第52話 残党
温泉都市テルマユは、温泉施設を多数内包したリゾート地である。
各所に噴水を持った広場があり、そこから蛸の足のように伸びる路地の脇には、巨大な神殿と見まごうような石造りのホテルが乱立し、その隙間を縫うようにして、一階に何らかの商店を構えたアパートが、中庭を囲うようにして多角形に配置されている。
道幅は広く、電灯は少ない。
たまにガス灯が経っているかと思えば、ほとんどはアパートから反対側のアパートに向かって張り巡らされたワイヤーにランタンが吊られているだけで、これによって街の景観が損なわれないようになっているのである。
そんなワイヤーの上を、一匹の猫が軽やかに渡り歩いているのを、ヘンブリッツは眉を顰めながらピザ屋のテラス席から眺めていた。
(あの独特な魔力の波長……間違いない、絶対ユーリの召喚獣だな?)
視線の先にあるものを軽く追いかけるが、特に目立ったものはない。
何かを探しているようなそぶりだが、その対象が自分ではないことは明らかだった。
なぜなら、こちらにはもう既に護衛という名目で白騎士がついているからだ。
おそらく監視も兼ねているのだろう。
(人を信用しないにもほどがある。こっちにもプライベートがあるっていうのに)
エインズワースにいたころは悟酉に監視され、こっちでは白騎士に監視され。
なんというか、とても息苦しい。
目の前で薄くてかたいピザを着るのに夢中になっている愛弟子リディアの様子をほほえましく思いながら、こちらもフォークを使って器用に丸めて口に運ぶ。
テルマユ周辺──南西半島連邦の中南部、中でも海が近いデミ=ロマニア王国地方のピザは硬くて薄い生地に海産系の塩辛い具材が特徴だった。
発酵臭の強いアンチョビとデミ=ロマニア王国の特産品であるロマニアンチーズのクリーミーで、かつよく伸びる触感。加えてトマトとハーブが合わさって、これはこれでとてもうまい。
さっぱりしたレモン酒がさらにうまく感じる。
「リディア、ここのピザはうまいだろう。
こっちに来たら絶対食わせてやろうと、常々思っていたんだ」
「ぁはい、師匠……! とてもおいしいです!
私も気に入りました!」
「良かった」
やっとのことで切り分け終えたリディアが、笑顔で咀嚼するのを眺めるヘンブリッツ。
この時間が完全プライベートなら、どれほどよかったことだろうか。
とはいえ、これも作戦の内だ。
多少強引だったとはいえ、魔王の懐に潜入できたのは僥倖と言えるだろう。
そんな風に考えていると、数人のスーツ姿の獣人が彼のもとに歩み寄ってきた。
狐の獣人と鰐の獣人、それから犬と猫と兎の獣人で、全員が男性だった。
「よぉ。こんなところで遭うたぁ、奇遇だな?」
狐がポケットに手を忍ばせながら口を開く。
「……すまないが、今は食事中なんだ。
サインなら後にしてくれないか?」
白騎士が何か反応しようとするのを視線で制し、ピザを切って口に運ぶ。
「おぉ、いいねぇ。
そんじゃあ、うちらの親分ぶっ殺したてめえの血でよぉ、おっきく書いてもらおうじゃねえか」
「すまんが、インクにするような血は持ち合わせがなくてね。
君の鼻血でいいなら、その尻尾を筆代わりに書いてやってもいいが」
「んだとじじぃ!」
ポケットからナイフが飛び出す。
すかさず白騎士が取り押さえようと動くが、それよりも早くヘンブリッツのフォークが閃いてナイフをからめとった。
「なっ!? ぐぁ!?」
続いて、席に座ったまま掬い上げるような低い前蹴りを放ち、狐の男の膝裏の靭帯を切断する。
「リディア、覚えておくといい。
フォークはこの股のところを使うと、ソードブレイカーの要領で武装解除ができるんだ」
「すごいです、師匠!」
「魔法使いたるもの、体術は身に着けておいて損じゃない。
世の中には唱えるよりも拳で殴った方が早い時があるからね。……さて、君たち」
残りのレモン酒を飲み干して、音を立てて机に叩きつけると、ヘンブリッツはシャツの襟もとを緩めて席を立った。
「ここでは店に迷惑だ。
少し、裏の方に行こうじゃないか」
どよめく獣人たち。
しかし、彼らには何らかの勝算でもあったのだろう。
にやにやと笑みを浮かべると、鰐の獣人がヘンブリッツの肩を組んで連れ去っていってしまった。
「リディア、すまないが支払いを頼んだよ」
「かしこまりました、ご武運を!」
去り際に軽く振り返りながら言う彼に、リディアはドキドキと胸を高鳴らせながら見送った。
***
テルマユはその街の構造上、人気のない路地裏がかなり多い。
例えば、大通りに面しているような、中庭を囲うように建てられたアパートがいくつも隣接するその隙間などは、少し入れば陽光遮る薄暗い空間に様変わりする。
「おまえら、もしかしなくとも金游雲の残党だろう。
ここは狄狼傪の縄張りだと聞いたが?」
狄狼傪──。
ここ、温泉都市テルマユを裏で牛耳っている東帝国マフィアの首魁だ。
噂によれば黄金の密輸に加え、人身売買や裏賭博なんてものをやっているという。
規律に厳しく疑り深い性格をしており、活躍の場が違えば凄腕の警官にでもなっていたことだろう。
そんな彼の縄張りで、別のグループのマフィアが残党とはいえ勝手なことをするとどうなるのか。
そんな分かり切ったことをしてまで彼にちょっかいを書けるのは、やはり金游雲が元ゴールドランクの冒険者として、それなりにカリスマだったからだろう。
故に、彼の遺志を引き継いだ残党が、いまだに彼を討伐したヘンブリッツの命を狙っているのだと思えば、一応の筋は通っていた。
「勘違いするなよ」
鰐頭が低い声で囁いた。
「俺たちはもともとは金游雲親分の子分だが、今は狄狼傪の配下でもある」
「まさか、寝返ったのか!?」
直後だった。
目を真っ赤に血走らせた犬獣人が、青筋を立てながら本気の拳をヘンブリッツの顔面にむけて振り下ろした。
「舐めんじゃねえぞクソが!」
すんでのところで白騎士に拳を防がれ、しかしそれでもなお威勢を失わせずに喚きたてる犬獣人。
「俺たちは親分のおかげでマシな生活させてもらえるようになったんだ!
そんな簡単に裏切るわけねぇだろが!」
彼の迫力に一瞬気圧され、思わず表情がひきつる。
「なら、いったいどうしたんだい?」
「……親分が生前世話んなってた少蘭馨の姐さんがずっと行方不明だったんだ。
それがあるとき、狄狼傪が囲ってる奴隷商の荷物の中で見たって話があって、取り返しに行ったんだよ」
少蘭馨という言葉を聞いて、ヘンブリッツは思い出した。
自分がミスリルランクに格上げされる一件となった魔導犯罪グループ『金雲會』の討伐で、最後に一人だけ、取り逃がした人物がいたのである。
それが例の女性だったのだ。
「それで返り討ちにあって、殺されそうになったところを姐さんに助けてもらったんだ。
狄狼傪が探してるっていうエルフの捜索を手伝うって条件でな。
だからエルフ探しって名目で有名冒険者ぶっ殺したって何のお咎めもねぇんだわ」
「あ、なるほどそういうこと」
話が長すぎてどう決着つくのかと考えていたが、要するに利害が一部一致するから、彼らがどうこうしようが損は被らないという話なのだ。
厄介な。
できれば話だけでどうにかこの場を切り抜けられないかと考えていたが、話を聞けば聞くほど、彼らのヘンブリッツに対する殺意は盛り上がっているようである。
血走る眼で睨みつけてこられるのは正直言って気持ちのいいものじゃない。
ましてやそこに殺意が混じっているのであればなおさらだ。
続々と陰から現れる獣人たち。
その手にはナイフやら青龍刀やらが握られている。
おまけにこっちは鰐獣人に肩をつかまれているせいで身動きに制限がかかっている上に視界が半分遮られている。
ユーリの白騎士に護衛されているからまず死ぬことはないだろうとは思うが……正直言って、全盛期を過ぎたおじさんには、精神的負担が大きい。
さっさと済ませて、かわいい愛弟子の元に戻るとしよう。
「──なら、さっさとかかってき給え。
お互い、時間を無駄にしたくはないだろう?」
「言われなくても!」
犬獣人が呻き、懐から取り出したナイフで白騎士の兜、その視界孔に突き刺した。
「〈ファイアボルト〉!」
──直後、鎧の内側が爆炎に包まれる。
轟音が路地裏に響き、それを皮切りに獣人たちが一斉にとびかかった。
次回は明後日の0時更新です。




