第39話 猛牛
時計塔──。
その歴史は紀元前3000年のエジプトの日時計にまで遡り、その後、13世紀あたりのヨーロッパで脱進機が発明されるまでの間は、定間隔で流れる水とその体積を使って時間を計る水時計が、太陽なしでも時間を計れる道具として、特に宮廷などで用いられていた。
「──が、ここは異世界。
ちまちま歯車作って組み合わせるよりも、一定間隔の速さで針を回す運動操作系の術式を直接書き込んだ方が軽量化もできて一石二鳥、ってところなんだろうなぁ。動力に錘使ったりしなくて良い分コンパクトにできるし」
要するに異世界版デジタル時計である。
直接数字を文字盤にでかでかと表示しないのは、多分遠方への視認性とバッテリーの問題なのだろう。
「時計塔に興味があるのかい?」
などというように、頭上で大きな音を立てて鐘を鳴らす時計塔を見上げながら近くのベンチに腰を下ろしていると、不意に前方から少年の声が聞こえてきた。
「ウェンティ。時間ぴったりだな」
「情報屋は時間にうるさいものだよ」
「……時は金なり、ってやつ?」
一瞬だけ考えて口にすると、ウェンティの方から否定の言葉が聞こえてきた。
「それもあるけど、一番はやっぱり、情報は生物だから、かな。
常に変化し続けるから、腐る前に届かないと意味がないのさ」
「なるほどね、確かにその通りだ」
情報は、ババ抜きのジョーカーのように、手番が進むたびに持ち主が変わっていく。
ある瞬間には「誰が握っているか」が確かにわかっていても、次の瞬間にはもうその正確さは保証されない。
きっとそれは、あらゆる事柄に当てはまる道理なのだろう。
俺はゆっくりとベンチから立つと、改めてウェンティの方に視線を向けた。
金髪碧眼の美少年。
中学生くらいの小柄な体格。
服装は昨日カラクの店で着ていたようなラフな格好ではなく、白いシャツにベージュのタータンチェック柄のオーバーオールと同じ柄の鳥打帽で、全体的にかわいらしい仕上がりになっている。
「いい服を着ているな」
「わかるかい? 知り合いの洋裁屋で買ったのさ。
ユーリちゃんのも、昨日のワイルドな感じもいいけど、今日はシンプルで大人っぽいね。
とても似合ってるよ」
「昨日のは好きであんな格好だったわけじゃないんだが……まあ、誉め言葉は素直に受け取っておくよ」
──と、そんな風に話していた時だった。
「「キャー!」」
時計塔広場から南方の方角、アリーナ型劇場や博物館などのある方角から、人々の騒ぎ声が聞こえてきた。
「なんだ?」
一拍遅れて、逃げ出してきた人の波が押し寄せてくる。
どうやら通りの向こうの方で何かあったようだ。
耳を澄ますと──ドドドド、と地面を揺らす重低音がこちらへ迫ってくる。
まるで大地そのものが脈打っているかのように石畳が震え、街路樹の葉がざわめいた。
「……蹄の音?」
次の瞬間、通りの角を突き破るようにして現れたのは、常識外れの巨体だった。
人一人分はあろうかという巨大な顔面。
全身を黒褐色の毛に覆われ、首元には獅子のような鬣があり、その頭には人1人など容易に串刺しできそうな長さの、湾曲した金色の2本の角が生えている。
その怪物めいた牛が、怒声のような咆哮をあげて暴れ狂い、人々を蹴散らしていた。
だが恐怖はそれだけでは終わらなかった。
最初の1頭に続くように、もう一頭が通りをなぎ倒す勢いで現れる。
2頭の巨牛が並び立ち、暴風のごとく広場へ雪崩れ込んできたのだ。
「ゴアブルか。なんでこんな街中に?」
ゴアブルは平均レベル40程度の牛型の魔物である。
たしかここからかなり南方の街カトゥス周辺の平原に生息しているモンスターで、エインズワース周辺にはポップしないはずだった。
よもや街の中に出現などありえない。
となると誰かが連れてきたことは明白だろうが、それだと検問でバレる。
そんな風に考えていると、不意にウェンティが俺の袖を引っ張った。
「多分、劇場の方から逃げ出してきたんだ! 首もとに隷属の首輪があるだろ?
あれがあるのに暴れてるってことは、首輪が機能してないってことだよ!
速く逃げなきゃ! なんでそんなに冷静でいられるんだよ!?」
言われて、首の方を見てみると確かに金属製の首輪が見てとれた。
左目の義眼で鑑定してみると、確かに術の効果が消え失せている。
「なるほど、魔力切れか」
だったら、この騒動を抑え込むのは簡単だ。
俺はニコリと笑みを浮かべて怯えるウェンティの頭をなでると、腰から杖を──そうだ、無いんだった。
「まあ、無くても充分か──招聘〈白騎士〉」
直後、目の前に2つの白銀に輝く魔法陣が現れ、中から白騎士が這い出してくる。
「ちょ、ユーリちゃん!? 本気でやる気かい!?」
「まぁ見てなよ。すぐ片づける」
俺は二体の白騎士を先頭に立て、群衆を押し分けて前へ踏み込んだ。
***
「ブルル……ッ!」
暴れ狂っていたゴアブルが、俺たちを視界に捉えた瞬間、警戒の色を濃くして動きを止めた。
間近で見ると、血走った両眼は真紅にぎらついていて、鼻孔からは荒い白煙が噴き出しているのが観察できた。
鉄塊のような蹄が石畳を削り、火花さえ散らしている。
「〈白騎士〉──取り押さえろ」
俺の声に応じ、白騎士たちは一糸乱れぬ動きで頷いた。
巨大なタワーシールドが石畳に叩き込まれ、衝撃が雷鳴のように広場を震わせる。
次の瞬間、鋼鉄の壁が一斉に突撃し、ゴアブルの懐へと雪崩れ込んだ。
「ブルルルルルルァァァッ!!!」
咆哮と共に巨牛が前脚を振り上げる──その一瞬の隙を逃さず、白騎士が鋭く潜り込む。
鎧の巨体が槍のように食い込み、続けざまにその腕が怪物の巨躯を持ち上げた。
石畳が悲鳴をあげ、大砲を叩き込まれたかのようにひび割れ、クレーターを刻む。
「ブルルッ!?」
理解できないというように白目を剥くゴアブル。
次の瞬間、白騎士の無言の気迫が爆ぜ──渾身の力で叩きつけられた。
轟音と共に巨牛の体が石畳に沈み込み、柔術めいた抑え込みに封じられる。
暴風のごとく荒れ狂っていたゴアブルが、地面に縫い付けられたかのように呻き声をあげた。
白騎士の甲冑は一分の揺るぎもない。
「さすが。この程度じゃ相手にもならないか」
最初、盾を捨てた時はどうするつもりかと思ったが──あれは音圧で威嚇することでプレッシャーを与え、無理やり隙を生ませるための布石だったのだ。
そして、畳み掛けるように決まったあの一撃。
作戦も技も、一分の隙が無い。
改めて惚れ惚れするね。
悠々と近づいて首輪を観察する。
鉄製の大きな首輪だ。
人間の身長ほどもある巨大な顔面と接続するその毛深いたてがみと隆々と膨らんだ首の筋肉。
それを、うろこ状に重ね合わせた板金に金属製のワイヤーを通したような形で作られた、鎧のような首輪が嵌められていた。
「うぇ……」
ゴアブルの鼻息を受けて、思わず顔をしかめる。
近くまで寄ってはじめてわかったが、腐った果物みたいな臭いがして少し気分が悪くなった。
(よし、命令板は破損していないみたいだな。
魔力回路も破損していない、ヒューズも切れていない……。
どうやら、本当に魔力切れで制御を失っていただけみたいだ)
俺は軽く調べて問題がなさそうなことを確認すると、バッテリーに魔力を注ぎ込んですぐさまその場を離れた。
ニットだから、服とかに臭いが染み込んでいないか気になるが……あとで〈クリーン〉をかければいいか。
見る見るうちにおとなしくなっていくゴアブルを確認してほっと胸をなでおろすと、俺は白騎士2体を送還した。
次回は明後日の0時更新です。




