第3話 冒険者ギルド - I
「助けてくれたのは君かね。礼を言うよ。私は行商人をしているカラクだ」
剣士の二人と話をしていると、幌馬車の方から一人、恰幅のいいおじさんがひょっこりと顔を出した。
「どうも、鑑悠里です」
おっとりとした顔で自己紹介してくる彼に、俺もたたずまいを直して自己紹介を返す。
「カガミユーリ? 珍しい名前だね」
「鑑が苗字で、悠里が名前なんです」
「苗字……まさか、どこかのご令嬢だったり?」
カラクが首をかしげるのに、俺はしまったと一瞬目をそらした。
こういう世界では平民は名字を持たないことが一般的だ。癖でフルネームを言ってしまったが、仕方ない。記憶喪失という設定でとぼけよう。
「さぁ。何分記憶がないので」
「記憶喪失ですか」
驚いた様子で目を丸くするカラク。剣士の方もお互い目配せをしている様子だ。
何かまずいことを言ったか? と一瞬焦るが、しかしそれもつかの間、カラクは何かを察したような顔で『なるほど、そういうことですか』と口を開いた。
「え?」
「そういうことでしたら、少しはサポートするくらいできるかもしれません。お金か、身分証はお持ちですかな?」
俺は思った。絶対、何か勘違いされているに違いない、と。
(たぶん、お忍びで冒険者になろうと家を抜け出してきたどこかの令嬢だとでも思われているんだろうなぁ)
とはいえ、今のところ困っていることなんて一つもない。
ゲーム時代から持ち越してきたお金や素材アイテムはたんまりあるし、森を抜ける際に開いたマップの情報が正確なら、地理は基本的にゲーム時代と一緒だ。リアルになった影響で細かいところで違いはあるだろうが──。
チラリ、と剣士の首に下がる銀色の金属プレートに目を向ける。いわゆるドッグタグと呼ばれるものだ。これに関しては、ゲーム時代のそれと全く異なる要素である。もしかすると、他にも想定外の違いがあるかもしれない。
俺はポケットから出すふりをして、ストレージから一枚の金貨を引っ張り出すと、カラクの目の前に差し出した。
「これが使えるなら」
「これは……イニシエール古金貨ですか!? こんなに状態の良いものは初めて見ましたよ!」
食い入るように手の中を覗き込むカラク。俺は彼の鼻息が手に触れるのが嫌で、さっとポケットの中に隠した。
「古金貨?」
「約八世紀ほど前に使われていた金貨です。単体では使えませんが、コレクターに売れば……あれほどの保存状態ですし、一枚、白金貨10枚で取引されてもおかしくありません!」
「「「白金貨!?」」」
と、驚いてみたものの、当の白金貨がどれほどの価値かわからない。わかるのは金貨より上のランク、と言うくらいだろうか。
ゲーム時代のお金は銅貨何枚と言う感じではなく、イェンで統一された単位のもとに、ただの数字の羅列で計算されていた。適当に引っ張り出したあの金貨は1000イェンで、アイテムの状態でストレージに出せる、最低限の金額でもある。ゲーム時代はこれ一枚で低級ポーションが一つ買えるくらいだったのだが……。
「……他に貨幣は?」
「……これだけです」
恐る恐ると言う体で尋ねるカラクに、なんとも言えない表情で答える。すると彼は眉間に皺を寄せて口をへの字に曲げ、なんとも非常識なものを見るような目で、今にもため息を吐きそうな声で続けた。
「……承知しました。では、しばらくの間はこちらをお使いください」
言って、カラクは懐から一掴みの貨幣を引っ張り出して数え、皮袋に詰めた。
「一週間分の生活費です。これでギルド加入の登録料と都市に入るのに必要な保証金を支払うといいでしょう」
「ありがとうございます」
ここが日本なら、少しは遠慮するところだっただろう。しかしここは異世界。実質手持ちが何もないし、そもそもここでは日本における美徳は通用しないかもしれない。
俺はありがたく受け取ることにすると、さっそく中身を確認して驚いた。なんと、中には数枚の銀貨がキラキラと輝いていたからだ。こんなものはアニメとか漫画とか、そういうフィクションの中でしか見たことがなかった。
一枚手に取ってみてかざしてみる。
円は微妙に形が崩れていた。完全な円形ではないということは、まだ鋳造技術がそこまで発達していないのかもしれない。
ゲーム時代の金貨はきれいな円形だったのに……技術力が落ちたのかな?
「面白いですよね。昔の金貨の方が精巧な作りをしているのは」
五百円玉サイズだったイニシエール古金貨と比べて一回り大きいサイズの銀貨をしげしげと眺めていると、不意に、幌馬車の方からもう一人の声が聞こえてきて顔を向けると、ちょうど、一人の少女が馬車から身を乗り出したところだった。
金色の巻き毛に蒼い瞳。頭には黒い帽子をかぶり、同じく黒を基調としたエプロンドレスを身に着けている。まるでクラシックなメイドさんのようだが、帽子だけがどちらかといえば軍帽に似ていて、そのせいか全体的に軍人のような印象を受ける。
「ユーリさんでしたよね。私はエインズワース市で冒険者ギルドの受付嬢をしています、サリエルです。カラクさん、彼女も一緒にエインズワースに向かってもよろしいですか? 彼女を一人にさせるのは……」
「ああ、かまわんよ。私も同じことを考えていた」
俺は、二人のやり取りに小首をかしげた。その様子に気付いたのか、剣士の一人が俺の肩に手を置いて
「お金のことも知らないで向かわせたら、いろいろ厄介なことになるからな」
「まず、街には入れなくなるよね」
と説明してくれた。
なるほど、確かに彼らから見れば俺は幼い子供だ。そんな子供が価値も判らない大金を持ち歩いているともなれば、不安に思ってしまうのも無理はない話だろう。
こっちの世界での貨幣価値については俺も知りたいところだったし、ちょうどいいからこの際教えてもらうことにしよう。
「というわけです。ここで話すのもなんですし、さ、ユーリさん。続きは馬車で話しましょうか」
サリエルの説明は、まず周辺地域のことから始まった。
「まず、ここはエインズワース市近くの林道で、ユーリさんが出てきたあの森は、市の南側、ブラックフォレストといいます。
単純に木々が黒くて密集しているのでそう呼ばれているだけですね。あそこにはよく魔物も出現するので、エインズワースの冒険者たちはよくあの森に探索に向かいます。ユーリさんも、冒険者になるのでしたらよく行くことになりますよ」
どうやら、ゲーム時代と地名は同じらしい。違いがあるとするなら、ゲームではエインズワース市ではなくエインズワース村だったことくらいだろうか。
お金の話から推測するに、多分DFHがゲームだったころから約800年経過しているらしいし、いつの間にか村が勢力を広げて、一つの都市にまで発展したのだろう。
「エインズワース市ってどんなところなんですか?」
「どこにでもある大きな城塞都市ですよ。もし観光をお望みでしたら、聖アグナリア大聖堂がおすすめです」
「アグナリア……?」
その名前を聞いた瞬間だった。背中の一部が、熱く疼くような感触に襲われて、俺は眉をしかめた。
「ゴトシャ教の七大聖堂の一つですよ。太陽を守護する大天使アグナリア様を祀る教会で……ユーリさん?」
心配そうな顔でこちらを覗き込んでくるサリエルに、俺は無理やり笑みを浮かべた。
「さっき、魔術を使ったときに打ったのかもしれません。大したことないので、続けてください」
〈氷槍砲牙〉の衝撃で吹き飛んで尻もちをついたのは確かだった。しかし、打ち付けたのはあくまで腰であって背中ではない。
俺は、謎の痛みに怪訝に思いながらも、しかし耐えられないレベルでもないので、一度深呼吸して彼女の話に向き合った。
「そうですか? あまり無理はしないでくださいね?」
「ありがとうございます」
それから、サリエルさんはこの世界の通貨についても教えてくれた。
この世界の硬貨は鉄貨が最小で、銅貨、銀貨、大銀貨、小金貨、金貨、大金貨、白金貨の順で価値が大きくなるらしく、価値的には鉄貨一枚で一円相当。百枚で銅貨になり、以降は十枚ごとに次の硬貨にランクアップするようだ。
と言うことは、俺が持ってたあの金貨は一枚で十億円相当……ってことか。
聞けば、現代の鋳造技術では再現できないことに加え、その複雑精緻なデザインから、芸術品としても大変人気のあるものだから、というのが答えだった。
「鉄貨と金貨はあまり使われることはないですが、銅貨と銀貨はよく使われますね」
「そうなんですか?」
聞けば、鉄貨は日本でいうところの銭に近い扱いなようで、為替の時に小数点以下の部分を補う時くらいしか用いられないようだ。ちなみにエインズワース市を含むエインズ領では、主にカラクさんが渡してくれたようなウィストリアン硬貨が使われるという。
「領によって違うんですか? 国単位ではなく?」
「外は魔物だらけで危険ですからね。国単位で同じ通貨を使うということが、物理的に難しいのですよ」
馬車を走らせながら、カラクさんが口をはさんだ。よくわからないが、何かそういう事情があるのだろう。
「なので、硬貨は常に種類ごとに分けておいて、自分がどの種類の硬貨をどのくらい持っているかを把握しておくほうが無難なのです。商人の世界においでになるのでしたら、統一単位の話までしますが……今は不要でしょうな」
「あはは……」
そんな難しいことまで話されたら、頭がパンクしそうだ。
そんな風に話を続けていると、不意に馬車の足が止まった。どうやら目的地に着いたらしい。外の様子が気になって幌の隙間から外を覗いてみると、そこにはゲーム時代には見かけなかった、巨大な石の城壁がそびえていた。
「おお!」
思わず、感嘆の息が漏れる。
ヨーロッパに旅行なんて行ったことがなかったから、こういうものを間近で見れると少し興奮する。
太い鎖につながれた木製の跳ね橋。四角く切り出された灰色の意思でできた巨大な橋塔。そして鉄の格子が上がった、巨大な木製の門を持つ関所と、30mくらいはありそうな巨大な城壁。
ゲーム時代だと大きめの街にしか見られなかったデザインだったが、現実になった世界で見上げるそれは、また迫力が全然違っていて俺の男心をくすぐった。
「そんなにすごいもんかね?」
馬車の隣を歩いていた剣士が、半ば呆れたような声で言う。
「初めて見たので」
「まあ、確かに俺も田舎から出てきたときは感動したもんだが……」
剣士のその言葉に、俺は少しだけ耳を赤くする。
どうやら、田舎者と思われたらしい。
どうにも釈然としない口ぶりに何か言い返してやろうかと思考を巡らせたが、しかしどうにも言葉にできなかったので、俺は諦めてため息を吐くのにとどめた。
次回投稿は来週です。