第42話 余韻
宿に帰ってきた俺は、さっそくとばかりに棚の上にウサギと犬の置物と猫の絵皿を飾ると、それを眺めるべくベッドの上に腰を下ろした。
「いい感じじゃん」
欲を言えばもっと置物を増やしたい。
いずれはドールハウスなんか買って飾るのも楽しいかもしれないな。
「そういえば小さいころ妹と一緒に遊んだっけ。
懐かしいな……」
まだ幼稚園の頃だった気がする。いや、小学生に上がったころだっけ?
もうずいぶん昔で記憶があいまいだが、よくおままごとに付き合わされたっけ。
俺が父親役で、妹が母親と子供の人形を操っていた。
他の兄弟は見向きもしなかったし、結局妹一人で遊んでも差し支えないようなやり方だったっけな。
「前世に未練はないと思ってたんだけどなぁ」
勝手にあふれてきた涙をコートの袖に染み込ませる。
どうやらここにきてホームシックにでもなってしまったらしい。
元の世界に帰れたところで、みんな死んでるから意味ないのに、どうしていまさらそんなことを思い出すのだろうか?
「……」
あれは高校生の頃だった。
父の会社が倒産して、そこを新興宗教につけこまれたあの日から約3年後。
修学旅行に行っている最中に交通事故にあったらしいと電話がかかってきた。
急いで帰ってきたら家族は全員死んでいて、葬儀費用として宗教団体の人から多額の金銭を要求されたのを今でも覚えている。
結局、祖父が肩代わりしてくれたおかげで俺は何不自由なく生きてこられたわけだが──そういえば、DFHを始めたのってあの日からだったような気がする。
教団関係者が、俺のメンタルケアのためにって勧めてくれて──今思えばああいうのって普通カウンセラーを紹介するようなもののはずなのに、なんであそこでゲームを勧められたんだろう?
「ま、今は考えても仕方ないか」
どうせ、今後一切かかわることのない、遠い世界の話なのである。
そんなことよりも今は、自分のやりたいことに集中する方が有意義だ。
俺はベッドに倒れこんで、今日のデートのことを反芻した。
「……次のデート、約束しちゃったなぁ……」
今日のことを振り返ろうとして、真っ先に思い出したのがカフェでの会話だった。
話の流れ的に不自然なところは何一つなかったが、まるで誘導されているみたいに、しかもそのことに全く気付かせずに次の約束をしてしまった。
まあ、友達としてウェンティと付き合いを続けるのはこちらとしてもやぶさかではないのだが……一つだけ問題点がある。
「あいつ、俺のこと好き……なんだっけ」
耳が赤くなるのを自覚して、何照れているんだと内心でツッコミを入れる。
そもそも俺にそういう趣味はないのだ。
今でこそ体は女性だが、元は立派な日本男児である。
身──はともかくとして心は変わらず男の俺が、身も心も男のウェンティに好意を向けられたところで、俺にその気がないのなら気にする必要のない話なのだ。
しかし、難しいことにあいつは口が上手い。
もしかすると今回のデートみたいに流されて、こ、恋人関係になんかなったりして、更に結婚とか、となると子供まで──。
「……ッ!」
不意に、自分の右手が無意識に下腹へと伸びていることを察し、慌てて左手で押さえつけた。
「いやいや待て待て、何シようとした俺!?」
全身が熱い。
お腹の奥が切なくて、触りたくて仕方ない。
この世界に来てから一度も処理してなかったからとはいえ、このタイミングでそれを解消するのは何というかまずい気がする。
俺は自分の両頬を思いっきり叩いて喝を入れなおした。
惑わされてはいけない。
きっとこれはウェンティの作戦なんだ。
そうやって徐々に自分のことを意識させるように仕向けて、流れに乗せやすくするつもりなのだろう。
「明日カラクさんとこの店に行く予定なのに、こんなところであいつをおかずにしたら明日目を合わせづらくなるだろうが」
俺は女の子の方が好きなんだ。
それは昨日リディアの胸で興奮しちゃったことで証明できてる。
今のはそう、たまたま、あいつとの子供を作るというのをちょっと想像しちゃっただけで、決してそういうことがしたいとかそういう意味じゃないんだ、うん。
言い聞かせるように心の内で呟きながらも、しかし収まらない下腹の熱にうなされる。
これを静まらせるためにはもう手段は一つしかあるまい。
俺は服を脱いでストレージに突っ込むと、昨日のリディアの胸の感触を鮮明に思い出しながら浴室に向かった。
***
翌朝、目が覚めると頭の中がとてもすっきりしていた。
昨晩の行為が効いたのだろう。
おかげで悩みもきれいさっぱり晴れた気分だ。
これからは日課にしよう。
俺は朝の身支度を整えると、足取り軽く一階の食堂に降りた。
今日は──まだヘンブリッツはいないようだ。
「今日は何にするかな」
窓際の席に腰を下ろしてメニューを広げる。
卵料理をコンプリートするつもりでいるが、いかんせん種類が多い。
眉間に皺を寄せながら考えに考えた結果、今日はオムレツにすることに決めた。
しかもただのオムレツじゃない。
甘い方のオムレツだ。
「日本じゃ甘いオムレツなんて食べたことないしな」
やってきたウェイトレスに注文して、料理が届くまでの間に今日の予定をおさらいする。
今日はカラクの店に行く。
イニシエール古金貨の件がどうなったか聞くのと、ドワーフの石工であるロックウェルを紹介してもらうことの二点が今日の目的だ。
そこで以前書いた拠点の設計図を見せて意見をもらいつつプランを詰める。
「ふふふ、どんな風になるか楽しみだな……」
そうだ、ついでに杖の代わりを作ってもらう鍛冶師の人を紹介してもらわないと。
ストレージに設計図入れてたっけな。
べくストレージを開いて確認する。
一昨日の夜に考えた俺の新メイン兵装。
アグナリア廃坑でのリディアの魔法の使い方から着想を得て考えた武器。
これが完成すれば、俺はまた一段強くなれる。
「よし、ちゃんとあるな」
もう一度設計図を見直して不備がないことを確かめると、ストレージに戻した。
「あ、そうだ。
強くなるといえば──」
今まで忙しくて自分のステータスを確認する暇がなかったから完全に忘れていたことがあった。
天を喰らう龍を討伐した後のことだ。
確かあの時、条件を満たしたとか何とか言って、俺のレベル上限が解放されたとかいう通知が来ていたことを思い出す。
レベルの上限解放。
それはつまり、ゲーム時代はレベル600が限度だったのに対して、更にステータスを強化できるということではないだろうか?
少しワクワクしながら、俺はステータス画面を開いた──が、特に変化はなかった。
「ですよね……」
知ってた。
だってDFHのレベル表記、分数じゃなくて整数だもん。
『現在値/最大値』みたいな書き方じゃないから、上限が上がったとか言われてもレベルいくつまで上げられるかわかんないんだもんな。
「……けど、次のレベルアップに必要な経験値量だけはわかるんだよなぁ。
パーセンテージだけど」
具体的な数字が表記されていないというのはかなりつらいものがある。
残り99%なんて言われても実際にはどれくらい必要なのかわかったものじゃない──が、一応計算でおおよその数値は求められるんだよな……。
DFHには、ある程度レベルが上がると、自分でレベルキャップを外すための特殊なクエストを受けなければそれ以上レベルが上がらないという制度がある。
そのタイミングがそれぞれ、レベル250、400、550だ。
そこから先に上がるためにはレベルキャップを外すためのエクストラクエストをクリアする必要があり、このクエストを解放するためにはレベルアップに必要な分の経験値を貯め切っている必要がある。
攻略サイトによれば250から251に上がるために必要な経験値量は約40億点。
400から401に上がるためには103兆点。
550から551に上がるためには281京点。
これに加えてDFHの特殊で変則的な経験値量の増加関数を当てはめて、レベル1あたりに上昇する必要な経験値量を計算し、レベル600から601に上がるために必要とされる経験値量は──だいたい3,922京点。
「……」
俺は、紙に書きなぐった計算式を見下ろしながら黙り込んだ。
前世では数学なんて大嫌いなくらい苦手だったのに、なぜかこの世界に来て初めて計算式を解いてみると、想像以上にすらすらと書けてしまったことに自分でも驚いたのである。
「あ、あの……集中しているところ申し訳ありません。
オムレツをお持ちいたしました……」
紙に書きなぐられた数式の難解さにぞっとしたような表情を浮かべながら、ウェイトレスが申し訳なさそうに料理を机に運んできた。
「んぁ、あぁ。
ごめんよ、今終わったからすぐ片付ける。そこに置いといてくれるかな」
「はい、失礼いたします」
気まずいような気持ちを押し殺して笑顔で対応すると、ウェイトレスはほっと胸をなでおろしてその場を後にしていった。
わかる、わかるよ。
俺も難しい数学の宿題してる時に話しかけられたらいやだもん。気を遣うよね……。
俺は少し申し訳なさそうに厨房の方に頭を下げると、ウェイトレスは苦笑いを浮かべて軽くひざを折った。
次回は明後日の0時更新です。




