第50話 強壮剤
テルマユの東の外縁区画に向かうにつれて、中央部の華やかで豪奢なイメージは鳴りを潜め、とても古めかしく治安の悪い様相へと変貌していた。
城塞都市さながらの高い壁に空いた用水路用の人工河川が石畳の街並みを通り抜け、直角に蛇行しながら荒れた民家の中を突き進んでいる。
民家はどれも石造りのもので、中央のレンガ造りから一転して木造の違法増設建築が散見されるようになったし、それまで街中で見かけていた西方大陸語の看板は鳴りを潜め、東帝国で使われる角ばった東方ヒエログリフのものがちらほらと増え始めていた。
「まるで別の国みたいですね」
不意に、ウェッヴェルがぽつりとぼやいた。
「ああ、おそらくここはもう東帝国マフィアの縄張りだろうな。
といっても、多分下っ端連中を置いておく寮みたいなところだろうが」
あるいは、売られるために集めてこられた違法奴隷の一時的な置き場か。
ここに来る前にロックウェルから教えられていたことを思い出す。
テルマユがマフィア都市として機能しているその裏側で、違法な奴隷売買や賭博が盛んにおこなわれているという話だ。
見る限り身なりはぼろいし、マフィアの下っ端というよりは違法奴隷だと思った方が腑に落ちる。
「……ふむ」
大半が獣人──人の体に、獣の耳と尾を生やした亜人族。
左の義眼を働かせてよく見てみれば、数十人に1人くらいの割合でまともな格好のやつが歩いている。
おそらくそいつが奴隷を管理するための官吏みたいなものなのだろう。
そんなこんなで地図を頼りに目的の鍛冶師──スヴェトラーナ・イワノヴナの工房がある通りまでやってきた時だった。
目的地と思しき建物の前で、一人の背の高い女性が、数人のチンピラともめているのが遠目に見えた。
赤色の長い髪の女性だ。
褐色肌の女性で身長が高く、そのおかげか絡んでいる犬獣人のチンピラたちが小さく見える。
多分、いや十中八九、あの背の高い女性こそが目的の鍛冶師スヴェトラーナ・イワノヴナに間違いないだろう。
「手を貸そうか?」
言い合いになっている集団の中に、ずかずかと足を踏み入れながら声をかけると、集団はちらりとこちらに視線をくべた。
「なんだおめぇ?
ここはガキの来るようなところじゃねえぞ、トばされたくなければとっととママんところに帰ったらどうだ?」
キャンキャンと吠えていた犬獣人(多分チワワ)の一人が、大股で歩きながらこちらにガンを飛ばしてくる。
俺はそんな彼に小さくため息をついてイワノヴナに視線を送ると、それだけで何か察したのか、にやりと笑みを浮かべながら小さくうなずいた。
「〈悟酉〉、殺すな」
「了解であります!」
短い命令。
チンピラが怪訝に眉を顰めた次の瞬間だった。
チワワ獣人の男が鼻血を噴出させながら、放物線を描いてノックダウンした。
高速で繰り出された悟酉の腹パンからのアッパーのコンビネーションが華麗に決まったのである。
一瞬の沈黙が両者の間に訪れた。
俺より頭一つ高いくらいの小娘に、メンツをつぶされたのである。
ふつふつと沸きあがる感情。
チンピラはその感情を制御することに慣れていないようで、すぐに牙をむき出しにして、その爪で、拳で襲い掛かってきた。
「調子に乗るなァッ!」
狼、猪、猿、虎──10人の獣人族が四方から取り囲み、咆哮と共に飛びかかった。
「オラァッ!」
狼獣人がメリケンサックのようなもので殴りかかる。
悟酉は頭を一個分ずらして避けると、脇に入り込みながら顎に向けて掌底を叩きこみ、一撃で脳震盪を起こさせて気絶させ、続いて剣で斬りかかってきた鳥獣人に対して先ほどの狼獣人を盾にして受けた。
ほぼ同じタイミングで背後から殴りかかってきていた猪獣人には、膝関節を蹴りで砕いて動きを止め、更に顎を蹴り上げて気絶させて挟撃をしのぐ。
(……背中に目でもついてるのか?)
ほとんどノールックで猪を倒すと、悟酉は次の標的へ。
猿獣人の突きを受け流し、背後に回り込んで両耳を叩く。
血を噴き出した猿は、悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちた。
続いて背後から剣を振るう鳥獣人には、バックステップで剣の間合いよりも懐に潜り込んだ。
「っ!」
すると、鳥はおそらく背負い投げを警戒したのだろう。
警戒してバックステップを踏みながら剣を振り下ろそうとした──が、直後、悟酉の姿が視界から消え失せた。
「なっ──」
驚きつつも、とりあえず剣を振り下ろす鳥。
しかしそれよりも早く、彼の金的に重い衝撃が響いた。
「ぐぉっ!?」
悟酉の海老蹴りが直撃したのである。
「うわぁ……」
鳥は泡を吹いて気絶した。
(これ本当に死なないんだよな?)
3秒も経たぬうちに、4人が地に伏していた。
残り6人は怖気づき、一歩下がる。
「雑魚すぎて話になりませんね」
徴発するようにため息を吐く悟酉。
すると、自分たちがたった1人の女にいいようにされて後ろに退いてしまったことを自覚して余計に腹が立ったのか、一層こめかみに青筋を深く刻んで襲い掛かった。
6人が同時に飛び込む。
虎獣人が先頭を切り、鉤爪で胴を狙った。
悟酉は退かない。
むしろ一歩踏み込み、虎の膝を踏み抜くように関節を折った。
虎の脚が潰れ、石畳にクレーターができる。
「ぐあッ!?」
ブシャッ、と、およそ人体から発生してはいけない音が鼓膜に届く。
しかしそんなことはどうでもいいかのように、悟酉は迷わずその顔面に頂肘を放った。
白目を剥いた虎がその場に崩れ落ちた。
(おいおいおいおい、あれは流石に死ぬやろ……)
そこへすかさず熊獣人の鉄槌が振り下ろされる。
大ぶりなフックが悟酉の顔面にぶつかる──が、悲鳴を上げたのはむしろ熊の方だった。
「いってぇ!?」
よく見れば指が数本折れている。
おそらく威力が乗り切る前に頭突きで指を折ったのだろう。
悟酉はそのまま腕をつかんで引き寄せると、一本背負いで背後から迫っていた猫獣人に叩きつけてまとめて片づけ、意識の残る熊の頭を踏みつけて戦闘不能にした。
「どうしました? 速くかかってこい雑魚」
クイッ、と手招きする悟酉。
すると、もはや手段は選んでいられないとでも思ったのだろう。
互いに顔を見合わせると、犬、狐、山羊の獣人がポケットから小瓶を取り出した。
「強壮剤か何かの類でありますか?
はぁ、そんなことしても無駄なのに」
「うるせぇ!
やってみなきゃわかんねぇだろうが!」
吠える犬獣人。
瓶の蓋を親指で跳ねて、中の赤い錠剤を無造作に口に放り込んだ。
──次の瞬間だった。
3人の体から、ありえない量の魔力が溢れ出し、足元の石畳がガタガタと震えて浮かび上がったのである。
「グルルルルルルル……」
筋肉がムキムキと膨張し、体毛がザワザワとゆらめき成長していく。
人間らしかった容貌は益々獣のそれへと変貌し、鋭い爪はより鋭く、屈強な肉体はより太く硬く変化した。
「神朱の妙薬……ではないな」
左の義眼で3人のステータスを覗くと、大量のバフと同時に、時限爆弾のように遅延発動するらしいデバフまで確認できた。
(なるほど、アニメとかによく出てくる、命を削って超人になれるドーピング剤的なアレか)
バフの効果だけを見れば凄まじい薬だ。
何せ、全体的にステータスが5倍くらいに成長している。
神朱の妙薬は魔力だけを最大値3倍にする課金アイテム。
それ以上の効果ともなると、俺はその存在を知らない。
だが、それ相応にデバフも大きい。
(経絡と魔力回路がかなり炎症してるな。
こりゃ、使ったらHPとMPの最大値が何割か持ってかれそうだ)
神朱の妙薬は特にデバフは無かったから、一概にどちらが良いとは言えないが──。
こっちの世界で独自に開発された薬だろう。
ゲーム時代は誰も神朱の妙薬の領域にすら辿り着けなかったのに──。
自然と口端が吊り上がるのを感じる。
欲しい。
あの薬のレシピが欲しい!
「悟酉、まだ行けるか?」
レベル150相当まで強化され、まるで魔獣のような姿に変身した獣人たちに視線を送りながら、俺は声をかけた。
「余裕であります!」
「なら良い。
あの薬について聞きたいことがある、喋れるだけの体力は残して戦闘不能にしろ」
「サー!
イエッサー!」
「正気ですか!?」
俺の命令にギョッと目を見開くウェッヴェル。
まぁ、彼の反応も無理はないだろう。
しかし彼女ならこの程度なら相手にもならないことは、こちらも十分理解していた。
無理な命令なんかでは決してないのである。
なぜなら悟酉は──
「まぁ見てな。
危なそうなら流石に俺がなんとかするし、それに──」
魔獣へと姿を変えた3人が、一斉に襲いかかった、次の瞬間だった。
スラリと悟酉が腰のショートソードを抜いたかと思えば、地面に小さなクレーターを残して姿がかき消えた。
「──言ってる間にもう終わる」
言い終えるかどうかの時だった。
3頭の魔獣の足から、銃声のような破裂音が立て続けに響きわたったかと思えば、彼らの背後には剣を振り抜いた姿で制止した悟酉の姿が残っていた。
「……」
呆気に取られ、開いた口が閉まらないウェッヴェルに、俺はニヤニヤと笑みを浮かべながら肩を叩いた。
「アキレス腱を狙ったのか。
良い判断だ」
鼻息荒くその場に崩れ落ちる魔獣たち。
赤く光らせた瞳が、唸る口から吐き出される唾が、彼らの内から溢れ出した悔しさを表していた。
「サー!
お褒めに預かり、恐悦至極であります! サー!」
満面の笑みを浮かべ、剣を納める悟酉。
流石──黒騎士と白騎士をベースに作っただけはあって、武の腕前も抜群な人工精霊だ。
俺はご機嫌にスキップを踏みながら、魔獣に近づくと、ストレージから3枚の札を取り出してそれぞれの額に貼り付け、起動させた。
「〈魔力封印〉」
札が光り、たちまちのうちに魔獣たちの魔力を吸い上げていく。
すると、最後には裸で気絶した姿の、先ほどのチンピラが転がっていた。
次回は明後日の0時更新です。




