第54話 念仏
念のためイワノヴナの警護に悟酉を工房に残した俺たちは、彼女から聞いたエルフの特徴をもとに情報収集を始めた。
……と言っても、情報は俺の召喚獣が放った配下の猫たちが集めてくるので、俺はその情報をもとに推理して捜索するだけだが。
「魔女様、早速知らせが入りました」
足元をちょろちょろと歩く、燕尾服とシルクハットを身につけた、蛸の足のような尻尾を生やした白い猫が、青い瞳でこちらを見上げた。
「早いな、〈伯爵〉」
「お褒めに預かり恐悦至極でございます」
〈伯爵〉というのは、俺が召喚した猫の召喚獣だ。
もっとも、その正体は尻尾を見てわかる通り、ただの猫ではなく、フェレス・ドミナメンティウムというフィールドボスクラスの魔物である。
元のサイズは家一軒分ほどもあるが、目立つので魔力を制限して小さくなってもらった。
ちなみにこの〈伯爵〉という名前は、曽祖父の家で飼っていた大きな白猫がバロンだったことに由来する。
「早いとは?」
「〈伯爵〉の配下がエルフの痕跡を見つけたんだって」
怪訝な顔をして返すウェッヴェルに、俺は苦笑いを返す。
「……俺には、ニャーニャー鳴いているだけにしか聞こえないのですが」
「だろうな」
ゲームだった頃も、俺にもニャーニャーという鳴き声しか聞こえなかった。
この世界に来て日本語に翻訳されたということは、おそらく〈異世界言語完全習得〉のスキルによるものなのだろう。
どうやら、このスキルはある程度の知能があるのなら、対象は人間の言葉に限らないのかもしれない。
〈伯爵〉の揺れる蛸の足のような尻尾を追いかけて案内されたのは、工房から西に数キロほど向かったところだった。
「こちらです。
この路地を曲がったあたりに──」
馬から降りて〈伯爵〉の後を追いかけると、次第に鉄くさい臭いが鼻腔を刺激した。
鼻の奥にツンとくる刺激臭だ。
どこかプラスチックが焼けた後の不快な臭いに似ていて、少しだけ吐き気を催す。
「硝煙の臭いですね。
ここで銃撃戦があったみたいです」
「嗅いだことあるんだ?」
「演習で少し、使ったことがあるので」
〈伯爵〉の向かう先を、駆け足で追い越しながら口を開く。
「……ちなみにですけど、死体の方は見たことありますか?」
「……葬式の時にちらっと」
彼の意図を察して、あえてアグナリア火山での件を除外して伝える。
相当、悲惨な状態が広がっているらしい。
「……じゃあ、それ以上こちらに来ないほうがいいかもしれません」
角を曲がろうとした時だった。
ウェッヴェルがこちらを振り返りながら、険しい声で制止した。
「……」
──蝿が1匹、路地から飛び出してくるのを見た。
冷たい空気と突き刺すような硝煙の臭いの隙間から、微かに漂ってくる、肉が腐ったような、しかし鼻の奥にどろりと垂れてくるような甘ったるい臭いを感じながら、俺は数歩足を引く。
──心臓が、耳元でバクバクと爆ぜているのがわかった。
これまで、魔物を屠ったことは何度もある。
この手で斬ったことだってあるし、その感触に快感を覚えた経験があることも否定しない。
だから、ある意味ではこの状況は自業自得なのかもしれないと思った。
というのも、これまで“死”というものを軽視し過ぎていたと、今更ながらに自覚したのである。
あの火山で、直接手にかけたわけではないにしろ、ウェッヴェルの同胞の命を奪ったのは俺だ……。
あれは、彼ら自身による心中だったし、服毒による自殺だったからまだなんとか耐えられた。
……けど、今回はそうじゃない。
銃撃戦による死亡──。
それは、現実にも起こりうる出来事で。
その生々しい感覚が、これまでこの世界のことを、半分ゲームだと思って過ごしてきていた俺の心に、ずしりと、重く鋭く現実を突きつけてきたのである。
「……っ」
その、報いを受けなければなるまい。
責任を持って、しっかりとこの目で見て、肝に銘じるんだ。
それができなければ、俺はいつまで立ってもこの世界を遊びの延長線としてしか認識しないだろうから──。
「見ないほうがいいですよ?」
一歩、踏み寄った俺に、ウェッヴェルは呆れたような声で返した。
俺の、葬式くらいでしか見たことがないという発言から、正直生々しい死体なんて見たくないと思っていることくらいは見抜いたいたのだろう。
それに付随して、過去に俺が彼に対して使った『戦友』という言葉に対しても、軽々しい気持ちで使っていたことについてもわかっていたのだろう。
だから、彼は言いたいのだ。
そんな中途半端な覚悟で、戻れない世界に足を踏み込んでもいいのか、と。
いつまでも気楽な、綺麗な日向の世界だけしか見ていないような、大人に守られた世界にいなくていいのか、と。
「……言っただろ、お前とは戦友になるつもりだって」
震える声で返す。
「……時間はかかるかもしれないが、この先、この世界で、この道で生きていく以上は、必要な償いだ」
「……そうですか」
視線が、シミのついた石畳から持ち上げられる。
流れた血の痕跡を辿って頭を持ち上げると、その先には異臭の源泉が壁にもたれかかるようにして事切れていた。
──胸の辺りが、すっと冷たくなるような感じがした。
「顔、青いですよ?」
「……気にするな。さっさと調べるぞ、マフィアどもに見られたらまずい。
〈伯爵〉、周囲の警戒を頼む」
「既に」
「ありがとう」
猫の迅速な対応に、俺は軽く笑みを返した。
少しだけ、心に余裕ができたのだ。
死体は、路地裏に散らばるようにして5体ほど転がっていた。
転がる空の薬莢、割れた杖先、ひしゃげた灯籠、血の飛沫が壁に飛び散っている。
生々しい痕跡が残ったままの石畳に、誰かが慌てて引きずった跡が一本、斜めに伸びていた。
引きずった先は──路地の奥に消えている。
多分、エルフが負傷した痕跡だろう。
引きずり方からして、足に大きな怪我を負ったのかもしれない。
「まずは、こいつらの身元から調べるか。
多分、マフィアの下っ端か、あるいは雇われの誘拐業者か──」
全てが、スーツに身を包んだ人族。
手にはリボルバー式の拳銃か、黒染めのワンドが握られている。
イワノヴナの話によれば、ここを牛耳っているマフィアの頭目は、狄狼傪とかいう狼系の獣人という話だった。
工房のあった東の外縁区画に溜まっていたマフィアの構成員か、あるいは下っ端のチンピラも全員獣人だったことを考えると、組織は獣人で統一されている可能性が高いと考えるのが妥当。
となると、この仮定が正しければ彼らは雇われという可能性が高いか。
身分証明になりそうなものを持ち歩いているとは思えないが──。
そう思って蝿を追い払いながらスーツの内側に手を突っ込むと、何かざらざらとした重たいものに触れた。
「財布か」
血染みが付着しているが、革製のきちんと縫製のされた、この時代にしては高そうな代物だ。
そして、それとは別にもう1つ、ありふれた革袋も見つかった。
「ん」
革袋の方をウェッヴェルに預けて、財布の中を覗いてみる。
財布には、この世界に来て初めて見る紙幣がパンパンに入っていた。
一枚を抜き出してみると、クォントローネ銀行が発行している金券であることがわかる。
「クォントローネ銀行って知ってる?」
ウェッヴェルの方に視線をやりながら、紙幣をちらつかせる。
「噂程度なら」
「聞かせて」
「最近できた、紙のお金を発行している銀行です。
元々はデミ=ロマニア王国地方で金貸しをしていたクォントローネ家が、ロマニア国王の代理で通貨の発行をしていたとかなんとか」
デミ=ロマニア王国地方。
たしか、エインズワース市も属している南西半島連邦を構成している国家のうちの1つだ。
この世界に来た時、カラクから『領によって使われている貨幣の種類が異なる』という話は聞いていたが……。
紙幣に印刷されている『Qr,10G』の文字列や、牛の肖像画と石造の遺跡の絵をしげしげと眺める。
……今は、硬貨ではなく紙幣であるという情報は、あまり関係なさそうだ。
それ以上に問題なのは──入っている金が多すぎる、ということだろうか。
単に、反社会的勢力ゆえに銀行に預けられないとかかもしれないと思ったが、ここはマフィアが牛耳る都市だ。
その線は極めて薄いだろう。
となると、考えられるのは貰ったばかりの口止め料か。
10枚以上になる紙幣を財布から抜き取って、ストレージに入れる。
「他には……酒場の領収書がいくつかと、何かのメモ、それから子供の落書き……」
財布から出てきた最後の一枚を見て、胸が締め付けられる。
裏に書かれた『愛するパパへ』の文字が、思わず眉間に皺を寄せさせたのだ。
「……南無阿弥陀仏」
その日、俺は初めて心から念仏を唱えた。
次回は明後日の午前6時更新です。




