
黒騎士は落ち着いて両手剣を振り上げ、空中のウォーデンを迎え撃った。
──衝突。
爆風のような衝撃が巻き起こるも、黒騎士は崩れず。ウォーデンは後方に着地し、すぐに次の動作へ。
「〈バーンストライド〉!」
木剣を炎のオーラが包み、無数の斬撃が黒騎士に襲いかかる。黒騎士は重厚な剣で斬撃を受け流す。
よく見れば彼の炎が、黒騎士の剣に触れるたびに大きく揺らぎ、かき消されていっているのがわかった。
「くっ、その膂力体格の癖してなんという敏捷性だ……ッ!」
ウォーデンが悔しげに顔を歪める──と、不意に、黒騎士が無数の斬撃の受け流しの合間に、まるで曲芸のように隙を見つけて一閃、反撃に転じた。
「なッ!?」
その斬撃が、ウォーデンの左腕のスリーブを切り裂く。
腕ごと斬り落とされなかったのは、偏に黒騎士による手加減だった。
ウォーデンが驚きの表情を浮かべながら、黒騎士から一歩退く。
「……なるほど。物理攻撃だけじゃない、純粋な魔力の圧も乗っているのか。これは、ただの召喚獣じゃないな」
ウォーデンの目が、戦士然としたオーラを一段と深くさせた。
「だが……!」
ウォーデンの視線が、ユーリを捉える。
「貴様が術者だ。ならば、そちらを討てばいいだけのこと!」
地を蹴る音。彼の目的が変わった──狙いは黒騎士ではなく、俺。
(来ると思ってたよ!)
召喚魔術師を相手にする場合、術者を狙うのはいつだって常套手段である。
ユーリは事前に待機していた二体目の召喚獣を召喚しようと、頭の中で準備していたキーボードに指を走らせる。
「〈ファントムステップ〉!」
ウォーデンの姿がブレる。無数の幻影が生まれ、四方八方からウォーデンの迫力ある体躯が迫ってきた。
俺を守るべく、黒騎士がこちらに向けて駆け寄ろうと膝をたわませるが、どうやら黒騎士もどれが本物かわからず、一瞬反応が遅れる。
──だが、問題ない。
「──招聘〈白騎士〉」
ウォーデンが俺の懐まであと数メートルを切ったところだった。
真っ白に輝く魔法陣が展開され、その中から純白の鎧を身にまとい、大盾を携えた騎士が召喚された。
「なっ!?」
白騎士が翻り、無数の幻影の中から一瞬のうちに本物のウォーデンを探知。全身を覆い隠すほどの巨大なタワーシールドで、ウォーデンの一撃を迎え撃った。
「ぐっ!?」
一撃を防がれ、ノックバックするウォーデン。その衝撃で、展開されていた無数の幻影が掻き消える──次の瞬間。
──ズンッ!
大地が震えた。
黒騎士が、ウォーデンの背後に跳躍して、その勢いのままに大剣を振り下ろしたのだ。
「……まさか、二体も使役していたとはな」
目と鼻の先で制止する黒騎士の漆黒の大剣に冷や汗をかきながら、ウォーデンがぽつりと漏らす。
「……お見事」
その声には、戦士として完全に敗北したことを認める潔い騎士道精神があった。
「君は、いったい何者なんだい?」
ウォーデンはゆっくりと立ち上がり、剣を構え直すことなく、肩をすくめた。
次回もまた来週です。お楽しみに。