第32話 朝チュン
アグナリア討伐の翌日──。
目が覚めると、鳥の歌声とともに見知らぬ天井画が視界に飛び込んできた。
金色の角を持つ緑色の巨大な牛が、純白の衣をまとった女性によって射止められているという構図で、その背後には狩りとは縁遠そうな遺跡の風景が描写されている。
「……」
どことなく全体的な印象がピーテル・パウル・ルーベンスという画家のものに似ている気がする。
なんだっけ、『 狩猟をする女神ディアナとお供の者たち 』だったか?
彼は人物や動物が渦巻くように配置したり、とにかく劇的な動きの強調された絵を描く画家だった。
温かみのある赤や黄金、深い緑や青を多用して荘厳な雰囲気を作り、光や影のコントラストを巧みに使って立体的に映し出すような絵を描くのが特徴だと思う。
そんな彼の画風を考えると、目の前のそれは確かに彼の作品の雰囲気を感じることができるのだ。
円形の天井画。
獰猛に立ち向かう雄牛。
そして弩を構える女神の勇姿。
「……いい絵だ……」
特に背景を彩る金の表現がいい。
朽ちた黄金の遺跡。
差し込む陽光。
暴れる牛と、それに対峙する女神の表情や気迫が、ありありと伝わってくる。
柔らかな空気の中に潜む力強さと神聖な雰囲気が巧妙にマッチしていて、とてもいい絵に仕上がっていた。
しかしそれらを差し置いて特筆すべきは、そのパースの使い方だろう。
円形の絵画という特徴をうまく使い、魚眼パースを用いてより女性と牛の迫力を引き出している。
中央に向かって視線が吸い込まれるようで、まさに見事としか言いようがない。
古典的な絵画でこんな描き方をしているのは、俺の知る限り思いつかない。
そこだけを切り取ってみても、おそらく価値のある絵なのだろう。
ぼーっとする頭で天井画を鑑賞した俺は、次第に眠気に負けて被っていた布団を首もとまで引っ張り上げた。
冬の冷気によって冷やされたシルクの布地が心地よく、昨日の疲れが抜けきらない体に気持ちいい。
(……あ、知らない天井だっていうタイミング逃した……)
人生で一度は言ってみたいセリフ上位に入る言葉だった。
これを逃せばもう二度と口にできる機会なんてないだろう。
(無念……まあいっか……眠……)
俺は近くにあった抱き枕のようなものを手繰り寄せると、その柔らかな感触を楽しみながら再度目を閉じようとして──
「ひゃんっ!」
「……?」
その抱き枕が、小さな悲鳴を上げたことに驚き、目を開けた。
「おはようございます、ユーリ様。
朝から大胆ですね!」
紫みがかったピンク色の髪。
同色の光彩。
幼い顔つきに似合わない、ふっくらとした大きな胸。
それを無意識につかむ、自分の手。
それらを視認した瞬間、俺の意識は一気に覚醒した。
「誰!?」
布団を弾き飛ばしながら、急いでベッドから飛び降り、ファイティングポーズをとる。
「嫌ですわユーリ様!
私をお忘れになったのかしら?」
言って、少女がベッドの上で自分の髪をつかんで、手でツインテールを作って見せた。
「……もしかして、リディア?」
「ですわ!」
「豹変しすぎだろ何があったんだよ!?」
リディアの首肯に、俺は慌てたようにツッコミを入れた。
リディアと言えばもっと生意気な少女だったはずだ。
それが一晩見ないうちに、俺に対してお嬢様みたいな上品な言葉を使ってくるばかりか、俺の名前に様までつけてその上声のトーンが一段高くなっている。
正直言って気味が悪い……。
「嫌ですわユーリ様ったら。
これから師事を請おうという相手に、タメ口なんて使えるはずないではありませんか!」
「師事?」
リディアの意味不明な発言に、俺は首を傾げる。
「あら、もうお忘れですの?
昨日おっしゃっていたではないですか、私に召喚魔法を教えてくださると!」
言われて、そういえば昨日そんなことを言った気がするな、とおぼろげながらに思い出す。
確か、アグナリア廃坑に入る直前だったか直後くらいの話だ。
俺の黒騎士の性能がいいのを見て羨ましがっていたから、覚えてみるか? と提案した……気がする。
そしたらリディアは『考えておくわ』と言った。
日本人的な考え方をするなら、遠回しな遠慮と取れないでもない……が、直前の彼女の表情は、目を輝かせてどうしても知りたいといった風だった。
(……もしかして、あの時は何か即答できなかった理由でもあったのだろうか?)
そんな様子で顔をしかめている俺に、リディアが『それと』と追撃を入れた。
「それと、豹変ぶりでしたらユーリ様の方がおかしいですからね?
ご自身をよく見降ろしてくださいな!」
「んぁ?」
言われて、自分の体を見下ろしてみる。
しかし、特に変わった部分は見受けられなかった。
しいて言うなら、俺の着ている服が昨日のローブとブラウスの姿から、涼し気な白のワンピース型の寝巻に変わっていたことくらいであろうか?
「特に何ともないけど」
「その右腕ですよ! いったいどうしたんです? あとその左目も!」
「……あぁ、そのことか」
朝起きてから全く違和感がなかったから忘れていた。
俺は黒くなった右腕を見下ろしながら、昨日の出来事をリディアに説明した。
「信仰心……力……。
申し訳ありませんユーリ様。私にも何が何だか……」
「そうか……」
申し訳なさそうに俯くリディア。
まるで昨日と同一人物とは思えなかった。
やりにくい……。
元の張り合いがなくなって少し残念だが……それが彼女の選択だというのなら、こちらが無理に矯正するというのもお門違いだろうな……。
「魔族の件は、悟酉から聞いております。
ユーリ様のお話を聞くと、少し信じられませんが、ゴトシャ教と何らかのつながりがあるのは確かかもしれません。
よろしければ、こちらで調べておきましょうか?」
ふと、頭を上げて損な提案を持ち出してくるリディアに、俺は少しだけ目を見開いた。
「いいのか?」
「ええ。
ユーリ様は記憶喪失とのことですし、前提知識がある分、私の方が早く調べがつくはずですから!」
「助かるよリディア」
笑みを浮かべるリディアに、同じく笑みを返す。
ちょうどやりたいことが増えすぎて、どこから手を付けようか悩んでいたところだ。
彼女の申し出は非常に助かる。
「では、その代わりと言っては何ですがユーリ様。
弟子の件、しっかり考えてくださると光栄ですわ!」
「うん、考えとく」
彼女に召喚魔術を教えるだけで、調べごとという面倒な作業を代わりにやってくれるというのなら安いものである。
俺は2つ返事で承諾した。
「とりあえずその話は今は一旦横に置いておくとして、だ。
さっきから気になってたんだけど、ここってどこなの?」
「それもお忘れでしたか」
リディアがやや呆れ気味に呟いた。
「仕方ないだろう、昨日はすごく疲れたんだ。2回も死にかけたんだぞ?」
「ですわね、失礼いたしましたわ」
軽くひざを折って謝意を示す。
「ここは、エインズワース市長の居城、その別館の客室ですわ」
「……なんで?」
なぜ、俺がそんなところにいるんだろうか?
起き抜けだからとかそんなことは抜きにしたって意味が分からない。
きょとんとした顔を向けると、リディアが窓の外に目をやって口を開いた。
「そろそろ時間がありませんわね。
身支度をしながらの説明になりますが、よろしいですか?」
「身支度?
……まあいいけど」
リディアは何かこの後予定でもあるのだろうか?
俺は頭に疑問符を浮かべながら気を使って背を向ける──と、後ろから俺の手を引く感触に思わず振り返った。
「リディア?」
「失礼しますね」
俺をベッドのふちに座らせると、どこから取り出したのか、ヘアブラシを持って背後に回った。
木製で、花の彫刻がきれいな高そうなブラシだった。
「身支度って、もしかして俺の?」
「はい。今日は市長との謁見がありますからね」
「……え、初耳なんだけど」
「それを今からご説明いたします。時間がないので、動かないでくださいませ」
リディアはそう言うと、髪にブラシをかけ始めた。
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